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知り合いで四日市大学で非常勤講師をしている河田昌東さんから、多くの皆さんに知ってほしいとメールが届きました。この内容はもっと多くの人たちに伝えて頂きたく、拡散をお願いしたいと思います。
皆さまへ 河田昌東
原子炉容器(と格納容器)に海水を注入する件について。
TVなどでは建屋は吹き飛んだが、格納容器は大丈夫だった、と報道していますが。これには問題があります。
即ち、厚さ数十センチのコンクリート製建屋を吹き飛ばすガス圧は、当然、格納容器にも等しくかかっていたわけで、爆発に伴う衝撃で圧力容器につながる様々な配管、例えば冷却水を循環する主冷却配管(入り口と出口)とその付け根に損傷が無いかどうか、等が懸念されます。
また、圧力容器そのものにもひび割れなど損傷が無いかどうかチェックすべきです。また、炉心に海水を入れると言うことは、海水に含まれるナトリウムを始め様々な塩類や重金属類が炉心で中性子照射を受け、放射能に変わることを意味します。
排出される廃水は通常(純水)とは桁違いな放射能を含むでしょう。この水をどうするのか。どさくさにまぎれてそのまま海に棄てる可能性が大です。それで良いのでしょうか。
ニュースによると福島県双葉町の逃げ遅れた住民が体表面の放射能を双葉厚生病院で測定したところ、毎秒10万カウントと3万カウント、4万カウントでした。因みに、非汚染状態でのカウント数は毎分10カウント程度です。
これは体表面か衣服に付着した放射性物質(多分セシウム137、ストロンチウム90、ヨウ素131など)の測定値と思われます。
当然こうした空気をそれまで呼吸で吸い込んでいたわけで、深刻な体内被曝の恐れがあります。いまだに10Km圏内に残っている住民は沢山いるようで、自衛隊が救出に向かっているようですが、それまでに多量の放射性物質を吸い込んでしまいます。
また、放出された放射能は幸い雨が降らなかったので、広く薄く拡散しています。もし、雨が降ったら、特定地域に高濃度で降下し、土壌汚染が起こるでしょう。これも、チェルノブイリの教訓です。
ちなみに、以下のサイトには東北地震の写真は迫力があります。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1365318/Japan-earthquake-tsunami-The-moment-mother-nature-engulfed-nation.html
昨日の3月8日は「国際女性デー」の日でした。1904年3月8日、ニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたのがきっかけで、1975年に国連で「国際女性人デー」と定められました。
早くも100回目となり、世界各地でパレードや抗議行動が開かれたました。それでも、今も貧困者は圧倒的に女性です。差別されているのも女性で、失業者も女性。学校教育も受けられずにいるのは女性のほうです。一部の国では土地所有者に女性が占める割合は3~20%でしかないという報告書が今年ありました。
ところで、ごく最近知ったことです。これほど辛い病気が世の中にあったのかと、たぶん、あなたも衝撃を受けるのではないかと思うのですが…。
「フィスチュラフィスチュラ(瘻孔:ろうこう)」という病気です。きっかけは以下の動画ニュースからです。ぜひ見て頂きたいと思いご紹介しています。
①デモクラシーナウの動画 「私の癌とコンゴの癌」
→ http://democracynow.jp/video/20100826-3
②デモクラシーナウの動画「コンゴの性暴力被害者の傷を癒す」
→http://democracynow.jp/video/20100826-4
「フィスチュラフィスチュラは、医師などに受診しないまま自宅などで出産したり、暴力を受けたりすることにより、女性の産道に孔が開き、膀胱や大腸との壁が損壊することにより、糞尿垂れ流し状態となってしまう、という悲惨な疾病です」 (フィスチュラ・ジャパンの記事から転載)
