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ヒョンなことから米作りをすることになり、昨年暮れから、田んぼの土作りに出掛けています。
農法は、字で書くと「冬水田」で、呼び方は「ふゆ・みず・田んぼ」と言います。秋から冬にかけて田んぼに水を入れておくという農法で、一部の人たちには知られていますが、あまり見かけません。
この農法は、水の張ってある田んぼは水鳥の餌場になり、カエルの産卵場所にもなり、微生物が増加するために、土地が肥えるという効果があると言われています。
また、土壌が軟化しているので田植えがしやすいらしい。稲とか藁をそのままに捨て置くので腐食が進んで土地を肥やすとか、土壌の表面にトロトロ層ができて雑草が生えにくいという効果もあるみたいです。
うまく行くのか予想できないが、ネットなどで調べると結構手抜きしてもよいみたいである。それで、これならば素人でもなんとかやれるかもしれないと思い立ったという訳です。
借りられた田んぼは、水が漏れて隣田に迷惑をかける怖れが少ないと考えられる場所にあります。ほんのネズミ(猫より小さい)の額くらいの広さです。(写真にあるように水と枯葉で埋まっている田んぼ)
でも、農法が隣田と違うと、何かと周囲に迷惑をかけるかもしれないので、田んぼ選びは大切なところです。(写真・下にあるように、他の田んぼは水を落としている)
現在は、山から枯葉を一杯拾い集めて、水の張ってある田んぼに入れるという作業をしています。枯葉を取る場所は、春になるとカタクリの赤桃色の花が一面に咲く山の急斜面です。
誰もが知っているように村は高齢化が進み、山の手入れはほとんどされていません。枯葉が厚く積もってかたくりが芽を出すことができないのです。何十年も何百年も、いつ芽が出せるとも知れずかたくりたちは眠りについている。
つまり、一石三鳥という訳です。まずは、完全無農薬の米が食べられるかもしれないところです。田んぼの土壌を肥沃にさせて、可憐なかたくりの花も観られるようになります。
もう一つは、本物の片栗の饅頭が食べられるかもしれないことです。ここは、友人の自宅近くの裏山です。そして、長年冬眠したままだったカタクリの花を復活させました。
そして、この春にはもっと広げて、「眠りの森のかたくり姫」たちをたくさん目覚めさせるつもりのようです。でも、私は花の観賞よりは、馬鈴薯などから作られた片栗粉ではなく、ほんとうの本物のかたくり粉で作った饅頭が食べたいので、根っこをとらせて欲しいと頼み込んでいます。
でも、なんとしても首を縦に振ってくれません。さて、早朝に出掛けるので、もう寝ます…。
人は、なぜ美術館へ行くのでしょう。美しい絵画を見て感動するのでしょうか。正直に言うと、私は美術作品を観て感動したことは、全く一度としてありません。
詩人・谷川俊太郎は、「私には心から詩に惚れたということがかつてなく、これからもないだろう」と著書(「あいまいなままに」日本図書センター)のなかで書いておられます。(ちなみに、彼をタイプ4w5と判定しています)
私と同じことを言う人がいるもんですね。でも、感動しないのに、よく美術館に行ったりギャラリーを覗いたりしています。
ところが、ごく最近になって、「現代芸術」というジャンルを知りました。やはり感動はしないままなのですが、驚かされることがよくあって、それで興味が湧いてきたという訳です。
たとえるならば、Mr.マリックのマジックを見たような驚きとよく似ています。昨年の夏に知ったばかりのベルギー出身の「フランシス・アリス」の作品には、本当に驚かされました。少し紹介したいと思います。たとえば、「愛国者たちの物語」という映像作品です。
たぶんアリス本人(だと思う)が、一匹の羊を引き連れて登場します。一周するごとに一匹の羊が登場して、前の羊に従って広場を回ります。羊が17頭くらいになり輪になって連なると、最初の羊が1匹ずつ列から離れていくという映像作品です。
これは一体なんなのだ、トリックを使っているのか、羊の習性をそのまま利用しているのか、マジックなのか、どうなっているんだ、と、頭がかく乱されてしまいます。もうビックリです。
アリスはメキシコに在住していますが、次のように紹介されています。
