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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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この10年、佐世保の教育界をあげた「思いやりの心を育てる」取り組みは、何だったのだろう。「無念です」小学校の校長(56)は力なく語った。

10
年前の小6の児童による事件に引き続き、今回の高1女子の殺害事件が与えたショックは大きく、佐世保の教育界に大きな波紋を呼び起こしている、と報道されました。

この場合、心を育てる取り組みとは、主に子どものほうの取り組みを指していると思いますが、さて、大人には他人の心を思いやる能力が備わっているのでしょうか?

どうも気になります。また、この手の取り組みにはいつも懐疑的になってしまいます。

自分が不幸であったら、他人のことなど思いやる余裕はなくなってしまうだろうと思うのです。

それに、親や教師たちが、建前として立派なことを言っているに過ぎない、と受け止めてしまうだろうと。聞く耳はもうずっと以前に無くしてしまった…。

佐世保は、それよりも、まずは親子関係、家族関係においての「思いやる心を育てる」べきだったのではと考えられるからです。

なお、家庭環境だけでなく、子どもを取りまく社会環境が悲劇を引き起こした、と私自身は考えています。

報道では、母親を失くしたことがきっかけだという見方が多いみたいです。しかし、この15歳の女子は、小学生の頃に
給食に5回も洗剤を投入したという事件を起こしています。動物虐待もあります。

その頃、母親は存命していたのですから、母親の死は「きっかけ」であったかもしれませんが、それ以前から女子はなにか精神的な問題を抱えていたと考えられます。また、親子関係がよかったとは考えられません。

給食に5回洗剤投入したという事件に対して、新聞社経営をしている祖父は事件の隠ぺいを図り、母親は土下座して謝罪した。父親は「学校の管理が悪いんじゃないか」と学校側を責めた、と、あるウェブサイトに載っていました。


「有ること無いこと」を言われるのは世の常で、私自身も被害に遭ったことがあります。というよりも、「無いこと無いこと」吹聴され噂されたりします。

ですから、これは事実ではないかもしれません。が、普通によくあることです。ですから、これを事実だとして、この女子の気持ちを思いやって考えてみたいと思います。

よくある例ですが、母親が口うるさく過干渉で心配症。父親は子どものことは妻任せで、子どもが何か不快な出来事を巻き起こしたら妻の育て方のせいにして、妻も夫のせいにして、やがて口論となるというものです。

そんな両親の姿をみて、嫌悪を感じるというのはごくごく当たり前の反応です。両親を尊敬できないだけでなく、こんな親を持って情けない、腹立しいという気持ちになるのではないでしょうか。

既に小学生の頃から、そんな両親を見てきたのではと予想します。ですから、母親が土下座して謝ったのは、まだしも娘にとっては我慢できることではと思うのです。

しかし、父親が学校の管理が悪いと責めるなど、受け入れられないことだった、と予想します。

「自分の育て方や接し方を反省するべきなのに、父親は自己保身に走った!」と、娘は思うのではないかと。両親からの愛情をタップリと感じられる対応とは言えません。

まずは両親のほうが、娘のことを理解していなかったことを謝り、娘の心のうちを知ろうと努める必要があったと考えます。

娘からすれば全ては親のせいになっているだろうと思われます。だいたいが、「人のせいにする」というのが、人としてのごく普通の現象であり、人類として普遍的な自分を守る方法なのです。

れは悪いことではなく善いと言えるものでもありません。精神のバランスをとるために本能的に他者のせいにしてしまうという傾向は誰もが持っています。

ゆえに、問題が深刻化すれば、必然的に他者に危害を加えるという方向に進みます。

両親から自分が真に思いやられる対象になっていなければ、自分は居なくてもいい存在です。そうなれば自暴自棄にもなります。

しかし、両親のほうではそれなりに可愛がっているつもりでいたりします。子どもは親が思うようには受け止めていない、という事実を、親の多くは知らないのです。

さらに、「親が子どもを愛せない」という精神状態にいることも、当然ながらよくあります。教師にもいます。

ウザイ! 手のかかる子どもたちばかりだ! と、うんざりしている人たちも少なからずいると考えられます。

担任や校長や部活の先生も、子どもたちの心を思いやる気持ちも余裕も時間もない! と、子どもたちは見抜いているのです。

尊敬できる親ではない、信頼できるおとなは一人もいない、という環境にいる子どもはそうとういるだろうと考えられます。

せめて、その子ことをわかってくれる人が一人でも身近にいればいいのですが、それも叶わないみたいです。

(ここでエニアグラム性格学を学べば、子どもたちを理解できる可能性は高くなるのですが…)

そんな中で、学校教育の一環として、「心を育てる教育」をテキスト片手に各教室内で一斉に取り組んで、一体、何が得られるのでしょうか。

拍手[13回]

