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知人から、「今日の一言」と題したメールが、毎日のように送られてきます。ごく最近になって来たものは以下です。
‥生まれたときから 幸福しか知らなかったら
幸福とは何かに 気づくことができないんですよ‥
その通りだと思います。戦火のイラクで生まれていたら、あるいは、パレスチナのガザ地区や新疆ウイグル自治区で成人していたら、戦争とか紛争のない国をどんなにか羨んだでしょう。
私たちはとりあえず平和な国に生まれたのですが、それが、どれほど「かけがえの無い幸せ」なのか、なかなか気づくことができない‥。
ところで、自分より下層とか不幸な人々と比較することで、「自分はまだ幸福のほうだ」と感じられるとしたら、上層にいる人たちは幸福感で満ち満ちているのでしょうか?
今年の1月、ドイツ国内で第5位の大富豪が鉄道自殺をしています。線路に頭を乗せて横たわって列車を待ったようです。また、シカゴの大金持ちの不動産経営者が、郊外でジャガー車の中で拳銃自殺を遂げています。
大富豪がなぜ自殺するのでしょうか。やはり、お金で幸せは買えないのでしょうか‥。あるいは、無くすものがたくさんある人のほうが、辛いことも多いのかもしれませんね。つくづく考えさせられます。
ところで、この知人はタイプ4と判定している方で、今年の成人の日に送られてきた「今日の一言」には、タイプ4らしさがよく出ています。
‥大人になってこそ 子どもになれよな! ‥
またこんなものもあります。健やかな精神が溢れ出ているように思います。
‥人は誰でも 幸せの鍵を 自分の中に持っている
ただ そのことを忘れているだけ‥
「自分の性格は、他の人たちと見比べてみないと分からない」と、講座ではよく説明しています。
それと同じことが言えるのではないかと思います。私たちは身近な人たちと比べるので、「自分はあの人より幸福なんだ!」と思って、自分を慰めることがあります。「あいつよりオレのほうが不幸! そんなの不公平だ!」と逆恨みすることもあります。
富裕層と最底辺層の経済的な格差が、たとえば1000万倍の国と10万倍の国があったならば、その中間層にいる人々を対象にして「生活幸福度の評価」を集計したならば、どちらの満足度が高くなるのでしょうか?
たぶん、前者は急激なピラミット型になり、貧困層が多数を占める国にいる中間層のほうが、それほどでもない国にいる中間層より、生活満足度は高くなると予想します。
7/24に取上げたイギリスのシンクタンク・新経済財団での調査を見ると、上位に上げられていても、経済的には豊かだとは言えず、犯罪率も高くて、政情不安定な国があります。それにもかかわらず生活満足度が高い人たちが多いようです。
フリー百科ウィキペディア(青字の部分)によれば、エルサルバドルの人口は 6160万人だが、貧困層は約240万人もいる。コロンビアでは大規模な油田も発見されて産業は豊かであるが、貧富の差が激しく、治安は悪い一方で、厚い中間層も存在している。
ヴァテマラの治安は悪く、毎日約20人が殺害され危険極まりないため、投資、企業進出には向かないとあります。また、グアテマラの官僚が非効率で賂が横行して腐敗している。国民の生活水準は全体に低く、平均寿命は64歳。 識字率は67.3%。中央アメリカでもっとも低い。国民の57%が貧困層に属する。
中南米では、アメリカ合衆国へ出稼ぎに行く人が多く、そんな親たちの仕送りで国内に残った家族が生計を立てている家庭が多いようです。最近は、エコツァーが増えたためか観光収入が増えて、ここに書いてある状況よりは経済は良くなっているみたいです。しかし、貧困層が減っているようにはみえない。
新経済財団の調査対象者が中間層に偏っていたら、発展途上国のほうが「住みよい幸せな国」になってしまう、そんな可能性もあるんじゃないか、ふと思うのですが‥。
しかしながら、貧しいと家族は結束するという傾向があります。親たちの苦労を思って子どもたちも思いやりがあり、近隣とも助け合うという傾向はあるのではないでしょうか。貧困でも、家族仲良く暮らせるならば幸せではないかと。
一方、日本では、家族がいても孤立しているとか孤独感が強いとか、家族が殺し合い暴力的にもなっている。ひきこもりやニートも増えており、ワーキングプァ層も増えています。
知人の82歳になる女性が口癖のように言います。「上を見ればキリが無い。下を見てもキリが無い。現在の暮しの中から幸せを見つけなさいということや‥」
