そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰?
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宝姫王は655年1月、62歳の時に再び皇位に就き、その前年に飛鳥板蓋宮が焼失していたので、直ちに宮殿建造に着手しています。その年は後飛鳥岡本宮、吉野宮、両槻宮の建造などで慌ただしい日々が続いたと考えられます。
そして、岡本宮がまたも火事に遭っていますが、放火だと見られていました。それは民の不満の現われだとありますが、事実かもと私は思うのです。「狂心の渠」などと言われた巨大な渠工事あり、3万人を動員とか、7万人がかりで石の丘を造ったなど、当時の民を苦しめていたからです。
そして、岡本宮がまたも火事に遭っていますが、放火だと見られていました。それは民の不満の現われだとありますが、事実かもと私は思うのです。「狂心の渠」などと言われた巨大な渠工事あり、3万人を動員とか、7万人がかりで石の丘を造ったなど、当時の民を苦しめていたからです。
飛鳥の地には遠い昔から、「巨大な石の建造物」や、点在している猿石、亀石、酒船石などという「謎の石造物」があると知られていました。明日香にある遺跡がが2000年頃から次々と発掘されましたが、それらは公園状というか大庭園のようなものの一部だったと考えられています。
★「石の都」を演出した政治学
http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm014.html
おそらく、それらは国家的な祭祀とか儀礼の場であり、北方の異民族(蝦夷など)や百済の王族の来日する際に、饗応などのために造られたものと考えられます。あるいは首都らしい大建造物を造りたかったのではと。
宝姫王は、派手好きで饗応好きと言えそうです。たとえば、658年7月、二百人余の蝦夷が貢物を献上しに来ると、厚く饗応し位階も授けて、たぶん贅沢な物品などを与えたのではと考えられます。
そして、斉明天皇は北方の異民族(蝦夷など)を征服すべく、658~660年まで三度も討伐軍を派遣しています。安倍比羅夫を将軍に任命して、180艘の船を率いて征服しています。
北海道まで遠征した天皇は古代では斉明天皇のみです。それ以前には、舒明天皇の代(637年) に蝦夷が反乱したために、上毛野形名を将軍として討たせた、という記録があるだけです。
そして、659年遣唐使を遣わした折に、征伐して従わせた異民族も連れ出して、唐の皇帝に見せつけました。周辺にある他国を征伐した偉大な王国だと知らしめたつもりのようです。この遠征後、北海道への遠征は500年以上行われなかったのですから、いかに征服欲の強い女帝だったか分かろうというものです。
また、当時、朝鮮半島の政変によって倭国も巻き込まれていました。660年、百済の使者から、「百済が新羅・唐連合軍に降伏した」ことを知らされました。また、百済の遺臣から、「日本にいる百済王子・余豊璋〈よほうしょう〉の帰国と援軍の派遣を求め」られました。
斉明はこれを受けて、百済救援のため自ら筑紫(九州福岡)に赴きます。武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫(九州)の朝倉宮に移転して、戦争に備えました。
が、661年にあえなく病死しました。70に手が届く老婦人が戦いの陣頭に立つなど他に例を知りません。ここから考えるに、「乱世ゆえに翻弄された女帝」だと言えるのでしょうか。
★二度即位した女帝・斉明天皇と飛鳥の歩み
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/3587?p=2
ところで、タイプ8は勤労家とか勤勉家とは言えません。賭け事好きな遊び人気質です。派手好きで目立ちたがりで、自慢屋で、自分に従うものには太っ腹にもなります。
斉明は、山海珍味の贅沢な宴会を開いてもてなすことを好み(たぶん)ました。ビッグな建造物でビッグなイベントを催すなどしている。タイプ8らしいところです。となれば、ウイングは7のほうかもしれない。
さて、古代の日本には軍隊はなく、内裏を守るガードマンとか市中警察のようなものだけで、百済救援のために戦う兵士は寄せ集め (橋本治著『だめだし日本語論』より転載) なのだそうです。
