忍者ブログ
そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
[149] [150] [151] [152] [153] [154] [155] [156] [157] [158] [159]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



朝食時にニュースを聴こうとテレビを付けることがあります。なんと昨日の朝ネットで見つけた記事が一日遅れで取り上げられています。

番組は「モーニングバード」で、原発に関しては批判的にとり上げているところなのでイラつかずに済んでいました。

しかし、以下の東京新聞に載っているようなことは取り上げていません。

★茨城県民の歌「歌えない」 原子力礼賛の3番に疑問
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2013021890135147.html 

「歌詞の原作者の川上宏昭さんは、応募では「原子」という言葉を用いておらず、比喩的に東海村の隆盛を描いたという。有識者らでつくる当時の審査委員会が原子力を強調する手直しをしたらしい。川上さんは「歌に関わった人に迷惑がかかる」と多くを語らない。

世紀をひらく
 原子の火
寄せる新潮 鹿島灘
このあたらしい 光をかかげ

みんなで進む足なみが
あすの文化をきずくのだ
いばらき いばらき
われらの茨城


原子力村の圧力があったと考えられるようなところです。そこを番組では取り上げない。イラつきました。

作詞者は、「関係者に迷惑をかける」と言う。作詞したものにとって書き換えられるのは不愉快なことだと思うのです。

作者は日本人的な配慮をしているつもりなのでしょうが、本当なのでしょうか。実際は「腹が立ったが我慢した」のかもしれません。

また、
「“世紀をひらく原子の火”は、この時代でしかありえないものだろう。もちろん当時の作詞者は原子力発電がこうなるとは予想だにしなかったわけで、まったく責任はないのである」などと書いてあるサイトも見つけました。

しかし、「責任はない」のでしょうか。一企業を賛美しているともとれる歌詞を、県の歌にしていいのかな。あなたはどう思われますか?



ところでこのサイトを書いた人は30代以上であれば茨城県民ならばみな歌える」とあります。これにはさらに驚きました。

同様に、福島県歌も県民たちの多くは歌えるようです。

県歌というものがあるなど、このニュースを聴くまで知らなかったのですから。愛知県歌を知っている人など、愛知県民に果たしているのでしょうか? 

第一、県歌を作るという発想はどこから来たのかと探してみました。

なんと、
ウィキペディアには、「ほぼすべての都道府県が歌を制定している。第二次世界大戦降伏後に連合国軍最高司令官総司令 (GHQ/SCAP) の奨励を受けて作られた歌」があるという。また、そうではない歌もあるそうです。

ネット上で見つけた記事にあります。
栃木の「県民の歌」ほど、みんなに愛されている県歌はないでしょう。嘘だと思ったら、身近な栃木県出身者に聞いてみてください。老いも若きも、8割くらいは歌える」

違和を感じますね「小学校から、町の運動会、スポーツ大会、成人式、地域の行事でもごく普通に歌う」という辺りが、とくに不可解です。

行事ごとに歌うなど、どこかから押し付けられたもののように思えるのですが、私の邪推でしょうか? 

歴史の真相を知れば知るほどに、国民は洗脳されている、そういうもの日常的にずっと晒されていることを知った今では、邪推ではないと思えるのですが…。

また、県歌の歌詞は、時代を反映しているように見えますが、今ではダサイという感じがします。

幾つかの県歌を見ると、「若い」という形容詞がよく使われています。

鹿児島県歌では「わかき鹿児島」ですが、動画にもあるように、
福島県歌は1~3番まであり、「わかい理想をかざして・若い血汐を燃やして・若いあこがれ結んで」などとなっています。

敗戦後(終戦後ではない)の昭和20年代に作られたものが多いので、若者が多かったのでしょう。

現在では、地方の高齢化はそうとうに進んでいます。なにかちぐはぐな印象が残ります。時代を超越できる歌詞のほうかよいのではと思うのですが…。

(年寄りではダメなんでしょうか? 年寄りのことも歌い上げてくれなきゃ片手落ちだろう、って思ってしまう)

