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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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さて、修験道と言えば、龍頭家の先祖も修験道に関わっていたようです。伊勢神宮のすぐ近くの「世儀寺」です。

世儀寺の写真→ここ

天平13年(741年)創建と伝わる愛染明王を御本尊とする真言宗醍醐派の寺院ですが、かつては大峰山修験道の先達寺院であったとか


舅が残した資料には「伊勢世儀寺法にて、白泉寺と号し楽養院と称す。元禄年間からの記録を焼失して、系譜は不明となった」とあります。

残された名称としては、以下で、「法印」とあり山伏や祈祷師の異称です。


1楽養院多聞法印。
2中祖同常安法印(1716年・正徳5年12月没)
3 同 元慶法印(1745年・延享2年6月没)
4 同 常慶法印(1779年・安永7年12月没)
5 同 常音法印(1810年・文化7年9月没)
6 同 常徳法印(1848年・弘化4年2月没
7 同 多聞  (1892年・明治25年11月没)

18世紀後半頃と言えば、加木屋の久野さん達も大峰山に登拝していました。

となれば、修験道の先達?であった法印でもある龍頭さんと大峰山で遭遇していたかも…。


ついでなのですが、いとこではなく「はとこ」が調べてくれたものですが…。

私の母方の「高祖母・やえ」は、京都の妙心寺大龍院・能河紹依和尚の妻。(和尚は明治17/12/2に瑞雲寺の住職になり、明治36年大龍院の住職となり42/2/9日に没)

「祖母・らい」は瑞雲寺の和尚の妻。母方の「大叔母・しず」は、妙心寺大龍院の和尚の妻。

母方の「大叔父・丹羽多三郎は「元祐和尚で、能河紹依和尚の弟子」と書かれている。妙心寺大龍院花園71で没とある。

同じく母方の「大叔母・はつ」の子どもの欄に、隣松寺の徳山宗健と婚姻とある。(隣松寺は臨済宗妙心寺派で、岐阜県不破郡垂井町)

妙心寺大龍院の写真→ここ


なお、大龍院は小学6年の夏、母とともに一週間くらい?泊まった。母は熱中症にかかってしまい死ぬかも、と怖い体験をしました

また、その家の高校生の息子さんが、自転車の後ろに乗せてくれて、龍安寺まで出かけていたこと、懐かしく思い出します。

で、やっぱり神職者が多い家系だったんですね。夫のほうも祖先は修験者でもあったのですから…。

全く
興味がなかったことなのに、なぜかご先祖様のことを調べたら、気持ちにハリが出てきたようです。あなたもトライしてみませんか?

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竜頭 万里子 (りゅうとう まりこ)
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