そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰?
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久野氏に関する情報は、意外にも沢山見つかりました。ただし、ほとんどネットサーフィンなのですが。
「先祖探しの掲示板」なるものが幾つもあって、管理人が質問に答えていたり。ブログで自分の名字を挙げて、他の人が見つけてくれるのを期待しているサイトとか。家系図作りのノウハウを教えてくれるサイトも結構ありました。
「先祖探しの掲示板」なるものが幾つもあって、管理人が質問に答えていたり。ブログで自分の名字を挙げて、他の人が見つけてくれるのを期待しているサイトとか。家系図作りのノウハウを教えてくれるサイトも結構ありました。
無論のこと、家系図作りを請け負う会社もたくさんあります。その手の著作物もかなり多くて、もうビックリです。自分のルーツを知りたい人たちが一杯いて、そんな満員電車に押し込まれたみたいな気がしました。
なんというか人込みが苦手という気質なので…。でも、とりあえず自分の手でルーツを探すつもりでいたので、歴史書や古書の中に「久野」が出てくるところを探し続けました。
寺や神社の由緒には氏姓がよく載っていて、例えば、加木屋町にある「熊野神社」の由来書には…
永禄三年(1560年)桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の家臣であった久野清兵衛(二代目)宗政が、駿州(今の静岡県)久能山を出てから、縁あって加木屋の住人になったのであるが、久能山を出る時、所持していた弥陀・薬師・観音の三尊の内、観音を氏神の御神体とした。
同じく、加木屋町にある妙法院については…、
「加木屋村の庄屋・久野清兵衛家で書き継がれた「村方調. 宝記」・「万法宝蔵一切大成」・「調宝記」があり…」と、ネットには載っていましたが、その寺のウェブサイトには由緒のようなものは載っていなかった。
加木屋町に近い名古屋の鳴海町にある成海神社(東宮大明神)に関してはネット上に次のように書かれていました。
今川義元が、鳴海、東宮大明神、禰宜 久野二郎左衛門尉保清に、朱印状を与えた。
なお、「禰宜(ねぎ)」は神職の一つで、「左衛門尉(さえもんのじょう)」も官職名で、かの源義経も任ぜられている武官の職名です。やはり久野氏は武家なのか…。
さて、確かに久野氏を名乗る人が存在していたことは認められますが…。ルーツを遡ることが難しい。
これまで見たところでは、遠江国出自の久野さんと、駿河国出自の久野さんがいることが分かりました。が、それ以外の国の出という可能性もあります。
そんな中、有り得ない! と思うような記事を見つけました。久野氏は渡来系の秦氏の末裔だと言っている? さらに、その秦氏(はた)が、「秦の始皇帝」の末裔だなどと…。
なんというか人込みが苦手という気質なので…。でも、とりあえず自分の手でルーツを探すつもりでいたので、歴史書や古書の中に「久野」が出てくるところを探し続けました。
寺や神社の由緒には氏姓がよく載っていて、例えば、加木屋町にある「熊野神社」の由来書には…
永禄三年(1560年)桶狭間の合戦で織田信長に敗れた今川義元の家臣であった久野清兵衛(二代目)宗政が、駿州(今の静岡県)久能山を出てから、縁あって加木屋の住人になったのであるが、久能山を出る時、所持していた弥陀・薬師・観音の三尊の内、観音を氏神の御神体とした。
同じく、加木屋町にある妙法院については…、
「加木屋村の庄屋・久野清兵衛家で書き継がれた「村方調. 宝記」・「万法宝蔵一切大成」・「調宝記」があり…」と、ネットには載っていましたが、その寺のウェブサイトには由緒のようなものは載っていなかった。
加木屋町に近い名古屋の鳴海町にある成海神社(東宮大明神)に関してはネット上に次のように書かれていました。
今川義元が、鳴海、東宮大明神、禰宜 久野二郎左衛門尉保清に、朱印状を与えた。
なお、「禰宜(ねぎ)」は神職の一つで、「左衛門尉(さえもんのじょう)」も官職名で、かの源義経も任ぜられている武官の職名です。やはり久野氏は武家なのか…。
さて、確かに久野氏を名乗る人が存在していたことは認められますが…。ルーツを遡ることが難しい。
これまで見たところでは、遠江国出自の久野さんと、駿河国出自の久野さんがいることが分かりました。が、それ以外の国の出という可能性もあります。
そんな中、有り得ない! と思うような記事を見つけました。久野氏は渡来系の秦氏の末裔だと言っている? さらに、その秦氏(はた)が、「秦の始皇帝」の末裔だなどと…。
久野氏の出自→こちら
秦氏→こちら
ここまで来ると、もう笑ってしまいます。秦の始皇帝の後裔がいるとは聞いたことがありません。もしそうだとしても大ニュースになると思うので、それは無いと思う。
さらに、秦の始皇帝の後裔だと主張している人がいたとしても、それを信じる人など居ないだろうと。
秦氏→こちら
ここまで来ると、もう笑ってしまいます。秦の始皇帝の後裔がいるとは聞いたことがありません。もしそうだとしても大ニュースになると思うので、それは無いと思う。
さらに、秦の始皇帝の後裔だと主張している人がいたとしても、それを信じる人など居ないだろうと。
が、もしかしたら……戦に敗れて韓国に逃げて、そこから日本海を渡ったということになったら俄然おもろいのになあ…と。つづく
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