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明日香村で泊まった宿の夕食は、古代食を現代に合わせて再現した料理でした。古代、飛鳥の人々が食べていたであろう料理で、予想外に薄味で美味でした。尤も、現代風にアレンジして再現したものでしかないので、当時の味に近いのかどうかは分かりません。
ただ驚いたのはその献立表に、古代には桔梗キキョウが食されていたと書かれていたことです。宿の調理人に確かめたら、「若芽はカラシ和え、酢の物、バター炒めなどで、韓国料理のトラジキムチは桔梗の根を用いたキムチ」と教えてもらいました。
飛鳥時代は、朝鮮半島から最新の技術や文化を持って、たくさんの人々が渡来していますが、漢方も伝わっていたんですね。調べてみたら、桔梗の根にはサポニンが多く含まれているので、生薬として利用されているそうです。
サポニンの効用としては、「肥満防止・コレストロール値を下げる・血流を良くする・免疫力を高める・肝機能を高める」とありました。なお、我が家の庭には毎年5月末頃から桔梗の花が咲きます。
食いしん坊でもあり、コレストロール値も高いので、トラジキムチを作ろうかなと思うのですが、…でも桔梗は大好きな花なので、どうも食べる気になれません。しかし、この歳になっても「初めて知り得る」ことがあるなど、ラッキーだと思うのです。
ちょっと話は変わりますが、天武天皇に関しての質問があったので、それを取り上げたいと思います。「中大兄皇子(天智天皇)が自分の娘4人を、次々と大海人皇子(天武天皇)に嫁がせたのは何故でしょうか?」という質問です。
私の予想ではたぶん中大兄皇子はタイプ2w1で、一方、大海人皇子はタイプ8w7と判定しています。また、教科書などには、中大兄皇子が兄だと考えられていますが、それは間違いで、大海人皇子が4歳年上の兄だという説があり、私はこちらの説を支持しています。
また、それは、宝姫王(斉明天皇)の初婚の相手との間に産まれた息子が大海人皇子で、再婚(舒明天皇の妃となる)して生まれたのが中大兄皇子という説です。(この辺りの古代史研究はホントに面白くて、できたら是非とも調べてみてくださいね)
ゆえに、天皇の息子に生まれた中大兄皇子は将来は太子になれる身分で、大海人皇子の身分は弟より下になります。ですから、この説から考えてみると、兄が大の女好きであることを把握していたことが、まず取り上げられます。
(ちなみに、元受講生の一人が医師になっていますが、学んだ大学の総長がタイプ8で、大の女好きであることは誰知らぬ者はなく、腹上死したという噂を聞いています)
次に、兄の存在感は格別なものがあり、しかもそれは誰もが感じていたものとみます。以前このブログに載せていたものですが、再度載せます。
「日本書紀」にも載っていますが、天智天皇が病に臥して大海人皇子を招きますが、蘇我安麻呂の警告があって、自ら出家してその日のうちに剃髪し、吉野に下った。が、見送った重臣の一人が語っている。「翼をつけた虎を野に放したようなものだ」と。
(実際、受講生を連れてあるレストランに出掛けたことがあります。タイプ8が経営しているのですが、受講生はその様子から、「まるで虎みたいですね」と発しました)
つまり、弟からすれば、身分下の兄は虎のような男なのです。いい関係を築く必要性があります。それゆえ、自分の娘を身分下の兄のところに嫁がせることで、懐柔できると考えたのではないでしょうか。
当時は兄弟が幾人もの娘を同じ男に嫁がせており、さして驚くことではありません。しかしながら、それは「異母兄弟」の場合です。天武と天智は「同母兄弟」ですから、当時ではあり得ないことで、古代史の謎の一つになっています。
なお、天智天皇は同母妹(間人皇女・孝徳天皇の妃)と近親相姦の関係にあり、それが原因で皇太子でありながら長らく天皇に成れなかったのではという説があります。 (ここで終了)
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