どんな生活をしていれば幸せなのでしょうか? なんでもそうなんですが考え方の違いがあります。経済的に豊かでも、環境汚染が酷いとか、政情不安定とか災害リスクが高いのであれば幸せとは言えません。
たとえば、国民総生産(GNP)が高ければ豊かな国だという見方がずっと支配的でした。最近は国内総生産(GDP)とか、国民総所得(GNI)などから図られるのですが、それらでは日本はかなり上位の国です。GNI(2000年)ならば、日本は世界第2位です。
それでは図れないという考え方もあり、「一人当たりGDPランキング」というものもあります。2005年のそれは、一位・ルクセンブルグで、日本は14位です。
国は豊かでも、庶民にとってはそうではなく、「一人当たりランキング」の順位が低いとしたら、それは私たち庶民の実感に近いものではないでしょうか。
前回7/24にて取上げたランキングは、イギリスに本部のある新経済財団が調査したもので、世界の76000人余の人々の回答より導かれた結果です。ただし、質問表には、「生活満足度指標によってその国の住民の福利を評価」するというものです。これまでにない考え方です。
やはり、本人の満足度というものが重要ではないでしょうか。発展途上国の庶民は生活満足度が低いだろうと予想されることが多いと考えられますが、そうとばかりは言い切れません。
たとえば、1960年代の高度経済成長が続いていた日本は、今ほど経済的に豊かではないが、精神的なゆとりがあったという見方があります。その頃は将来に希望を持つことができたが、現在では将来への不安が大きく、孤立感や閉塞感が強いなどとも言われています。
新経済財団が、どのような人を対象に調べたのか分からないのですが、そもそも幸福度というものは客観的には図れないものがあります。従って、主観的にはどう感じているのかを調査することは、意味があるのではないかと思います。
以下に掲載されているので、英文が読める方は確かめて欲しいと思います。
http://www.happyplanetindex.org/
ちなみに、各国の国立大学の学生たちに現在の生活満足度を質問したら、たとえば、日本の学生のほうが、ベトナムの学生より満足度は低くなるのではと予想します。学生という立場や身分が、途上国よりも先進国のほうが相対的に低くなると考えられるからです。
また、発展途上国でも老人が敬われる傾向がある国であれば、老人たちの満足度は高いかもしれません。ところが、わが日本では老人の自殺が多く、老人だというだけで敬われることはないのです。7/27の麻生首相の失言「(高齢者は)働くことしか才能がない」などもありますから‥。
それゆえ、どのような人を対象にして調査したのか、それが重要になるのではないでしょうか。
世界一幸せな国は、「コスタリカ」というニュースを見つけました。イギリスのシンクタンク・新経済財団(New Economics Foundation)の発表で、143カ国の中からの一位です。
1 コスタリカ 76.1
2 ドミニカ共和国 71.8
3 ジャマイカ 70.1
4 グアテマラ 68.4
5 ベトナム 66.5
6 コロンビア 66.1
7 キューバ 65.7
8 エルサルバドル 61.5
9 ブラジル 61.0
10 ホンジュラス 61.0
:
75 日本
:
114 米国
財団が「地球幸福度指数(HPI)」という独自の指標を算出して選んだもの。指数の計算式は、(生活満足度×推定年齢)÷生態系維持予想指数(環境汚染の指標)、の数式で求めます。数値が高いほど「幸せな国」だということになります。
コスタリカの人たちの85%が、自分の人生に満足しているという。そして、国民の平均寿命は78.5歳です。一方、経済大国と言われ、富裕な国だと思われている日本は、75位です。日本人の平均寿命(今年発表)は、男性79.29歳、女性86.05歳ですから、コスタリカよりは長寿です。
ということは、コスタリカと比べて日本は、生活満足度がかなり低いか、それとも環境汚染度がかなり高いのだろう。
ところで、コスタリカは、国家予算の21%が教育費(2000年度)だという。一方、日本は、約7%(2005年)。コスタリカは、軍隊を廃止した世界初の国とよく知られているが、軍事費がどれくらいなのかと探してみたが分からない。ゼロではないだろうが多くはないだろうと予想できる。一方の日本の軍事費は、2005年度、5.9%
西欧のほうが豊かだという印象があったのではないかと思いますが、時代の移り変わりは予想以上に早いんですね。
ところで、憲法第9条を厳密に解釈して、軍事費を無くしてそれらを全て教育費に振り替えるならば、日本国民の生活満足度は高まるのだろうか??
