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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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当時、「銃を持って戦った大統領」がいたというニュースを雑誌で読みました。肌がつっぱるほどピチピチな頃のことです。

この時に見たアジェンデ大統領の写真は今でも忘れられぬものの一つです。

現在でも、アメリカに憧れている人はたくさんいるみたいです。

でも、若い頃に知ったこの出来事から、アメリカという国の残虐な一面を知ったおかげで政府や権力というものへの期待はなかった。

しかし、これほどに腐敗しているとは…、アメリカに直接支配されていると思うほどの国に成り下がっていたとは…、

なお「選挙で選ばれた正式の政府を倒そうと、軍部のピノチェト将軍は、米国から300億円の軍資金と数千人のCIA工作員という大規模支援を受けていた」という。


これでは、ひとたまりもないはずです。アジェンデさんが銃を持って戦っても、戦闘の準備などしていなかったのですぐに制圧されたはずです。アジェンデさんがすぐに銃で自殺したことも、その時に知りました。

「大統領府は戦闘機のミサイル20発という猛爆撃を受けた。

アジェンデ大統領は攻撃のさなかに国民へ別れの演説をした後に、

「民主主義は軍部に降伏しない」

と、言い残し、ピストルで自決。その日、サンチアゴは快晴。

しかし、チリ国営放送は、「サンチアゴには今雨が降っています」 という声を流し続けていた。

まるで映画の一シーンみたいです。でも、それは現実にあったことで…、

これに関しては、以下のサイトに載っています。
     ↓   ↓

ビクトル・ハラの生涯
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/jara.html


もう1つの9/11    デモクラシー・ナウ

1973911日 米支援のピノチェトがチリの実権を握った日

http://democracynow.jp/video/20100915-3
再生時間:17

チリで9.11と言えば、1973年の軍事クーデターを指します。

米国の支援を受けたピノチェト将軍が、民主的に選挙で選ばれたアジェンデ政権を倒した日です。

それ以降、チリでは独裁政権が反対派の誘拐や虐殺を繰り返して国民を恐怖に陥れ、その一方でシカゴ学派の主張に沿った新自由主義経済政策が徹底的に推進されました。

このショックドクトリンの最初の「実験」は、その後、IMFの手動でバブル崩壊後の中南米全体に広がり、大多数の国民を困窮させて、現在の中南米のアメリカ離れの種を撒くことになりました。

今ではそれが全世界に拡大していますが、今日の私たちが直面する問題の先駆けとなった事件として、チリ・クーデターの意義は一段と大きくなっています。

この放送では、この40年前のクーデターの生き残りが、この事件を歴史に風化させることなく司法の前に引きずり出そうとしたことに視点を当てます。

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