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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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「久野氏」のルーツかもしれないのは、「久努国造」です。7世紀の初め頃、ヤマト王権は地方行政組織として、以前からその地方の豪族を国造(コクソウ)に任じました。

「国造」の制度は8世紀には廃止され、その後、この国造家は、「社家」として系譜を伝えています→ここ

(注:社家や祠官家などは神社の祭礼・社務に携わる人。かんぬし。神官のこと)


なお、社家や祠官家とは、代々特定の神社の神職や社僧の職を世襲してきた家のことです。事例として歴史的に著名な社家は…

・出雲大社……千家家と北島家(出雲国造)  

・熊野本宮大社…… 和田家(和田国造)
・阿蘇神社…… 阿蘇氏(阿蘇国造)

つまり、国造に任じられていた豪族が、「社家」になって代々子に継がせるようになった…。

有力な氏族であれば、広い土地を持ち、村を支配しているだろうと予想されるので、庄屋にもなっているとも考えられます。
なお、このブログ・その9に以下のように載せているのですが…

周智郡や佐野郡等には、久野を名乗る祠官家・庄屋が多くあります(『静岡県姓氏家系大辞典』)→ここ

実際、昔、加木屋村の庄屋だった「久野清兵衛義郡」という人物が書き続けた記録が残っているとか。

寛政4年(1792年)正月から、文化10年(1813年)までの22年間、職務上の諸問題を書きつづけた記録で『村方調宝記』という(写真あり)→ここ

従って、現在の袋井市に、「久野を名乗る祠官家・庄屋が多く」とあれば、そこが久野氏のルーツにあたる可能性が高くなると思う。つづく

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