ちなみに、秋田県歌は古そうな歌ですが、格調高くろうろうとしたという印象の歌です。これも調べてみました。なんと昭和5年(1930)に作られたものでした。

★秋田県歌http://www.youtube.com/watch?v=kY-7dGQH4WQ

でも、この歌詞の内容がよく分かりません。めったに見かけず知らない文字もあります。これも、ウィキペディアに載っているもの見ると面白い。

3番が忌避されることも多い。これは歌詞が秋田県の源流となった久保田藩が四面楚歌の状況下で錦旗を守り、苦戦の末に奥羽越列藩同盟に勝利したことを称えているが、秋田県内には新政府に「朝敵」とされた亀田藩南部藩の領域だったところもあるためであるとしている。もっとも、これは県内最大の新聞社秋田魁新報が先導したためともいわれている」

つまり、その時代では力のあったマスメディアが圧力をかけたのではと考えられます。県歌が、こんな調子で作られていたんですね。

やっぱり洗脳の一つと言えそうです。なお、参考に3番目の歌詞を載せます。


篤胤信淵巨人の訓 久遠に輝く北斗と高く 錦旗を護りし戊辰の栄は 矢留の城頭花とぞ薫る 歴史はかぐわし誉の秋田

拍手[1回]

PR
小熊秀雄 作 『口が裂けてしまつた』 


トンボは羽を押へられれば

動けないし

人間は口をふさがれれば

くるしいのだ、

わたしはさうして苦しんでゐる

サーチライトの

光りの中で

私の心も肉体も

あいつらの弾を存分に浴びた

私の口は裂けてしまつた

私の口はもう人間の口の

大きさを越えた

天と地とを併呑する

自然の大きさに裂けてしまつた

悪魔の口をふさぐ神はゐない

歌ふ口をふさぐほど

大きな手は何処にもない

私が歌つてゐるのではない

自然が歌つてゐるのだ

私が歌つてゐるのではない

君等が私に歌はしてゐるのだ

そして地球の上を歩るいてゐるのではない

わたしが玉乗りのやうに

地球をまはしてゐる

危険な曲芸団に

身を投じてゐる

あゝ、ぐでんぐでんに酔つぱらへ

私の言葉よ


★ 小熊秀雄さんは、1940年に亡くなられています。39歳でした。

『焼かれた魚』という作品を知って惹かれるようになりました。

こちらのサイトに載っています。
  ↓
http://pippo-t.jp/newpage306.html

小熊秀雄全集
http://onedaywalk.sakura.ne.jp/aozora/oguma/



拍手[3回]




ビクトル・ハラ『耕す者の祈り』


起き上がれ そして山をごらん

川の流れを魂の風を


起き上がれ そして両手をごらん

育ちゆき 君の兄弟たちの手を握るために

共に行こう 血の絆に結ばれ

今日が明日に繋がっていくんだ


僕らを貧困へと支配するものから解放しよう

正義と平等の王国を我らのもとへ

共に行こう 血の絆に結ばれ

今も そして僕らの死のときも

アーメン!アーメン!

拍手[1回]

現在、パブコメ募集中の原発の「新安全基準」は、今後の原発運転の再開にお墨付きを与えるものです。

これからの原発政策としてとっても大切なものと言われています。

その基準案を決めた人たちのほとんどが原発力村村民です。

ですから、パブコメに応募する人たちが少なければ、原発を推進する人たちの思うがままに進みそうです。

でも何が問題なのか私にはわかりません。で、大急ぎで一から学ばねばなりませんから大変です。

ところで、これまで幾つものパブコメに応募しましたが、学生に戻って、「教師から試験問題を与えられた」と思ってトライしてきました。

昔も試験に受かりたいので、とりあえず頭になにか入れるんですが、試験が終わるとすぐにカゲロウのように儚く消えてしまいます。

ほとんどの人がそうだと思うのですが。でも、一度覚えたら忘れないという人がいますからね。

えてして、そういう人物がかの村民なので、手ごわいです。

でも、老化による脳ミソの委縮は少しでも減らさなければと思うのです。

あなたもトライしてみませんか?

まずは、以下の「そもそも総研」を見てみましょう。


そして、その次のPDF文書も…ね。問題点がわかるものです。

パブコメの締切は2月28日です。まだ9日間もあります。


★テレビ朝日のモーニングバード

「新安全基準で、原発は本当に安全になるの?」 2013-02-07
前編
http://www.youtube.com/watch?v=_cJefzvjys0
後編   http://youtu.be/5Ci5NXDSIPE

★原発「新安全基準」の検討について「声明」
原子力規制を監視する市民の会
http://fukurou.txt-nifty.com/fukurou/files/seimei2013_0201.pdf

拍手[0回]

隕石騒動で原発に関するニュースが隠れてしまったような…。

というよりも、核(かく)の問題はかくしたがっているらしいので、これ幸い、しばしこのニュースでいけるってことなんだと思う。

落下したところは、下部にある①「チェリャビンスク州周辺」となっています。

が、そのすぐ後に、②のサイトを見つけました。チェリャビンスクの近くに核施設都市があるとのことです。

隕石はそこから50キロくらい離れたところに落ちたようです。ホントかなあと、地図を見ました。

チェリャビンスクの北北東にあり、この地図ではかなり近い。これじゅあ紙一重と言えるかも。

しかし、マスコミには「紙一重のところだった」と指摘しているところが見つかりません。

④にあるニュースでは、「テロによる航空機衝突も想定しているが、隕石の落下までは想定していない」

想定内と言えばどんなことでも想定内にできます。危険性も、あると言えば言えるものですが、無いと言えばそれも言えるでしょう。いかようにも自分の都合よく使えるような気がします。

ところが、「よりにもよってなぜここに…」っていうことが世の中、一杯に起きています。

「よりにもよってなぜ私にこんな不幸が…」と思うことがあるように…、「よりにもよって原発に巨大隕石が落ちる」ってことも考えられる。

というよりも、それで脅威を煽りたいものです。そうして、原発はやっぱり危ないから「無くそうよ」ってことに持って行きたいのです。

これまでずっと脅威を煽ってきたのが政府や権力者の常套手段なのですから、一般庶民も対抗して、同じことをして何が悪いって感じです。

でも、安全だと流布しておきながら、実は危険なものを住民に隠す、ということもよくあります。

⑤にあるように、核融合研究所の所長は重水素実験は「絶対安全だ」と、シンポジウムで述べています。

そんなに安全なものならば、どこでも受け入れOKなはずです。名古屋市の真ん中とか、東京の真ん中で実験すればいいのです。

岐阜県土岐市という田舎でならば人が少なくて騙せるとか、金で口封じできるという算段なのではないかと…。

田舎でも、実験地のそばは住宅密集地です。シンポジウムでは小さな子を持つ若いママたちが泣いて訴えています。



①ロシアで隕石落下、1000人負傷 衝撃でガラス飛散
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG15054_V10C13A2CR8000/

隕石はロシアの封鎖核施設都市からおよそ50キロ地帯に落下。
紙一重で免れた巨大核災害

http://tkajimura.blogspot.jp/2013/02/blog-post_16.html

③ ロシア辺りの地図 オジョルクス


https://maps.google.com/maps?q=%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%
E3%83%A3%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF&hl=ja&ie=UTF8&ll=
55.720923,62.655029&spn=2.592929,3.817749&sll=35.563722,139.725409&
sspn=0.029255,0.029826&hnear=Russia,+%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%A
A%E3%83%A3%E3%83%93%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AF&t=m&z=8


④原発に隕石落ちたらどうする?「想定外」 日刊スポーツ
http://www.nikkansports.com/general/news/
f-gn-tp0-20130215-1085725.html


