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★武田邦彦さんのブログhttp://takedanet.com/
その中にある緊急論述:原子力発電の安全基準とは?専門家の見解
その1http://takedanet.com/2013/02/1_d748.html
この中に、武田さんのお話しが録音されたものがあります。
↓ ↓
「comment01tdyno.61-(8:22).mp3」をダウンロード
その2http://takedanet.com/2013/02/post_92c0.html
その3http://takedanet.com/2013/02/post_2e60.html
★Foe Japanにポイント/文例が載っています。
http://www.foejapan.org/energy/action/130213.html
★「実践セミナー みんなで書こう!
原発『新安全基準』&『防災指針』パブリック・コメント」 2/09
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/56981
★【再稼働、新安全基準には小隕石が衝突する可能性も含むべき】
http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1861.html
★城南信用金庫吉原毅理事長インタビュー 2/07
http://ow.ly/1SxMz7
この録画の完全版をみるためには、会員になる必要があります。
☆城南信用金庫のホームページ
「原発に頼らない安心できる社会を目指して」
http://www.jsbank.co.jp/13/1-13-2.html
以下のお二人は吉原理事のお話に出てくる人です。
☆小原鐵五郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5
%8E%9F%E9%90%B5%E4%BA%94%E9%83%8E
☆加納久宜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%B4%8D%E4%B9%85%E5%AE%9C
★作家・池澤夏樹氏のこのコラム
「沖縄、根拠なき負担」。
http://watanatsu.ti-da.net/e4359004.html
★槌田敦先生の核融合科学研究所重水素実験の講演 2/08
☆小原鐵五郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5
%8E%9F%E9%90%B5%E4%BA%94%E9%83%8E
☆加納久宜
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%A0%E7%B4%8D%E4%B9%85%E5%AE%9C
http://www.ustream.tv/recorded/29117819#utm_campaign
=tokainet.wordpress.com&utm_source=29117819&utm_medium=social
朝食時にニュースを聴こうとテレビを付けることがあります。なんと昨日の朝ネットで見つけた記事が一日遅れで取り上げられています。
番組は「モーニングバード」で、原発に関しては批判的にとり上げているところなのでイラつかずに済んでいました。
しかし、以下の東京新聞に載っているようなことは取り上げていません。
★茨城県民の歌「歌えない」 原子力礼賛の3番に疑問
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021890135147.html
「歌詞の原作者の川上宏昭さんは、応募では「原子」という言葉を用いておらず、比喩的に東海村の隆盛を描いたという。有識者らでつくる当時の審査委員会が原子力を強調する手直しをしたらしい。川上さんは「歌に関わった人に迷惑がかかる」と多くを語らない。
世紀をひらく 原子の火
寄せる新潮 鹿島灘
このあたらしい 光をかかげ
みんなで進む足なみが
あすの文化をきずくのだ
いばらき いばらき
われらの茨城
原子力村の圧力があったと考えられるようなところです。そこを番組では取り上げない。イラつきました。
作詞者は、「関係者に迷惑をかける」と言う。作詞したものにとって書き換えられるのは不愉快なことだと思うのです。
作者は日本人的な配慮をしているつもりなのでしょうが、本当なのでしょうか。実際は「腹が立ったが我慢した」のかもしれません。
また、「“世紀をひらく原子の火”は、この時代でしかありえないものだろう。もちろん当時の作詞者は原子力発電がこうなるとは予想だにしなかったわけで、まったく責任はないのである」などと書いてあるサイトも見つけました。
しかし、「責任はない」のでしょうか。一企業を賛美しているともとれる歌詞を、県の歌にしていいのかな。あなたはどう思われますか?
ところで、このサイトを書いた人は、「30代以上であれば茨城県民ならばみな歌える」とあります。これにはさらに驚きました。
同様に、福島県歌も県民たちの多くは歌えるようです。
県歌というものがあるなど、このニュースを聴くまで知らなかったのですから。愛知県歌を知っている人など、愛知県民に果たしているのでしょうか?
第一、県歌を作るという発想はどこから来たのかと探してみました。
なんと、ウィキペディアには、「ほぼすべての都道府県が歌を制定している。第二次世界大戦降伏後に連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ/SCAP) の奨励を受けて作られた歌」があるという。また、そうではない歌もあるそうです。
ネット上で見つけた記事にあります。「栃木の「県民の歌」ほど、みんなに愛されている県歌はないでしょう。嘘だと思ったら、身近な栃木県出身者に聞いてみてください。老いも若きも、8割くらいは歌える」
違和を感じますね。「小学校から、町の運動会、スポーツ大会、成人式、地域の行事でもごく普通に歌う」という辺りが、とくに不可解です。
行事ごとに歌うなど、どこかから押し付けられたもののように思えるのですが、私の邪推でしょうか?
