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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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豊田駅前で目を引くパンフレットに引きつけられて、「橋の下歌舞伎」なるものを先週、鑑賞してきました。

矢作川に架けられた豊田大橋の下、河川敷に設置された「矢作座」という名が付けられた仮設舞台が建っていました。名古屋地区で活躍する原プロが、昔から知られている名作「勧進帳」と「俊寛」の二作を演じました。

そもそもが安土桃山時代、出雲の阿国が四条河原で演じた歌舞伎が始まりだと言われており、河原と歌舞伎は縁の深いものです。

ちなみに「芝居」という言葉も、河原や神社の境内などで、
芝生に座って鑑賞していたことから、見物席や観客を指して「芝居」と呼んで、これがいつしか能楽や舞踊などを行うことを指す言葉になったのですから。



ところで、農民たちが庶民の娯楽として自ら演じていた歌舞伎の小屋が、愛知県には183もあったみたいです。全国で1500ですから、どれほど盛んであったかうかがい知れます。

江戸
末期は庶民の生活も豊かになったたので、こうした楽しみ方ができたのですが、文化レベルも高かったかもと思うのですが、一番は戦争がなかったからと言えます。(安保法を廃案にせねば…)

なお、当地で現在も残っている神社などにある農村舞台は84棟で、数年前から芝居やアートなどいろいろなライブが計画されて、毎年9月頃に公演されて、地域の人たちが楽しみにしています。

かなり以前になりますが、芝居のワークショックに参加したことがあり、「芝居は観るものではなく、やるものだ」と実感しました。「芸人は三日やったらやめられない!」なんです。ゆえに、このような農民の歌舞伎や地芝居は、私からみれば最高の楽しみ方だと思うのです。

で、なんと、幼児の頃から知っている友人の娘さんが歌舞伎に出演していて驚きました。そしてその数日後は、同じ河川敷で「橋の下世界音楽祭」で、歌舞伎の「白井権八と幡随長兵衛」の一場面を鑑賞しました

友人の娘さんは愛らしく小柄なのですが、大きな声を張り上げて、侠客の元祖とも言われている幡随長兵衛役をして頑張っていました。ですが、残念なことに周囲の大音響で後方の人たちはセリフが聞こえなかったみたいです。

しかも、若い人が多いみたいで、古い演目でもあり、セリフも古いままで、ちょっとわかりにくかったのではと思います。無論のこと、わかりにくかったのは「ミーツー」です。


★橋の下歌舞伎
http://www.asahi.com/articles/ASJ4D5HKRJ4DOIPE01P.html

★橋の下世界音楽祭


https://www.facebook.com/soulbeat


https://twitter.com/hashtag/%E6%A9%8B%E3%81%AE%E4%B8%8B%E4%B8%96%E7%95%8C%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E7%A5%AD

こちらの音楽祭は、2012年から毎年開かれているもので、
国内外のロックバンドを中心に総勢70組以上の音楽・舞踊・演劇のアーティストらが出演したようです。

一部見ただけなので、全体の雰囲気はわかりませんが、先週の一週間は賑やかな街になったのではないでしょうか。観客は1万人はいたみたいです。

遠方からの参加者も多くて、河原
にはテントが一杯に張られていましたが、普段はこの界隈を歩いている人などほとんど見かけないくらいで、その人ごみにはちょっとビックリ。

周囲に民家はないので、安心して騒ぐことができて、ストレスも発散できたかもと思います。
 
 

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