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明治維新をどうみるかを考えさせられました。当時、討幕派として活動していた人物のほとんどが「テロリスト」だったという発想が無かったような…。でも、混乱した時代では暴力的になるのはごく自然の流れだと思って、受容していたように思うのです。
★「討幕の密勅」https://www.youtube.com/watch?v=1AEQvwE-nIU
★「討幕の密勅」を非常にわかりやすく解説されている。https://bushoojapan.com/jphistory/baku/2018/08/22/115549
今日、アベ政権において公文書偽造が続いていますが、尊王派?の薩長が、天皇の名を語り、天皇を利用して幕府を倒したことなぞ、教科書には載っていません。一般にも知られていません。テロリストは謀略家でもあり、汚い手を使った人たちだったと知っておくべきでした。
その後、中村彰彦+山内正之の著書である『黒船以前』、『黒船以降』という対談形式の本を読んでから、明治維新前後に関心を持つようになり、なぜか自分のなかに熱く盛り上がるものが…(それほどでもないか…)
ところで、明治維新と言えば暗殺事件ですが、テロリストたちは主に「刀の斬り合い」です。ちょっとズレるかもしれませんが、日本刀の切れ味の恐ろしさに驚いてしまったので、少し取り上げてみました。
「桜田門外の変」の2年後に起きた「坂下門外の変」(1862年)では、老中である安藤信正が江戸城へ登城する際に、武芸抜群の者たちを揃えたようです。大老である井伊直弼のように暗殺されない用心のために、43人も従わせたようです。
★坂下門外の変
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8B%E9%96%80%E5%A4%96%E3%81%AE%E5%A4%89
刺客は6人で午前8時頃に襲われました。なお、一寸は約3センチですから、そこを念頭に置いて読んでくださいと、著者が語っている(青字)。
安藤宅の塀めがけて銃声があり、抜刀して走ったのは、武芸抜群の徒士の林禄次郎、殿木常松、高沢孝之亟。
抜き合わせた相手は、林の太刀に右頬の肉を一寸角削がれ、返す刀で右肩を三寸切り下げられた。これで、動きが止まった刺客の川本杜太郎は、右の3人から滅多切りされて、その場に仆れた。傷は右ひじに五5寸、右手首近くに七寸、頭部に四寸、左後頭部に三寸。
ところが、この隙に、行列右側の内桜田門寄りから出現した二人の刺客がいた。平山兵介と小田彦三郎。小田は最初の銃撃に負傷していた小姓のひとり松本錬次郎の頭を陣笠ぐるみ斬り下げたものの、もうひとりの小姓・那須松之助、友田六蔵、徒士目付・伊藤東右衛門から、連打をあびて絶息した。
殺された松本錬次郎のアゴの下に入った突きの深さは二寸、右のあばらにひらいた傷口は長さ二寸、右腰は五寸、右腕は二寸、左後頭部は長さ五寸、深さ三寸。
日本刀による連続攻撃からは、人をナマスのように斬り刻むという形容は決して大袈裟なものではない。
剣の使い手によって、これほどの深傷になるとは予想外で、初めて知りました。以上は、中村彰彦著『名将と名君の条件』から転載しています。
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