「この作品はメキシコシティの中心部にある広場で撮られたもの。この広場は数々の弾圧があった場所で、政府が役人たちを招集して、自分たちを賛美させる集会を開こうとしたところ、不満を抱いた役人たちから「メー、メー」と羊の鳴き声が自然と沸き起こり、やがてそれが大合唱となったという「事件」があり、それを取上げた作品」
その他、「歩くこと」を作品にしたり、「眠ること」を作品にしたり、誰も考えつかないような発想の仕方をしている。
でも、ただ歩くといっても、その作品のために、メキシコシティでの徒歩歴は15年だとある。ロンドンに展示する作品のために、ロンドンを5年間も歩いたなどと、あまりに破天荒です。
大変な思いをして作品創りをしているのかもしませんが、そういうことを知らしめていない。努力したことを認めてもらいたいわけではないのだから…。
その逆で、楽しんでいるだけかもしれません。がしかし、そういうこともまるでわからない。観たい人が、観たいようにみればいいだけなのかもしれないが…。
ところで、エニアグラムを知ってから、それまでと全く違う視点を得られたという体験をしています。また、自分をもっと掘り下げるには、さらなる異質な視点を持つ必要があるのではと考えさせられました。それを、思い起こしてくれたのが、現代アートなのです。
明けまして、おめでとうございます!
と、いつも何も考えないままに書き出してしまう。そして、いつも「何が目出度いのか!?」と少しムッとする。たぶん、年齢のせいだけではないと思う。
新年を祝う気持ちになれない人たちが一杯にいます。というよりも、そんな人々で満ち満ちている世界です。戦争や紛争、飢餓と貧困等々、地球上の全てから無くすことは不可能なのでしょうか。 (写真は、新幹線の車窓から撮った富士山)
可能性があるかも、と、ほんの少々でも想像することができないので、考え出すと苛立ちがつのり、何かとおかしな失敗をしてしまいます。
とりわけ昨年から報道されることの中で気になっていることは、「自爆テロ」です。自爆テロでの死亡者数がうなぎのぼりに増えているように感じます。
近年は、少年たちを使っての自爆テロ事件が増えています。たとえば、貧しい家に生まれてしまったために、ある少年は街角で物乞いなどして家族を助けようとしていたのかもしれません。
わずかな金を渡して「この品物をある所に届けてほしい」などと言って貧しい少年に近寄る男たち。爆発物と時限装置を入れた荷物を運ばせて、遠隔地から操作して、目的地に着いたら、この少年とともに爆破させてしまう…。
自爆攻撃に利用される子供達
http://www.youtube.com/watch?v=kRC_FuzI4LM&feature=related
女性の自爆テロも報道されているより多いのではないかと考えざるを得ません。どういう女性が自発的な自爆テロ事件を起こすのかと、これもまた想像してしまう。
たとえば、夫や息子や恋人などが死んでしまったならば、「生きていても仕方ない。どうせ死ぬならば思い切ったことをして死のう」などと、私も考え出すかもしれないと思うのです。
昨年の1月のことです。イラクで80人以上の女性を自爆テロ犯に仕立て上げ、“信者の母親”として知られている女性(51)がイラク警察に逮捕されたという報道がありました。
http://digimaga.net/2009/02/iraqi-woman-recruited-a-suicide-bomber.html
上記を読めば判ると思いますが…、とりあえず一部転載します。
「“信者の母親”は、自爆テロの候補になりそうな女性を集め、次に裏で組織している男たちにレイプさせます。イスラム文化圏ではレイプされた女性は死刑、そして家族全体の名誉を汚した存在であるため、その恥をぬぐうためにはアッラーの教えに従い聖戦に参加するしかないと誘導するのです。生きることが恥(そして死刑)になるわけですから、被害者の女性たちはおのずと自爆テロへの道を選びます」
また、一家の働き手である男がいない、あるいは男を亡くした家族に近づき、その家の少女に縁談話を持ち出す男たちがいる。
が、実はテロリストに仕立て上げたり、逃げられないようにして爆発物を運搬させて、少女とともに爆発させてしまうのです。こちらは長期間かかって準備しています。自爆テロは1990年代から急激に使われるようになった方法ですが、卑劣なやり口は一層巧妙になっています。