⑤多治見市
 
核融合科学研究所の重水素実験の安全性に関するシンポジウム

パネリスト
 
槌田 敦…たんぽぽ舎顧問
 
井上敏夫…「多治見を放射能から守ろう!市民の会」代表
 
林  巧…日本原子力研究開発機構 核融合研究開発部門
              ブランケット研究開発ユニット 研究主幹
 
小森彰夫…核融合科学研究所々長
コーディネーター 小林甲一…名古屋学院大学経済学部教授

その1
http://www.dailymotion.com/video/xxd4t8_yyyy-yyyyyyyyyyy
yyyyyyyyyyyyyyyyyy_news?search_algo=2#.UR7hAI56LQE


その2http://www.dailymotion.com/video/xxd4yf_yyyy-yyyyyyyyyyyy
yyyyyyyyyyyyyyyyy_news#.UR7hb456LQE


その3http://www.dailymotion.com/video/xxd50v_yyyy-yyyyyyyyyyy
yyyyyyyyyyyyyyyyyy_news?search_algo=2#.UR7hNo56LQE

拍手[0回]



今回は、松井浩著『榎本喜八伝…打撃の神髄…』(講談社)から、喜八さんの気質を探し出そうと思います。(青字は転載したもの)

小学4年の担任が元球児で三度の飯より野球好き。この担任に投手として育てられて本格的に野球を始めたようです。

熱心に練習をするが、朝礼が終わっても校庭に残り、一人でボール遊びをして他の生徒とも一緒に野球をしていたようで、職員会議で問題になった。

この先生の説得で体育の一環として許されるようになり、他の勉強をほとんどしないで校庭で走り回ったという。

いい時代ですね。現在では考えられないほど大らかで懐の深い先生がいたんですね。体罰も多かったと思いますが…、管理が現在ほど徹底して厳しくなかった‥。

なお、このエピソードは攻撃タイプ(825)だという核心的な情報です。

「自分が法律」になることがあり得る人たちです。以下に関連したエニアの基本理論を載せています。

http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory2.htm

さて、本人はそう思っていなくても、行動の仕方からは丸々ときつい攻撃的な気質が出ています。

しかし、当人にとっては「自分は弱虫で怖がり」などと思い込んでいます。そんな人が少なくありません。これはとても多くて、しばしば見かけています。

自分は防御タイプか調和タイプだと思い込み、きつい自分を見ないようにしている人もいます。

また、このような人たちの中に、「自分は繊細だ」などと言われる方がいます。

がしかし、「繊細」という言葉は、真に神経質な人たちが使っているところはお目にかかったことがありません。神経質=繊細で、これは肯定的というか良い表現ですからね。

父親は満州に出征してシベリアに抑留され、母親は若死で、祖母と弟の3人での暮らし。

農家ゆえ食べ物はあるが現金収入はなく、屋根に穴があいたまま修理できない。

そのため雨が降ると傘をさして朝まで立ったままという。冬でもヘソの出るシャツ1枚しか着ていない極貧。

そのせいなのか父母のいない寂しさのせいなのか、榎本少年は、カッと頭に血が上ると暴力をふるったり、ふてくされた態度を取ることが目立った。

ここまで貧しい暮らしでは心が荒れやすくなると考えられますが、この時代はみんな貧しかったので、現在から思うほど特別に貧しい生活とは言えません。

でも、男同士の掴み合いのケンカだけでなく、路上で派手な夫婦ゲンカをしているのをよく見かけた、と、亡くなった母親や叔母たちから聴いたことがあります。

しかし、それでも気質の違いは出ます。貧しいと無気力になり、よりおとなしくなる人もいます。喜八さんが攻撃的な気質だとはここでもハッキリ出ています。

