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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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これまでたくさんのご相談を受け付けてきましたが、その中でよくあるのが、「自分の悩みは、人とのコミュニケーションのとり方が下手なことです」というものです。

無口な人が、自分は会話が下手だと思っていることが多そうです。でも、おしゃべりで、
みんなとうまくコミュニケーションが取れているように見える人でも、自分は下手だと言うことがあります。

つまり、主観的な判断をしているのです。多くのことが、自分だけの思い込みに過ぎないことが少なくありません。客観的に見ていないのです。

無口であっても周囲の人から信頼されている方もいます。逆に、話題豊富で話上手で、自分はコミュニケーションうまいと思い込んでいる人がいますが、周囲から信頼されていないことがあります。

会話の中心にいてリードしているつもりでも、周囲の人から疎まれていると気付かない人がいるのです。人は、そういうところで評価はしないものです。

ですから、周囲の人々から信頼されていないのであれば、話し上手でも会話上手であっても、何の価値もありません。

次に、学校や職場などであれば長いつきあいになりますから、何事にも真剣になり、誠実に積極的にトライし続ければ、いつかは信頼を受けるようになると考えられます。

しかし、一面識だけなのに人柄まで判断されることがあります。なにか嫌なことを言われてしまうのです。このようなときに「自分のことを何も知らないのに…」と思うのではないでしょうか。

今回は、長くつきあう可能性がないときの接し方を考えてみようと思います。なお、怖がりで緊張しやすい人が、顔がこわばり、口から言葉が出ないことが少なくありません。

そんな様子を見て、緊張しているからだとは思われず、不愛想な奴だとか、気取っている、えらそうにしている、などと受け取られることがあります。

それゆえ、主に怖がりで緊張しやすい人たちへのアドバイスになると思います。

さて、初対面の人と出会い挨拶せねばならない時は、
「ちょっと微笑んで会釈」してください。これだけは鏡を見て、自然な顔つきになるまで訓練してください。

「はじめまして」とか「どうも」くらいは言えると思いますが、「微笑んで会釈」という挨拶がとても重要です。最大ポイントです。続きがありますが、今日はこれにて。

拍手[14回]

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15日、横浜市内の私立女子高校の教室で、1年生の女子生徒が授業中に、同級生に刃物で右わき腹を刺され意識不明の重体。署は刺した女子生徒を現行犯逮捕した。この生徒は、「わたしがやったのは間違いない」と認め、「性格が合うタイプじゃなく、うるさくて嫌だった。けがをさせようと思った」などと供述。2人とも席に座った状態で、いきなり刺したとみられるという。2人が席の並びに不満を持っていたり、教室のカーテンの開け閉めなどを巡ってもめていたりしたとの情報もあり、同署は以前からトラブルがあったとみて調べている。

この事件、これだけを読むと、なぜ憎むようになったのか理解できません。でも、逮捕された女子にとっては、行動に移してしまうほどのものだったのでしょう。

(ちなみに、授業中で起したことですから、性格的には大胆なことをしやすい気質ではないかと予想されますが、これだけの情報からタイプなど判定できません。なお、攻撃タイプ(825)か、攻撃タイプの8のウイングがあるのではと考えられますが…)

大胆な行動に移すなど、どの人でも、どのタイプだとて実際には稀なことだと思いますが、第三者からみたら些細なことが、当人にとっては重大なことになっています。それはよくあることです。

たとえば、隣の席の男子が給食時にクチャクチャと音を立てて食べるので、それに耐えられず「殺してしまいたかった」と語る男子がいました。幸い行動に移すことはなかったのですが。そんなに簡単に殺しをイメージしていることにビックリしたことがあります。もう30年前のことで時効だと思うので取り上げましたが。