どうしたらいいんでしょう。宮沢賢治の「雨にも負けず」にある「でくのぼうになりたい」とは到底言えないような世界に、今、わたしたちは生きています…。
「みなさん、芸術に手を染めなさい。どんなにまずくても、どんなにうまくても、それでみなさんの魂は成長します。みんなが芸術をやるのはそのためだ。有名になりたいからでも、金持ちになりたいからでもない。
芸術は一種のいたずらだ。美術家はいたずら小僧だ。芸術は、食事や、セックスや、運動と同じで、成長に不可欠なものだ。それによって人間は自分が何者かを発見できる」
上記は、カート・ヴォネガットというアメリカではよく知られている小説家が書いた文です。公式ペーシは以下です。
http://www.geocities.jp/kurt_vonnegut_japan/index.html
2年ほど前から、現代芸術と言われているものに惹かれるようになりました。上記にあるように、まさに「いたずら小僧」みたいな作品と出会ってしまったからです。
なお、私自身は、魂というものがあるとは思っていないのですが、エニア流ならば、「成長の方向に歩みを進める」と言えるのかもしれません。また、エニアグラムも自分を知るための道具です。となると、現代芸術≒エニアグラム性格学、とも言えるのかな??
でも、そんな立派な目的など要らないとも思うのですが…。ただ、いたずらっ子みたいな好奇心に満ちた眼差しと行動力を保ち続けることは、人生においてかなり重要なことのように思えます。
ところで、私は幼児の頃から絵を描くのが好きで、室内でずっと絵ばかり描いていた、かなりおとなしい子ども(本当です!)なのでした。
小学校の頃に幾つかの画塾に通ったことがありますが、どこにも馴染めず直ぐにやめました。また、長じてからも「絵画を他から学ぶ」という発想がなく、ただただ一人で描いて楽しんでいました。
でも、現代芸術という分野を知って、その面白さに気づき始めて、少し学ぼうかなって気になっています。なにしろ、私はいたずらをしたことがない、全くもっておとなしい子だったのですから…。
いたずらっ子は、みんなを驚かせるのが面白くてやっているだけで、意味とか価値などとは無関係です。それと同じ発想で創作されている作品とたくさん出会えます。ビックリしてしまうんです。
もしも、貴方が子どもの頃、いたずら小僧だったならば、凄~い芸術家になれる可能性があるんです。絵が下手であっても、また誰にでも可能性が開かれているもの、そんな気がするんです。
OSや、その他、いろいろなものが壊れてしまいました。なんとか復旧はしているのですが…。
その折に、送受信されたメールも一部ですが壊れています。
通信講座を受けていらっしゃる方で、こちらから、ご連絡したいと思っている方がいますが、どうしてもアドレスが見つかりません。
また、受講料は振り込まれていますが、受講のほうがまだ開始されていない方もおられます。そのままで受講されないのは、なんとしても残念です。
これを読まれたら、どうぞ、ご連絡をお願いします。お待ち申し上げています。
なお、このような場で、個人的なお知らせを取り上げてしまい申し訳ありません。どうぞお察しくださいますようお願いいたします。
竜頭万里子(ryutou-m@he.mirai.ne.jp)
今日の朝刊に訃報が大きく掲載されていた。驚いて、どうしてだかウィキペディアを読んでみたら、逝去した日がもう書き込まれている。早すぎる。なんだか辛い。
日高敏隆さんの本と出合う前は、動物のことなどまるで関心がなく、動物の生態を知ったからって、どうなるものではない! などと思っていました。
バードウォッチングを好む友人がいますが、何が面白いのかと訝しく感じて‥。渡り鳥はいつ日本にくるとか、餌はなにを食べているとか、「そんなこと知ってもつまらん!」と、友人には言わなかったが心の中でうそぶいていた。
ところが、日高さんは、動物たちは何故そのような行動をとるのか、その行動をとるのはどういう意味があるのか、を伝えようとしていると。
「私が本当に知りたかったことはこれなんだ!」という感じです。現象とか単なる事実を知りたいのではなく、現象や事実の背後にある原理というか、法則みたいなことが知りたかったのだと、ハッ! と気づかされたのが彼の書いた本だったのです。
以来、著書が出版されるのを待っていた‥。でも、もう彼の新たな文章を読むことはできない‥。