それは分からないが、個々人の成長のために注がれる時間とエネルギーが大きくなるほどに、「自分という存在は大切な存在になっているんだなあ!」と、それぞれが確認できる可能性が高まるような気がするのですが‥。あなたは、どのように思いますか?
このように地球幸福度指数(HPI)だけを表面的に見ていると、「人の幸せは金では買えない」のだろうと感じてしまいます。しかし、もう少し観ていくと、「人の幸せは金で買えるのかもしれない‥」などと感じてしまうのです。
神秘学を日本に紹介している高橋巌さんは、オカルティズムに関する考え方を著書でよく取上げています。
この方は、主にルドルフ・シュタイナーの思想を紹介している方として知られています。シュタイナーの文章は読みづらいのですが、高橋巌さんのほうはわかりやすい文章です。
その彼の解説では次のようになります。
「対象と自分との関係を考えるときに、従来の関係と全然ちがった関係を持とうとしたり、あるいは別様にものを把握しようとする、そういう態度をオカルティズムというのです」 (「神秘学講義」角川選書より転載)
人間というものは、他人との関係でとかく固定的な見方になりがちです。「あの人はこうこうこんな人間だ!」と、よく知らないのに決めつけることがあります。
一方、自分のことを全く知らない人間から、なにか否定的なイメージで決めつけられることほど不愉快なことはありません。多くの人たちが、そんな体験をしているにもかかわらず、なぜか他人に対しては平然と決めつけてしまう、という傾向ならば、しばしば見られるものです。
家族の見方も固定的になりがちで、エニアグラムでタイプ判定をすると、「あの子に、そんなところがあるなど信じられない!」と驚かれるご両親がいます。
誰にとっても、自分の見方が狭いのではと、「気づく」ことが大変に難しいようです。しかしながら、「単線」だった見方が、「エニアグラム」という見方を取り入れることで「複線」となり、新しい認識の仕方を知ります。飛躍的に視野が広くなる人もいるように感じています。
そして、対象に対して、それまでと違う認識の仕方をして、それまでと違う接し方をすると、両者の関係に変化が起きます。
つまり、対象が問題ではなく、自分のほうの問題なのだと気づく必要があるところです。自分の認識の仕方を広めたり深めることで、他人との関係を良くすることができるのですが、そこにいたるには「オカルティズム的な態度」が重要みたいです。
神秘学系の著書を読むと、ときどきハッと気づかされる内容に出合えます。30代頃からずっと神秘学に注目してきましたが、現在でも、たまに取り出して読み返すことがあり、考え方として得られるものが多い学問です。と、私自身は思っているのですが。
フラッシュ・モブのアイディアをおもいついたのは「ビル」と名乗る匿名の人と言われている、と紹介されていたサイトがあります。ビルは、「これはただのモブ(群衆)であって、何の意図もない。それが一番、大事なことだ」と語っているとか。
初めて催されたのは、2003年9月10日のマンハッタンだそうです。日本国内でも既に催されています。たとえば、今年の3月22日(日)のことです。東京新宿アルタ前広場にて11~12時の間でした。
こちらのパフォーマンスは、自分の好きな本(小説、思想書、機関誌、マンガなど)を1冊、小さな声、大きな声、自分に合った方法で11時から読み始め12時に解散、というものです。むろん、雨天決行。
また、「フラッシュ・モブ要項」というものもあります。①はじまりと終わりの合図(笛やラッパによる) ②奇をてらわない服装 ③さりげない仕草 ④個人ではなく群集のひとりになりきる態度 ⑤映像による記録
ネット上で見つけたものを見ると無意味なことが多そうです。意味のあることをやりだがる人たちには、ばかげたフラッシュ・モブなど、無価値なものになるでしょう
しかしながら、突き詰めたならば、意味のあることなど、一体、この世界にあるのでしょうか?
