そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰?
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令和元年度 自衛官採用CM
「国家を守る、公務員(航空自衛隊)」篇
youtubeで、上記の動画を観てビックリしました。自衛隊って国家を守るものなんだ…。国民を守るのではないんだと!!
とはいえ、実際、国内で大規模なデモが起きれば、自衛隊員が出動することがある。デモに参加している人たちを捕まえる。
催涙弾などでデモ隊を攻撃するっていうのが、普通なのだろう。
最近の香港でもあったことなので、「国家を守る自衛隊」であることはわかっていた。
が、まさか、このような動画やポスターがあるとは知りませんでした。
しかしながら、国民あってこその国防ではないか。
もう腹立しいというだけでなく、泣きたくなるほど愚かな国だと……、
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モリカケ問題の隠蔽であれば、人命に関係ないことです。が、イラクという戦場への派遣日報を隠蔽するとしたら、人命に関わる問題が起きていた可能性は高いと考えられます。
戦争に巻き込まれる、戦争が拡大するかもしれない重大な危機に遭遇して、間一髪で避けられたってことが考えられます。
ブータンの第4代国王の治世(1972/2~2006/12)では、危険な状態が続いていました。王の暗殺未遂が2度あり、少し前の(前王の)治世時でも、首相が陸軍の軍人に暗殺されました。
また、1959年、チベット動乱が起きて、チベットは中国に占領されます。ダライ・ラマはインドに亡命。ブータンにもチベット人が一万人近く亡命しました。しかも、チベット亡命政府の一部に、ブータンを乗っ取り、第二のチベットとして、そこにダライ・ラマを君臨させるという構想が生まれたようです。
また、1959年、チベット動乱が起きて、チベットは中国に占領されます。ダライ・ラマはインドに亡命。ブータンにもチベット人が一万人近く亡命しました。しかも、チベット亡命政府の一部に、ブータンを乗っ取り、第二のチベットとして、そこにダライ・ラマを君臨させるという構想が生まれたようです。
前回のその4では、前王の妃である女性(皇太后)が書いたものを転載しております。彼女はドルジュ・ワンモ・ワンチュクと言います。
1931年のことですが、第二代のワンチュク国王が暗殺した人物が、ブータンの最高権威化身高僧シャプドゥン・ジクメ・ドルジェで、いわばブータンの精神的統治者です。なんと彼女の父方の大叔父を殺したのが、結婚した相手である第4代王の祖父です。
1931年のことですが、第二代のワンチュク国王が暗殺した人物が、ブータンの最高権威化身高僧シャプドゥン・ジクメ・ドルジェで、いわばブータンの精神的統治者です。なんと彼女の父方の大叔父を殺したのが、結婚した相手である第4代王の祖父です。
第4代のブータン国王には妃が4人いて、しかもこの4人は姉妹です。子どもは10人います。現在は長男が5代目の国王を引き継いでいます。結婚後にすぐに来日(2011年)しています。
次男のジギェルはイギリスのオックスフォード大に半年後に留学する予定でしたが、アッサム独立派ゲリラ組織への武力行使が決まってしまいました。で、次男は留学する時期ではないと見て、父親にも告げずに義勇兵に参加しています。
そのためか「早朝は読書ではなく、厳しい肉体トレーニングに費やされていたと察し…」 (青字は、王妃ドルジェ・ワンモ・ワンチュック著書『幸福大国ブータン』から転載したもの)
次男のジギェルはイギリスのオックスフォード大に半年後に留学する予定でしたが、アッサム独立派ゲリラ組織への武力行使が決まってしまいました。で、次男は留学する時期ではないと見て、父親にも告げずに義勇兵に参加しています。
そのためか「早朝は読書ではなく、厳しい肉体トレーニングに費やされていたと察し…」 (青字は、王妃ドルジェ・ワンモ・ワンチュック著書『幸福大国ブータン』から転載したもの)
かなり以前からブータンには関心があったのですが、やっとブータンに関する本を真面目に読み始めたところです。ブータンは、発展のゴールとして「国民総幸福」であるという考え方を打ち出して、世界中に大きな波紋を投げかけました。
国民総幸福量(GNH)の考え方
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol79/
国土は九州くらいで、人口は72万人で、統一国家になったのは17世紀前半です。ワンチュック王朝が誕生したのは1907年で、ずっと鎖国していた国ですが、1971年に国際連合に加盟して開国となりました。通称はブータンですが、「ドゥク・ユル(brug yul)」で「竜の国」なんですね(なぜかちょっとうれしい)。
国民総幸福量(GNH)の考え方
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/pr/wakaru/topics/vol79/
国土は九州くらいで、人口は72万人で、統一国家になったのは17世紀前半です。ワンチュック王朝が誕生したのは1907年で、ずっと鎖国していた国ですが、1971年に国際連合に加盟して開国となりました。通称はブータンですが、「ドゥク・ユル(brug yul)」で「竜の国」なんですね(なぜかちょっとうれしい)。
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