(一度だけ講演に出かけたことがあります。エニアタイプは4w5です)
なお、海外のエソロジー(動物行動学)の著書をいち早く紹介してくれたのは、日高さんの功績だと言われています。それでも、知らない人たちからは知られていない。
もっと多くの人たちに読んで欲しいもの。そんな訳で取上げてみました。 ご冥福をお祈りいたします。
①彼の文が載っているサイト。http://homepage3.nifty.com/nemotoman/hidaka.htm
②彼が講義している様子がみられる動画(70分くらい)。
http://mausu.spaces.live.com/blog/cns!88911E98105E4439!8411.entry
③バックナンバーにある私がまとめた文。日高敏隆さんが動物行動の研究をしていたユクスキュルを紹介しており、そこで知りえたものです。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-34.htm
近頃は「近代化産業遺産」という言葉をあちこちで聞きます。また、各地でそれらの保全運動が活発になっています。
当地にも明治2、30年代に作られた鉄道があります。今年(2009)、経済産業省から「近代化産業遺産群続33」と認定されたところです。愛知県ではここだけです。
現在、廃線になっていますが、トンネルが14個もあります。約8キロ区間あり、そのうちの1.5キロは私有地だったためか、半世紀もの間そのまま放置されていました。
そのお陰というべきか、昔の姿が色濃く残っていて、明治にタイムスリップしたようなレトロな気分を少し味わえます。
トンネルは崩落しないで良好な状態で、廃線上には50種600木あまりの樹木が生い茂っています。
それを2年前から保全しようと立ち上がった人々(愛岐トンネル群保存再生委員会)が、ナショナル・トラスト運動をはじめました。そうして、年2回、市民に解放されるようになったのです。
以下のホームページに、写真が多数あります。
http://www.geocities.co.jp/ag_tunnel/index.htm
この鉄道、29年に着工したようですが、開通まで20名の方が命を奪われています。渓流沿いの崖を切り開くので、難工事だったようです。ダイナマイトも使用していますが、トンネルのレンガも知多半島で造られたものを手押し車で運び、手作業で積み上げていたようです。
この廃墟に、かつては蒸気機関車が走っていたのです。
勇壮な機関車が煙を吐いて走るのをみた明治の人たちは、新しい時代が来る! 世界に広がっていくっていう感じで、胸膨らましたのだろうと思うと、ちょっと羨ましいですね。
写真は定光寺駅あたり。この線路上に現在は樹木が生い茂っています。写真には写っていないが急俊な崖の途中に線路が作られている。その下方は庄内川(土岐川)が流れています。後方に見えるトンネルが、上記の写真に該当します。
ここは我が家から、車で35~40分くらいのところにあります。朝一番に出かけたので人ごみは避けられました。
また、当日はおいしい風を吸いこんで約5キロくらい歩けたので、とても気持ちのよい一日になりました。
写真は「三四五のもみじ」と名づけられている大木のもみじ。
苗字を珍しがられて、「どこのご出身ですか?」と尋ねられることがよくあります。ごく最近も、「ペンネームなんですか?」と質問されました。
竜頭(りゅうとう)は本名で、戸籍上の苗字ですが、「姓の全国順位データベース」によると、25890位です。
日本人の姓(=名字・苗字・氏)は、30万くらいあるみたいで、世界一と言われています。でも、読みにくい苗字が多くて困りますね。
あまり聞かれない苗字ですが、ある郷土史家が、ルーツは「渡来人」なのではと調べてくれたことがあります。江戸期以前からずっと神社の神官をしていた家系なのですが、神官は珍しい苗字が多いと聞いたことがあります。
ところで、中国語で「龍頭」と書けば、「蛇口」のことを意味します。でも、香港に旅したときに名刺を差し出したことがありますが、やくざ、という意味もあるそうで、この名刺を見られたら「怖がられる」と言われてしまいました。
最近知ったところでは、中国語に「龍頭企業」という言葉があるみたいです。「業界をリードする企業」という意味だそうです。
