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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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ご存知でしょうか。今の日本の皇室の伝統は、ほとんど明治以降から始まったもので、それ以前は違っています。

たとえば、天皇の即位儀式は、7世紀の天武天皇の頃からと考えられています。

遣唐使が唐の皇帝の即位儀礼を見て、その豪華さを知り、衣装や儀式の設備や装飾品などが唐風になったみたいです。

ところが、明治元年の即位式からは唐風は無くなり、日本風になりました


倉具視が即位式を日本風にと提案したみたいです。

また、「万歳」も天武天皇のころから現在まで続く儀式の一つと言われています。


万歳は一万年を意味しており、皇帝の寿命を示す言葉であり、元は皇帝以外では使わなかったようです。臣下が長寿を願うときは「千歳(せんざい)」を使っていました。

なお、「バンザイ」と発音するようになったのは、大日本帝国憲法発布の日(明治22年・1889)です。明治天皇の馬車に向かって万歳三唱したのが最初だったみたいです。

明治になってからは西洋化が急激に広がりましたが、それにしても、明治天皇から今上天皇までの五代の天皇が、和服(着物)を着ているところは見たことがありません。

で、ある日、疑問に思ってネットで調べてみました。

武士階級が着用したものが「日本の着物・和装」で、武士が政権を握っていた時代であっても、天皇や公家は公家風の服装を通しました。

公家階級の下は武家階級らしく、下々の衣装は着ないようなのです。それが本当のことなのかは全くわかりませんが、あり得ないとも思えません。


なお、これも最近になって知ったことなのですが。京都太秦にある広隆寺内に「上宮王院太子堂(1730年建立)」があります。

本尊は「秘仏、聖徳太子三十三才像」で、平安時代から歴代天皇が即位されると、即位儀礼に用いた服を、この像に下賜し続けてきたというのです。

無論のこと、太子像に着せているのです。聖徳太子は推古朝の摂政で皇太子でした。

広隆寺は秦氏の氏寺で、秦河勝は太子の側近です。「聖徳太子の無念を祀る者」として秦氏が選ばれたようなのです。


では、聖徳太子の無念とは何だったのか……、摂政には成ったが33歳の時に即位する予定だったが殺された…のか。それは分かっていない。

歴代天皇の即位服を着せるのであれば、何か恐ろしいことが起きたと考えざるを得ません。


最近は、明治時代と古代史の本ばかり読んでいますが、昔も今も権力を持つ者たちのすることは同じなのではと思うようになりました。

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