歴史の真相を知れば知るほどに、国民は洗脳されている、そういうもの日常的にずっと晒されていることを知った今では、邪推ではないと思えるのですが…。
幾つかの県歌を見ると、「若い」という形容詞がよく使われています。
鹿児島県歌では「わかき鹿児島」ですが、動画にもあるように、福島県歌は1~3番まであり、「わかい理想をかざして・若い血汐を燃やして・若いあこがれ結んで」などとなっています。
敗戦後(終戦後ではない)の昭和20年代に作られたものが多いので、若者が多かったのでしょう。
現在では、地方の高齢化はそうとうに進んでいます。なにかちぐはぐな印象が残ります。時代を超越できる歌詞のほうかよいのではと思うのですが…。
(年寄りではダメなんでしょうか? 年寄りのことも歌い上げてくれなきゃ片手落ちだろう、って思ってしまう)
ちなみに、秋田県歌は古そうな歌ですが、格調高くろうろうとしたという印象の歌です。これも調べてみました。なんと昭和5年(1930年)に作られたものでした。
★秋田県歌http://www.youtube.com/watch?v=kY-7dGQH4WQ
でも、この歌詞の内容がよく分かりません。めったに見かけず知らない文字もあります。これも、ウィキペディアに載っているもの見ると面白い。
「3番が忌避されることも多い。これは歌詞が秋田県の源流となった久保田藩が四面楚歌の状況下で錦旗を守り、苦戦の末に奥羽越列藩同盟に勝利したことを称えているが、秋田県内には新政府に「朝敵」とされた亀田藩や南部藩の領域だったところもあるためであるとしている。もっとも、これは県内最大の新聞社秋田魁新報が先導したためともいわれている」
つまり、その時代では力のあったマスメディアが圧力をかけたのではと考えられます。県歌が、こんな調子で作られていたんですね。
やっぱり洗脳の一つと言えそうです。なお、参考に3番目の歌詞を載せます。
篤胤信淵巨人の訓 久遠に輝く北斗と高く 錦旗を護りし戊辰の栄は 矢留の城頭花とぞ薫る 歴史はかぐわし誉の秋田
現在、パブコメ募集中の原発の「新安全基準」は、今後の原発運転の再開にお墨付きを与えるものです。
これからの原発政策としてとっても大切なものと言われています。
その基準案を決めた人たちのほとんどが原発力村村民です。
ですから、パブコメに応募する人たちが少なければ、原発を推進する人たちの思うがままに進みそうです。
でも何が問題なのか私にはわかりません。で、大急ぎで一から学ばねばなりませんから大変です。
ところで、これまで幾つものパブコメに応募しましたが、学生に戻って、「教師から試験問題を与えられた」と思ってトライしてきました。
昔も試験に受かりたいので、とりあえず頭になにか入れるんですが、試験が終わるとすぐにカゲロウのように儚く消えてしまいます。
ほとんどの人がそうだと思うのですが。でも、一度覚えたら忘れないという人がいますからね。
えてして、そういう人物がかの村民なので、手ごわいです。
でも、老化による脳ミソの委縮は少しでも減らさなければと思うのです。
あなたもトライしてみませんか?
