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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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日本人には、よく知られていますよね。「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」 

他の二人と比べての家康の人柄を指していますが、これでは攻撃タイプ(825)では無さそうって感じがしませんか。

戦乱の世ともなれば攻撃的な気質でなくては指導的な立場に立てないだろうと…。少しでも当会のエニア理論を学べばわかるところです。で、戦乱期は治まり、世襲になった代々の将軍のタイプを予想するならば、たぶん、攻撃タイプ以外の男性が登場するのではとみました。

実際にも、二代目秀忠はタイプ4っぽく(まだ判定できない)で、三代目家光はタイプ7w8で、四代目家綱はタイプ4と判定できました。それならば、調和タイプ(369)の将軍も出てきてもよさそうです。とりあえず、かの有名な信長と秀吉の人柄を伝えるものが以下です。



「鳴かぬなら殺してしまえホトトギス」…信長
「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」…秀吉

エニアグラムを初めて知った頃に、信長はタイプ8、秀吉はタイプ2だと深く考えることもなく判定しておりました。ですが家康に関しては予想できなくて、エニアを少し勉強してから家康9w8で、信長は8w7、秀吉2w1と自分なりに判定して楽しんでいました。そのかなり後になって詳しく調べたところ、信長と秀吉に関しては予想通りとなりました。当ブログでも取り上げています。ブログ内検索にかけて一度確かめてみてくださいね。

さて、家康は9w8なのでしょうか。家康の名言としてよく知られているのは、「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし、急ぐべからず」です。それゆえか辛抱強い気質で「鳴くまで待つ」が相応しいとなったのでしょうか。でも、これではタイプはまるで絞れません。で、
いつものように、ウィキペディアから取り上げてみますから、あなたも事前にタイプ判定してみませんか。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%B3%E5%B7%9D%E5%AE%B6%E5%BA%B7


家康のことを知りたいという気持ちはこれまで全くなかったので、
ウッキを読んで初めて知ったことがたくさんあります。少し取り上げると…

3歳で母親と生き別れて、6歳の時から人質として今川氏に預けられ、13歳で元服し、数え歳16歳で初陣。桶狭間の戦いで今川氏が討たれて、もはやこれまでと思ったのか、自害しようとしたが僧に諭された(18)

今川と断交して織田と同盟して、三河や駿河に勢力を伸ばした。その後、武田軍に追い詰められ、身代わりとなった家臣に助けられて命からがら逃げ帰る(30)。が、信玄の死で勢力を回復。

信長から内通疑惑をかけられて、正室と嫡男を死に至らしめた(37)妻と息子を死なせても、家臣は守らねばと思ったのか、それとも自己保身のみで、この事態をのりこえようとしたのか、それは分からないが、地獄をみたような体験ですね。

織田と組んで武田氏を滅ぼして、駿河国を得た(40)。同じ年、本能寺の変が起こり、堺にいた家康は少人数で極めて危険な状態となり、一時は狼狽して信長の後を追おうとするほどであったショックで狼狽して死のうとしたらしい。

その後、秀吉に臣従。家康は甲斐・信濃・駿河・遠江・三河の5ヶ国を領有するが、地震や大雨で領地が荒廃(42)。また、秀吉の命令で、駿河国・遠江国・三河国・甲斐国・信濃国の5ヶ国を召し上げられた。代わりに、武蔵、伊豆、相模、上野、上総、下総、下野の一部・常陸国の一部の関八州に移封された(48)

これは、秀吉による冷遇策であり、かなり悔しかったことではないか。その後、秀吉の死によって、天下分け目の関ケ原の戦いに勝利(58)して、征夷大将軍になる(61)75歳で大往生。
なお、辞世の句として以下が残っています。
「先にゆき 跡に残るも 同じ事 つれて行ぬを 別とぞ思ふ」

私なりの解釈は、「先に死ぬのも後に死ぬのも同じこと。連れて行かれるものではない」

かなり過酷な体験をしており、神経が太いのかとたら、二度も自害しようとしたとは思いがけないことです。しかし、最後には辞世の句にあるような境地になっていたのではと思われます。

がしかし、ここに載せた体験や戦歴からは、エニアタイプタイプを絞れる情報はありません。ただし、あまりにも過酷で非人間的な事態を乗り越えても、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を患うこともなかったようなので、攻撃的で図太い気質も備わっていたとは言えそうですね。生まれついたのが戦乱の世で慣れていたとしても、やはりPTSDを患う武士はいたのではと思うのですが、あなたはどう思われますか? (続く)

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