斉明は皇子たちだけでなく、妊娠していた皇女(太田皇女)も連れ出し、途中、出産(大津皇子)もしており、戦場に赴くときでも女性たちを連れていたみたいで、まるでお祭騒ぎです。
ともに船出した額田姫王は有名な歌を残しています。 (熟田津とは松山市の道後温泉付近にあった船着き場く)
熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕(こ)ぎ出でな
ちなみに、663年3月倭国は5万とも10万とも言われる兵と1千艘の軍隊を派遣していたと言われています。しかし、唐-新羅連合軍と戦うが白村江で無残な敗北を喫します。当然の結末だった…。(終わり)
★「石の都」を演出した政治学
http://www5.kcn.ne.jp/~book-h/mm014.html
おそらく、それらは国家的な祭祀とか儀礼の場であり、北方の異民族(蝦夷など)や百済の王族の来日する際に、饗応などのために造られたものと考えられます。あるいは首都らしい大建造物を造りたかったのではと。
宝姫王は、派手好きで饗応好きと言えそうです。たとえば、658年7月、二百人余の蝦夷が貢物を献上しに来ると、厚く饗応し位階も授けて、たぶん贅沢な物品などを与えたのではと考えられます。
そして、斉明天皇は北方の異民族(蝦夷など)を征服すべく、658~660年まで三度も討伐軍を派遣しています。安倍比羅夫を将軍に任命して、180艘の船を率いて征服しています。
北海道まで遠征した天皇は古代では斉明天皇のみです。それ以前には、舒明天皇の代(637年) に蝦夷が反乱したために、上毛野形名を将軍として討たせた、という記録があるだけです。
そして、659年遣唐使を遣わした折に、征伐して従わせた異民族も連れ出して、唐の皇帝に見せつけました。周辺にある他国を征伐した偉大な王国だと知らしめたつもりのようです。この遠征後、北海道への遠征は500年以上行われなかったのですから、いかに征服欲の強い女帝だったか分かろうというものです。
また、当時、朝鮮半島の政変によって倭国も巻き込まれていました。660年、百済の使者から、「百済が新羅・唐連合軍に降伏した」ことを知らされました。また、百済の遺臣から、「日本にいる百済王子・余豊璋〈よほうしょう〉の帰国と援軍の派遣を求め」られました。
斉明はこれを受けて、百済救援のため自ら筑紫(九州福岡)に赴きます。武器と船舶を作らせ、更に瀬戸内海を西に渡り、筑紫(九州)の朝倉宮に移転して、戦争に備えました。
が、661年にあえなく病死しました。70に手が届く老婦人が戦いの陣頭に立つなど他に例を知りません。ここから考えるに、「乱世ゆえに翻弄された女帝」だと言えるのでしょうか。
★二度即位した女帝・斉明天皇と飛鳥の歩み
https://shuchi.php.co.jp/rekishikaido/detail/3587?p=2
ところで、タイプ8は勤労家とか勤勉家とは言えません。賭け事好きな遊び人気質です。派手好きで目立ちたがりで、自慢屋で、自分に従うものには太っ腹にもなります。
斉明は、山海珍味の贅沢な宴会を開いてもてなすことを好み(たぶん)ました。ビッグな建造物でビッグなイベントを催すなどしている。タイプ8らしいところです。となれば、ウイングは7のほうかもしれない。
さて、古代の日本には軍隊はなく、内裏を守るガードマンとか市中警察のようなものだけで、百済救援のために戦う兵士は寄せ集め (橋本治著『だめだし日本語論』より転載) なのだそうです。
斉明は皇子たちだけでなく、妊娠していた皇女(太田皇女)も連れ出し、途中、出産(大津皇子)もしており、戦場に赴くときでも女性たちを連れていたみたいで、まるでお祭騒ぎです。
ともに船出した額田姫王は有名な歌を残しています。 (熟田津とは松山市の道後温泉付近にあった船着き場く)
熟田津(にきたつ)に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕(こ)ぎ出でな
ちなみに、663年3月倭国は5万とも10万とも言われる兵と1千艘の軍隊を派遣していたと言われています。しかし、唐-新羅連合軍と戦うが白村江で無残な敗北を喫します。当然の結末だった…。(終わり)
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