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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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3d74740c.jpg最後の質問⑤になりました。「この作品の原作者は何タイプなのでしょうか?」 …………………これに対する回答は、「タイプ4の可能性が高いと考えています」

なお、原作者はタイプ4と思われますが、映画を観てもタイプ4の作品と判定できるのではと考えます。まだ調べてはいませんが、監督もタイプ4っぽくて、現在49歳なのですが、顔写真(左)からはちょっと童顔に見えます。

タイプ4は「末っ子気質」で、童顔の方をよくみかけます。むろん、全てが童顔にはなりませんが。

さて、
その3で原作者は「防御タイプ174」と絞っています。次に、その4 の中の②の回答でも書いていること(慎重で、人と関わりを持たないという傾向)からも、タイプ4が最も該当するように思われます。

なぜならば、タイプ1は「公正の人」という別名があり、正しく公平な裁きを求める傾向があります。羞恥心よりも、そちらの動機のほうが大きくなるタイプと考えられます。また、タイプ1は行動力もあります。

タイプ7は「女性を強く意識するタイプ837」です。かつてつきあった女性で、自分を嫌って振ったのでないならば、すばやく助ける行動に行きやすい男性です。たとえ、振られたとしても、相手の窮地を知ればすぐに駆けつけるかもしれません。

女性への同情心はきわめて高い気質です。また、考え方も明瞭で、短い刑期でいられるほうを自身も選ぶ可能性が高いので、相手もそれを求めていると解釈して、助ける行動に出やすいと考えられます。

タイプが違うと価値観が違いますから、どのようなことを最優先するか、そこが違っているので行動の仕方も違ってきます。

この3つのタイプの中で、考えすぎて行動に移せないとしたら、タイプ4が濃厚になります。また、他人が決めている生き方を、自分が変えるなどというようなことは、最もしにくい気質でもあります。

よい意味では他人のことにめったに介入しない傾向があります。個人主義とも言えます。悪い意味ならば、受身で積極性がなく怖がりなので、萎縮したり硬直して、行動力が鈍くなる傾向があります。

原書にあるものとしては、「裁判の間、ぼくは何も感じなかった。ぼくの感情はまるでマヒしてしまったようだった」、でも、「感覚をマヒさせないことには耐えられなかった」とあります。複雑ですね。

さらに、父親に相談に行った時のセリフがあります。「行動しなくっちゃいけないと思うと、憂うつだったんだ」などです。

また、行動的になりにくいのは、当会のエニアグラム理論の中の「世界と両価的にむすびつくタイプ594」にあるものです。「人々から引き下がって人々を観察する。消極的で人々と関わりあいたがらない」と掲載しています。http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory3.htm

感情タイプ(234)の中であまり感情を表に出さないのは、タイプ4に多く、次はタイプ3です。また、防御タイプ(714)は無表情の方が多いのですが、危機意識が高いほうで、ちょっとした異変に際しても、感覚的なマヒと言うべきか、より無表情になる傾向があります。

結論として、タイプ4が最も該当すると思うのですが、あなたは納得できるでしょうか?


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ブログ読者から、以下のようなメールを頂いてます。

「ブラジル人の少女が自宅を燃やした事件が起こりましたね。家族の中でも学校でも疎外感を抱いていたとのこと。この少女の孤独感・疎外感は、自分自身にではなく外に向けられました。ハンナと異なり攻撃タイプだと分かりますが、もし良かったらブログに取り上げてください」

刑事事件をブログなどで正面から取り上げたのは、たしか一度だけだったと思います。5/23の「ですます調の気弱な強盗」です。


他のところで書いているのか、あまりにもたくさん公表しているので自信はありませんが、刑事事件の性格分析に関する文は、公表していないと思います。

ただし、文脈上から、ちょっとだけ言及したことはあると思います。また、少しだけ回答しますが、「自分自身にではなく外に向けられました。…攻撃タイプだと分かります」とありますか、それだけで攻撃タイプと判定しません。どのタイプでも外に向けられる恐れがあり、どのタイプでも自分自身に向けているからです。

