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御嶽山が、昨日の昼に噴火しました。これ以上、被害が大きくならなければいいのですが…。
ところで、噴火予知ができなかった!!
登山者の多い山なのに…。この事実を深刻に受け止めねばならないと思う。これでは各地活火山の近くにある原発の再稼働など絶対に認められません。
★御嶽山が噴火
http://www.huffingtonpost.jp/2014/09/27/ontakesan-volcanic-eruptio_n_5892000.html?utm_hp_ref=japan
ところで、長野や岐阜に住む人たちだけでなく、名古屋や愛知県北部に住む人たちにとって、御嶽山(おんたけさん)はかなり馴染深い山です。こちらでは普通、「おんたけ」と呼んでいます。
標高3067mで、ちょっとした展望台に登れば見える山で、以前は名古屋中心部にあるテレビ塔からも見えていました。
現在の私にとっては、冬の晴れた日であれば、散歩するといつも頂きが見られる山なのです。また、近くの猿投山の山頂からは、天気が悪くなければいつもおんたけが見えます。それはそれは美しく堂々とした山です。なにしろ、「御」がついている山ですから…。
また、御嶽山は「水の山」とか「滝の山」と言われるほどに水流が豊かで滝の多い山と知られています。そのお蔭で、名古屋地区はおいしい飲料水を飲むことができます。
なお、中学生の頃、学校でおんたけは休火山か死火山だと聞いていたような記憶があります。それが1979年に突如噴火したために、活火山だった!とみな驚いたものです。その後、2008年にも噴火しましたが、マグマが溜まっていたのでしょう。
5年前に御嶽山に登りましたが、20代は山ガールだったのですが、なぜかおんたけに登る気になったことは一度もなく…たぶん近くの山より、北アルプスや南アルプスのほうばかり目が行っていたからではと思います。
で、行ってみたらビックリ。「霊山」だと知らないままに行ったのですが、まさしく「霊山」でした。
なぜなら、とにかく異様な山で、他には見られない光景です。白装束の修験者やどこぞの信仰者たちが一杯に参拝のために登山しています。
それに、石碑も異様に多くて、それが苔むしていて…あちこちに建っていて、夕方暗くなったら怖くて、ここらにはに居られないって感じです。
遥拝所というのかな、その他、祠や神社や避難所など、とにかく多くて神様が一杯いるところらしいのです。
滝修行者の泊まる小屋(左下)が滝の傍にあって、ここは現役の霊山のようです。
昨日の噴煙の高さはすごかったみたいです。きっと神様がお怒りになっているのだと思う。
原発やめよとか再稼働したら危ないぞとか、戦争へと煽るな等々……警告を発している……と思いたい。
すぐにこんなところに話を持っていこうとする私…。原発を止めたい一心ゆえで、お察しください。
★御嶽山噴火の情報(写真多い)http://togetter.com/li/724346
★御嶽山噴火証言まとめhttp://togetter.com/li/724699
★早川由紀夫火山ブログhttp://kipuka.blog70.fc2.com/blog-entry-668.html
岩手県の盛岡市の「渋民村」にある石川啄木記念館に行ってきました。
啄木の通った尋常小学校の校舎や、代用教員となった頃に下宿していた一戸建ての茅葺の家も近くにあり、覗いてきました。
なお、函館にも啄木の記念館があり、なんと国際啄木学会もあり、啄木の作品をまとめているサイトその他などがあり、これほどの人気があるのかと驚きました。
★石川啄木記念館http://www.mfca.jp/takuboku/
★石川啄木函館記念館
http://www.romankan.com/takuboku/
★石川啄木を歩く(写真多数
http://blowinthewind.net/bungaku/takuboku/takuboku.htm
★国際啄木学会
http://web.archive.org/web/20080307100131/http://www.takuboku.jp/
★啄木勉強ノート
http://web.archive.org/web/20080221000230/http://www.echna.ne.jp/~archae/index.html
啄木(1886-1912)が亡くなってから今年で102年経っています。わかりやすい歌が多くて、親しみやすくて覚えやすい。それで人気が衰えていないのかもしれません。
多くの人がそうであったように、私も10代の頃に啄木の歌に親しみました。「かなし」「泣く」とか「死」という言葉が多くて、そういうことを取り上げてうまくまとめられたら、歌人や詩人になれるのかと思っていました。
なお、一般的によく知られている詩は、こんなところでしょうか。
・ふるさとのなまりなつかし停車場の 人ごみの中にそを聴きに行く
・やはらかに柳あをめる北上の 岸辺目に見ゆ泣けとごとくに
・はたらけどはたらけど なほわがくらし楽にならざ ぢっと手を見る
・人といいう人の心に一人づつ 囚人がいてうめくかなしさ
・たはむれに母を背負ひてそのあまり 軽きに泣きて三歩あゆまず
・石をもて追はるるごとくふるさとを 出でしかなしみ消ゆる時なし
・東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたわむる
・大という字を百あまり砂に書き 死ぬことをやめ帰りきたりぬ
岩手の記念館の展示内容は少なくて、私が求める気質(タイプ)のわかる資料は、残念ながら見当たりませんでした。
啄木は小柄で色白で広いおでこです。えくぼもあって童顔です。さらにあの詩ですから、イメージとしては小心で誠実、かつ純情そうにみえます。世渡りが下手なために、あちこち転々として貧しい暮らしが続き…で、苦労続き、それで早死にしたのではないかという感じです。
エニアグラムを知ったばかりの頃に、啄木のタイプを研究仲間と語り合い、タイプ4に違いないとみなの意見が一致しました。誰もが同じような印象を持っているんですね。
その後も詳しく調べることなく、ずっとこのタイプだと思いこんでいました。で、記念館に寄ってみたのですが、わからないままなので、ネットで著書を探しました。
『人間啄木』(岩手日報社)です。啄木とは小学校と高校の同級で、とくに親しかった3名の男性が、啄木との思い出を書きまとめているものです。
素顔がクリアに出ているだろうと本を取り寄せました。これからオイオイと気質(タイプ)を探ろうと思います。(つづく)
ハチロウさんの父親は佐藤紅緑で、少年小説の第一人者と言われ、戦前戦後の頃、少年たちに熱烈に支持された小説家です。
私も子どもの頃、兄の本箱にあった小説を読んでいますが、今になって考えてみると、父親の紅緑さんはタイプ2w1のように思われます。ただし、確定したのではありません。
ハチロウさんは祖父母からみて8人目の孫であったために、八郎と名付けられましたが、実は9番目だったと後からわかったそうです。どうやら父親も一筋縄ではいかない破天荒な人だったみたいです。
そして、妹の佐藤愛子さんも小説家としてよく知られています。この愛子さんが書いた文章の中に、ハチロウさんのことが書かれています。
「松かさ拾いのおばあさんは、昼になると土堤に腰をおろして、わたしの家の庭をながめながら弁当を食べ始める。それを見ると、兄は突然、すっ裸になって縁側に立ちはだかり、土堤のおばあさんに向かって、太っ腹をつきだして調子をつけて叩いてみせる。“いよーっ!ポンポンポン!!” おばあさんはキモをつぶして弁当をほうり出して逃げていく。それを見て兄は、“どうだい!どうだい!面白いだろ!”と大よろこびをするのである。兄は幾つになっても子どものようなおとな、大人のような子どもだった」
ハチロウさん、ヘソでタバコを吸っている(つもりの)写真などもあり、天真爛漫で周囲にいる人たちを楽しませています。タイプ7は人を驚かせて楽しむ傾向があります。子どもっぽいところです。
また、奇行あり、少年時代から放浪生活を送っています。このようなエピソードがあれば、タイプ7w8と絞れます。ただし、おとなしいと思われている7w8もいます。このタイプも多彩です。
ところで、「花子とアン」というNHKの連続ドラマに出てくる花子の父親のタイプ知りたいと、受講生から質問がたぶん半年前くらいにありました。
実在する翻訳家の村岡花子の一生を描いたドラマだそうです。
この父親は娘の花子だけ特別待遇にしていたようで、よく放浪をして家に居ない父親だったようです。
タイプ7の可能性があるのではと、そのとき答えましたが、このタイプと確定したのではありません。
ただ、息子への教育投資をすることに熱心になりがちなのはタイプ2の親の特長的なところ(その他は6と1)で、これが娘のほうであれば837の父親の可能性はあります。
そして、3つのタイプの中で放浪するのはタイプ7とタイプ8で、タイプ3にはあまり考えられないものです。年少型タイプゆえと考えられるところです。
記念館で一番驚いたことは、ハチロウさんは「江戸前のハゼ釣りは佐藤家の恒例で、一族郎党を引き連れて釣りに行った」とあるところです。
タイプ7には「釣り遺伝子」があるとしばしば取り上げています。自分が発見したのだから驚くことでもないのにと思うのですが…。
タイプ7はシャイでもあり、さみしがり屋で孤独な人間に見られたがらず、一族郎党を引き連れるか、あるいは、いつも妻と同行するという傾向があります。ここら辺りの情報は現地でなくては得られないものと言えます。
メル・ギブソンが13世紀のスコットランドの実在の英雄ウィリアム・ウォレス(1305没)を描いて、アカデミー5部門を受賞している作品です。
家族を皆殺しにされ、故郷を離れ成長したウォレスは、イングランドへの怨念と復讐に燃える…というストーリーです。1995年の米映画。
なお、ウォレスは反逆罪と見做されて処刑されますが、残虐な刑です。ウィキに載っています。
「首つり・内臓抉り・四つ裂きの刑で、遺体の首はロンドン橋に串刺しとなり、4つに引き裂かれた胴体はイングランドとスコットランドの4つの城で晒し物とされた」
最近になって読んだ本で知ったのですが、処刑のやり方は、首つりの苦しさを味あわせて、いったんは降ろして、生きているうちに心臓辺りから腸までナイフでえぐり、地の塊のような内蔵が飛び散るところを衆目に晒すというものです。中世ではどこの国でも残酷な処刑が普通にあったようです。
しかし、ウォレスはスコットランド人です。イングランドの「エドワード1世への反逆罪を問われて裁判にかけられて有罪になりました。
ウォレスは、「自分はイングランド王に忠誠を誓ったことはなく、彼の臣民ではないので大逆罪など犯していない」と主張。
映画をしばしば見ていますが、できるだけいろいろな国の映画を観ようと心掛けています。映画を観た後は、その国の歴史なども知りたくなってきますが、たいていどこの国も虐殺史を、おぞましい歴史を抱えているのだと知ったのも、映画を通じて得たものと言えます。
ところで、自国の領土と民や資源が減る恐れがあれば、全力を挙げて阻止しようとするものではないかと思いませんか? 何もせず座して見ているだけなどあり得ません。
不正なこともするに違いない、悪質なこともやるだろうと予想できませんか? 身近にもよくあります。
親の遺産をめぐって骨肉の争いになっていたり、離婚に際して財産争いや子どもの親権を巡っての激しい争いなどはよく見かけます。裁判沙汰に発展するだけでなく、一生涯、相手を憎み許さないんですから。
エリザベス女王も関与してはならない政治に口出しをしました。独立を阻止するために総動員しています。そんなことは誰しも予想できることなのに…。
マスメディアはそれにはまったく言及しません。探そうともしない。これがジャーナリストと言えるのでしょうか。
メディアのていたらくは日本だけでなくスコットランドでも同じなはずでは? そうして、選挙という民主主義的な方法、正しいやり方で決定したことになっている。が、ほんとうにそうなのか?
この夏に岩手県を旅して、サトウハチロウ記念館を訪れています。ハチロウさんが亡くなられて41年になりましたから、知らない方が多くなったと思います。
それでも彼が作詞した曲を知らない日本人はいないのではと思います。「ちいさい秋」が最もよく知られています。「うれしいひなまつり・悲しくてやりきれない・リンゴの唄・もずが枯れ木で・二人は若い」など、愛らしい曲が多いんです。
★サトウハチロウ(佐藤八郎)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%88%E3%82%A6%E3%83%8F%E3%83%81%E3%83%AD%E3%83%BC
ハチロウさんの詩については、「2万にもおよぶ詩のうち3千が母に関する詩」と上記にも載っています。記念館でも、母、母、母の連続で、母のオンパレードです。どこにいても、どれを見ても母に連なっているようにみえます。
・タンスを開き、母の匂いにむせる。愉しく哀し
・こまかい雨 そのつぶやきに 母の声がある
・母という字のやさしさ、むずかしさ、懐かしさ
・野菊を壺にさし 母と小春日の中にいる
・おやつのときのビスケット まんまんなかにH・S
ボクの名まえがありました。
ママがつくったビスケット ボキンとわってH・S
ボクの名まえを食べました
・ひとりでいるときでも、ときどき かあさんと呼んでみたくなります。
・母を想う日の、わが心すなおなり そういうことになるのです
(永眠9日前ベッドで)
で、彼の詩やその他の文を読むと、私自身、マザコンだと思うくらいのかあさん子でしたので、すぐに目がウルルンになって困ります。母が亡くなって40年も経ったのに、毎日一度は母のことを思い出している…。
しかし、エニアグラム理論を知ってから(自分が発見した理論なのに)…私はマザコンではなく、ハチロウさんのほうが正真正銘のマザコンだとわかりました。
なお、以前にも取り上げているように、ハチロウさんをタイプ7w8と判定していますが、今回、改めて間違いではなかったと再確認しました。
「女性を強く意識するタイプ(837)」が、いわゆるマザコンタイプですが、その中の7w8と判定した根拠も少し取り上げてみます。
ウィキには、「中学を落第、退校、勘当、留置場入りを重ねる」とありますが、正確には、「転校8回、落第3回、勘当されること17回」です。
破天荒です。何をやってしまったでしょうか。激しい気質であれば、7w8と8w7しか考えられません。
ビールは一日8~10本、来客があると倍増。ウイスキーは3日で1本という凄いペースです。趣味は多彩で、マンドリンや三味線などを弾き、芸者遊びもよくしていたみたいです。
http://www.plib.pref.aomori.lg.jp/top/images/sato-hachiro.pdf
18歳で結婚しています。周囲の人たちが落ち着かせようと結婚を進めたのかもしれませんが、女性に手が早いのがタイプ7です。
28歳の頃に、愛人(映画女優)を作り、ともに暮らすようになり、
31歳に妻と離婚しています。
34歳に芸妓と再婚しており、44歳にこの妻が病死しています。
その4か月後に、再婚しています。
タイプ7は超寂しがり屋なので、長く独り身でいることはできないのではと思われます。
ところで、妻と愛人の二人に同じピアノを公平に贈ったというエピソードもあります。女好きはよく知られていたみたいです。(つづく)
以下は、関連したエニアグラムの基本理論
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-1~/15-42.htm
http://www.mirai.ne.jp/~
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory7.htm
ある意味、神秘学って凄いと思う。でも、観想を続けているうちにたぶん直感しただけなのではと思うのです。そして、科学者の多くも、ある日、直観みたいなものが働いて、秘密の扉を見つけ出したのではないかと…。
私自身も真剣にあれこれ格闘している時というのではなく、のんびりと休憩している時、突然に脳裏に浮かびあがったのが、基本理論のその1でした。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory.htm