この事件のように、他の女子のおしゃべりがうるさくて、声が大きくて、それが気になって勉強に集中できなかったので、「転校したい」と語っていた女子もいます。

また、ある友だちと急につきあいを避けたので尋ねたところ、「しゃべり方が気になって、どうしてもイライラして自分でもどうにもできなかった」と語っていた友人もいます。

どういうしゃべり方なのかと尋ねると、甲高く早口でまくし立てるような感じだと言います。でも、クラスの子が、モソモソッとなんか愚鈍な感じで語るのでイライラする、などと言っていた友人もいました。

何が気になりだすのか、わからないものです。人それぞれなんでしょう。でも、話し方とか食べ方というものが、他の人たちに不快な思いをさせているなど、あまり考えつかないことではあります。でも、思い出すと、結構あるんですね。

こういう事例を知ると、本当に怖くなります。私も何かで誰かからそう思われていたかもしれない、などと考え出すと、身がしまり背筋が冷たくなってきます。

さて、何かを気にしだして、それに意識を集中するようになると、そのことばかり気になり、他に意識をふり向けることが困難になって行きます。

それで、「気にしないでおこう」とか、「なんでもないことなんだから…忘れよう」などと努めると、かえって意識付けしてしまい、さらに気になってしまいます。

上記の事件が該当するのかわかりませんが、「否定的なことに意識を集中させない」ということが、そんな危機から脱出する一つの方法です。

自分の好きなことや、やりたかったことに懸命に取り組むことが、危機から脱出する一番の方法ではないかと思います。この方法、いつか危機が訪れたなら、必ず思い出してくださいね。

拍手[11回]

周囲の親たちの、子どもとのつきあい方を見ていると、あまり甘やかしているようには見えません。というより、叱ってばかり…のように見えます。

しかし、そんな母親でもたまに甘くなることがあり、そして言うのです。「子どもは甘やかすと図に乗る」と。そこで、3人の母親に、どういうふうに甘やかしたのか尋ねました。

母親A:遅刻しそうなので起すと嫌がります。優しい声をかければ起きると思ったけど、それでもダメでした。それで起さず知らんフリしていると、どうして起してくれなかったのと逆ギレします。
講師R一度優しい声で起しただけで、それが「甘やかした」となるのでしょうか。それに、図に乗っているとは思えません。お子さん、ちょっとわがままそうに見えますが、単に寝起きが悪いというだけで、図に乗っているとは限らないのでは?
母親A寝起きは悪いですよ。図に乗っていないんですかねえ…、

母親B高校生の娘が朝の支度に手間どっているので、私自身も忙しいのですが、手伝ってあげたことがあります。すると翌日、あれもしてこれもしてと要求が増えてきたんです。母親も勤めに出ること知っているのに、これって図に乗っているとは思いませんか
講師R確かにちょっと甘やかしたのかもしれませんが、遅刻しそう!支度ができてない等々から焦ってしまい、「立っているもの親でも使え」状態になっているのでは? それは誰もがしそうな気がします。とくに図に乗っているのではないと思うんですが…。
母親Bじゃあ、こんなときは、私はどう娘に接したらいいんでしょうか
講師R物忘れの多い娘さんかもしれないので、前夜に支度を忘れないように気づかせてあげればいいのではないでしょうか。
母親B確かに、娘は昔から忘れ物が多いんです。

母親Cゲームをやりずきる子なんですが、登校拒否になりそうに見えたので、新しいゲーム機を買ってあげたことがあります。そしたら約束の30分を守れません。それでも、元気がないので怒らずにいましたが、3時間くらい続けていたみたいです。私それでも叱らなかったんですよ。それどころか、明日は話題の映画を見に行こうと優しく言ったんですが、深夜隠れてゲームしていました。どこまでもつけあがります。
講師Rお子さんは学業とか友達との関係でなにか問題を抱えている可能性はありませんか? 原因はそこで、ゲームに逃げているとも考えられます。あなたと映画を観たいという気持ちになれなかったのではないかと思うんですが。それに、その話からはどこが、「甘やかした」に該当するのかわかりません。
母親Cえっー! そうですか?

