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3/6に、ブラピー主演の映画「レジェンド・オブ・フォール」で、日本人の意識が「自由」よりも「平等」にシフトしているというようなことを書いています。ところが、とんでもないことがツイッターに書かれているのをとを知りました。
「被災地の人以外は、何で痛みを分かち合い、被災地復興のために努力しようとしないのでしょうか。自分さえよければ、それでいいのでしょうか。極端かもしれませんが、私は放射能もみな平等に浴びなくてはいけないと思います。」
朝日の新聞に投稿されていたものだそうで、このツイードを紹介している方が、「こういう感覚を共有しているのがファシズム日本。悪平等」と書き添えておられましたが、同感です。
日本が真に平等な社会であれば、平等な痛み分けも考えられますが、格差が大きすぎで、また格差が拡大するばかりの社会ではあり得ないものです。
経済的・精神的・時間的な余裕のある人たちが、率先してやるべきことだと私は思うのですが、それもほとんどないというのが現状です。
ほんの一部の人たちが細々と支援しているに過ぎません。たぶん、その割合はどの時代でも、どの分野であっても0.1%未満だというのが私の感覚的に納得できる数字です。
たとえ、平等な社会が構築できていたとしても、放射能ガレキのようなものを平等に受け入れる、などという発想には呆れてしまいます。
天災であっても、被害は平等にやって来ません。かの3.11にあったような地震が東京に起きたら、被害を大きく受けるのは下町だということは今ではたぶん誰もが知っていることです。貧しい人たちほどより大きな被害を受けるのです。
ところで、「がんばれ日本」とか「絆」という言葉を今でもあちこちで聞きます。それで格差社会だということを隠ぺいしているように私からは見えます。違和感を感じるばかりですが、それをうまく説明できずにいました。
しかし、シャープにうまく表現してくれている文章を見つけました。宮崎学さんです。キツネ目の男と言われた方です。
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2011/8/16のブログの一部のみ転載(青字)
「3.11からおおよそ1ヶ月程経った頃から、メディアの伝えるところに彼等の「評価」が出始めた。
いわく「がんばろう東北」曰く「がんばろう日本」というスポーツビジネス企業が「観衆」をスタジアムに「動員」するかのごとき意味不明のキャッチコピーがまずそれである。その後、同程度の水準で「絆」というのも多用されるようになった。
この種の「言葉」が氾濫するようになるということは、同時に、メディアが取り上げるポイントが、イベント中心主義に変質し始めたことを意味する。
これは明らかに広告代理店的発想が情報発信の中心に混入してきたことを意味する。
ところでこの「絆」という言葉の持つ意味は「運命の共同」つまり、生きるのも一緒、死ぬのも一緒ということが基本にあり、もともとの意味するところは、実に生き生きした実感的なものである。
そこには「観衆」と「プレーヤー」という区分けのない一体の世界がある。
そこで被災者の今置かれている状況を考えると、広告代理店的発想で言うところの「絆」などという耳障りのいい言葉を使える人間が果たしてこの国にいるのだろうか。
どこにもいる訳がない。自らに「運命の共同」という固い意志も無く、この種の言葉は語られるべきではない。
しかし、この種の「言葉」の氾濫は、3.11の「収拾」を官とメディアが如何なるイメージであるかは示している。
それは1945年の敗戦時に「一億総懺悔」という論調がメディアと生き残りを賭けて官僚が用いた事実と類似している」
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☆宮崎学公式サイトhttp://miyazakimanabu.com/
なお、宮崎さんのブログを読むと、「差別」という字が比較的よく出てきます。平等意識がクッキリと見えます。でも、全体的には明快な物言いがあり、気持ちよく共感しながら読めました。以下も…。
☆「日本で最大の暴力団は警察」!? ヤクザの息子・宮崎学が語る
http://news.nicovideo.jp/watch/nw140287
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