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一般に受け入れられていることでも、エニアグラムを知ってからは違和感を持つようになりました。そして、いつしか疑問を感じるまでになったと言えます。「反抗期」もその一つです。百科事典に載っていたものをそのまま転載します。

「人間の成長・発達過程には、親,年長者または既成の価値体系を拒絶、否定ね無視し、激しい怒りの感情を表出したり、破壊的・暴力的な行動をひきおこしたりすることが目だつ時期がある。この時期を反抗期という。今日では、〈第1反抗期〉(幼児期),〈第2反抗期〉(思春期)をあげる2期説が一般的である」

20年も講座やカウンセリングをしていると、反抗的になりやすい人とそうでない人がクッキリと区別できるようになります。

ある日から反抗的になりにくい人たちに、「あなたに反抗期ってありました?」と尋ねるようになりました。

結果、意外にも反抗したことがない人たちも少なくないことを知りました。ですから、全ての人に反抗期があるわけではないようです。一般的にも、全ての子どもにあるとは考えられていません。

しかし、タイプ判定が正確にできるようになるにつれ、反抗期があった子どもの親の多くは、タイプ2w1であることがわかってきました。


タイプ2は「お母さん気質」で、子どもの躾や教育に熱心という傾向が顕著にみえます。

http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory5.htm


http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory7.htm


むろん、全ての2w1にあるものではないことは申すまでもありません。とりわけ激しい反抗期があった子の家庭を調べると、両親のどちらも2w1で、子どもも2w1というケースでした。

この場合、子どもも「お母さん気質」ですから、両親とはお母さん同士の同僚関係になります。ですから、たとえ親でも、同僚からあれこれ細かいところまで干渉されるということなので、言われたほうはたまりません。

同僚から何かと注意されたり、躾けられるのですから、腹立しい思いが噴出するのです。激しい反抗期になります。

他のタイプの親は、ほんのたまに叱ることはあっても、子どもにさほどに干渉しません。躾に熱心にもなりにくいようで、子どもの受験期になっても、心配はしてもいつもとあまり変わらない生活ぶりです。

しかし、2w1の両親は受験期が近くなると、外出や旅行を控えたり、テレビもあまり見ないなど、学習できる環境にしようと努めます。臨戦態勢に入ってしまうくらいの家庭もあります。

友人やご近所の人たちとの話題も、そればかりで、受験生の親はたいへんなんだ!と愚痴をこぼしたり

なお、2w1で1のウイングが重いほどに競争心が強くなります。学業成績に一喜一憂してしまう傾向があります。

他のお子さん達の進学先を知ると気が気では無く、子どもが熱心に勉学に励んでいないことが腹立しくなるのです。

子どもへの期待が大きい親ほど苛立ちも強くなり、子どもの成績が目に見えて向上していないと、普段の生活ぶりまで干渉して叱責します。

幼児期も、ある意味で必死に躾したり教育する時期です。「熱いうちに打て」というわけです。各種の幼児教室に熱心に通わせています。無駄な教育投資だとは思わないようです。

各種の教室や御稽古に通わせていると、少し安心するかのようです。親として、子どもの将来ことを考えて精一杯のことをしているつもりなのでしょうか?

ところで、タイプ2の子どもも攻撃的な気質ですから、反抗心丸出しになります。なんと2歳の子どもが母親の料理を手伝いたいと言います。お母さん気質ですからね。が、散らかされたりして困ると思っている母親との間で、バトルになっています。

ですから、こちらは第一反抗期で、あちらは第二反抗期ってことになります。

2w1は元々に教育熱心です。タイプ1もそうです。しかし、タイプ1の親は学業成績のみを気にしますが、タイプ2のほうが気にすることは全面展開ですからね。友人さえも選ぼうとします。

そのうえ、この2つの時期はさらに過剰に子どもに関心が向く時期です。当然に、子どものほうでも、親がうっとおしくなります。中高生にでもなれば、耐えがたくなり反抗的にならざるを得ません。

親が大嫌いというまでならば良いほうで、憎んでいる子どもたちもいます。タイプ2は結構ケロリとなんでも忘れやすい気質ですが、それでも親の言動に悩まされ続けた子どもたちの中には、「一生、恨みに思っている」と訴えています。

社会に出て独立したり結婚して、親たちと同居しなくなったので、反抗するような出来事に出遭う率が減るのでバトルが減るだけです。ずっと同居している親子になると、ずっとケンカが絶えないままです。

ですから、ずっと反抗期のままです。夫婦ケンカも同様です。家庭内離婚してもまだケンカが続きます。

なお、子どもが2w1ではない場合でも、このような親ならば当然に反抗的になります。本人も受験期になれば心配事が増えて、不安定な精神状態になりますから、親に八つ当たりしたりします。

