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以前の私はイスラーム教に関心を持っていたのですが、イスラーム圏の女性差別を知ってからは、この宗教を知りたいという気持ちが萎えていました。
ですが、たまたま手にした中川紀子著の「イスラムの性と俗…トルコ農村女性の民族誌…」を読んでから、私が予想していた「女性差別」がどこから来たのか、ちょっとわかりかけたところです。そして、日本と比べて、どのように違うのか知りたくて、少しですが取りまとめてみました。
まずは、トルコの小さな農村で暮らす人たちの性意識に関して、象徴的だと思うことは、「強姦は殺人と同じくらい酷いことだと思われている」ことです。トルコのある老父は、「強姦されるくらいなら殺されたほうがましだ」と語っています。
トルコでは「名誉」のことを「ナムス」と言います。で、「強姦はナムスが失われてしまうから」で、殺されてもナムスは失わないということらしい。従って、強姦は殺人よりも重大な犯罪と考えられています。
以下はウィキペディアに載っているもの(青字)ですが…
法の規定そのものに従えば、加害者に死刑を与えるが、実際にはレイプの証明の際にムスリム男性4人の証言が必要とされる。それを得られない場合、その女性は姦通を犯し、あまつさえ、それを男になすり付けたとして、逆に姦通罪や中傷罪により(既婚者であれば)投石刑で処刑される。
ゆえに、男に強姦された女性が絞首刑や石打ち刑にされたり、この女性の一族の男性から殺されることもあります。その場合、「名誉殺人」と言われています。また、この女性の母親に、「娘を殺させる」ということもあります。母親が娘をしっかりと躾なかったので、娘は男にスキをみせたのだ、という考え方なのです。
公開石打ち刑(視聴注意)
http://tocana.jp/2016/01/post_8487_entry_2.html
「ナムス」を守るためには、殺人という法律を犯す行為をしたとしても許される、と考えられているのです。まるで武士みたいで、「名誉ファースト」です。そこは中世なのか! です。
さて、著者がトルコ農村での取材から得たもので、「人間性弱説」の社会だとあります。「性善説」ならば、大抵の日本人は知っていますが、「性弱説」とは初めて聞くことではないかと…。
人間は本来弱いものだという認識を持ち、弱い存在である人間ゆえに、誘惑に負けやすくなるような状況を作らないようにすること。とくに男性は精神的に弱い存在とされ、そのために、自制心を失わせる飲酒を禁止している。
また、男性は、欲情を刺激されやすい女性の姿を見ることを禁止し、女性と同じ部屋で飲食し生活することも禁止になったらしいのです。でも、これって男性に都合よい考え方ですよね。あまりにも男性中心な見方です。
たとえば、女も弱いと見て、頼れる強い男なのか品定めしたり、やさしさを試したり、いろいろな男と付き合って、この男とならばうまくやっていける…という確信を持って幸福な家庭を築くようにすべきだ、という教えがあっても良いのではないかと…。でも、このようなことを述べたら、イスラーム圏の男たちから何されるかわかりませんよね。
なお、「女性は家庭の外では夫以外の男性の視線から自身を守るために、女性的な部分を包み隠すべきであるとする教義が存在」しているとか。全身を隠すし(ニカーブ)女性もいますが、隠せば隠すほど、男性は女性を知りたくなるのではないかと思うのです。
イランの旅で知り合った男性(日本人)は、「隠すほどに、妄想が膨らむよね」と語っていましたが、同感です。アカデミー賞を受賞した映画『裸足の季節』を撮影したトルコ出身の監督は、「トルコの女性は、すべてが性と同一のものとして捉えられる」と語っています。
男性にとって、「女性は性的な対象者でしかない」としたら、それは女性だけでなく、男性にとっても不幸なことだと思うのです。
つづく…
映画『裸足の季節』で監督が伝えたかったこと
https://www.huffingtonpost.jp/2016/06/17/mustang-movie_n_10519780.html
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