また、「ええじゃないか」という幕末(1867年)に起きた不可解な騒動がありますが、それに似てなくもないものです。今でも謎の出来事ですが、ただ楽しく騒いだだけだった、という見方もあります。ちなみに、この騒動の発祥については諸説ありますが、どちらにしても愛知県内です。
ところで、ワクワクできるなにかが欲しいと思っている人は少なくないと思います。他人に迷惑をかけず、ドキッと鼓動が早まる非日常的ななにか!? その何かとは何なんでしょうか?
平穏な日々をいとおしく思える反面、う~ん! と立ち止まってしまうことはありませんか? 自分自身も何を求めているのかよく分からない時があります。けれども、なにか異変を求めているところがあるような‥、でも‥。
あなたのほうではどうですか?
パリのとある日の夕刻のこと。全身を真っ白な衣装に包んだ5000人くらいの人々が、コンコルド広場に出現して、優雅な集団夕食会を催した、というニュース(AFP)を見つけました。
今年6月11日のことです。一行は広場に到着すると、瞬く間にテーブルやイスを並べ、テーブル上には陶器の食器をセッティング。ワインとシャンパンを傾けながら食事を堪能したようです。
毎年6月のある木曜日ですが、開催日時と場所は直前まで参加者にもわからないという。なお、ゴミ袋持参が鉄則で夜のうちに完ぺきに後片付けをして、食事の痕跡を1つも残らないようにするそうです。
さて、集団の夕食会は、インターネットの呼びかけで特定の場所に、見知らぬ人びとが集結する「フラッシュ・モブ(群集)」と呼ばれる催しです。
まずは、どんなモブがあるのか、先に紹介したいと思います。たとえば、「ピローファイト」というモブがあります。修学旅行の夜のマクラ投げみたいなものを、町中で集団でやるというものです。
「救命モブ」は傑作です。ビルから飛び降り自殺しそうな人がいて警官(役)が拡声器を持って説得、妻(役)も駆けつけている。が、よく見ると足下は1メートル余。見物人は楽しそう? か、怪訝な面持ち?
ストリートで突然固まってしまう「フローズンモブ」も傑作です。姿勢がそれぞれおかしいのです。何分間固まっていたのだろうか、それは書いてないので分からない。Youtubeで見られます。
「横断モブ」はみんなで渡れば怖くない、と勝手に横断しちゃおうというもの。その他、フリーズ・モブとか、イエローカードを高々と掲げるモブもある。世界中の都市でモブなるもので楽しんでいる人たちがいるみたいです。サンフランシスコ バンクーバー フィラデルフィア ニューヨークetc‥
フラッシュ・モブとは、一種の即興を集団で行うもので、電子メールを使って友だちから友だちへ伝言。携帯電話のテキストメッセージを使って送信もされているみたいです。
こんな時代になったればこそできるものではないかと。見知らぬ人たちとともに面白いパフォーマンスをして遊ぶのですから、精神的なゆとりを感じさせます。これぞ一期一会! の精神なのかもしれない。
参加者は、直前に電子メールで日時と場所と、どんなパフォーマンスをするのか、また、服装やルールなどが知らされます。しかしながら、基本的にモブは何をしてもいいようで、政治的なメッセージがあってもいいようです。
「フラッシュ・モブは、こわばった社会の筋肉をもみほぐし、ざらついたら社会の皮膚をなめらかにする“瞬間の社会彫刻”だ。フラッシュ・モブでは、その日・その場限りの小さな達成を共に喜びあい、笑い合うことができる。
そこから、ほんのすこし世界を見なおすことができる。他者への信頼を回復することができる。“世界は愉快で、人間はおもしろい!” フラッシュ・モブはそういうものだ。」(「イルコモンズ・アカデミー・メモ」より)
かねてから観たいと思っていた「柿田川湧水群」に出掛けることができました。静岡県清水市にあり、一日100万トンというすごい量の湧き水です。
四国の四万十川と並び称されているみたいで、そのまま飲めるきれいな水で、年間15度と一定した水温です。
湧水地は富士山の南にあり、富士山麓が巨大な水タンクとなり、この近辺で地表に湧きあがって川になります。この柿田川の長さは約1.2kmと短く、終点は狩野川へと注いでいます。
写真は、第2展望台から見た湧水の一つです。井戸のように見えるのでが、それは以前そこにあった製紙工場の取水場だったためです。透明なディープブルーが神秘的で魅力的です。
しかし、水量は以前と比べて減っているようで、富士山麓の乱開発とか都市化の波が原因だと言われています。
どこにいってもそうなんですが、自然を守らねばと、自発的に動きだす人々がいます。その人たちに守られて、現在も美しい湧水が保っているのですが。そういうことにまるで思い至らない人たちが、またどこにでもいるようです。
以下のアドレスは、柿田川の良好な自然環境を保全する活動を続けている人たちのHPです。
http://www.izu.co.jp/~kakida/index.html
ちなみに、近くの池にいる鯉に餌を与えているところを見ると、なかなか餌にありつけない鯉がいました。機敏な仲間に先を越されてしまうのです。写真の金色の鯉です。
タイプ4なのかタイプ3なのか、またはタイプ9なのでしょうか? それとも年寄りの鯉なのでしょうか。尤も、魚が9タイプあるのか、まだわかりません。3タイプには分けられると考えられますが。
豊田市美術館での企画展は、なかなかに面白いものがあります。なにしろ、美術館の館内で、イナズマを観ることができます。しかも、一日に3回も!