従って、タイプに関係なく誰であっても反抗的にならざるを得ません。

つまり、「反抗期というものは無い」と考えられるのです。

子どもに対して、反抗心を起こしやすい接し方をする親たちが存在するに過ぎない、と見直す必要があると、私は考えています。


 

拍手[9回]

最近、気になっている言い回しがあります。「ありのままの自分」というセリフです。

結構、しばしば使われています。10年前にはなかったことです。

話題になっているらしい『アナ雪』の主題歌の日本語訳にもあります。
「ありのままの姿見せるのよ」、「ありのままの自分になるの」、「ありのままで空へ風にのって」、「ありのままで飛び出してみるの」などと連発です。

でも、主題歌のタイトル「Let It Go」は、直訳すれば「そのままにしておく、あきらめろ」という意味があるんだそうです。そんな意味合いがあるとしたら、なんかちょっと違うんじゃないかなと思うんですが…。

それに、どの人もいつだって「ありのままの自分」を出している、としか考えられません。なぜなら、誰であろうとも、また、いつであろうともです。幼児の頃から年寄りになっても、エニアタイプを判定することができます。

タイプ判定したら、いつだって、ずっと同じタイプのままだとわかるはずです。ただし、情報が少ないと判定間違いをしますが。

でも、ずっと観察していれば、当人の言動や振る舞い方などからタイプ判定は可能です。むろん、観察者の観察力が低ければ、判定ができないだけでなく、タイプ誤認もします。私にもあります。まだまだです。

しかし、そうでないならば、たとえばタイプ7と判定すれば、本人がありのままの自分を見せてはいない、と主張しても、タイプ7というグループに入ることに変りはありません。

「自分は変わった」と思っている人でも、本質的な気質が変わることはありません。

となると、「ありのままの自分になるの」とは、自分は無理している、演技している、良い子ぶっているので、わがままな自分を出せない、ということなのでしょうか。

良い子になろうとしても、そうなれない自分がいて、ありのままの自分を出したら嫌われるかもしれない、という不安や恐れを抱いているとも考えられます。

なお、以前の無料の質問コーナーでもありました。「人が酒に酔った時、素面のときに見られなかった一面を出しますが、酔った状態ではその人の本性が出るとよく耳にします。酔っぱらっている人を判定するほうが容易なのか?」という質問です。

それに対して、「酔っていても素面でも同じで、同じタイプだと判定できます。元々に人はいろいろな一面をはじめから持っています」というような回答をしています。Qその他にある23-485です。http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/q&a/past/q&a.htm


友人のタイプ2w2の女性が、「私は、いつもありのままの自分なんで、なんでありのままの自分になりたいって言う人がいるのか全く分からない」と語ってくれたことがあります。実は、私も同感です。

たとえば、タイプ2であれば、ウイング1が重い人であるほど、「ありのままの自分」を出していない時があると語っています。

考えるに、タイプ1の優等生的な気質から、良い子にならねばならず、一方でタイプ2の攻撃的できつい気質から自分を押さえねばならない傾向があり、その狭間で無理しているために、ありのままに出せないと感じることが多いのではないかと予想しています。

自分の考えを主張できない、ホントウのことが言えない、ウソをつく、隠してしまう、飾る、演技しているなどから、正直に自分を出せないでいるのではと考えられます。

なお、このような相反する気質を持っているのは2w1だけではありません。攻撃タイプ(825)と防御タイプ(714)の気質を併せ持っている人たちによく見かけるものです。1w2・2w1・4w5・5w4・7w8・8w7の6つのタイプです。

ですから、それ以外の調和タイプ(369)と調和タイプのウイングを持つ人の場合は、それらが少ないので、無理していないためか自覚することも少なくなるのではと…。

http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory2.htm


この例として挙げられる面白いエピソードを最近耳にしました。

家庭を持つて1年が経った新婚の男性が、妻の出産時において異様に緊張して舞い上がってしまったようです。

その様子を見ていた姑が、どうしたのと尋ねたら、「実家の母親の心臓が悪くてニトロを飲むかどうするかなどと聞いたので…」と返答したようです。

その翌日、姑が婿の母親にお見舞いの電話をすると、その母親はエッと驚き、何も変りない、と言われたという。

この婿を7w8と判定しています。8のウイングが、軟弱な自分だと思われたくないために、ウソをついたと考えられます。

8のウイングは「勝たねばならない」という「ネバ人間」ですから、力強いとみられたいので弱い男だとみられるのは我慢ならないのです。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-6.htm

このように、「ありのままの姿の自分」を出せない人と、そうとも言えない人がいますが、それもこれも、みな本質的な気質がそうさせているのであり、とくに隠したり演技していたのではありません。

ついウソをついてしまったように、つい隠してしまい、なんで、あんなウソをついたのか、隠れてしまったのか、良い子ぶってしまったのかと、後から考えたら本人さえもよく分からないのです。

