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このところ天武天皇とか、その母で二度も天皇位に就いた皇極天皇(=斉明天皇)のことを調べています。十代の頃から古代史への関心は強かったほうだと思うのですが、天武天皇のエニアタイプがタイプ8ではないかと予想してからは興味津々になりました。
このブログでも以前取り上げていますが、大海人皇子(天武天皇)が吉野へ出家する際に、見送った重臣の一人が語った、「翼をつけた虎を野に放したようなものだ」と伝えられています。で、実物のタイプ8の男性に会ったことがあれば、「普通じゃない、虎みたい」だってことになる…。
で、タイプ8の男性が経営しているレストランを訪ねたことがあります。私とその男性の会話を聞いたり、店内での様子などから、この受講生は「トラみたいな人だね」と言いました。
タイプ8w7と判定しているナポレオンも、「私は人間の心を持っている。私は虎から生まれたのではない…」などと語っていたことが、『ナポレオン言行録』に載っています。誰ぞに「トラから生まれた…」などと言われたからではないかと。
しかし、それだけでは天智天皇をタイプ8と判定できるものではありません。当然ながら他の情報を探していました。見つかったのは、タイプ8の「女好き」があると考えられるところで、記録に残っているところでは、11人の妻がいて、その女性との間に産まれた子は計18人です。
たぶん、実態はそれ以上に凄い数なのではと思うのです。天武天皇との間に子を得られなかった女性も幾人もいたが、歴史に名を残さなかった…。
ところが、よく考えてみると、古代の日本は「妻問婚(つまどいこん)」が一般的で、妻と夫はそれぞれの親元に居住し、妻の財産は妻の実家にあり、夫の財産は夫の実家が管理しています。求婚は「ヨバヒ (夜這い)」といい、女が許せばその場で結婚が成立するという社会です。基本的には本人同士が気に入るかどうかで、結婚が成立した後に、親たちに認められれば公式の婚姻と認められます。
「妻問婚」ともなれば、夫は妻を養う必要もなく、子も妻の実家が養育するのですから、経済的にも心理的にも負担感はほとんど無いだろうと考えられます。公式の婚姻もしないまま、ずっと女のところに通えますし、他の女のところへ隠れて通い続けることもできて、それなら幾人でも女と性的関係を持てることになってしまう。
夫が妻のところに通わなくなれば、それで離婚ってことになって、離婚裁判もなく、書類を届ける必要もないんですから、事は簡単です。要するに、妻問婚となれば、たくさんの女を得ることになり、女のほうでもたくさんの男を得た可能性がある。となれば、男にとってだけでなく女にとっても、この子は誰の子どもなのかわからないこともあっただろうと…。
多妻婚となり多夫婚にもなりやすい社会ということになれば、橋本治さんの著書にある「古代日本は性的なタブーのない社会」だということになります。でも、モラルはあった。また、どの女に通えば出世できるのか、どの男が通ってきたら親たちは認めるのかなどの打算もあったはずです。
こうなれば、古代日本は乱婚というか群婚社会に近く、いわばチンパンジーより、ボノボのほうに近いのではと想像してしまうのです。ゆえに、その歴史は脈々と引き継がれていて、不倫は古代からある文化とも言えるのではと考えてしまう。
チンパンジーとボノボ
http://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/ai/ja/report/outgroup.html
そして、名高く地位身分が高くなるほど、多くの相手を得られるみたいなので、国会議員に不倫が多いのはよく理解できるところです。いやはや、こんな文章を書くようになるとは思いもよらず…、続きはどうなってしまうのか当人にもわかりませんそれでも続く……
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