あれも直観だったと思うのです。でも、たぶん、たくさんの探すという作業をしているのでなければ、直観など働かなかったと考えられます。で、しばらくして、他の基本理論も連鎖的に次々に、連鎖的に見つかりました。
ところで、グルジエフに信奉していたというか傾倒したP.D.ウスペンスキーも、はじめてグルジエフに会ったとき、「この人は何者ぞ!」と何か直観が働いて、彼の門下に入ったのではないかと。
このウスペンスキーが著した『人間に可能な進化の心理学』の中にあるもので興味深いものを少しご紹介します。
「人間は、自己についていかに無知であるかということさえ気づいていない」、「人間は機械だが、一種独特の機械である」、「人間には一体性はなく、制御中枢もなければ一定不変の「私」や自我はないのである。人間を図に表せば下記の図のようになる」
この図を見たら、誰しもハッとするのではないでしょうか。「私」って、もしかしたら…と気づかれるのでは。
ヒトにある60兆もある細胞の一つひとつ全てに、遺伝子が入っていることは、今では周知のことです。遺伝子は、DNA二重らせん構造からなるもので、これが複製されることで次世代へと受け継がれていきます。
DNAをコピーすればクローンができあがります。それゆえ、体細胞の一片を取ってきても、そこから人間をひとり誕生させられることも、一般に知られるようになりました。
しかし、これらのことは、60年以上前に亡くなったウスペンスキーさんが知り得ることではありません。
ウスペンスキーさんは細胞の一つひとつに「私」が入っていると説いているのではありません。この辺りの説明は、何度読んでも何を言いたいのかも理解できない文章です。長文なのでここでは取り上げられません。
知りたかったら彼の著書『人間に可能な進化の心理学』(めるくまーる刊行)をお読みください。
なお、グルジエフの著作として、なにを言っているのか理解不能な奇書があります。『ベルゼバブの孫への話』(平河出版社)です。これほど奇怪な文章を他でみたことは一度もありません。
定価7500円です。奇怪な文章って、どういうものかどうしても知りたくて…。
難解で訳の分からない文章だと権威的に感じるのか、常人にはない偉大な人物だから…賢者ゆえだろうと受け取る人たちが少なくありません。私からは過大評価しているとしか考えられません。
で、訳の分からない文章であれば、私の場合は無視します。それでも、直観で得たものの中になにか「真理に迫るものはある」と見ています。ただ、それだけのことなのですが。
最近の現代精神医学界では、宗教と誇大妄想との関わりについて論じられるようになっています。
私からは、宗教家や教祖だけでなく、神秘学とか精神世界に関心を持つ人達の中にも誇大妄想的な傾向があるのではと考えられる人をよく見かけます。
通常は、想像力が豊かになることは高く評価されるところですが、実は誇大妄想的になりやすいというデメリットもあると考えられ、注意したいところです。
人間が夢遊状態にいるからこそ起きるものではないかと思うのです。
ウィキペディアで、「世直し一揆」と入れて検索していたら、なんとしたことか、下記の「福島一揆」という文字が飛び込んできました。タイミングが合い過ぎて、なんだか笑けてきてしまいます。
福島第一原発事故による被ばく者たちの受ける苦難は、当初から予想していました。いえ予知能力のあるのではありません。水俣病について関心を持っていた人ならば予想できるようなことですから。
熊本県水俣市で起きたことと同じように事が進んでいくのではと、しばらくは不安な面持ちでしたが、その年の末に早くも予想通りになってしまいました。
政府・政権は国民を守る側にはならない。いつの時代も大企業を擁護する。封建制の江戸期のほうがまだましだったのではないかと思う。
そして、世直し一揆をしようなどという気配もない。かの時代より一応は豊かな暮らしをしているからなのか、わが身に害が及ばないと動かないのか…。
ところで、農民一揆の発祥の地は、福島県内で起きています。1749年、江戸中期です。
JR東北本線の福島駅の近くにある神社には、碑が立っているそうです。「農民一揆発祥の地と義民中村治右衛門」という名の碑です。
年貢の増税を課せられたために、困窮を極めた百姓100人余が立ちあがった…などと書いてあります。
悪代官がいたのだそうですが、悪なるのが代官ゆえまだましではないか。今では世界の悪警官になっている国が先導して、家来もみなその悪を悪とも知らず、いえ知っているかもしれないが盲目的な追従をしている。
