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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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若くして長岡藩の上席家老になった河井継之助は、鬼才と言われていました。

例としては、千百石取りまでの藩士には四百石取りに落とし、百石取り以下の藩士には禄高を引き上げるという大改革を成功させました。

凄いことをやりきっていたんですね。現代であれば、会社の中で年収2000万円までの社員を800万円に落とし、年収200万円の社員を500万円に上げるようなものです。画期的です。

平成になってからの社長の年収は何億円以上にもなり、派遣社員は一時間1000円くらいか。所得の格差拡大は止まらず、むしろ駆け登っているかのよう


さて「生きるか、死ぬか」というような重大な談判で、談判相手を殆ど知らないでいるなど、話しにならない愚か者だと思いませんか。

鬼才と言われた河井継之助は、肝心要の談判において、単なる正論を主張していた。ちょっと信じられないところです。

一方、岩村精一郎が率いる官軍は戦いに勝つことだけが目的で、そのためにはどんなこともやるという荒っぽい軍隊です。

岩村には「北陸道鎮撫使」という名がついていますが、「鎮撫」とは反乱や暴動などを鎮めて民を安心させるという意味です。

ですが、薩長同盟軍(官軍)は反乱を積極的に起こすことで、幕府を倒して権力を奪うという方針だった。

ところで、歴史的談判として知られる「江戸城無血開城」ですが。官軍側が会談の翌日に予定していたのは、江戸城総攻撃でした。

江戸城下の人々を安心させるなど全く考えていなかったのだ。薩長同盟軍が、どれほど好戦的だったのかわかるところです。

江戸城無血開城についてここ

そして、代表である西郷隆盛と勝海舟は旧知の間柄です。しかも人柄も互いに知っていた。

さらに談判に成功させるために、勝海舟だけでなく、多くの人たちが八方手を尽くしていたのです。

準備万端で会談に及んだのであれば、相手を説得できる可能性は高くなるはずです。つづく。

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