日本語では「りゅうず」という呼び方が一般的です。よく知られているのは時計にあるネジまきのことです。でも、龍頭という言葉は結構いろいろなところで見かけます。
龍頭峡、龍頭山、龍頭神社、龍頭ケ滝、龍頭岩、龍頭泉などです。どうやら「水」と関係のある語らしく、「流れ」を意味しているとも言われています。
楽器の箏(琴)にも、りゅうずという名称がついています。架空の伝説の生き物「龍」に見立てて各部の名称がつけられているのです。
それは船にもあります。船体の骨格に当たるところを竜骨と呼びますが、船首の先端を飾っている彫り物なども、りゅうずです。また、釣鐘の頭の部分もりゅうずがあります。
五月人形の兜などにも、竜の頭の形をした飾りがついています。これらは、みな魔除けとか厄払い、艱難除去のためなのだそうです。
「龍頭観音」もあるそうで、観世音菩薩の三十三の化身のうちの一つで、「天龍夜叉を表し、雲中の龍の背に乗って現れる」と紹介されているサイトも発見しました。
苗字そのものに「魔除け(まよけ)」という意味があるのですから、きっと苦難や災難から逃れられるのではないか、と思うのですが‥‥どうやら護符の効果を信じない、また言霊があるとは思えない気質が災いしているみたいです。
4日のナショナルジオグラフィックニュースで、「宝石箱」と呼ばれている星団の写真(クリックする拡大されます)が載っていました。以下です。
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=2009110406
南半球からみえるサザンクロス(みなみじゅうじ座)の近くにある「散開星団NGC4755」です。
19世紀のイギリスの天文学者、ジョン・ハーシェルが、この星団を、「宝石箱」と名付けています。双眼鏡でも見られます。
1年前、ニュージーランドのテカポ天文台で観ている星ですが、約6400光年という距離にあると言われています。何度でも何度でも観たいものです。
でも、一昨夜3日の月は神々しいほどに美しくて‥‥、遠い外国まで出かけなくとも、これを見ているだけでもう十分!だと思いました。
年を追うごとに、花鳥風月の世界に関心が行き、だんだんと人間社会のことなんぞどうでもいい、みたいな感じになっていく‥。ただただ美しいものだけを見て生きていきたいとか‥。逃げているのでしょうね。
もうじき冬です。これからの季節は星空が美しく透明になります。また、星見スポット情報をインターネットから得られます。
ちなみに、しし座流星群は、11月17日深夜から18日の明け頃にもっともよく観られるそうです。
愛知県の緑化センターは広大な敷地で、あちこちと散策できます。山奥に来てしまったなあと感じさせるところもあり、あきさせません。
ある日、森林浴コースを一人で散策していると、湿地に出てしまいました。そこに、なんということでしょう! (笑! 我が家のはやり文句)
白玉星草(写真)が咲いていました。その近くにはシデコブシもあります。なんか凄いもの発見! という感じです。写真では冴えない草に見えますが実物はかなり愛らしい!
シラタマホシクサは、別名コンペイトウグサ(金平糖草)とも呼ばれていますが、絶滅危惧種II類に当たります。
調べてみると、伊勢湾岸地域と宮崎県の一部と三浦半島の一部にしか自生していない珍しい植物だと書いてあります。
弱酸性なので弱酸性水が必要ですが、発芽には鉄分も要るみたいです。その鉄分が、伊勢湾岸地域の花崗岩が風化した土質に多く含まれています。
シラタマホシクサは湿原のあちこちに群落を作っています。その様がまるで星をちりばめたように見えることから「星草」の名が付いたみたいです。花の直径は1cmにも満たない可愛い花です。
名古屋市内の東山植物園や大高緑地公園などでも見られるそうですが、豊田市内の矢並湿地でも10月頃咲いていました。
ところで、シデコブシも、東海地方など限られた範囲に分布する日本の固有種です。湿原の周辺や渓流沿いなどに生育します。こちらも絶滅危惧種に指定されています。
珍しい植物を、こんなに身近で見つけられる‥。散歩する楽しみが増えました。ただし、「危険スズメバチに注意」という貼り札が随所にあります。白玉星草のある湿地に行くにはかなりの勇気を要します。
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