というか、それを利用して栄えている悪人が東京にはウジョウジョいるらしい(注)…。
フクシマのことは、後世ではどうように見られているのだろうかと、ふと思うのですが、後世って、どこまで続くのかなあ…、悪が栄えるのでは、破滅は早くなりそう。
★「福島一揆」
東日本大震災から3年半・吉野源太郎http://blogos.com/article/94375/
注★海兵隊の沖縄駐留「日本が要望」 元駐日米大使の口述記
http://www.okinawatimes.co.jp/article.php?id=83067
★福島の日枝神社無いに立つ碑 (写真)
http://homepage1.nifty.com/05170517/zenkoku/fukushima_1/1396_miyashiroyakata_1.htm
碑文
「江戸時代の半ば寛延二年(1749年)天候不順により、大凶作になったのにもかかわらず、信達を支配する幕領桑折の悪代官・神山三郎左衛門は、過重な年貢の増税を言いわたした。
農民は困窮を極めたので,有名な天狗回状を回覧し,信達六十八か村百余人の百姓代が宮代山王社に参集した。
伊達長岡の斉藤彦内が先導し,山王権現のお告げであることを宣言し、一揆を起こして減免を強訴することを協議一決した。日本で最大規模の百姓一揆と言われている。
伊達長岡の斉藤彦内,鎌田の猪狩源七,伊達崎の蓬田半左衛門,宮代の中村治右衛門らを先頭に、総勢一万七千人の農民が総決起し,桑折代官所へ押し寄せ、強訴し、年貢増税を中止させた。
その後、代官所側の吟味は厳しく彦内,源七,半左衛門は死罪として処刑,治右衛門は追放となった。
犠牲となって多くの農民を救ったので、死罪となった三人は、義民として広く世に顕彰されたが、我が地の中村治右衛門も主導者の一人であったので、其の功績を讃えて顕彰し、後世に伝えるものである」 顕彰碑発起人会
広島市の土砂災害が起きた地域の地質は「真砂土(まさど)」だと報道された時、これは調べておこうなどと思っていたのに、次々と起きるいろいろな出来事に翻弄されて、つい忘れていました。
ですが、友人から、「三河地方はほとんど真砂土だよ」と知らされました。
そこで、地質調査総合センターのホームページを見たら、中国地方が多いみたいですが、私の住む豊田市もほとんど該当してしまいました。
これじゃあ! ここが広島並の豪雨に遭えば、史上最大の同時多発土砂災害になってしまいます。広島の土砂災害を他人事だとみていたら、なんと! 足元に危険が迫っていたのでした!
日本の国土は山地が8割。しかも地質が崩れやすい! ああなんということか!
地球温暖化が進んでいるのですから、同時多発テロが起きるより、こちらのほうがより起きそうで、より怖そう!
あなたも一度、自宅周辺の地質を確認してみませんか。ピンクに色づけされた地域です。
あなたを脅かして恐怖に陥れるつもりは毛頭ありません。でも、自分の立っている地区がどんなところなのかは把握しておくべきではないでしょうか。
★地質調査総合センターのトップページhttps://www.gsj.jp/
・地質ナビhttps://gbank.gsj.jp/geonavi/
・地質を見るための操作の仕方がわかるサイト
https://gbank.gsj.jp/geonavi/
・日本シームレス地質
(こちらが見やすい。見られない場合はコピペを)
https://gbank.gsj.jp/seamless/maps.html?appendix=lfn&type=basic&opacity=0.6&marker=34.68742
7949314845,132.8466796875&latlng=34.48879427886,132.51014709472656&zoom=12
なお、真砂土は花崗岩(かこうがん)が風化してできたもので、水を含むと粘着力が弱く崩れやすいそうです。
たとえるならば、「砂場遊びの山に水をかけたら崩れるような感じ」とありました。広島では、地面から厚さ2メートル程度までの表層土が崩れる「表層崩壊」が起きていました。
この表層崩壊した真砂土が堆積物を巻き込みながら、谷沿いを一気に下って「山津波」となり、ふもとを直撃した、と書かれていたサイトをみてしまいました。
「山津波」なんて言葉、初めて聞きます。なんか恐ろしい響きがしますね。
ところで、敦賀は原発銀座ですが、敦賀半島はピンク一色です。もしも、山津波が起きたら原発はどうなるのでしょうか? 耐えられるでしょうか?
