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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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「雲助とは、宿場などに居て、駕籠(かご)をかついだ住所不定の人夫」だと、このブログの愛読者から連絡を受けました。

で私は、駕籠かきが人目のないところで旅人を脅して金銭を奪うのが雲助だ、と思い込んでいました。お知らせ有難うございます。

さて、兄からいろいろ聞かされて、自分のルーツを知りたいと思うようになりました。まずは、久野姓を持つ人はどれほどなのかと探し、以下のサイトを見つけました

★名字由来net


字が「久野」であれば、読み方は、「くの・ひさの・きゅうの」で、全国順位は595位で、全国人数はおよそ33600人とあります。

次に「久野氏の分布(http://www.ann.hiho.ne.jp/oshd/bunpu.htm)というサイトにあるものですが…、

名古屋市に住む「久野」さんは1140人で、東海市は353人で、東京は206人。その次は愛知県大府市が194人。愛知県みよし市が121人、愛知県知多市が103人、静岡県袋井市が97人と続きます。

あまり聞かない名字ではありますが、名古屋では珍しくありません。なお、父親は東海市で生まれていますが、父は成人してから名古屋で仕事を得て、市内に一家を構えました。

父親が成人した頃は、時の政府の命令は「産めよ増やせよ」でしたので、名古屋周辺に住む次男や三男などが、近くの都市に働き口を探して沢山移住したみたいです。

日本全体がそうでした。なお、父は久野家の三男でした。
ゆえに、東京などの大都会に移住する人は、どの地域にもよくあったはずです。

ちょっと外れますが、江戸期は尾張藩の直轄地として加木屋村がありましたが、明治に入り、名古屋藩の地となり、その後に名古屋市となって、横須賀町加木屋となりました。

さらに、昭和44年に近隣の町を合併して「東海市」となり、父が生まれたところの地名は、現在では愛知県東海市加木屋町になりました。

ちなみに、東海市は伊勢湾を一望できる要衝の地で、4世紀頃には相当な勢力を持った豪族が治めていたみたいです。海岸部では製塩が行われて、平城京(奈良)へ送られていたようなのです。

また、漁村も多く、「海老せんべい」を尾張藩主に献上していたみたいです。まさか、エビせんべいがそれほど昔からあったとは知りませんでした。で、エビせんべいは大好きですが、値が張るので買うことはめったにありません。

ルーツを探す旅をしていると、地元の歴史に疎かったことを思い知らされます。でも、ルーツ探しは面白く、それであちこち道草してしまう。つづく

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