まずは、以下の「そもそも総研」を見てみましょう。
そして、その次のPDF文書も…ね。問題点がわかるものです。
パブコメの締切は2月28日です。まだ9日間もあります。
★テレビ朝日のモーニングバード
「新安全基準で、原発は本当に安全になるの?」 2013-02-07
前編http://www.youtube.com/watch?v=_cJefzvjys0
後編 http://youtu.be/5Ci5NXDSIPE
★原発「新安全基準」の検討について「声明」
原子力規制を監視する市民の会
http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/files/seimei2013_0201.pdf
隕石騒動で原発に関するニュースが隠れてしまったような…。
というよりも、核(かく)の問題はかくしたがっているらしいので、これ幸い、しばしこのニュースでいけるってことなんだと思う。
落下したところは、下部にある①「チェリャビンスク州周辺」となっています。
が、そのすぐ後に、②のサイトを見つけました。チェリャビンスクの近くに核施設都市があるとのことです。
隕石はそこから50キロくらい離れたところに落ちたようです。ホントかなあと、地図を見ました。
チェリャビンスクの北北東にあり、この地図ではかなり近い。これじゅあ紙一重と言えるかも。
しかし、マスコミには「紙一重のところだった」と指摘しているところが見つかりません。
④にあるニュースでは、「テロによる航空機衝突も想定しているが、隕石の落下までは想定していない」
想定内と言えばどんなことでも想定内にできます。危険性も、あると言えば言えるものですが、無いと言えばそれも言えるでしょう。いかようにも自分の都合よく使えるような気がします。
ところが、「よりにもよってなぜここに…」っていうことが世の中、一杯に起きています。
「よりにもよってなぜ私にこんな不幸が…」と思うことがあるように…、「よりにもよって原発に巨大隕石が落ちる」ってことも考えられる。
というよりも、それで脅威を煽りたいものです。そうして、原発はやっぱり危ないから「無くそうよ」ってことに持って行きたいのです。
これまでずっと脅威を煽ってきたのが政府や権力者の常套手段なのですから、一般庶民も対抗して、同じことをして何が悪いって感じです。
でも、安全だと流布しておきながら、実は危険なものを住民に隠す、ということもよくあります。
⑤にあるように、核融合研究所の所長は重水素実験は「絶対安全だ」と、シンポジウムで述べています。
そんなに安全なものならば、どこでも受け入れOKなはずです。名古屋市の真ん中とか、東京の真ん中で実験すればいいのです。
岐阜県土岐市という田舎でならば人が少なくて騙せるとか、金で口封じできるという算段なのではないかと…。
田舎でも、実験地のそばは住宅密集地です。シンポジウムでは小さな子を持つ若いママたちが泣いて訴えています。
①ロシアで隕石落下、1000人負傷 衝撃でガラス飛散
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG15054_V10C13A2CR8000/
②隕石はロシアの封鎖核施設都市からおよそ50キロ地帯に落下。
紙一重で免れた巨大核災害
http://tkajimura.blogspot.jp/2013/02/blog-post_16.html
③ ロシア辺りの地図 オジョルクス
https://maps.google.com/maps?q=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%
E3%83%A3%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF&hl=ja&ie=UTF8&ll=
55.720923,62.655029&spn=2.592929,3.817749&sll=35.563722,139.725409&
sspn=0.029255,0.029826&hnear=Russia,+%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%A
A%E3%83%A3%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF&t=m&z=8
④原発に隕石落ちたらどうする?「想定外」 日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/general/news/
f-gn-tp0-20130215-1085725.html
⑤多治見市
核融合科学研究所の重水素実験の安全性に関するシンポジウム
パネリスト
槌田 敦…たんぽぽ舎顧問
井上敏夫…「多治見を放射能から守ろう!市民の会」代表
林 巧…日本原子力研究開発機構 核融合研究開発部門
ブランケット研究開発ユニット 研究主幹
小森彰夫…核融合科学研究所々長
コーディネーター 小林甲一…名古屋学院大学経済学部教授
その1http://www.dailymotion.com/video/xxd4t8_yyyy-yyyyyyyyyyy
yyyyyyyyyyyyyyyyyy_news?search_algo=2#.UR7hAI56LQE
その2http://www.dailymotion.com/video/xxd4yf_yyyy-yyyyyyyyyyyy
yyyyyyyyyyyyyyyyy_news#.UR7hb456LQE
その3http://www.dailymotion.com/video/xxd50v_yyyy-yyyyyyyyyyy
yyyyyyyyyyyyyyyyyy_news?search_algo=2#.UR7hNo56LQE
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2013/02/blog-post_7382.html
「原子力発電所」を美しい日本の各地に作らせてしまったのは日本人の大人たち、全員の責任だ。