それぞれの人たちが、それぞれのタイプの本能的な行動様式そのままに行動しているに過ぎないのです。

演技してもウソをつくにしても、そのタイプらしい振る舞い方をしているのですから、つまりは、誰もがいつでもありのままの自分でいることを知りません。

というよりも、知ることができない。エニアグラムを知らないんですから致し方ないのですが…。

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「息子二人が、毎日のようにケンカで明け暮れています」と、知り合いがぼやきます。

兄弟姉妹だけでなく、夫婦も、また親子でさえも、毎日のようにケンカで明け暮れているという家庭があります。

別に珍しいことではなく、ごくありふれた普通の家庭の普通によくある日常的な光景です。ですから、驚くようなことではありません。

しかし、それがエニアグラムでみたら、ほとんどタイプ2w1同士に起きていることだと知ったら、さすがの貴方も驚くのではないでしょうか。

「ボクのオモチャを隠した」とか、「とった」、「無断で使った」などと兄弟姉妹が口論となり、手が出て足が出ます。「そこはそうじゃない!教えてやる」と、兄が言えば弟は「うるさいな!」と、つっぱねる。

どちらかがちょっかいを出して、いつしか殴り合いになるなどしますが、泣いていた弟や妹たちはすぐにケロリ。

早くも仲良く一緒に遊びだします。でも、1分も経たないのに、またケンカとなります。なぜ、互いに無視したり、諦めたり、控えめになったり、無関心になれないのでしょうか。

不思議です。一度ケンカしたら、その後はずっと警戒して遠巻きにする、ということに、なぜならないのでしょうか??

夫婦ゲンカも、ほとんどこのようなたわいのないことから口論になっているようです。

過去のことまで持ち出して、ついには激しい口論となり、さらに冷戦に発展して、夫婦が口をきかなくなるというケースも普通によく起きているみたいです。そして家庭内別居になった、というお話もよく見聞きしています。

親子ゲンカの多くもタイプ2w1同士の親子です。他のタイプとして見かけているものとしては、タイプ2w1と7w8の兄弟で、夫婦であれば2w1妻とタイプ7w8夫です。

でも、2w1夫と7w8妻となると、力関係の差が大きくなるためかケンカの多い夫婦にはならないみたいです。

その他であれば、7w6が4にちょっかいを出すとか、その他もめったには聞かないが、あることはあります。

しかし何故にこのタイプは、ケンカに明け暮れてしまう人たちが多いのでしょうか? 攻撃的な気質(825)と、短気な気質の(7・1・4)を併せ持つために、ケンカになりやすいと考えられるのですが…。

一方、8と5はめったにお目にかからないタイプであり、1と4も多くはないほうですから、どうしても、ここに挙げたタイプがケンカ好きな人種ってことになってしまう…。

なお、二つのタイプ(2w1と7w8)は、敏感で敏捷に反応するという気質でもあるために、ヒートアップしやすく、大ゲンカにもなりやすいのかもしれません。また、負けず嫌いでもありますから。

ところで、「火事と喧嘩は江戸の華」などと言われたようですが、上記を知ると、江戸の昔からタイプ2w1は多数派で人口割合が多かったのではと考えざるを得ません。


(先日、江戸東京博物館で、江戸に関するたくさんの資料を見たせいもあるかもしれませんが、江戸の文化その他が私の中で急に身近なものになってきたような…、次はじっくり時間かけてみようと思っています)

「江戸っ子は気が早いため派手な喧嘩が多かった」とか、
「さっぱりとした気風」で「いなせ」で「見栄坊」で「向こう見ずの強がり」「生き方が浅薄で軽々しい」「独りよがり」などの点をあげている江戸研究者がいます。

これらは、まるまる2w1が該当します。ただし、サッパリとした気性というよりは、「忘れっぽく、反省が不十分」と考えられなくもありません。

とはいえ、江戸っ子たちは、ケンカといっても口ゲンカで済んだみたいです。「あたぼうよ」とか、
てやんでい」、「べらぼうめ、おととい来やがれってんだ、このすっとこどっこいのひょーろくだまがッ!」などです。

また、あの時代の親は、子を叱るときに折檻することはなく、「世界一幸せな子ども」だったと、かの『逝きし世の面影』に書かれています。

でも、今の親は手がよく出るみたいです。夫婦関係でもDVがよく話題になっているのですから、江戸と比べて、現代のほうが暴力的な社会になってしまったような…。ストレスが多くなり、貧富の差が拡大したためなのでしょうか。

(なお、2w1の妻たちは夫から暴力を受けても反撃する人が少なくありません。それゆえ、DVと呼ばれるような事態に陥っているように見えます。他のタイプの妻たちは、一度暴力を受けたら、それで懲りて反撃しなくなる傾向があるとみています。懲りない面々とは男女ともに2w1なのか??)