「このような女性は死産児を出産することが多いだけでなく、夫からの拒絶など女性が見捨てられてしまうケースも多発し、それに続いて起こる無言の精神・社会的トラウマに苦しんでいる」
「フィスチュラの犠牲者は多くの場合、自分の障害の原因に気づかず、罪を感じて、肩身の狭い思いをする。彼女たちはまた、働くこともできないし、地域の活動に参加することもできない」
「社会的疎外に苦しめられた女性や少女たちは時に、沈黙の孤立感の中で、捨て身の行動を取るまでに追い詰められてしまう」
想像して欲しいんです。自分が汚くて、おぞましい存在になっているのです。あまりにも恥ずかして強い孤立感と絶望感で一杯になり、プライドはズタズタにされてしまうでしょう。
また、自分を卑下してしまう、卑屈になってしまうってことが、どういうものなのか想像すれば、その悲惨さを少しは理解できるのではないかと思います。
世界には200万人以上のフィスチュラを罹患している患者が存在するともいわれます。主に、アフリカです。でも、問題の大半は目につかないままで、隠されているだろうと予想されます。
フィスチュラになるのは、産科医療を受けることのできない貧しいへき地に住んでいる若い女性に多いようです。また、動画にもあるように、アフリカでは女性が少女のような年齢で結婚するという慣習があります。
それゆえ、未熟な体で骨格の発達が未発達なままに出産を余儀なくされるのです。そうなれば難産になって、フィスチラに罹りやすくなると考えられます。
コンゴでは、戦術としての集団レイプが拡大しており、男性兵士の奴隷状態に置かれたりしています。また、アフリカには女性の割礼(死に至ることもある)もあり、女性たちの置かれている環境は想像以上に厳しいと考えられます。
「父は激情家で、なぐる手が止まらないタイプで、うんざりしながらなぐられていた私は…中略…理不尽だと思っていた。でも、彼は私を愛しているんだ、きっと と、合理化しなければ私は生きて行けなかったんだと思う。私は愛情というものを食ったことがないけれど、愛憎という世界なら、誰にも負けないくらい知っている。それを書こう」 槇村さとる著「イマジン・ノート」より転載
そこで、『白のファルーカ』というマンガ作品がつくられたようです。ところで、タイプ2は「父親と男性に向くタイプ(261)」です。あまり使いたくないのですが、「ファザコンタイプ」です。
愛と憎しみが同時に押し寄せることがあります。とくに、暴力的で支配的な父親であれば、ファザコン度は深刻になります。
でも、父親からは何も押し付けられず、または放任されていたならば、ファザコン度は軽度になり、本人もそれと気づかないままということがあります。
父親と良い関係ならば、父親大好きになり理想の父にもなります。どちらにしても、父親に対する反応は、過剰というか過度になりやすいタイプが、この3つのタイプです。
ところで、殴られていたのに、「父は自分を愛していたんだと合理化できる」のですから、その場合、気質はきついほうに入れます。それは2にしか起こり得ないものです。6と1はなかなか合理化できないと考えられます。
なぜならば、怖がりゆえ父親に対する恐怖心が勝ってしまうのです。でも、恐怖心から沈黙して従いますから、暴力を再三にわたって受けることは少なくなります。尤も、心の中では軽蔑しているかもしれませんが。
この2つのタイプは、自分を愛していたなどと合理化することは不可能で、憎まれていた、疎まれていた、要らない子どもと思われていた、と受け取る可能性があります。いつもどんな場合でも、恐怖心というもののほうが大きく作用します。
しかし、タイプ2の娘のほうはさほどに怖がりでもなく攻撃的な気質ゆえ、反抗的になります。それで、生意気だということになり、暴力も受けやすくなります。これは父親だけでなく夫に対しても、このようになってしまう可能性があります。
DVがよく取り沙汰されていますが、きつい気質の女性のほうが、父親や夫など男性からの暴力を受けやすくなると考えられます。
怖いがりで臆病であれば、一切逆らうようなことはせず、逃げ出すことだけ考えているか辛抱しているでしょう。ですから、「臆病であることは暴力を受けにくい」になるでしょう。
なお、父親がどのような人なのかで、261の子どもでも、それぞれに違った対応をします。タイプ1でもタイプ6の子どもでも反抗的になることがあります。
父親が超わがままで暴力を振るうだけで、子どもへの理解が少しもないのであれば、子どものほうも憎しみが深まります。
そうなれば、その親子関係はさらに悪化して危険を孕んできます。このように、いろいろなケースが考えられます。従って、「父に向く」とは、わかりやすい現象ではあるが、実は判断するのは容易ではありません。
田ノ浦が美しい海だってことはよく聞かされているのに、なぜだか私の中ではウスボンヤリとして、ほとんど何も知らないままでいたのです。
たぶん、周囲にいる人たちは、私が既に知っていると思い込んでいたのではないかと思うんです。
あちこちネットサーフィンして、私もやっと少し知ることができたところです。原発建設にはずっと反対してきましたが、田ノ浦のことはまるでわかっていなかったんですね。
でも、そういうものなんでしょうね。知ろうと努めない限りは、対象に気づかないまま通りずきてしまいます。
(ちよっと話はズレますが、ただのカンニングに過ぎないのに、マスメディアは連日大きな扱いをしています。なぜそれほど大きな扱いをするのかまるで理解できません。リビアなど中東のニュースも扱いが小さくて、何が大切なのか何を問題にすべきなのかを、わかっているのだろうかと、不信に思うばかりです。
奇跡のように残されていた素晴らしい田ノ浦湾が破壊されようとしている。原発が建設されたら、二度とこの海は戻ってこない怖れがあるのに、こちらはほとんど報道されていない…)
でも、田ノ浦のライブ中継の動画をブログに張ってから、私も少しずつ学び出したところなのですから、あまり他の人たちのことを批判することはできないんですが…。
さて、最初にご紹介したいのは、今が見頃の「スギモク」です。スギモクは希少な海藻で、日本海固有種として知られたホンダワラ科の1種なのだそうです。
3月初旬ころスギモクの群生する海域を見ると、スギモクの生殖器官が海一面を黄金色に染めて、あたかも海の中の菜の花畑みたいに見えるのだそうです。見てみたいですね。
こんな素晴らしい海中のお花畑が、2008年からの中国電力の陸の埋め立て準備工事によって、半減してしまったと聞いています。
また、クロサギ(絶滅危惧種)らしい巣も確認されていますが、先月の2月11日から、中国電力の計画している工事が再開されていて、現在も作業員が田ノ浦でなにか作業をしているようです。
上の写真は、海藻研究家でもある新井章吾さんの提供による田ノ浦の海中写真です。アカモクという海藻の森です。浦島太郎さんが暮らした海底宮殿みたいです。
なぜ、田ノ浦の海が透明度があり、「奇跡の海」と呼ばれているのかと言えば、それは田ノ浦湾にある海底湧水の強さにあるようです。
「田ノ浦には、海水の浸透循環流によって浄化された海水が入り江状の地形によって水塊を形成し、沖合の水塊と混合しにくい何らかの機構が存在する可能性が高く、これが田ノ浦に「澄水生態系」とも言うべき特徴の自然を作り出していると考えられる。それが、瀬戸内海でもまれにみる透明度を生み、生き物が豊富で、カサシャミセンの幼生やプランクトンが多いことの裏づけになるのではないかと予測される」
次の写真はハート形をした祝島です。500人ほどが住んでいます。中継では砂浜から遠くにみえる真ん中あたりがこんもりしている島です。
祝島のホームページ→http://www.iwaishima.jp/
なお、田ノ浦からの中継動画は2月23日のブログに貼り付けています。今日も中継されています。明日もたぶんあります。
さらに、スナメリ(小型のイルカ)やカンムリウミスズメなどに関する写真や記事は、2月22日のブログにあり、併せてお読みいただけるとうれしく思います。
ジコチューだと思われる男性に関する情報が受講生から入りました。
「ある男性(タイプ2w1)が、入社してから1ヶ月も経たないのに、仕事のアイデアなどを出して、それを社長に取り入れさせようとした」というものです。
その人物が、それまでの才能を見込まれて、引き抜かれて入社したというのであれば、一ヶ月に満たなくともアイデアぐらい出すのはおかしな行為ではありません。
しかし、それでも、新しい職場を観察して熟知できるよう努めなくてはならない時期です。また、社長に対して共同経営者みたいな口の利き方をしていたようで、自分の置かれている立場を認識できなかったと考えられます。
ところが、このような人は結構見かけます。攻撃タイプ(825)の特長的なところで、自分を重要人物だと思い間違いしているからではないでしょうか。
本人は全くそんな意識はないだろうとは思いますが、客観的な自分を認知できないことが、致命傷になることがあると思います。この男性、社長と意思疎通がうまくできずに、わずか1ケ月余で退社せざるを得なくなったのですから…。
また、2/12日のブログ(ジコチューな女性タレント)の感想文も届いています。タイプ4w5の方からです。
「村上春樹さんのエッセイ(作者と読者のメールのやり取り)で、村上さんの小説しか読まないという読者に対して、村上さんは“そういうことをすると自分がだめな作品を出したときすごくガッカリされるのでは。他の作品も読んでくださいね”とコメントしています。その気持ちはよく分かります」
これは私もよくわかります。たとえば、エニアグラムのことを知りたかったら、私以外の他の方が書かれたエニアグラム本も読んでいただきたいと、常々思っております。
また、私のファンになってもらいたいという思いはほとんどなく、当会のエニアグラム理論をより詳しく知ってもらいたい、事実なのか確かめてもらいたい、という思いが強くあります。
ちなみに、村上さんの小説しか読まない読者は、どのタイプの可能性があるのか考えてみましたが、優等生気質(714)から探すだろうと思います。とくに、タイプ4の可能性が考えられます。
ある人を信奉したり尊敬すると、その人ひとりだけになりやすい傾向があります。違う言い方ならば、いろいろなことで間口が狭くなる傾向があります。
誠実ゆえかもしれませんが、つきあうのが複数になり二股をかけることも少ないタイプとも言えるかもしれません。
一つのことに固執する、過去にも固執して先を見ない、視野狭窄になりやすいという傾向も見受けられます。ですから、前向きになり、視野を広めて、多くの人たちと交流できているタイプ4は、成長して精神的にも強くなっているのではないでしょうか。
また、一つのことに固執しやすい気質ゆえ、スペシャリストタイプとも言えます。しかしゼネラリストタイプにはなれにくい気質だと考えられます。これは、714という3つのタイプの特長的なところと思われます。
槇村さんはマンガを描いている時に、あることに気づいたようです。主人公が母親のことを懐かしく思い出すシーンを描くために、自分の小さい頃のエピソードを思い出そうとしたのです。
「え~~と、え~~と、頭にカスミがかかったようにどんより。自分と母親の間にあったエピソードが、何一つ思い出せないのだ。気がヘンになりそうになった。12歳まで一緒だったのだから。何だって普通にしてくれたはずだ、それなりに接してくれてたはずだし でも出てこない 落ち着け 何かある 思い出せ すっかりパニック!」 (集英社『イマジン・ノート』より転載)
こういうことはよくあります。「父親(男性)を強く意識するタイプ(261)」にとっては、母親や女性の存在が軽いという傾向があります。
それゆえなのか、幼児期から思春期くらいまでの母親との思い出があまり記憶に残らないという傾向が見受けられます。
たとえば、エニアのワークショップとか講座などで、「7歳くらいまでの父親と母親との思い出を一つずつ箇条書きにしてください」とお願いすると、この傾向が出てくるのです。
むろん、「傾向」なので、それに該当しない人はいます。そこは誤解なきようにお願いいたします。
そして、「母親を強く意識するタイプ(8374)」は、その逆になります。この3つのタイプにとっては、父親の存在は軽いと考えられます。