その被害を、未来に繋がる子どもたちに絶対、残してはならない。
今、後悔しながら思うのは子どもや若者たちを一刻も早く安全な地域に移してやって欲しいという事。
これは思慮が欠けていた日本の大人たちの、すべての緊急の責務です。…ちばてつや
★漂う核のゴミ 警鐘を鳴らす 倉本聰
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013021402000148.html
一部のみ転載
「実は、『北の国から』も同じテーマなんですよ。正直に言うと。
エネルギーを自分でつくる話でしょ。
その問題を露骨に出していたら絶対つぶされるんです。
糖衣錠のように、核の部分を隠して、うんと甘みをつけ、テレビ局もだまさないといけない。
それがテレビドラマの手法」
★孫崎享さんインタビュー
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/57593
2013年2月14日(木)、北朝鮮の核実験をうけて、岩上安身が孫崎享氏へインタビューを行った。
会員にならないと見られなくなります。今のうちに見ておいてくださいね。
約16分くらいのところから本題に入っています。
当時、「銃を持って戦った大統領」がいたというニュースを雑誌で読みました。肌がつっぱるほどピチピチな頃のことです。
この時に見たアジェンデ大統領の写真は今でも忘れられぬものの一つです。
現在でも、アメリカに憧れている人はたくさんいるみたいです。
でも、若い頃に知ったこの出来事から、アメリカという国の残虐な一面を知ったおかげで政府や権力というものへの期待はなかった。
しかし、これほどに腐敗しているとは…、アメリカに直接支配されていると思うほどの国に成り下がっていたとは…、
なお、「選挙で選ばれた正式の政府を倒そうと、軍部のピノチェト将軍は、米国から300億円の軍資金と数千人のCIA工作員という大規模支援を受けていた」という。
これでは、ひとたまりもないはずです。アジェンデさんが銃を持って戦っても、戦闘の準備などしていなかったのですぐに制圧されたはずです。アジェンデさんがすぐに銃で自殺したことも、その時に知りました。
「大統領府は戦闘機のミサイル20発という猛爆撃を受けた。
アジェンデ大統領は攻撃のさなかに国民へ別れの演説をした後に、
「民主主義は軍部に降伏しない」
と、言い残し、ピストルで自決。その日、サンチアゴは快晴。
しかし、チリ国営放送は、「サンチアゴには今雨が降っています」 という声を流し続けていた。
まるで映画の一シーンみたいです。でも、それは現実にあったことで…、
これに関しては、以下のサイトに載っています。
↓ ↓
★ビクトル・ハラの生涯
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/jara.html
★もう1つの9/11 デモクラシー・ナウ
1973年9月11日 米支援のピノチェトがチリの実権を握った日
http://democracynow.jp/video/20100915-3
再生時間:17分
チリで9.11と言えば、1973年の軍事クーデターを指します。
米国の支援を受けたピノチェト将軍が、民主的に選挙で選ばれたアジェンデ政権を倒した日です。
それ以降、チリでは独裁政権が反対派の誘拐や虐殺を繰り返して国民を恐怖に陥れ、その一方でシカゴ学派の主張に沿った新自由主義経済政策が徹底的に推進されました。
このショックドクトリンの最初の「実験」は、その後、IMFの手動でバブル崩壊後の中南米全体に広がり、大多数の国民を困窮させて、現在の中南米のアメリカ離れの種を撒くことになりました。
今ではそれが全世界に拡大していますが、今日の私たちが直面する問題の先駆けとなった事件として、チリ・クーデターの意義は一段と大きくなっています。
この放送では、この40年前のクーデターの生き残りが、この事件を歴史に風化させることなく司法の前に引きずり出そうとしたことに視点を当てます。
「平和に生きる権利 ~ジンタらムータwith リクルマイ」
(作詞 作曲:Victor Jara 歌詞:リクルマイ、中川敬アレンジ:大熊ワタル)
エンハンスドCDで特典映像「平和に生きる権利」収録。
八木さんのブログに載った一部を以下に転載させてもらいました。
「じつは、私がかなり前に書いた本で、「禁じられた歌」というビクトル・ハラについて書いたドキュメンタリーがあります。
ビクトル・ハラというのは、1973年に亡くなったチリの音楽家ですが、ただ亡くなったのではなく、9月11日の軍事クーデターの時に逮捕され、臨時拘置所となった国立スタジアムに収容されたのち、虐殺されたのです。
一説には、彼は、他の収容者を励ますためにギターをとって歌おうとして、軍人にギターを取り上げられ、それでも手拍子で歌い続けようとしたために、腕を叩き折られ、さらに撃ち殺されたということになっています。
そのおそるべき死に様が語られることによって、チリの軍事クーデターの最大の汚点(というより本質)として、また、その後のチリの反軍政運動のシンボルとなった人物です。
といっても、誤解を招きたくないのですが、そういう経緯を知らなければ、そのような激しい死に方をするようなことになるとはとても思われません。
それほどに、彼の歌声はとても優しいもので、また、歌曲は、美しいメロディに満ちあふれています。音楽的な水準も高いものです。
このビクトル・ハラの作品から、ソウルフラワー・ユニオンの中川敬さんが、「平和に生きる権利」を日本語訳して、バンドでもソロでも録音しておられます。
(そのきっかけが、この拙著であったこともあとで知りました)。
この「平和に生きる権利」が、いままた、反原発のテーマの一曲として、大熊ワタルさんたちの手で反原発デモなどの中で演奏され、歌われ、新たに録音もされました。
さらに、昨年12月、チリで、ビクトル・ハラを殺害した兵士がついに特定されて逮捕され、法の裁きをうけるという報道もされました。
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