それにしても、どうせケンカをするならば、言葉巧みで周囲を笑いの渦に巻き込むような小気味のいい啖呵を切って、いなせなところを見せてほしい、などと思ってしまう…。

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私のこれまでの人生のなかで、一番にハッピーだと感じたのはいつだったのかをお知らせしたいと思います。

妊娠4か月の時に切迫流産で入院していた折のことです。

医師から胎児は無事だと言われた時で、胎児の心臓の音を聞いたそのあとです。

診察室を出て病院の廊下を歩いていると、私はあまりの嬉しさに、自然に体が回転しており、クルクルと踊り出していたのでした。

狂喜していた! という感じです。あれにまさる幸福感はそれ以降は一度も体験しておりません。

子どもを無事に出産した時に狂喜したのではありません。むしろ、母となった責任感と義務感で一杯という感じです。

その幸福感は、合格したとか、恋人ができたとか、結婚できたとか、賞状をもらったとか、その他いろいろに感じた幸福感とは、比べようもないほど歴然として輝いています。

友人の一人は、治らないと医師から言われた病気から全快した時が、最も幸福だったと言っておりました。

ある友人は、失恋したと思い込んでいたのに、彼が自分のもとに帰ってきてくれた時だというのです。片思いだった彼から交際を求められた時ではないのだそうです。

つまり、幸福とは、それまで持っていなかった何かを得るものではないようです。

失うはずだったのに…、現状回復した! その時、他とは比較にならぬ幸福感に満たされるのです。

多くの人たちは、求めても得られない何かを、ようやくにして手にした時に、幸福になれると思っているのではと思います。

しかし、それは「至高の幸福感」ではない、という事実があり、それはあまり知られていません。

苦しい労働が続いて、その結果として仕事がうまくいった時。辛い体験をした後の成功。困難なことを克服した時。苦しい訓練に耐えて競争に勝った時等々。

また、険しい山道であるほどに登頂できた喜びはひとしおです。感動するのです。

「至高の幸福感」というものを体験したいのであれば、困難なことに立ち向かうべきなのです。

リッチになりたい、成功したい、世の中に認められたいという欲望は数々あると思いますが、それらが得られたとしても、その幸福感はさして大きなものではないということは、知っておいたほうがよいと思うのです。

それゆえ個人的な体験談を、あえてしました。

なお、私のエニアタイプはタイプ2w3です。私の見つけた理論ではタイプ2は「お母さん気質」です。

従って、胎児を亡くすかもしれないという不安と恐怖があったからこその、あの「幸福感」に達したのだと考えられます。

たぶん、タイプ2に特有な体験なのではと想像しています。他のタイプにはあまり考えられないものだからです。


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不思議に思われるかもしれませんが、私の母(2w3)は、娘の私が外出したり外泊する場合に、行き先や帰宅時間など尋ねたことがありません。

帰宅後も誰と一緒だったのかというようなことも一切聞かれたことがありません。門限は有りました。一応夜10時でした。

でも30分くらい遅れて帰宅しても叱られることはありませんでした。一度だけ朝方の4時に帰宅したら、玄関に入ったとたん頬をパシリとやられました。

「今何時だと思っている!」ときつい声で叱責されました。それだけで、翌日も小言を言われることはありませんでした。誰とどこに居たのかも尋ねられませんでした。

なお、父(9w8)はいつものようにグウスカ高イビキで、何もしらないままのようでした。母は父に告げなかったみたいです。まあ、告げたとしても、父から叱られることはなかっただろうと思います。

帰宅が遅くなったのは、現在一緒に住んでいる男性と意見の違いを、時間を忘れて戦わせていたためです。名古屋駅前の深夜喫茶でのことです。

私も息子が一人いますが、我が母と同じように尋ねたり何か確認したことはたぶんしなかっただろうと思っております。

「子どもが家を一歩出たら、もうその子の身の上に起きることは運命なのだ」と自分に言い聞かせていたような気がします。

このような親はたぶん少数派なのでしょう。不思議というよりも、不審に思われるかもしれませんね。

でも、変な親で非常識な親だと思われても、自分のやり方は変えられません。そして、母も私も心配症ではなかったというだけのような気がします。


子どもに対して、「心配という愛情」を押し付ける親たちを、最近よく見かけるようになりました。

ケータイで何度も居場所を確認したり、あれこれ世話を焼いたりと、うっとおしいほどの心配ぶりです。

恋愛関係にいる人たちのなかにも、互いに心配すること心配されることが愛情なのだと思いこんでいたりします。

「心配している」ことを軽くさりげなく告げるのであれば問題はありませんが、相手を束縛しているとしか考えられない過度の心配をする人たちが少なくないみたいです。

こうになると、「心配症」という生活習慣病に陥っているのではないかと考えざるをえません。

ちなみに、シェークスピアが作品の中で告げたセリフで、「
ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ」というものがあります。