ところで、上記の強盗に関しては、深刻とか残酷と言えるような事件ではありません。ですから、気楽に取り上げることができました。

しかし、深刻な事件を扱うことはどうも気が進みません。タイプ判定などをすれば、特定のタイプへの偏見が生まれる恐れがあります。また、間違った判定をすることは、この分野ではとくに許されないことです。

現在でも、あのタイプは嫌いだとか、あのタイプはおかしな人物ばかりいるなどと、無いこと無いこと(有ること無いことではなく)吹聴する人たちがいます。後を絶ちません。

とはいっても、タイプに対する偏見というものは減ることはないだろうと思います。それよりも、刑事事件をエニアグラムで性格分析して、それをプロファイリングして捜査に役立てたほうがよいのではとも思います。

現在は、少ない情報でもタイプを絞ることができるようになっています。ブログなどでは取り上げていませんが、講座などでは取り上げています。犯人のタイプや、それに至る動機などを追求してお話しさせて頂いています。

ブラジルの少女のこと、同級生を教室で刺した少女、奈良放火殺人事件、秋葉原でナイフを振り上げた男性、津山30人殺し事件、安部定事件、コロンバイン高校銃乱射事件etc…

取り上げられるものは数限りなくあって、これを仕事にしたら、それだけで手一杯になってしまうでしょう。

ここだけのお話ですが、実は相当なところまでタイプ判定は進んでいます。分析済みの事件がかなりあります。しかし、それを公表する日はやって来るのか、それは私自身にも分かりません。

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reader6.jpgこの映画の主人公であるハンナとミヒャエルは、愛し合っていたのでしょうか。朗読のテープを送り続けたのは、ミヒャエルがハンナを愛していたからでしょうか? →④

ここの答えも簡単です。二人は、男女間にある愛情関係というものはなかった、というのが正解と言えるでしょう。まず取り上げられるのは、ハンナは出会った頃から死の直前まで、ミヒャエルのことを「坊や」と呼んでいたことです。

女性が年下の男性を愛してしまったならば、「坊や」とは呼びにくいと考えられます。これとは逆で、男性が年下の女性をベイビーなどと呼んでも、それは愛情表現になりうるものと考えられます。

この社会は男性優位社会であり、「主たる男に従う女」になっています。交際している男女で女性が男性より年長の場合は、かなり気を使っている、というのが一般的な傾向としてあると考えられるからです。

また、原作では、ミヒャエルが朗読テープを送った動機について何も言及していません。ハンナへの愛情からだとは書いてありません。「自分が丁度読みたいと思っているものをハンナのために朗読した」ようです。

そして、テープは送ってもハンナには手紙を書いていません。「ハンナとはお互い近くて遠い存在だったからこそ、僕は彼女を訪問したくなかった」

ミヒャエルは、このような一方的なつきあいを、「気楽でエゴイスティックな関係だとわかっていた」とあります。また、「僕は彼女を小さな隙間に入れてやっただけだった」とも。

また、ハンナの死によってショックを受けたり、絶望的にもなっていません。これでは愛の物語りとは言えません。もっとも、なんらかの親愛の情はあったようなので、これを愛の物語と呼べないことはないと思います。

邦題が「愛を読むひと」になっていますが、これは配給会社が考えたもので、とかく日本社会では叙情的なタイトルが好まれる傾向があるから採用したのでしょう。

さて、他の人たちがブログに載せている文章(青字)を以下に転載しています。
自分と照らし合わせて考えると、どうして21も歳の差がある男女が、肉体関係にまで発展するのかが理解できなくて、違和感がありました。それと、「愛をよむひと」というタイトルだけど、主人公はただ雰囲気で本を朗読してあげただけで、愛などないのに、変だなと思いました。

レイフ・ファインズ(ミヒャエル役の俳優名)の献身的な姿に心打たれるけど、彼の行動は今はやりの草食系とかじゃなく熱愛だな。あれだけ一途に思い続ける姿はなかなか無いよなぁ。

三十代半ばから見れば子供でしかない未成年に手を出す女なんて、禁断の愛などと言ったところで、とうてい受け入れがたくって。

文盲(illiteracy)を隠して生きてきたハンナが、人との接触を極度に嫌うのは自然なことであろう。圧倒的な力関係である「坊や」に対してなら行動できる、というのは、(人付き合いの出来ない男と幼年の女の子という風に)男と女の立場を変えた性犯罪が頻繁に起きている事実を考えれば、想像に難くない。