実は、本当は8人の母親に尋ねていますが、上記の3つによく似たケースでした。もっと多数の人に尋ねたいところです。でも、おおよそ、この3つに収斂できるのではないかと予想します。つまり、親のほうが勝手な解釈をしているだけなのです。

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親たちの会話の中によく使われる言葉があります。「子どもを甘やかすとズにノル」と。ゆえに、甘やかしてはいけないのだ、と、なります。

本当にそうなのでしょうか? 通常の親子関係であれば、子どもを甘やかしても、さほどズにノルようには思えないのです。少なくとも私にはあまり考えられないのですが、皆さんはどう思われますか?

ところで、ズは、「頭」と書くものだと思い込んでいました。正しくは「図」なのでした。でも、「図」の意味も疑問に感じたので調べてみる。「図」は企てのこととある。また、「図に当たる」は、思いどおりにことが運ぶ意、とある。

語源を調べました。以下です。
「図とは、仏教の法会などで、僧が唱える声楽“声明”の転調のことである。つまり、声楽の楽譜のことで、この楽譜には声の高低が図示されていた。その図の通りに唱えることができると「図に乗ることができた」と、本来は良い意味で使われていた。いつの間にか「調子に乗ってつけあがる」という意味に変ってしまった。「頭に乗る」と表記されることもあるが、意味が変化した後の当て字と考えられる」

恥ずかしながら生まれて初めて、この言葉の意味がわかったのでした。なんでも疑問に感じるということは良いことですね。

さて、図に乗りやすい子どももいるかもしれません。が、さほどにはいないだろう、というのが私の見解です。ただし、「見解」に過ぎません。絶対にそうだと断言しているのではありません。

人間って、環境や状況によってクルクルと変るものであり、よく言えば学べる動物なのです。計算高くもなり、楽して得を取るような行為もするだろうと思うのです。

従って、「通常の親子関係であれば」と入れています。親を憎んでいて苦しめたいとか復讐したいと思っている子どもならば、甘やかしてよいはずがありませんからね。

尤も、子どもから憎まれていることを察知していない親がいるなど、これもあまり考えられないことですから。

ある親は「甘やかすとドンドンつけあがる」と言うのです。で、どれほど甘やかしたのかと、その親に尋ねると、大して甘やかしていないのです。少し甘やかしたので、少し調子にのったに過ぎないのです。私から見たら、そうなのです。

ずっとずっとずっとずっとずっと甘やかして、ドンドンドンドンドンと図に乗れば、「甘やかしてはいけない」と思います。繰り返しが5つもあります。わたしから見たら、親が「ず」だけしか甘やかしていないのに、子どもがドンドンドンと繰り返しが3つくらい図に乗った、ということになっています。

でも、「甘やかす」とは、どのような行為を指しているのか、そこもまた問題なのです。仕方なくまたも親たちに尋ねてみました。「どのようなことをしたら、甘やかしたと思うのか?」と。
 
でも、夜もふけましたので、続きは次回にしようと思います。

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かつて、純心な人がいると思っていました。たとえば文学作品の登場人物の中に、そのような人間をチラッと見たような…。でも残念なことですが、現実の人間には、純心な人もいなければ、純粋な人もいないと考えられます。

むろん純情な人もいないと、現在では確信しています。また、それは事実です。事実って聞いて信じる必要はないけど、事実なので、そうに決まっています(笑い)。

エニアグラムの9つのタイプも、その気質をよくよく知ると、「純」と付けられるタイプはいません。でも、以前にどこかでそんなこと書いているかもしれませんが、訂正しておいてくださいね。

どのタイプも、怒り、ねたみ、ひがみ、そして、他の人たちを非難したり、悪口を言い、そしり、見下したりしています。

どの人だとて負けたくないのであり、見下されたら腹を立てます。誰かと比較して、うらやんだり、そねみ心で一杯になり、いつしか悔し涙を流して、腹立ちまぎれに、八つ当たりします。単に程度の違いがあるだけに過ぎないと思っております。

