[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
よくよく調べてみたら、宝姫王(皇極・斉明)の祖父である桜井皇子は、欽明天皇の息子で、かつ推古天皇とは母親が同じですから、姉弟という関係です。母が同じということは、母系社会で妻問婚でしたから、推古天皇と同じ屋敷に住んだり、互いによく行き来するような血縁関係です。
推古天皇は才色兼備だったようで、亡くなったのは74歳で、当時ならかなりの長寿です。宝姫王より40歳年上です。たぶん、宝姫王は幼い頃から推古天皇から声をかけられたり可愛がられた可能性があります。
宝姫王は594年に誕生です。推古天皇が39歳で即位(593年)して、74歳で亡くなられた(628年)ことを身近に見ていたはずです。権力志向の強い気質ですから、推古天皇のことは、憧れというよりは目標になる人物だったと考えられます。
宝姫王は、皇族とはいっても身分的にはかなりの下位ですから、皇后にはなれても、推古天皇のような女帝になれる可能性は低いのですが、たぶん、「絶対になるぞ!」と機会を探していたと考えられます。十代の頃から周囲から婚姻をすべきだと迫られても、その気になれず拒否していました。(と、思う)
温泉地に数か月も長逗留しており、かなりの温泉好きのようです。さらに、他国の使節やその他の人たちを饗応することを好むなど、高齢なのにやる気満々という印象で、エネルギッシュな女帝と言えそうです。
天武天皇のエニアタイプは、タイプ8と判定できたものと考えていますが、実は、その母上である皇極(=斉明天皇、二度も即位して名も二つ)も、タイプ8ではないかと予想しています。親子なのですから、タイプ8という気質を継承したものと考えられます。
仮に、タイプ8だとしたら、奈良時代以前の古代史として学んだことの中で、事実では無くなるところが出てくるかもしれません。ゆえに、この女帝のエニアタイプをさきに絞る必要があります。
まずはウィキペディアにある記事(青字)を取り上げて、エニアタイプを絞ろうと思います。略歴的なものを転載しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%89%E6%98%8E%E5%A4%A9%E7%9A%87
タイプ8の標準的な特長
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/cgi-bin/page05/05-8.htm
つまり、タイプ8の標準的特長として、権力指向がある・もっとも指導力がある・何事も独断で決める、としています。ですから、天皇などに即位すれば、独裁権力者になるのは必然的です。また、臣下や部下たちを率いるとしたら、「白黒や賞罰をはっきりとつける」という傾向があります。そして、ウィキペディアに載っている中(青字)に、それらしきものを見つけました。
数日前に読み終えたのは、『だめだし 日本語論』で、かなり集中して読めたので数時間で読了です。それほどに面白かったということでしょう。
昨日は雨で出かけられなくて、これ幸いとばかり、『性のタブーのない日本』を読みだしたら、他のことには目もくれず3時間内で読了です。読みやすくてわかりやすい文章なので、中高生でも大丈夫だと思います。
他の二人と比べての家康の人柄を指していますが、これでは攻撃タイプ(825)では無さそうって感じがしませんか。
戦乱の世ともなれば攻撃的な気質でなくては指導的な立場に立てないだろうと…。少しでも当会のエニア理論を学べばわかるところです。で、戦乱期は治まり、世襲になった代々の将軍のタイプを予想するならば、たぶん、攻撃タイプ以外の男性が登場するのではとみました。
実際にも、二代目秀忠はタイプ4っぽく(まだ判定できない)で、三代目家光はタイプ7w8で、四代目家綱はタイプ4と判定できました。それならば、調和タイプ(369)の将軍も出てきてもよさそうです。とりあえず、かの有名な信長と秀吉の人柄を伝えるものが以下です。
12 | 2025/01 | 02 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | |||
5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 |
12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 25 |
26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |