そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰?
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天皇が亡くなったら、普通、皇太子が継ぐべきところです。まさか皇太子の母親で、かつ前天皇(皇極天皇)だった女性が復位するとは…。当時、誰もが仰天したのではないかと思うのです。二度も即位(655年)したことになり、これを「重祚(ちょうそ)」といいますが、史上初めてのことです。
これほどのことなのに、「日本書紀」では全く取り上げていません。謎です。怪しいところです。皇太子である中大兄皇子は30歳で、即位するに相応しい年齢です。宝姫王(斉明天皇)は62歳ですから、年齢的に見てもちょっと体力的に衰えてくる頃です。ですが、彼女がタイプ8だとなれば、権力欲の強さは他のタイプとは比較にならぬほどですから、老齢であっても、息子を差し置いても即位するはずです。
これほどのことなのに、「日本書紀」では全く取り上げていません。謎です。怪しいところです。皇太子である中大兄皇子は30歳で、即位するに相応しい年齢です。宝姫王(斉明天皇)は62歳ですから、年齢的に見てもちょっと体力的に衰えてくる頃です。ですが、彼女がタイプ8だとなれば、権力欲の強さは他のタイプとは比較にならぬほどですから、老齢であっても、息子を差し置いても即位するはずです。
ですが、ほとんどの古代史研究家は、政治の主導権を常に握っていたのは中大兄皇子だと言う。皇子が即位しなかったのは、窮屈な皇位に就くより、自由な立場で政策を実行するためだとか、反対派を刺激しないために女帝を隠れ蓑にしたなどと解釈しています。同母妹(間人皇女)との不倫関係(近親相姦)があったからだという説もありますが、どれも根拠が薄いと言われています。
私は、タイプ8という権勢欲の強い気質の女性が、常に政治の主導権を握っていたと見ています。なお、皇極天皇としてあったのは3年半ですから、今一度復帰して自分のやりたかったことを成し遂げようとして重祚したと思うのです。私と同様に、斉明自身が天皇位に復帰したいという強い意志をもっていたと見た研究者は二人(熊谷公男・と遠山美都男)います。
次に、中大兄皇子は臣下や一般人からも人気がなかった、嫌われ、恐れられていたのではと想像しております。ゆえに、斉明の再度の即位に異を唱えられることがなかったのだろうと。
まず、中大兄皇子が入鹿を殺害(645年6月)したことは、すばやく世に知れ渡っていたのではないかと考えられます。自らの手を血で汚すのは、大王(当時は天皇とは呼ばない)になろうとする者がするべきことではない、と非難の声が満ちみちていたと考えられるのです。
それだけではありません。皇子はその同じ年の9月に、兄に当たる古人大兄皇子(異母兄)を謀反の疑いで処刑しています。あのクーデターの日、大極殿にて皇極天皇の側に持していた古人大兄皇子は、中大兄皇子が入鹿の首を切り落としたところを見ています。古人大兄は驚き逃げ出して、私宮に駆け込み、寝室に鍵をかけて閉じこもったと「日本書紀」にあります。
そのすぐ後に出家し吉野に隠退していたところを、中大兄皇子が兵に攻めさせて殺しています。謀反など起こすような人物ではないと知っていたのに、天皇になれる有力後継者ゆえに殺しておかねば安心できなかったのではないかと。
その4年後(649)、中大兄皇子は、蘇我日向(ひむか)の密告を受け、蘇我倉山田石川麻呂を謀反の疑いで追い詰めます。石川麻呂は自ら縊死していますが、妻子や群臣など連座して亡くなった人物は多く、広範囲に及んだので政策的な対立があったと考えられています。
こちらもあのクーデターの日に大極殿で、石川麻呂は暗殺の合図となる上表文を読んでいました。恐ろしくなり、読み上げつつも震えて冷や汗をかいたようで、不審に思った入鹿に、「なぜ震えている」と問われています。
気弱な人物に見えますが、石川麻呂と言えば、娘を中大兄皇子へと嫁がせており、クーデターに参加したチームの一員です。謀反など起こすはずのない相手です。その功から孝徳の代には右大臣に出世しています。
中大兄皇子は、後になってから謀反は過ちだと知って後悔したとありますが、石川麻呂は蘇我氏の長老みたいな人物ですから、反動勢力に担ぎ上げられる恐れがあったので、謀反の疑いをかけて殺したと考えられています。
密告した蘇我日向は、後に筑紫の国の筑紫宰(官人)を任じられていますから、重罪と見て罰したとは言えません。つまり、全ては皇子の策略で、蘇我日向に内命して讒言させたのではと思われます。
ちなみに密告者である蘇我日向は石川麻呂の弟ですから、兄を売ったと言えます。さらに中大兄皇子の夫人は石川麻呂の娘で、彼女から見れば、「夫が私の父親を殺害した」のです。
当時、夫人は第三子を身ごもっていたようで、その秋に狂気の中で男子を出産して死にました。その男子は祖母(斉明天皇)が引き取って育てたようですが、言葉が話せず8歳で亡くなっています。
中大兄皇子のもう一人の夫人(妹娘)も、石川麻呂の娘です。さらに、中大兄皇子の皇后になった倭姫王(やまとひめのおおきみ)は、古人大兄皇子の娘ですから、同じく「夫が私の父親を殺した」ということになります。
骨肉の争いと言えるのかどうかわかりませんが、その惨たらしさを、当時の人々はどのように見ていたのかと思うのです。なお、大極殿でのクーデター後は、臣下のものに殺させているので自分の手を汚すことは無くなりました。
が、中大兄皇子を背後から操っているのは、母親である斉明天皇だということを、当時の人々はなんとなく知っていたのではないかと思うのです。つづく
私は、タイプ8という権勢欲の強い気質の女性が、常に政治の主導権を握っていたと見ています。なお、皇極天皇としてあったのは3年半ですから、今一度復帰して自分のやりたかったことを成し遂げようとして重祚したと思うのです。私と同様に、斉明自身が天皇位に復帰したいという強い意志をもっていたと見た研究者は二人(熊谷公男・と遠山美都男)います。
次に、中大兄皇子は臣下や一般人からも人気がなかった、嫌われ、恐れられていたのではと想像しております。ゆえに、斉明の再度の即位に異を唱えられることがなかったのだろうと。
まず、中大兄皇子が入鹿を殺害(645年6月)したことは、すばやく世に知れ渡っていたのではないかと考えられます。自らの手を血で汚すのは、大王(当時は天皇とは呼ばない)になろうとする者がするべきことではない、と非難の声が満ちみちていたと考えられるのです。
それだけではありません。皇子はその同じ年の9月に、兄に当たる古人大兄皇子(異母兄)を謀反の疑いで処刑しています。あのクーデターの日、大極殿にて皇極天皇の側に持していた古人大兄皇子は、中大兄皇子が入鹿の首を切り落としたところを見ています。古人大兄は驚き逃げ出して、私宮に駆け込み、寝室に鍵をかけて閉じこもったと「日本書紀」にあります。
そのすぐ後に出家し吉野に隠退していたところを、中大兄皇子が兵に攻めさせて殺しています。謀反など起こすような人物ではないと知っていたのに、天皇になれる有力後継者ゆえに殺しておかねば安心できなかったのではないかと。
その4年後(649)、中大兄皇子は、蘇我日向(ひむか)の密告を受け、蘇我倉山田石川麻呂を謀反の疑いで追い詰めます。石川麻呂は自ら縊死していますが、妻子や群臣など連座して亡くなった人物は多く、広範囲に及んだので政策的な対立があったと考えられています。
こちらもあのクーデターの日に大極殿で、石川麻呂は暗殺の合図となる上表文を読んでいました。恐ろしくなり、読み上げつつも震えて冷や汗をかいたようで、不審に思った入鹿に、「なぜ震えている」と問われています。
気弱な人物に見えますが、石川麻呂と言えば、娘を中大兄皇子へと嫁がせており、クーデターに参加したチームの一員です。謀反など起こすはずのない相手です。その功から孝徳の代には右大臣に出世しています。
中大兄皇子は、後になってから謀反は過ちだと知って後悔したとありますが、石川麻呂は蘇我氏の長老みたいな人物ですから、反動勢力に担ぎ上げられる恐れがあったので、謀反の疑いをかけて殺したと考えられています。
密告した蘇我日向は、後に筑紫の国の筑紫宰(官人)を任じられていますから、重罪と見て罰したとは言えません。つまり、全ては皇子の策略で、蘇我日向に内命して讒言させたのではと思われます。
ちなみに密告者である蘇我日向は石川麻呂の弟ですから、兄を売ったと言えます。さらに中大兄皇子の夫人は石川麻呂の娘で、彼女から見れば、「夫が私の父親を殺害した」のです。
当時、夫人は第三子を身ごもっていたようで、その秋に狂気の中で男子を出産して死にました。その男子は祖母(斉明天皇)が引き取って育てたようですが、言葉が話せず8歳で亡くなっています。
中大兄皇子のもう一人の夫人(妹娘)も、石川麻呂の娘です。さらに、中大兄皇子の皇后になった倭姫王(やまとひめのおおきみ)は、古人大兄皇子の娘ですから、同じく「夫が私の父親を殺した」ということになります。
骨肉の争いと言えるのかどうかわかりませんが、その惨たらしさを、当時の人々はどのように見ていたのかと思うのです。なお、大極殿でのクーデター後は、臣下のものに殺させているので自分の手を汚すことは無くなりました。
が、中大兄皇子を背後から操っているのは、母親である斉明天皇だということを、当時の人々はなんとなく知っていたのではないかと思うのです。つづく
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