なお、優等生気質(714)の人たちの中に、純粋で純情で、純心そうに見える人がいるかもしれません。しかし、それは誤解です。よい誤解なので、悪い誤解よりはいいのかもしれませんが、正解ではありません。

内実はみな同じだと知れば、誰かを羨むことはなかったんです。誰もが悩んでいるのです。どのようなことで悩むのか、その種類が違うというに過ぎません。

また、それらの軽重の違いがあるだけです。ある意味、みんな仲間なのです。そう考えれば、貴女も、貴男も、孤独ではありません。

動画をはじめて掲載しています。冬好きでもあり、気に入っている曲でもあり載せてみました。なお、英訳は他サイトから転載させてもらいました。
 A Salvation Army band played And the children drank lemonade And the morning lasted all day, all day And through an open window came Like Sinatra in a younger day, Pushing the town away Ah hey ma ma ma Life in a northern town. They sat on the stoney ground And he took a cigarette out And everyone else came down to listen. He said "In winter 1963 It felt like the world would freeze With John F. Kennedy and the Beatles." Ah hey ma ma ma Life in a northern town. Ah hey ma ma ma All the work shut down. Ah hey ma ma ma Life in a northern town. 
冬はながく、ながい冬ほど春がまちどおしい。重たい灰色の空や長い夜もわるくないもの。寒さにかじかむ手をこすって温めるのはたのしい。冬の澄んだ空気を鼻から大きく吸い込むと気分がいいし、外で笛をふくといい音がする。春までまだまだ時間がたっぷりあるので、仕事を少なめにして、冬の暮らしを、ゆっくりたのしもう。

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あるタイプ2w1の女性が、「友だちというのは、なんでも話し合えて、気を使わない相手」のことだと言います。そこで、他の2w1女性に尋ねると、「私と親友の間では、そうです」と返されてしまいました。

それを聞いて、とても不思議な思いにとらわれました。「友だちと何でも話し合える」とありますが、本当に何んでも話し合えるものでしょうか?

他人には知られたくないことが一つや二つはあるものではないでしょうか。秘密を一つも持たない人などいないと思うのですが。また、秘密を持たない人など、今一つ魅力的には見えません。

また、家族に関することで、恥ずかしくて話せないようなこともあるかもしれません。たとえば、自分は醜い顔だというコンプレックスを持っている女性が、親友にもそれは言えなかった、ということがあります。

万引きなどの軽犯罪とか、もう少し大きな刑事罰を受けるようなことをしていたら、打ち明けるなどあまり考えられません。

思うに、「なんでも」という辺りのことを、厳密に思い返していないので、何でも話し合えると思い込んでいるだけなのではないでしょうか。

また、「友だちというのは、気を使わない相手」という見方に関してですが、相手がどんな人でも、気を使うべきだと私は思うのですが、みなさんはどう思われますか?

もう少し正確に言うならば、お互いがよい関係を築いて不快になることが少なくなれば、神経質に気遣う必要はないが、それでも、気を使うべき時は必ず起きます。その時はよく気配りできるよう細心になることが大切! だと考えます。

また、普段から気を使っていないと、相手に失礼になるような何かを起す可能性は高くなると思うのです。

失礼にならないようにと注意していても、相手を不快にさせたり、傷つけてしまっている、というのが一般的な現状だと思われます。私にもよくあります。そんなつもりではなかったのに…と、よく後悔しています。


気を使い過ぎて神経質になるのも困りますが、その存在に慣れて気を使わないのが習慣になると、相手をぞんざいに扱ってしまう怖れもあります。

家族に対してぞんざいな口の利き方をする人がたくさんいるからです。とても気になるところです。一番大切なのが家族なんですから、もっと家族に気を使うべきではないでしょうか。

