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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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「古樹紀之房間」という「古代氏族研究会公認HP」には掲示版あり→ここ    (クリックすれば飛べます)
 
そこには、質問者に答えている「樹童」さんが、「駿河国には久能・久野は居なかった」と返事されています


「久野一族が駿州の久能城に居た事実」とか、「戦国大名家臣団事典」には、久野宗能以外の駿河の久能氏は見えないとか。

また、加木屋久野氏が確実に駿河出身だといえる証拠がありますか、と問いかけています。

が、それは問いかけているのではなく、「証拠は無い」と確信を持って答えているような…。

さらに、「久能寺の久能氏は明治に僧が還俗して名乗ったもので、それ以前に遡る有力武士の久能・久野氏は駿河に居なかったということです」

(ちなみに、このサイトの主催者は宝賀寿男さんといい、古代史や系譜の研究者で、日本家系図学会及び家系研究協議会の会長をされているみたいです)

回答者が、宝賀寿男=樹童、なのかはわかりませんが難解でわかりにくく、しかも量的にも多くて、ついクッと寝てしまったくらいで困りました。

なお、或るウェブサイトに桶狭間の戦いに参戦した武士たちを細かく書き出しているところを見つけました。

桶狭間の戦いは関心が高いのか、多くのサイトがありました。たぶん、織田軍の5倍もある今川軍に対して奇襲をかけて勝利したからでしょう。

桶狭間の戦→ここ

も凄い

ところで、今川義元軍の本隊で、義元公をお守りする側近衆の中に、久野元宗と久野氏忠という武将がいたらしい。ただし二人は戦死しています。

久野元宗は、久野城主になった久野宗能の兄のようですから遠州人です。また、久野氏忠は「遠江久野氏・駿河江尻城主・久野宗衡の子」とあり、つまりは遠州人だったのです。

久野氏を名乗る駿河出身の武士はいないかとアチコチ探しましたが見つからず、久野氏のルーツはわからないままです。

一方、地名としての「久野」は結構見つかりました。久野谷(逗子市域)とか、久野新田(茨城県牛久)です。

小田原市には久野村や久野川があり、久野小学校もあり、縄文や弥生時代の「久野古墳群」」なるものがあってちょっとニヤリ!  


いつか観に行こうと思っている。つづく 

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