幼児期から思春期くらいまでの父親との思い出があまり記憶に残らないという傾向がしばしば見受けられるのです。
なお、最近、タイプ3の娘さんを持つ受講生から聴いたことですが、娘さんの携帯電話のアドレスに、父親のアドレスは載っていなかったみたいです。
受講生(母親)が、「どうしてパパのアドレスは載せていないの?」と尋ねたら、娘からはそんなこと考えもしなかった、というような反応があったというのです。でも、母親のアドレスは携帯を買ってから、いの一番に載せているのだそうです。
マンガにもあります。「クレヨンしんちゃん」は、タイプ7の作品ですが、しんちゃんの父親の名前は“父ちゃん”です。母親の名前は“みさえ”です。
「父ちゃんの名前は?」と尋ねられて、しんちゃんは、「父ちゃん!」と答えているシーンがあります。父ちゃんの名前など必要ないかのような扱いです。創作品にも、これらの傾向が出ているのですから、本当に驚いてしまいます。
また、2日前の2月27日のブログでは、タイプ2w1の男性が妻とのことをまとめた手記のはずなのに、妻に関する記事がほんの少々だった、という現象をお伝えしています。
そんなことを考えると、もうこれらのことは根本的なことです。つまり、DNAに書かれているようなものではないかと考えられるのです。
古くからの知り合いが1年前に妻と死別されて、それを手記にまとめられました。送られて来た手製の手記を読んでショックを受けています。死因が鉄道投身自殺とあったからです。
ご夫婦とはかつて同じ職場に在籍したことがあり、彼女は2年先輩です。パッチリとした奥目で清々しい印象のある健康的な女性でした。
柔道の段位を持ち、その頃は居合い道場に通っていたとも聞いており、スラリとした長身で、笑顔の愛らしい気さくな方で憧れている先輩でした。あの方がなぜ、どうして、と、心の中で幾度もしつっこく尋ね続けている…、
手記によると躁うつ病が原因だと見ているようです。でも、彼女がどうしてそんな行動をとったのか、そこにある内容からは全くわかりません。彼女の悩みの深さもわかりません。
ご夫婦をともにタイプ2w1と判定しておりましたが、手記には妻の病状が少し書いてあるだけです。30代頃から躁うつ病に罹り、死にたいと何度も訴えていたらしいのですが、詳しく書かれていないのです。
手記のほとんどがご自分のことで、妻の内面的なことは興味がないのかと思うくらいに、それに関する記述は少なくて…。
タイプ2の男性にとって女性の存在は軽いとよくここでも取り上げていますが、これほどまでに妻のことが書きだせないとは…、ただ絶句しています。
彼女はある宗教活動をしてその政党を支援しており、無宗教で支持政党など無い私にとっては、一定の距離を保っているほかない相手でした。
でも、選挙が近づくと手紙やパンフが届き、電話でたまに世間話をすることがありました。また、ある日の電話で、私と誕生日が同じだったことを知りました。個人的には惹かれる女性でしたが、細いつながりのままでした。
彼女は信仰していた宗教に救われることはなかったんでしょうか? 宗教活動は熱心にされていたのに…。壮絶な死を選んだその心を知らないままでいられるだろうか。
信仰心って、一体どういうものなんだ、なぜ、救済されないのかと、今さらどうにもならないことなのに、あれこれと考え続けてしまいます。
人間の気質は、おおまかに9タイプに別けられます。別の言い方としては、「行動パターンがおおまかには9つある」です。
で、「行動パターンがある」というと、なんだか将棋の駒みたいなものではないかとよく思ってしまいます。
たとえば、ある人は、さながら「飛車」で、縦横には動くが斜めには動けないように見えるのです。ある人は「香車」で、前には幾つでも行けるかもしれないが、前だけしか目に入っていないように見えるんです。
ある人は「歩兵」で、地道に一歩ずつ前に進めています。走ったりしないんです。むろん、慌てたり横見もしない人にも見えるのです。
本人は気づいていないが、第三者からは、まるで不自由な生き方をしているように見えることがよくあります。そして、私自身も、他の人たちからそのように見られているのだろうと思うのです。