ですから、タイプ2の人たちへのアドバイスとしては、「家族にぞんざいにならないように気遣いを細やかにして、他人には気を緩めないで、緊張感を持ってつきあうようにしてください」となります。


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「タイプ1は、エロ話はしない人だと思っていたのに‥」と、受講生が驚いて連絡してきました。(ちなみに、この件は当人の許可を得て紹介しています)

 バイト先で、上司(男性)が言ったらしい。「A君さあ、エロ話には一番反応がいいよ。だって俺に“ボク、女大好きなんですよ。今度風俗一緒につれてってください”って言ったぐらいだぜ!」

 タイプ1の男性は清廉潔白というイメージがあり、性的な話は一切しないと思いこんでいる方がいます。しかしながら、「性的な話」=「エロい話」とは限りません。上司は深く考えないままに語ったのではないでしょうか。

 さて、エロ話に「反応がいい」というだけでは「好き」だとは言えません。なぜならば、羞恥心の強い気質の人のほうが反応は強くなります。明らかに興奮しているとしたら、防御タイプの男性なのではと見て、7・1・4から探します。

「反応がいい」のと「反応が強い」とでは紛らわしく、間違えるのも致し方ないのかもしれません。

 たとえば、女性の中にはあからさまに、眉をひそめる人がいるかもしれませんが、それは攻撃タイプ(825)の女性がしそうなことです。羞恥心が少ないからです。攻撃タイプ以外の女性ならば、それさえもしかねて、下を向くとか、何気に座を外してしまうことも考えられます。

 なお、タイプ2の女性の中には、エロ話を好んだり楽しんで会話に参加する女性がたまにいます。特に年配のタイプ2女性に多い。(ちなみに、8と5はめったにいない超少数派ゆえ、結果的にタイプ2となる) 

 職場などでエロ話をする男性は女性たちからは嫌われるものです。性に興味がある女性でも、職場で大勢の男性たちが居る場では、それに乗りません。それは全タイプの女性にある傾向です。

 一方、男性はさほどに嫌いません。というよりも、女にとっても興味深いものだろうとか、エロ話をともに楽しんでくれるもの、と思い込んでいる男性がいます。とんでもないカン違いをしているのです。女性は、性に関する話題についてはTPOを(男性)より強く意識して行動しているのです。

 ところで、当会では「性格とは自己防衛戦略である」と明快に定義づけています。基本タイプが同じであれば、同じ自己防衛戦略を持ちます。そこに男女差はありません。

 しかし、こと性に関するものでは、男女差がくっきりと出ます。男性が性的な欲望があることを隠すなど稀です。
 それは恥ずかしいことではなく、逆に、女好きではないとか、性的関心が無いと思われることは、マズイこととも言えます。一人前の男ではないとか、ホモ(同性愛)を疑われる恐れがあるからです。

 従って、「女大好き」とか「今度風俗一緒に連れてって下さい」は、エロ話に該当しないと考えます。そのタイプ1の男性がエロ話好き、ということにはなりません。

 一方、女性は「隠す性」です。古来からずっと続いているものです。たとえば、ヒトのメスには「発情期」というものがありません。

 「隠す」というふうに性戦略が進化したために、ヒトは同じ霊長類でありながら、他の霊長類の持つ発情期というものが無くなったと考えられます。

 隠さない年配の女性は、子が産めなくなった年齢に達したので、隠す必要がないからです。最近は、性意識が解放的になり、一部の女性たちは隠さなくなっていますが‥。

 それでも依然として、性に関しての行動パターンは男女差が大きいものです。かつて取上げた「ツンデレ」なるものも、「隠す戦略」の中にあるものです。

「 受身の性」の戦略とは、自分の欲求を隠したり曖昧にして、より希望に叶うオスを有利に選ぶために進化してきたものと考えられるのです。

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「仲良しの同級生にショックなことを言ってしまった」と、娘さんが母親に相談したようです。その後、「同級生は全く口を聞いてくれず、自分は避けられている」と、母親に悩みを訴えたと言うのです。