ヤノベさんが「ウルトラ黒い太陽」と名づけた巨大な人口稲妻発生装置が作動すると、イナズマがガガガガー! ガガガガー!! ペースメーカーのある方は見られないそうですし、携帯電話は電源を切ってくださいと指導されるんですから‥。
また、アトムスーツと名づけられた放射能などを感知したり防御する宇宙服のようなものを着た「とらやん」は印象的です。顔と体は3歳児くらいで童顔ですが、頭は禿げていてチョビ髭をつけています。
つまり、幼児とおじいさんが合体しているのです。当会のエニア理論を知っている方ならば、すぐに察知できるのではないでしょうか。
また、「赤い森の中の映画館」という一角に入ると、とらやん(子どもサイズ)が幾つも立ち並んでいますが、その中では子ども専用の映画館が、大中小と3つほどあります。上映される映画は核攻撃をいかに生き延びるか、というような内容の子ども向けのお話しです。
外から見ると木造で素朴な感じの映画館ですが、小屋の内部は鉄板で作られており、堅牢な核シェルターになっているようです。小さな子が好みそうなお菓子と飲み物も置かれています。
ヤノベさんは現在44歳という。エニアタイプは、タイプ4w5と判定しています。4は「末っ子気質」で、w5は「おじいさん気質」です。この2つを併せ持った気質ということになります。
ヤノベ・ケンジさんのホームページ→http://www.yanobe.com/
図書館で、お定まりの棚を通り越して、寄り道をすることがたまにあります。一週間前に寄り道したのは雑書類の棚で、「発禁本」が眼に留まりました。
危険思想みたいなものが載っているのかと、漠然としながらも一冊手にとってみました。ところが全ページが性愛ものであり、性交のカラー本でした。
どぎついものや絵画的なセンスのあるものもありましたが、これが公共の図書館にあるんだと驚きました。
こんな凄い情報!? をブログで取上げたら、関心を持つ人たちが図書館の発禁本を一斉に借り出して在庫無しという状態にならないかと心配しています(‥っなことないか)。
ところで、映画には「R指定」があり、その場合は15歳とか18歳未満では見られないようになっており、暴力と性に関しての表現に年齢制限がかけられています。
でも、家族とともにお茶の間で談笑していて、ふとテレビ画面を見ると、過激な暴力シーンがあり人が殺されている。それらが許されていて、性交シーンは許されていない。う~ん‥単純に考えると、どうも理解できにくい。
建前では、性に関する表現には厳しい規制がかけられていますが、実態としては野放しです。しかし、しかし、その逆にして、規制のほうは緩めて、実質的な取締りを厳しくしたら、どうなるのだろうか? う~ん! もっと大変なことになりそう。
そんなことを考え出すと、性に関することほど管理しにくいものはないのかもしれないと思い至りました。
ところで、発禁本の3大要素とは、「主義・趣味・宗教」だとか。もう少し詳しくならば、「右翼・左翼・性表現・宗教・オカルト」などだそうです。しかし、発禁にするものとそうでないものを、どうやって線引きできるのだろう。
そのための基準など作れるとは思えない。どうやら、この分野も不可解で、納得できないものばかりみたいな気がします。
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