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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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友人から坂口安吾が著した文を紹介されて、すぐに読んだのが坂口安吾著の『島原の乱雑記』です。坂口安吾は好きな作家ですが、読んでいないものがたくさん残っています。

青空文庫にあるものゆえ、あなたもすぐに確認できると思います。少し転載(
青字)しています。短文です。以下にあるように、3000人の「切支丹キリシタン」である女と子どもたちが、「みんな喜んで死んだ」と、あるところに違和を感じます。

斬首される恐怖で思考停止するなどであれば理解できますが、あるいは、強い信仰心があれば喜んで死ぬことができるのかと…。で、思い出したのは少し前に聴いていたIWJの岩上安身さんによる
上村静氏インタビューです。

島原の乱で三万七千の農民が死んだ。三万四千は戦死し、生き残つた三千名の女と子供が、落城の翌日から三日間にわたつて斬首された。みんな喜んで死んだ。喜んで死ぬとは異様であるが、討伐の上使、松平伊豆守の息子で、甲斐守輝綱(当時18)の日記に、そう書いてある。

★坂口安吾著の『島原の乱雑記』 【青空文庫】http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45863_33229.html

屍体をとりかたづける人足もなく、まして、あとを耕す一人の村民の姿もなかつた。白骨の隙間に雑草が繁り、なまぐさい風に頭をふり、島原半島は無人のまゝ、十年すぎた。十年目に骨を集め、九州諸国の僧をよびよせ、数夜にわたつて懇に供養し、他国から農民を移住せしめた。

★上村静氏インタビュー(前半)http://iwj.co.jp/wj/open/archives/215322
 
上村…罪の問題はとても複雑です。キリスト教徒にとって、死んだあと救われないことは、とてつもない恐怖だった。そのために金で解決できる免罪符が利用され、それにルターが反発した。(一部のみ聞けますが、現在、会員でなければ全編を聞くことができません。

★原罪とは
http://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-original-sin.html


キリスト教では、「人はみな罪人である」と教えられており、それを「原罪」というようですが、当時、新興宗教であったキリスト教は、信仰すれば救われ、信仰を捨てたら救われなくなると説教していたようです。

つまり、世界の終わりまでずっと罪人のままってこと? ゆえに終末まで地獄に居ることになるのか…(?)

他の宗教の多くは、善い行いをすれば救われて天国に行けるが、悪い行いをすれば地獄に行くという教えが一般的みたいです。ただし、宗教に無関心でしたから知らないことばかりで、ここは間違っているかもしれませんので、そこはご容赦願います。

島原の乱は1637年のことです。徳川幕府はキリスト教を禁じて、踏み絵によって信徒をあぶりだして徹底的に弾圧しました。

なぜ過酷な拷問に耐える信者が多かったのか私は理解できずにいました。私ならば死の恐怖には打ち勝てないはずだと。しかるに「喜んで死ぬ」ことができるなど想定外です。3000人の女と子どもたちがそれを信じることができた…。

しかしながら、死んだあとがある(らしい。私は無いと思っているが)。で、死んだあとになって救われないとわかったら、それほどの恐怖に耐えられる人はおりましょうか。

信仰を捨てないほうを選ぶしかありません。というより、信仰を捨てずにいたら天国に行けると約束されていたならば、喜んで拷問を受け、喜んで死ぬはずです。

恐怖で煽っていたのか(?) 強い信仰心とは恐怖心由来のものだったのか‥

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