 母親は「率直に自分の非礼を詫びるのが一番いいと思うから、すぐに謝ってらっしゃい」と娘に助言しました。しかし、母親の助言通りに娘は謝ったが、同級生は許してくれなかったようです。

 さて、この母親はエニアグラムの受講生です。娘と同級生との間にあったことをかいつまんで話してくれました。そして、同級生のタイプと、なぜ謝っても許そうとしない子どもがいるのか、それが知りたいとのことです。

 中学生の二人の間に起きたことですが、特別に変わったことではありません。スタイルをちょっとけなしたというような類のことで、よくある出来事です。その場に居合わせた他の受講生たちも一様に分からないようなので、ここで取り上げてご紹介したいと思います。

 さて、ショックなことを親しい友人に言われたら大抵の人は落ち込みます。問題はショック度です。何を言われたら大ショックになるのか小ショックなのか、それは人それぞれに違います。たとえば、友人から、ふとっていると指摘されても、大ショックになる人もいれば、小ショックになる人もいます。

 また、友人にふとっていると言われると小ショックになり、つきあっている彼氏に言われると大ショックになることもあります。このように誰に言われたかで、ショック度は違ってきます。また、時と場合や状況によって、また、当人の精神状態によっても、ショック度は違ってきます。

 問題はショック度なんです。結果としての傷の深さを見る必要があるのです。つまり、小ショックであれば、相手から謝罪された場合、許せるのですが、大ショックであれば、謝罪されてもなかなか許せるものではありません。また、たとえ口では「いいよ」などと言って表面上は相手を許したことになっても、心の傷はそのまま残ります。

 深く傷ついていれば、相手の謝罪の言葉は、頭の表層を掠めているだけです。気持ち的にはずっと相手に対しての嫌な気分、不快さや苛立ち、腹立たしさや警戒心みたいなものを持ち続けてしまうのです。
 まだ続きますが、今夜はここまでにしたいと思います。

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「親がブッ殺す!と言っても、それは単なる脅しだよ!」と、当時の奈良の少年に語りかけられる立場にいたら、ぜひ訴えたいところです。しかし、たとえ懸命に訴えたとしても、少年はそれを受け入れなかったかもしれません。

 
なぜなら、現実世界では、親が子どもを殺し、子どもも親を殺しているのですから、説得力がありません。昨日7/19の川口市において午前3時頃にも起きました。少女は、本気で父親を殺す気持ちであったのか、それとも‥、

 脅しなのか本気で相手の死を望んでいるか、それを識別できる人がどれほどいるのでしょうか。仲のよい親子関係を保っているのならば一笑に付すようなことです。しかし、険悪な関係であれば、親の真意を正しく推し量れるような子どもは、ほとんどいないのではないかと思います。その逆も然りであり、また成人しても同じことです。

 また、「殺意」というものも
一瞬というのであれば、意外にもたくさんの人たちに身に覚えがあるのではないでしょうか。他人だけでなく、家族にも殺意を抱いたことがある人がいたら、それは割合として何%になるのか、ぜひとも知りたいものです。

 さて、親たちがある限度を超えた言動を取れば、子どものほうでも憎しみから殺意を抱きます。子どものほうも、わがままが過ぎて無理無体なことを言い、あるいは暴力的になれば、親も子に殺意を持ちます。それは人間として当たり前の心の働き方です。

 親しい間柄だからこそ、わがままになってしまい、遠慮がなくなることがあります。「何でも話し合えて、気を遣わなくてもいいのが友だちだ」と言った人がいます。また、よく聞くセリフです。しかし、この考え方は間違っています。

 
大切な友だちであれば、より気を遣うべきではないでしょうか。そこからみると、家族に対しての気遣いが足りないと感じるエピソードをよく聞きます。諺にあるように、「親しき仲にも礼儀あり」、「親しき仲に垣をせよ」です。

