そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰?
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なぜか中学生くらいから活字が読みたくなって、父や姉兄が読んだ本を片っ端から隠れて読むようになりました。そんな時に知ったのが「癩病らいびょう」で、その数年後に「ハンセン病」と言われるようになりました。この病は顔の皮膚が崩れたり、手や足も変形していく病だと当時知り、怖くて震えおののいた記憶があります。
その数年後に映画『ベン・ハー』で癩病患者らしき人が登場したのを見て、世界中で忌み嫌われて隔離されるだけでなく、酷い差別を受けていたのだと知りました。どんどん記憶が薄れていくのに、なぜかハンセン病に関しては忘れることが無くて‥不思議です。
その数年後に映画『ベン・ハー』で癩病患者らしき人が登場したのを見て、世界中で忌み嫌われて隔離されるだけでなく、酷い差別を受けていたのだと知りました。どんどん記憶が薄れていくのに、なぜかハンセン病に関しては忘れることが無くて‥不思議です。
★差別の歴史 どう語り継ぐ―― ハンセン病元患者らの思い
https://news.yahoo.co.jp/feature/954
そういえば、アニメ『もののけ姫』にも登場していましたが、今ではほとんど稀で完治する病気です。この映画はテレビドラマ化されて、しかも5回も放映されています。
ちなみに、ハンセン病患者と関わった神谷美恵子さんという医師が書かれた『生きがいについて』もお勧めします。以下はウィキペディアから抜粋したものです。
「中世にはこの病気は仏罰・神罰の現れと考えられており、発症した者は非人であるという不文律があった。江戸時代には家族が患者を四国八十八やなどの霊場へ巡礼に旅立たせた。このため、これらの場所に患者が多く物乞をして定住することになった。
旅費が無い場合は単に集団から追放され、死ぬまで乞食をしながら付近の霊場巡礼をした。昭和に入ると患者への偏見はエスカレートして、1930年代(昭和5年以降)に無癩件運動が始まった。これは、患者を摘発し強制収容させて県内から癩を無くそうというもので…」
当時、ハンセン病を患ったら、どういう境遇になるのか、たぶんあまりにも違う世界に生きているので理解できにくいと思うのですが…。それでも、こうした苦しい体験をした親子の絆がどれほどに強くなるのか、少しは理解できるのではないでしょうか。
ちなみに、私は何十年も前に両親を亡くしていますが、いまだに会いたいと‥会えるはずなど無いのによく思うのです。
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