そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰?
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日本に渡ってきた秦氏(はたし)は、「秦の始皇帝」の末裔だなどと称しているみたいです。それは絶対にあり得ないと思っていましたが、調べるのが大変です。
どなたか調べた方がいるだろうと探したらありました。タイトル「秦氏は秦始皇帝の末裔か」です。→こちら
どなたか調べた方がいるだろうと探したらありました。タイトル「秦氏は秦始皇帝の末裔か」です。→こちら
「タイムマシンで六百年ほどワープしなければ成立しない荒唐無稽な話だ」と証明されています。
なお、東儀家の家系図には、秦の始皇帝→秦河勝→東儀氏と載っています。驚くような立派な家系図ですが、あの雅楽演奏家の東儀秀樹さんのことです。
その他、日本に渡来した「秦氏の末裔とされる氏族」や、「秦氏の末裔だと称している人物」が結構いるみたいです。こちら
さて、闇雲のルーツ探しをしてきましたが、日本の氏姓制度を読んで少し学べたというところです。つまるところ、10世紀頃から、「冒名仮蔭」になったらしいのです。
さて、闇雲のルーツ探しをしてきましたが、日本の氏姓制度を読んで少し学べたというところです。つまるところ、10世紀頃から、「冒名仮蔭」になったらしいのです。
「律令的戸籍制度も次第に行われなくなり、 10世紀には地方豪族で実力を蓄えた者は、有力な貴族の家人となり、その氏姓を侵すようにさえなり、いわゆる冒名仮蔭(ぼうめいかいん)の現象が一般化した。
そのため、天下の氏姓は、源・平・藤・橘か、紀、菅原、大江、中原、坂上、賀茂、小野、惟宗、清原などに集中されるようになった。
これは家業の成立によって、特定の家柄が固定されるようになったためでもある。
これは家業の成立によって、特定の家柄が固定されるようになったためでもある。
たとえば、越前の敦賀氏、熱田大宮司家らが藤原氏から養子を迎えて「藤原朝臣」を名乗ったり、それらの氏の女子をめとり母系によって「藤原朝臣」その他の氏姓を称した例もある。
武士もまた、地頭として、本家、領家の氏姓を侵し、同じ氏姓を名乗る者が増えた。
武士もまた、地頭として、本家、領家の氏姓を侵し、同じ氏姓を名乗る者が増えた。
なるほどね。これまで何十もの家系図を探して見ていましたが、圧倒的に秦氏とか藤原氏などの著名な氏族名が載っており、ここがルーツなのかと思わされてしまいそうです…。つづく
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