 また、何でも話し合えるというものではありませんし、言葉というものは万能ではありません。誤解が生じるだけということもあります。実際、話し合うのは徒労だと思うことがしばしばあります。また、自分の気持ちをうまく言葉にできない
人たちがたくさんいます。言葉巧みで、すばやく語れる、そして押せ押せできる人には有利なことですが、そういうことが下手な人間は逃げ腰になってしまうでしょう。

 
また、どんな人でも、相手をみくびり軽んじていると遠慮がなくなります。(ちなみに、これはどのタイプの人たちでもしていることで、最も遠慮の多い末っ子気質のタイプ4も例外ではありません) 軽んじられたほうにとっては、嫌な奴です。そんな相手に非難や嫌味など言われ、暴言を吐かれたら忘れられませんし、いつか仕返しするやもしれません

 「自分の子どもになぜ気を遣わなきゃならんのだ!」・「自分の妻になぜ‥!」・「自分の夫になぜ‥!」「自分の家なのに‥!」等々 みなよくこのように言います。それで何も起きなければいいのですが
‥、

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 7/16、バスジャックをして逮捕された山口県宇部市の中学2年の少年(14)が、県警の調べに対して供述していると報道されています。
 犯行の動機らしいものとして、「両親から“お前なんか死んでしまえ!”とののしられた。“児童相談所に行け!”と言われた」と書かれている。車内にいた乗客は、「少年は親から見捨てられたといい、親に恥をかかせたかったと言っていた」とある。

 ところで、現在、2006/06に起きた奈良の少年の自宅放火事件を調べています。この少年の父親は、「ウソをついたら殺すとか、カンニングするんだったら死んでしまえというようなことを言いました」と、裁判官とのやりとりで述べています。そして、「ただ、本当に殺すという気は毛頭ないんですけれども、そういう言葉を発したことは事実です」

 しかしながら少年のほうはウソをついたので「殺される」と思い込み、その結果として放火事件をおかしたと考えられます。なお、「字義通り性 」という言葉がありますが、字の意味のごとく、そのまんま受け取るという意味です。奈良の少年は、父親から「殺す」と言われて、本当に殺されると思ってしまったのですから‥。

 つまり、引き金みたいな役目をしたのが、「死んでしまえ」というセリフだと考えられなくもありません。それまでのいきさつから親子関係は悪かったと予想されますが、このセリフがなかったら、どうなっていたのかなと考え込んでいます。プチ家出だけで済んだという可能性はないのでしょうか?

 父親の怒りは一時のことで腹立ち紛れに言ったものに過ぎない、本心は違うと思える人がいます。しかし、そうはとらない子どもたちが他にもいるかもしれないと、ここから学べるのではないでしょうか。私の性格分析では、怖がりな気質の子どもであれば、それは本気だと受け取るだろうと予想するものです。

 バスジャックをしたほうの少年は、殺されるとは考えなかったようです。しかし、「親から見捨てられた」と思い込んだようではあります。親のほうでは頭に血が上って、つい言ってしまっただけで、見捨てる気持ちなど毛頭なかったのかもしれません。

 
「死んでしまえと(親が)言うなど、本気で言っているのではないだろう」と解釈する子どもであれば、悲劇は起きません。しかし、「親は自分に死んで欲しいと本気に思っている」と解釈する子どもたちがいることを、私たちはしっかりと聞き取るべきではないでしょうか。

 
そこまでは考えないが、「見捨てるつもりのようだ」と解釈する子どもが、攻撃性の強い気質の子どもであれば、事件を引き起す方向に進んでしまうのではないでしょうか。「覆水盆に帰らず」です。「死んでしまえ!」などという空恐ろしい言葉は、少なくとも家庭内では、たとえ冗談でも使うべきではないと考えます。

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