なお、65年くらい前の喜八さんのような貧困家庭を見かけることは、現在ではグッと減りました。

でも、最近は子だくさんの貧しい家族がテレビでよく取り上げられているみたいです。

「自分より下の暮らしをしている人たちがいると妙な優越感を持てるからでは」と、友人が教えてくれました。

もう一人が、「この頃、節約してどれほど暮らせるかっていう類のものばかり…」と呟くのを聴きました。

そして、「みみっちい話ばかりで、以前の有名人の豪邸見学みたいなものが減った」という。

それを聞いて、そうか!彼らの作戦なのかと。国民の不満をそらす方法の一つなのかと思いました。

なお、大家族の家の中は「ガラクタで一杯で不潔そうに見える」と友人の一人が言います。

確かに、65年前の貧しい家庭はガランとして何も無い部屋ってイメージです。清貧って感じですね。

今では、路上でケンカしている人を見かけることもめったになく、自宅以外ではおとなしいらしい…?

「力が強かったので同級生とよくケンカしていた。僕は血が上ると眉がパッと上がるので 「眉上げ」って言われてたが、カッとなってすぐに相手をぶん殴っていた」

これは本人の弁です。短気な気質だと言えます。短気なのは防御タイプ(714)から探しますが、ここまでケンカっぱやいと、基本タイプは防御タイプとは考えられません。

防御タイプのウイングを重く持っている人だと考えられます。

さて、ここでタイプを一つに絞ってもよさそうですが、なかなかに面白い人物のようで、もう少し続けようと思います。

拍手[3回]




文化大革命前の1956年。中国共産党の毛沢東は、党に対する批判を受け入れる「百花斉放百家争鳴」運動を推進した。


これにより国民からさまざまな意見が出されたが、毛沢東は翌年に方針を転換した。

党を批判した人々を反体制者として容赦なく粛清していった。

1960
年、中国西部ゴビ砂漠の収容所に、上海からひとりの女性がやってくる。捕らえられた夫に会いたいとひたすら懇願する彼女の声が、慟哭が、そして…、

ゴビ砂漠に収容所のセットを建てるという、中国インディペンデント映画の枠を越えたスケール。

3
年の歳月をかけ、実際の生存者たちから証言を集めて書き上げたワン・ビン監督執念の脚本は、辛酸をなめた人々の慟哭と怒りに満ちあふれ、その姿は観る者の心に深く刻まれる。


109分 原題は『夾辺溝』 

公式サイト http://moviola.jp/mugonka/

……………………………………………………

福島原発事故後、日本政府があれほど白々しく嘘をつくとは、私にとっては思いがけないことでした。

東電などは嘘ばかり並べたてている。黒塗りの報告書など、さまざまなところで隠ぺい工作されていること、多くの国民が知るようになりました。

でも、このようなことは日本だけではないだろう、と、誰もが気づくのではないでしょうか。1週間前に観た映画『無言歌』は、中国に本当にあったことで、50年以上前のことです。

レンタルショップに行けば、日本国内ではどこでも観られるものですが、中国国内では公開されていない映画だそうです。

2011
年6月、アメリカの原発が、洪水で浸水が進み運転停止になったことは、インターネットでキャッチしていました。以下に載っています。

http://001.vc/?p=280

しかし、なんと!アメリカ国内ではニュースとして流れなかったようです。

どの政府も同じようなことをするものです。堤未果著『政府は必ず嘘をつく』に取り上げられています。

なお、この映画、とっても暗くて、悲惨で、見ていられないとも言えますが、感動して、魂がゆさぶられるシーンがあります。ぜひ観て頂きたいですね。

拍手[2回]

★ちばてつやさんからのメッセージ
 
http://fukusima-sokai.blogspot.jp/2013/02/blog-post_7382.html
「原子力発電所」を美しい日本の各地に作らせてしまったのは日本人の大人たち、全員の責任だ。