私ならば、これにならって「ほどほどに心配しなさい。長続きする愛はそういう愛だよ」と言ってみたいところです。


ところで、「人生で最も後悔していることは何か」という問いに対して、驚くほど多かった回答は「無駄に心配しすぎたこと」なのだそうです。以下に有ります。

自分は心配症だ、と思われたならば、一度目を通して頂ければと思います。

心配とは無縁の人々の11の習慣
http://www.huffingtonpost.jp/2014/04/18/dont-worry-strategies-tips-habits_n_5172382.html?utm_hp_ref=japan

★心配事の9割は起こらない
http://www.excite.co.jp/News/column_g/20131216/Davinci_003353.html

★心配症の人に贈る8つの名言
http://www.huffingtonpost.jp/2013/06/11/anxiety_quotes_stress_n_3419534.html

・「不安は、愛の最大の敵だ。相手にまで、溺れる者につかまれたような気持ちにさせてしまう。助けたいと願っても、相手は必死なあまり、こちらをひきずりこむのに違いないのだ」 アナイス・ニン(フランスの作家)

・「ある問題が解決可能であり、それについてあなたが何かを行動できるのであれば、心配する必要はない。問題が解決できないものであるなら、心配してもしかたがない。なんであれ、心配から得られるものはない」 ダライ・ラマ14

「心配に対する最上の対策は、忍耐と勇気である カール・ヒルティ

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2011年6月に、被災地のボランティア活動をすべく岩手に行ったことがあります。

その折に出会った女性のことを思い出しています。私が希望した活動をするグループのリーダーとして出会った人です。

当日の朝、車に同乗して一同は避難所に向かいますが、そこへの道を知っているのは彼女一人だけでした。

ところが、彼女がひとりでおしゃべりしている間に、道を間違えました。言い訳みたいなことを話し続けるのですが、さらに、道を間違えました。

「今度は大丈夫、私には確信がある」というようなことを言っていた矢先です。そのため、予定より1時間くらい遅れて現地に到着しました。

ところが、その後が大変でした。参加している人たちみなに対してあれこれ注意を言いまくるのです。
しかも些細なことばかり。

前に言っていた注意項目が数分後には変更されます。クルクルと指示することがか代わってしまうのです。難癖をつけているように見えました。

みなで作業をしていますが、彼女は口出しだけで、作業には加わりません。うるさい小言がずっと2時間ばかり続きました。

自分の最初の過ちを帳消しするかのように、周囲にいる人間に対して攻撃的になったと考えられます。

指示することがクルクルと変わる様は驚くべきもので、みな唖然としたように顔を見合わせてムッツリ…。

若い男性が多かったのですが、誰もそれに反論しません。これは当ブログ、2011年8月14日にも載せています。

「そら!あなたもミスしてる!というように、何かをきつく指摘することで、自分だけがミスしているのではないと思いたいようです。

あるいは、ミスしたことを、みんなの脳裏からゴム消しで削り取るかのように見えました。

彼女のエニアタイプは2w1です。橋下市長と同じタイプです。

2w1の人の中には口から先に生まれたと言えるような人がいます。政治家の中によくいます。口が災いして政治生命が危うくなった人たちです。思い出せないほどたくさんいたような…。

ただし、2w1は、人口の5割~7割は占める多数派なので、このタイプだけに多いものなのか、それはわかりません。

口が災いする人は他のタイプにもいます。しかし、その後に攻撃的になるのか、無口になり引きさがるか、ひきこもるかの違いがあるはずです。

ところで、橋下市長の最初の過ちは5月13日の朝、登庁時のぶらさがりの会見にありました。

たぶん、本人も少しして、「アッやってしまった」と心の奥では気づいていたのではと思います。ミスをするとよけいに攻撃的になるのです。

挽回しなければならないので焦ってしまうのです。よく考えないままに慌てて口走ってしまうために、さらにミスを重ねてしまうのです。

収束させられないと、話はいろいろクルクルと代わります。内容も拡大させて関係ないことまで言及します。

それでも収束できないとみると、一部は過ちを認めますが、他のこと(当初の懸案事項)ではけっして譲りません。

また、力のある相手には過ちを認めますが、弱い相手には高飛車な態度を改めません。

さて、1のウイングが重い人たちは、タイプ1の完全主義的なところを持っています。完璧主義者にとっては、ミスは絶対にしてはならないのです。

ミスをしたと気づいても、他人の前ではミスを認めません。謝罪というものがかなり苦手になるタイプです。


いろいろな言い訳をするために心はさらに多忙になり、相手の過去のミスやその他あらゆる欠点を見つけだすなどして、相手を攻撃し論破しようとします。

自分の過ちだと気づいているのに、意地を張って引き下がれなくなるのです。容易に過ちだとは認めません。

「張っても黒豆」なのです。なかなか大変なのです。心はバクバクになっているのにです。

橋下市長の13日の翌日のツイッターした数は57で、相当なものです。14日は登庁せず、仕事を休んでツイード、仕事などやってられなかったのだろうと。

いてもたってもいられない、といったふうです。見苦しいことをしていることに気づかない。

米軍や米国人にはヘイコラして謝罪するが、傷つけた女性たちには謝罪する気はないようだ。人間としても最低です。


5/13 橋下徹 大阪市長 朝の登庁時 ぶらさがり取材
http://www.youtube.com/watch?v=zMjVAaZBb0Y
http://www.youtube.com/watch?v=MFLhFo-4xWk