年老いたハンナに会いに行ったマイケルが、彼女の手を見てふと浮かべた表情を気付いてしまうシーンもまた切ない。愛していたからこそ言えなかった真実。ずっと愛していたのに、年の差を越えられなかった現実。

少年の時、ひと夏を過ごしただけの女性をそこまで想い続けられる切なく一途な愛。変わらぬ愛とはこういうことを言うのかもしれません。

年上といっても、21歳も年上、まわりからすれば親子みたいなものです。フツーに考えるだけで、なんてうらやましい(笑)

身寄りもなく、彼女の秘密を考えたら、苦労の絶えない人生だろうなって思うけど、ひとりの男性が、ここまで想い続けてくれたなんて、シアワセな女性だな~と思う。

「純愛映画」みたいな宣伝をされているけれど、僕はこれ、愛というより、「罪」の映画なんじゃないかな、と感じました。

ハンナに朗読テープを送り続けたのは、多分同情?しかしそれがハンナに期待を持たせてしまったことに気づき、煩悶する。だから手紙の返事も書けなかったのだろう。

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reader9.jpgハンナの自殺の原因を探ってみます。前回のその5で書いたように、7年もの間ハンナはミヒャエルから送られてきた朗読テープを聴いて文字の読み書きを学び、習得していました。

原作から→「ミヒャエルがハンナの独房に入ると、そこには本棚があり、ナチの犠牲者たちの本と、ルドルフ・ヘスの伝記、アイヒマン裁判、強制収容所などの研究書がありました」

所長が語ります。「もう何年も前に、強制収容所についての一般的な図書リストを手に入れて欲しいと頼まれました。1、2年前には、強制収容所にいた女性たち、囚人や看守たちについての本を教えてほしいと言われました」

なお、非識字者であったハンナには、働ける場はそれほどなかったと考えられます。収容所の看守を募集していると誰かから聞いて、すぐに応募したと考えられます。

原書では、「ジーメンスで職長になれるという話があったにもかかわらず、親衛隊に入ったのは本当か?」と裁判で質問されています。

職長になると文字の読み書きが必要になり、非識字者だと知られてしまうので、辞めて他の職を探す必要があったのですから。そして、その職を得るためには、親衛隊に入るのが条件だったのではないかと。


さて、新聞を読めず、友人もひとりもいない、孤独に生きていたとしたら、その収容所がどういうところなのか、ナチの親衛隊のことも事前に知ることはできるのでしょうか。答えはノーです。

しかし、文字が読めるようになり、ハンナはナチ政権のしたことの意味をしだいに理解できるようになった可能性があります。

当人の読書歴をみれば、何に関心があったのか、どの程度まで物事を深めて観られるようになったのか、およそ測れます。ハンナは、自分がそれに加担していたことまで悟ってしまったのではないでしょうか。そんな自分を知りますが、それを知って、はたして生きていけるのでしょうか。

ここまで辿って、急に思い出した児童文学書があります。上野瞭著の「ちょんまげ手まり歌」です。30年前くらいに読んだのですが、ずっと忘れないままでいたようです。

ちょっと書き出してみます。
「おみよ(主人公の少女)、みんな、なにも知らんからこそ、それで幸せじゃったとも言えるんじょぞ。おまえは自分の国の恐ろしさを知ってしもうた。知ってしまうことは、おみよ、人間を大きく育てるが、それだけ苦しみが増えることじゃぞーーと、山んば老人はそう言うと、ふいに姿をけした」

上野瞭さんは、無知ではいけない、知ることで不幸になったとしても、辛いことになったとしても、それでも知ろうとする人間になってほしい、という願いをこめて、この物語を書かれたのではないかと思います。

それまで、「知る」ということは私にとっては、「面白いこと」だったのですが、それだけではないと教えてくれたのがこの本です。なお、上野瞭さんは8年前に亡くなられています。

ちなみに、私の予想した自殺原因は当たっていたのでしょうか? それとも間違っていたのでしょうか? あなたの予想はどんなでしたか?

