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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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河井継之助は、少年時代から強情者として知られていました。たとえば、馬術を学ぶ時、師から学ぶつもりはなく、馬に跨るやたちまち鞭をふるって馬を疾駆させた。

「降りさっしゃい。降りさっしゃい」と師が叱責しても、「乗馬の術は駆くることと、とどまることをさえわきまえれば、それで充分」とうそぶいて平然としていた。

馬の気質を知る気が全くないのでは、思うように疾駆できないとか、落馬したり、馬を傷つけることもあるかと…


さて、新政府軍(官軍)は相手藩を従わせるか、従わないなら徹底的にやっつけるという考え方だ。相手が従うことを選んだら、他の従わない藩と戦わせたのだった。

河井の立てた方針は「武装中立」で、それが不可能であれば、官軍と戦うという方針です。そして、河井は談判すれば説得できると見ていた。

官軍方が「中立」など受け入れるはずが無い、とは知らなかった。スパイを潜入させていなかった? よく調べれば官軍は腐敗していたことも把握できたのではと。

なお、河井は「武装中立」するという対策ゆえ、海外の新進の武器弾薬を充分に備え、軍制の洋式化にも成功していた。が、たぶん、相手を全く知らないまま自藩の方針を決めていた。

で、戦いの当初は予定通りにうまく行ったみたいで、相手(官軍)は攻防戦で3ヵ月以上も費やし、1100人以上もの戦死者を出す苦戦を強いられた。

が、やがて相手方は武器弾薬や兵士を補充して、長岡城(新潟県中越地方)を落とした。

このような人物では、真の意味で賢いとは言えないのではないか。(河井ファンの方ごめんなさい…) 
この甘さ、ジコチューとも言えそうで、タイプ2w1にしてよくあるもの。

それに、かの大戦で日本軍がアメリカに宣戦布告したのと変わらない。

城下は火の海となり、そこに住む沢山の人々を巻き込んでしまった…いつも苦しめられるのは民なのだ。

なお、この河井継之助を取り上げた映画『最後のサムライ』が、来年に公開されるようです。つづく。


 

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