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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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ウィキペディアで、「世直し一揆」と入れて検索していたら、なんとしたことか、下記の「福島一揆」という文字が飛び込んできました。タイミングが合い過ぎて、なんだか笑けてきてしまいます。

福島第一原発事故による被ばく者たちの受ける苦難は、当初から予想していました。いえ予知能力のあるのではありません。水俣病について関心を持っていた人ならば予想できるようなことですから。

熊本県水俣市で起きたことと同じように事が進んでいくのではと、しばらくは不安な面持ちでしたが、その年の末に早くも予想通りになってしまいました。

政府・政権は国民を守る側にはならない。いつの時代も大企業を擁護する。封建制の江戸期のほうがまだましだったのではないかと思う。

そして、世直し一揆をしようなどという気配もない。かの時代より一応は豊かな暮らしをしているからなのか、わが身に害が及ばないと動かないのか

ところで、農民一揆の発祥の地は、福島県内で起きています。1749年、江戸中期です。

JR東北本線の福島駅の近くにある神社には、碑が立っているそうです。「農民一揆発祥の地と義民中村治右衛門」という名の碑です。

年貢の増税を課せられたために、困窮を極めた百姓100人余が立ちあがったなどと書いてあります。

悪代官がいたのだそうですが、悪なるのが代官ゆえまだましではないか。今では世界の悪警官になっている国が先導して、家来もみなその悪を悪とも知らず、いえ知っているかもしれないが盲目的な追従をしている。

というか、それを利用して栄えている悪人が東京にはウジョウジョいるらしい()…。

フクシマのことは、後世ではどうように見られているのだろうかと、ふと思うのですが、後世って、どこまで続くのかなあ…、悪が栄えるのでは、破滅は早くなりそう。


★「福島一揆」
東日本大震災から3年半・吉野源太郎
http://blogos.com/article/94375/

★海兵隊の沖縄駐留「日本が要望」 元駐日米大使の口述記


http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83067

★福島の日枝神社無いに立つ碑 (写真)
http://homepage1.nifty.com/05170517/zenkoku/fukushima_1/1396_miyashiroyakata_1.htm


碑文
「江戸時代の半ば寛延二年(1749年)天候不順により、大凶作になったのにもかかわらず、信達を支配する幕領桑折の悪代官・神山三郎左衛門は、過重な年貢の増税を言いわたした。

農民は困窮を極めたので,有名な天狗回状を回覧し,信達六十八か村百余人の百姓代が宮代山王社に参集した。

伊達長岡の斉藤彦内が先導し,山王権現のお告げであることを宣言し、一揆を起こして減免を強訴することを協議一決した。日本で最大規模の百姓一揆と言われている。

伊達長岡の斉藤彦内,鎌田の猪狩源七,伊達崎の蓬田半左衛門,宮代の中村治右衛門らを先頭に、総勢一万七千人の農民が総決起し,桑折代官所へ押し寄せ、強訴し、年貢増税を中止させた。

その後、代官所側の吟味は厳しく彦内,源七,半左衛門は死罪として処刑,治右衛門は追放となった。

犠牲となって多くの農民を救ったので、死罪となった三人は、義民として広く世に顕彰されたが、我が地の中村治右衛門も主導者の一人であったので、其の功績を讃えて顕彰し、後世に伝えるものである」 顕彰碑発起人会

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