以下の青字は、他のブログにある感想文です。

ハンナはやっと面会に来てくれたマイケルを見て、それが愛からではなく義務感からということに気づいてしまったため、誇り高い彼女は死を選ぶしかなかったのだろう。

知性を磨いた彼女に、ナチスの元親衛隊という十字架を背負って、一般社会に戻ることはかなりの重荷であろう。頼れる「坊や」は、もう坊やではなく、時代の力関係は完全に崩れている。残された道は、これ、だったのだろう。

朗読のテープを送り続けたのも、愛に基づくものではなく、かつて愛した女性に対する責任感・義務感の表れではなかったのか。こうしたことが、遠因となってハンナを自害に追いこんだのかもしれない

多分、本を読むことによって、彼女の中の何かが初めて完全に「目覚めた」のでしょう。そして自分が300人を殺したということの意味を、初めて深く考え始めて…考えて、考えて…そして、収監されて24年後、ようやく釈放されるというその前夜、彼女は自ら命を絶つのです。

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田植えは5月26日にやり終えて、6月26日に草刈りをすることになりました。その間、作業らしきことは何もしていません。

なんと、田んぼの中にはまだ草はほとんど見られず、畦(あぜ)の草もあまり伸びていません。他の田んぼは水を抜いてガス抜きしているところが多かったのですが、畦の草はこちらの3倍くらいの繁殖です。

9e49746b.JPGたぶん、肥料が多いからではないかと思うのですが、原因はそれしか思いつかないからです。米糠やその他の肥料が、私たちのところとは比較にらならないほど多量みたいです。

田んぼに蓋をするっていうくらい施すみたいです。こちらは米糠をちょっと撒いたというくらいですから。むろん、こちらは化学肥料など使っていません。

でも、畦の草は強くて、鎌で刈り取るだけなのですがすぐに腰が痛くなりました。写真上は草刈のビフォアーで、下はアフターです。刈り取った草は田んぼに入れています。これも肥料です。

2082a433.JPGでも、田んぼの中ならば草刈りしなければならないと思うのですが、なぜ畦道の草刈りをするのかわかりません。無駄なことをしていないかと、かねがね感じていたことではあります。

尋ねてみると、やっぱり理由がありました。①土手に雑草を生やさないのは、害虫の棲家をつくらないため。②田んぼの風通しをよくする。③モグラのを害を防ぐためetc

なお、モグラは餌のミミズをとるために、農耕地や牧草地に生息する動物ですが、田んぼにはよく出没します。そして、畦にトンネルを掘るので、水が漏れてしまう怖れがあります。

また、モグラの穴を早く見つけて修理する必要があります。その穴を見つけられるようにするには、草刈りをしなくてはなりません。また、そのトンネルがネズミの通路にもなり、農作物の害が出ないようにするためです。

モグラは強い掘削力を持っているので硬土でも掘り進むことができますが、餌の多い湿潤な柔らかい土壌を好むみたいです。

それはわかりますよね。硬い土を掘るなんて、人間でもごめんです。また、畦に草があると土手が傷みやすいので、硬い頑丈な畦道にする必要もあるみたいです。

2時間くらい作業をしただけなのに、腰痛ですぐに立ち上がれないくらいでした。現在、見渡すと高齢者ばかりで農作業をしています。それは日本全国津々浦々にある光景です。そんなですから、除草剤を使うのは致し方ないことなのでしよう。

ですから、この頃よく想像するんです。私のように、都会生まれの元シティギャル?たちが郊外の田畑を借りて、野菜作りを趣味のようにして楽しんだら、ちょっとした農業変革になるのではないだろうかと…。

ロシアとかドイツなどでは、週末になると郊外の菜園に出かける人たちがたくさんいるようですよ。なお、
写真は、私たちの田んぼで見つけたコオイムシです。準絶滅危惧種になっています。子を負う虫という名です。

29264e06.JPG調べると、
オスが背中で卵塊を保護している有名な昆虫です。体長17~20mm、体は楕円形で淡褐色~黄褐色。水深の浅い開放的な止水域に生息し、オタマジャクシ、小魚、ヤゴ、巻貝などを捕食する。国内では本州~九州に分布し、かつては普通に見られたが、近年一部の地域を除いて激減しています」。