建物は耐えられても、電源喪失したら復旧は当分叶わないと予想されます。もう史上最悪です。
また、山津波で道路が寸断されたら、住民たち逃げられなくなりそうです。
地図には地質だけでなく、活断層もわかるようになっていますが、なんという多さでしょうか。危険な国土に生きているのだと実感できると思います。
自然災害は避けられないが、原発事故災害だけはご免こうむりたい、と切実に感じた次第です。
★山地保全学の研究サイト
http://ffpsc.agr.kyushu-u.ac.jp/control/
http://www.bluemoon.kais.kyoto-u.ac.jp/ec_activt_jp.html
http://www2.kpu.ac.jp/life_environ/erosion_cont/f4/paper/index.html
「私たちの意思決定や実際の行動が驚くほど無意識の心の動きに支配されていることが明らかになりつつある」
これと同様なことが今年の10月号に載りましたので、少し取り上げてみたいと思います。執筆者は、A.F.シャリフ(オレゴン大)とK.D.ボース(ミネソタ大)の研究者です。
「人は誰も、ある意味で夢遊状態なのだ、と主張する哲学者や神経科学者が増えている。私たち人間は自分の人生を自分の意見で紡ぎ出しているのではなく、単に過去の出来事に突き動かされ、意識の裏舞台で働くたくらみに動かされている。完全に目覚めているときでも、自由意思など幻にすぎない…。
何かを意識的に選択するという体験は当人の行動を引き起こす神経プロセスの結果であって、意識的選択の行動の原因ではないことが神経科学から示唆された。私たちの脳は、私たちの助けなしに、私たちの行動のすべてを決めている……いうなれば、こんな感じだ」
ところで、エニアグラムを世に知らしめたのは、アルメニア生まれのグルジエフという男性です。1866年生まれで1949死去といわれています。神秘思想家と知られています。
また、エニア講座だけでなく、他でもよく使われる「ワーク」という言葉を最初に使ったのはグルジエフだと言われています。
★ゲオルギイ・グルジエフ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%8
2%A4%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%82%A8%E3%83%95
グルジエフはまず「人間は機械だ」と説いています。
「彼の行動、行為、言葉、思考、感情、信念、意見、習慣、これらすべては外的な影響、外的な印象から生ずるのだ。人間は、自分自身では、一つの考え、一つの行為すら生み出すことはできない。彼の言うこと、成すこと、考えること、感じること、これらは全てただ起こるのだ。人はうまれ、生き、死に、家を建て、本を書くが、それは自分が望んでいるようにではなく、起こるに任せているに過ぎない。すべては起こるのだ。人は愛し、憎みもし、欲しもしない。それらはすべて起こるのだ」
グルジエフのこの「人間機械論」を知ったのは、20年前になってしまいました。なんというか私はすぐに納得できたのです。でも、その考え方を証明できる科学的根拠をグルジエフは挙げていません。
私自身は正しい認識だと確信していたのですが、根拠を科学的に示せないならば誰も信じないだろう、世の中に受け入れられることはないと考えて、積極的に取り上げたことはありません。
たまに、講座などでチラリとほのめかせたことはあったのですが…。ただ、ほのめかしても、その言葉に食らいついてくる人はいません。なにか反応してくる人もいませんでした。興味のないことのような…。私にとっては重大ポイントなのに…。
さて、続きも少し紹介します。
グルジエフは「普通の人間の現状を囚人の状態に例えている。「君は自分自身の状態を認識していない。君は牢獄にいるのだ。もし君が分別のある人間なら、君が望むことはそこから脱出することだけなはずだ。しかし、どのようにして? 塀の下にトンネルを掘る必要があるが、一人ではできない。しかし、10人か20人いるとしよう。もし、彼らが交替で働き、互いに支え合うならば、彼らはトンネルを完成させ、脱出することができる。(『グルジエフ・ワーク』K.R.スピース著)
私たちは何かで精神的に追い詰められて、あれこれ解決策を探したりもしますが、考えをまとめることができず堂々巡りばかりです。自分でも自分をどうしようもなく、まるで牢獄の中にいるようだと感じることがあります。
しかし、実は追い詰められていなくとも、たいてい、いつも牢獄のなかにいる囚人だということを知りません。
たとえば、タイプ4の人がタイプ8という人物を知り、その真似をして、タイプ8が言いそうな主張をしたとしても、その主張が通るということにはなりません。
何故通らないのかといえば、それまでの言動から、容姿、声、威圧感など、どれをとってもタイプ8とは違いがありすぎるからです。で、いくら他人を真似たとしても、自分という存在が変わることはなく、永遠にタイプ4であることから逃れられません。
つまり、「自分」からはけっして抜け出せない。タイプ4という「囚人」」だからです。むろん、なんでも思い通りにできると思いこんでいるタイプ8も、タイプ8という囚人です。その他のタイプもです。
しかし、エニアグラムは囚人である自分、精巧な生きる機械である自分を客観的に知らしめてくれます。エニアグラムというツールを知るだけで、10人力を得たようなものだと、その箇所を読んだときに私は感じました。
で、今日までずっと当会のエニアグラム理論を広めていこうと努めています。力量がないので、まるで、一歩前進二歩後退状態?なんですが。いつまで続けられるのかと少し心配しています。(つづく)
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