5/13 橋下徹 大阪市長・夕方の退庁時の会見
http://www.youtube.com/watch?v=MFLhFo-4xWk

★橋下は14日、大阪市役所には登庁せずツイッター57本、発信し続けた。

5月14()のTwilogは以下にあります。
http://twilog.org/t_ishin/date-130514

★橋下氏の慰安婦などをめぐる発言の変遷13日~25
http://www.asahi.com/politics/update/0526/OSK201305260036.html



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「地検特捜部の検事の多くは、“筋を読む”と称してストーリーを作ってきた」

これは、週刊金曜日926号において、元検事の田中森一さんが語っている(
青字)
ことです。

「警察が扱う事件の場合は、検事は証拠に基づいてやるが、特捜の扱う事件は供述が証拠になるだけだから特別、僕もやってきたことです」

しかしながら、それは特捜だけに限りません。以下の殺人事件も、証拠などないのに死刑が確定になりました。

冤罪だとしか考えられないものですが、再審開始を認めないという決定が3/6になされました。

裁判官も人間ですから、過失をするのだと私は思っています。

それゆえ、「疑わしきは罰しない」という裁判の基本原則は守るべきだと思うのですが、それさえも守られない、どんでもなく怖い社会です。

★福井女子中学生殺人事件:再審請求の経過と現状
http://www.enzaiboushi.com/800hukuizk/22102.html
★<福井女子中学生殺害事件>再審開始認めず

名古屋高裁
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130306-00000019-mai-soci


警察も筋を読んで捜査しているはずで、検事もストーリーを作って起訴していると考えられます。

そのストーリーが正しければよいのですが、そうでなかったら無罪の人に刑罰を与えるという過失を犯すことになります。それは予想以上にあると思っております。

このようなことは、エニアグラムのタイプ判定においてもよくやられています。よく考えたら私自身もやっていたことです。

相手をタイプ7にだと思い込むと、あまり意識しないままにタイプ7だと思われるところを拾い出して、タイプ7らしいストーリーを作り出してしまうのです。

それゆえ、タイプ誤認をしていたことをホームページ上で認めています。かなり勇気の要ることで、この仕事を辞めようと思っていました。しかし
エニアグラムの魅力それ以上にありました。

そうした経緯がありますが、タイプ判定する場合は
5年前くらいから証拠を掴むことを最も重視しています。

つまり、事実あったことを判断材料にするということです。できるだけ最近のエピソードをそのまんまに詳しく書き出してほしい、などと依頼します。

昔のエピソードは写真と同じで、セピア色みたいに変質してしまうのです。

また、本人が、自分は神経質だとか人見知りだとか、あるいはマザコンだと言っても、それを重要な判断材料にはしません。
むろん無視することもありませんが。

本人自身も、無意識に自分の過去を脚色しており、ストーリー化させていたりするのは誰もがやっていると考えられます。

たとえば、エニアの研究家として知られているドン・リチャード・リソは、精神状態を9つの段階に分けて、それぞれ性格分析しています。9タイプと9段階なので、81の人間像
描きだしているものです。

そんなことは、正しいタイプ判定ができる調査員による緻密で時間のかかるもので、しかも統計学的な調査をしない限りはできないような内容です。


調査をしたならば、その調査の仕方や規模など全て公開するべきですが、リソさんは、
それに関して何一つ述べられていません。一体、どこから得た情報なのかと不審に思うものばかりです。

しかし、講演に招かれて日本にも来ており著書もよく売れたようなのです。わたしも購読していますが。

その他、心理本のほとんどが、著者の妄想みたいなものばかり書き連ねているに過ぎないと思っております。

なにしろ、人の性格とか心理など、「証拠」が出るようなものではありませんから、どうにでもなるんです。うまくストーリーを作り上げると評価されるだけなのです。

しかし、当会では7つの基本理論があり、
この理論使ってタイプ判定をしており、また、できる限りに公表しようと努めています。

そういうことを通じて、勝手に筋を描かない、ストーリーを作りださないように努められると思うのです。

また、
全ての人たちが何につけてもストーリーを作り出して、相手のことを非難したり、誤解しているのではないかと考えられます。

想像力が誰にも備わっていますが、それが悪い方向に使われてしまうために、いろいろな悲劇が生まれます。

できるだけ肯定的な想像をするか、または、確たる証拠がない限り断定してみないようにすることが肝要だと思われます。

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友人がメールで教えてくれたお話しです。以下…、


たとえば車に乗っていて、スリップして壁に激突しそうになったとします。どうしたら助かる可能性があるのかわかりますか?