その被害を、未来に繋がる子どもたちに絶対、残してはならない。

今、後悔しながら思うのは子どもや若者たちを一刻も早く安全な地域に移してやって欲しいという事。

これは思慮が欠けていた日本の大人たちの、すべての緊急の責務です。…ちばてつや


★漂う核のゴミ 警鐘を鳴らす 倉本聰
http://www.tokyo-np.co.jp/article/entertainment/news/CK2013021402000148.html

一部のみ転載
「実は、『北の国から』も同じテーマなんですよ。正直に言うと。

エネルギーを自分でつくる話でしょ。

その問題を露骨に出していたら絶対つぶされるんです。

糖衣錠のように、核の部分を隠して、うんと甘みをつけ、テレビ局もだまさないといけない。

それがテレビドラマの手法」


★孫崎享さんインタビュー  
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/57593

2013
214日(木)、北朝鮮の核実験をうけて、岩上安身が孫崎享氏へインタビューを行った。

会員にならないと見られなくなります。今のうちに見ておいてくださいね。

16分くらいのところから本題に入っています。

拍手[1回]



当時、「銃を持って戦った大統領」がいたというニュースを雑誌で読みました。肌がつっぱるほどピチピチな頃のことです。

この時に見たアジェンデ大統領の写真は今でも忘れられぬものの一つです。

現在でも、アメリカに憧れている人はたくさんいるみたいです。

でも、若い頃に知ったこの出来事から、アメリカという国の残虐な一面を知ったおかげで政府や権力というものへの期待はなかった。

しかし、これほどに腐敗しているとは…、アメリカに直接支配されていると思うほどの国に成り下がっていたとは…、

なお「選挙で選ばれた正式の政府を倒そうと、軍部のピノチェト将軍は、米国から300億円の軍資金と数千人のCIA工作員という大規模支援を受けていた」という。


これでは、ひとたまりもないはずです。アジェンデさんが銃を持って戦っても、戦闘の準備などしていなかったのですぐに制圧されたはずです。アジェンデさんがすぐに銃で自殺したことも、その時に知りました。

「大統領府は戦闘機のミサイル20発という猛爆撃を受けた。

アジェンデ大統領は攻撃のさなかに国民へ別れの演説をした後に、

「民主主義は軍部に降伏しない」

と、言い残し、ピストルで自決。その日、サンチアゴは快晴。

しかし、チリ国営放送は、「サンチアゴには今雨が降っています」 という声を流し続けていた。

まるで映画の一シーンみたいです。でも、それは現実にあったことで…、

これに関しては、以下のサイトに載っています。
     ↓   ↓

ビクトル・ハラの生涯
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/jara.html


もう1つの9/11    デモクラシー・ナウ

1973911日 米支援のピノチェトがチリの実権を握った日

http://democracynow.jp/video/20100915-3
再生時間:17

チリで9.11と言えば、1973年の軍事クーデターを指します。

米国の支援を受けたピノチェト将軍が、民主的に選挙で選ばれたアジェンデ政権を倒した日です。

それ以降、チリでは独裁政権が反対派の誘拐や虐殺を繰り返して国民を恐怖に陥れ、その一方でシカゴ学派の主張に沿った新自由主義経済政策が徹底的に推進されました。

このショックドクトリンの最初の「実験」は、その後、IMFの手動でバブル崩壊後の中南米全体に広がり、大多数の国民を困窮させて、現在の中南米のアメリカ離れの種を撒くことになりました。

今ではそれが全世界に拡大していますが、今日の私たちが直面する問題の先駆けとなった事件として、チリ・クーデターの意義は一段と大きくなっています。

この放送では、この40年前のクーデターの生き残りが、この事件を歴史に風化させることなく司法の前に引きずり出そうとしたことに視点を当てます。

拍手[2回]

カレンダー
10 2024/11 12
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
竜頭 万里子 (りゅうとう まりこ)
性別:
女性
職業:
講師・カウンセラー・ライター
趣味:
読書・散歩
ブログ内検索
カウンター
バーコード
アクセス解析
忍者ブログ [PR]
【 ♥ イラスト提供:Night on the Planet ♥ 】