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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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金子光晴の詩『反対』はよく知られていますが、『奴隷根性の唄』 は知りませんでした。生まれは1895年ですが古さを感じさせません。ちなみに彼は愛知県の津島出身です。

この詩を理解したかったら、大杉栄の『
奴隷根性論』と併せて読めばわかる、と、つぶやく方がいて、早速に読んでみました。ともにアナーキーな考え方をしている人です。

なんだかアベさんとそのお友だちのことを言っているような気がしませんか。奴隷の酋長って感じですかね。
えっ、私ですか?少なくとも私は自分が奴隷に過ぎず、民主主義国家の一市民に生まれたなどとは思っていません。


★青空文庫 大杉栄の
奴隷根性論』 文でhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/1006_13470.html


…奴隷根性の唄…
                               
金子光晴


 奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。
じぶんはたえず空腹でゐて、主人の豪華な献立のじまんをする。
奴隷たちの子孫は代々背骨がまがってうまれてくる。
やつらはいふ。『四足で生まれてもしかたがなかった』と。

といふのも、やつらの祖先と神さまとの約束ごとと信じこんでるからだ。
主人は、神さまの後裔で、奴隷は、狩犬の子や孫なのだ。
だから鎖でつながれても、靴で蹴られても当然なのだ。
口笛をきけば、ころころし、鞭の風には、目をつむって待つ。

どんな性悪でも、飲んべでも、陰口たたくわるものでも
はらの底では、主人がこはい。土下座した根性は立ちあがれぬ。
くさった根につく、白い蛆。倒れるばかりの、大木のしたで。

いまや森のなかを雷鳴が走り、いなづまが沼地をあかるくするとき
『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、
やつらは、浮かない顔でためらって、『御主人のそばをはなれて
あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、
驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、
奴隷になっても決して、その精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。

その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、
肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、
現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの
唯一の誇りを見い出しさえしている。

(「人間の悲劇」から)

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