壁以外を見ればいいのだそうです。そうすると自然にハンドルがそちらに切れるのだそうです。


それと同じことが人生でも起こります。どこを見るかで決まるのです。


「できない」を見れば、「できない」が壁のようにせまってくるのです。つまり、できない理由はいくらでも見つかりますからね。


「できる」を見れば、「できる」に向けてハンドルが切れるのです。



これに似たようなことを私もカウンセリングの時にお話することがあります。子どものことで相談に来られたお母さんに、

「子どもの一挙手一頭足を見ていませんか? しかも、お子さんにもっと勉強してほしいとか、身辺の整理整頓してほしい、などと期待して見つめていませんか?」と。


こんなことをずっとしていたら、
確実に子どもの短所しか見ていないことになります。それで、口うるさく注意してしまう。
すると子どもも腹を立てて、意地になって勉強をしない、片づけもしなくなり反抗的になる恐れがあります。


子どものことを思っているつもりが、子どもを追い詰めてしまうのです。
しかし、実際はそうではありません。相手ではなく、自分で自分を追い詰めているのです。
が、人は、なかなかそれに気づかない。


同様に、夫の日頃の様子ばかり気にして見ていると、確実に夫に不満を持つようになります。

また、母親の言動にいつも翻弄されていると思って、しばしば母親だけを注視していれば、当然に、その人にとってのその母親は、「問題の母親」に成ってしまうのです。


そういえば、大型トラックが自分の車の横に並ぶのを見て、なんだかそのトラックに吸いつけられてしまうような気がすることがあります。
あなたにもありませんか? 


意識して、真正面を見るようにしないと危ないことになる。

つまりは、人は意識の持ちようで、なんとでもなるんですね。



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オットセイはオス同士が闘い、勝ったオスがメスを独占する動物です。そして、ボスとハーレムのメスたちは海岸に近くて荒波の少ない獲物もよく取れる恵まれた場所を占有します。

一方、メスをめぐる闘いに負けたオスは、海岸からは遠いちょっと不便な場所に同性たちと集団生活しますが、やがて体格が大きくなりトレーニングも積むと、ボスとの闘いにチャレンジすることがあります。なお、一生メスと交わらないままのオスもいるみたいです。

ある日のテレビ番組で、このボスオットセイを大勢のメスが取り囲んでいるシーンが映し出されていました。また、別の一組のカップルも映っていました。こちらのカップルが棲む海岸は、波が荒くて良い餌場ではなさそうです。

このメスはハーレムの一員にはなりたくなかったようです。私はこういうメスに惹かれます。自主独立派です。私がメスのオットセイなら、こちらを選ぶような気がします。

ハーレムに入ったほうが、餌もたくさんあって、同性の友達もいるならば、たとえボスが嫌いな奴だとしても、我慢できるというメスもいるのではないかと思います。

しかし、メスたちにいじめられたり、ボスから寵愛を受けられず、食事のおこぼれも貰えないかもしれません。

タイプ8も女の選り好みはします。礼儀知らずな女を嫌います。女なら誰でもいいってことはありません。

一方、貧しくとも、好きな男と暮らすほうを選ぶ女性もいます。配偶者が強くなくてもかまわない。気弱で頼りなくても、優しい男のほうがいい、と言う女性がいます。

どちらを選んだ方が幸せになるか、それはわかりません。

タイプ8はボス型タイプです。女性には優しく接する男性です。美形でなくとも、礼儀正しく、自分に従順な女ならば選んでくれます。


一方、優しいと思って一緒に暮らすようになった男が、ときに女に暴力的になることがあります。または、気弱で頼りないと思った男が、結構、世の中をうまく渡っていく能力があり、頼れる男だった、ということもあります。

やはり男を見る目は、肥やしておくべきだと思います。

ところで、昨日のニュースは、「スコットランドが英国から独立するかどうかを国民投票にかけることになった」というものです。

★スコットランド:独立是非を問う住民投票 14年末までに
毎日新聞 
http://mainichi.jp/select/news/20121017k0000m030036000c.html

「最近の世論調査によると、スコットランドでは独立反対派が賛成派を上回っている」とある。

世論調査は世論操作だ、と思っているので、調べられた数字は信じないが、沖縄でも独立反対派のほうが優勢でしたからね。

「強いものには巻かれろ派」は、どこでも多数派なのでしょうか?

ちなみに、ごく最近ですが坂口恭平さんという青年を知りました。坂口さんの著書『独立国家の作り方』が面白くて、お奨めです。

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