将棋って、駒の違いによって動き方がそれぞれに違うので、面白いゲームになるのでしょうね。でも、人間の一生もゲーム盤の上での勝負に似ているところがあるのではないでしょうか。
あなたも、頭を使えばどんな手だって使いこなせる、と思っていたのではありませんか。ところが現実はそうなっていません。
なんだか、それぞれの人たちが「それしかできない」ように見えることがよくあるからです。みな不自由に見えるんです。
物事をいろいろに考え付くのではなく、大抵が、そのタイプの人たちが嵌りやすい考え方しかできないようなのです。
単なる自分の解釈に過ぎないのに、それを真実だと思い込んだり、相手はこんなふうに思っているに違いないと、変に確信を持っていたりします。
この方向はまずいかなと、ちょっとは気づくかもしれませんが、多くは「それしかできない」という動き方をしているのではないかと。
将棋の駒は8種類なので、エニアタイプの9つには一つ足りません。でも、将棋の駒の動き方を見ていると、人間のタイプの行動パターンを連想させられます。よく似ています。
そして、敵陣まで踏み込んだら、角は「竜馬」に成ってより自在に動けるようになります。エニア的な言い方ならば、人間的に成長すると、さながら「成駒」になって自己解放ができるようになるのではと思うのです。
タイプの制約を受けずに自由に動いたり考えたりできるようになる、と、そんな想像をしています。
現場では、どのようなやりとりをしているのかを知って頂けたらと思います。
Streaming live video by Ustream
Video chat rooms at Ustream
瀬戸内海の小さな村に、29年前、原子力発電所の建設計画が持ち上がりました。(写真は、スナメリ)
でも、「海と山さえあれば生きていける。だからわしらの代で海は売れん」と島の人たちはずっと建設に反対して来ました。
山口県上関にある祝島に建設反対の拠点がありますが、そこから約4キロ離れたところにある田ノ浦が、その予定地です。
でも、21日の深夜2時から中国電力は社員や作業員など200~400名を動員して、田ノ浦の海の埋め立て工事を強行しようとしています。
騒然とした、その現場からのライブ中継があり、現在見ることができます。
「満月tv」にあります。
また、夕方以降、ライブ中継が見られなくなっても、録画されたものを見ることはできます。幾つかありますから、ぜひ覗いてくださいね。
さらに、明日も引き続き中継されるようなので、また再開して見て頂ければと思います。
満月tv → http://www.ustream.tv/channel/%E6%BA%80%E6%9C%88tv
または、こちらで見ることができます。→http://ameblo.jp/nijinokayaker/
なお、祝島の漁業者は漁業補償を受け取っていません。
どこもそうであるように高齢者が多く、冷たい海の風が吹きすさぶ中で、中国電力の人たちと対峙しています。
また、深夜から埋め立て作業に入るんですからね。堂々とやれないんでしょうね。作業に携わる人たちも苦労されているんでしょうね。
そういう現場を生中継で見るなど、はじめてのことです。少なくとも私にとっては…、
本当にインターネットがこのようなところで活用されるようになったんですね。より多くの人たちに見てもらいたいのですが…。
上記の写真は、昨年の春に出かけて撮った田ノ浦の美しい浜辺です。その時は、人っ子ひとりいない狭くて静かな浜でした…。(でも、今現在は大勢の男たちに占拠されている)
そこには、なんと、生きた「なまこ」が浜に打ち上げられていました。ひじきも大量に採れるんです。まさに、豊饒の海なんですね。
その他、「スナメリ」や「かんむりウミスズメ」(左の写真)などの貴重な動植物が生きる「生物多様性のホットスポット」と言われています。
ちなみに、スナメリの写真を見て、その愛らしさに驚かれたのではないでしょうか。
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