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今夜は、問い③を取り上げてみます。
ハンナが出所する当日ミヒャエルが迎えに行くと、ハンナは早朝に首を吊っていました。ここで質問です。彼女はなぜ死を選んだのでしょうか。ミヒャエルの好意を受け入れてもよさそうなのに、どうしてそうはしなかったんでしょうか?
reader8
映画の中ではハンナを迎えに行くと、彼女は既に亡くなっていて、所長と会話をしています。彼女がずっとどんな様子だったのかミヒャエルは尋ねています。

原作にて、所長が語っていることです。「まるで自発的にここに来たかのように、規則にも自分から進んで従っていた。他の囚人たちに親切で、みんなからの人望は厚いものがありました。彼女には一種の権威があって、彼女が決めることなら、みんな受け入れました。数年前、彼女が投げ出してしまうまではね」

「それまでの彼女はいつもきちんとしてスマートで清潔好きでした。ところが彼女はその後たくさん食べ始め、めったに体を洗わなくなり、肥満して匂うようになりました。中略 外見や服装や体臭などが意味を持たない世界に引きこもった…」

なお、ミヒャエルが朗読テープをハンナに送るようになったのは服役後8年目で、18年目に恩赦になりました。所長の言う「数年前」が3年前だと仮定すると、8年目から15年目の7年間は、ハンナはかなりキチンとした人で人望もあったみたいです。

ところが死を選ぶ数年前から、ハンナは劇的に変化してしまったのですから、彼女が死んだ原因に、ミヒャエルは直接関わっていないことになります。

その後、所長さんがミヒャエルに、自分の予想を語っています。「何年も孤独な暮らしをしていると世間が耐えがたくなってしまうものなのかしら? 住み慣れた場所から世間に戻るくらいなら、自殺したほうがましなのかしら?」

所長の予想は当たっているのでしょうか? なお、映画にもこのシーンはあり、ハンナの変化にエッ!と気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんね。以下は、他の人たちがブログに載せていた感想文です。

独房での苦労と精神的な困惑は想像できたが、すでに生きる力と精神をコントロールする力は表情から消えていた。

やっと、30年?ぶりぐらいに、再会。お互い、気まずくて・・・彼女は、彼の反応に失望??してしまい、刑務所の中で、自殺してしまう。

年老いたハンナと再会してもやはり「キッド」とガキ呼ばわりされるのは、その頼りなさのためだろう。だとすれば自殺されてしまうのも無理ないのだ。

これらの感想は当たっているのでしょうか? また、あなたの予想はこことは違うのでしょうか? 続きは次回にします。

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reader4.jpg今日は、問いの②を取り上げてみます。

ミヒャエルはハンナが文字の読み書きができないことを知っていたので、彼女を助けることが出来たはずですが、そうしませんでした。なぜなんでしょうか? →②


ここを説明するのは簡単ではありません。映画では、ミヒャエルは留置されている彼女に会いに行きましたから、真実を告げて闘うべきだと彼女と話し合うつもりだったと考えることもできます。でもその場から立ち去りました。

その表情からは迷いとか葛藤みたいなものが少し見えたように思いますが、はっきりとしたものは出ていません。でも、その後にミヒャエルは父親に相談に行っています。

ユダヤ人の強制収容所にもでかけています。すぐに助けねばというふうになっていません。慎重な気質だと考えられるところです。

となると、前回のその3で絞っているように防御タイプ147の可能性は高くなります。このタイプは怖がりで小心ですが、だからこそ慎重という気質を備えています。

ここは映画だけでは確かではないので、原作を読みました。しかし、そこでも曖昧でよくわからない表現が続きます。なんとか次のようにまとめましたが…。

ミヒャエルは、自分が助ける行動を起してハンナの刑が軽くなったとしても、その後のハンナの人生まで考え出すと、どのような行動ができるのか、何が正しい行動なのかもわからず、ずっと自問し格闘し悩み続けています。

ハンナの犯した犯罪の恐ろしさとか、どのように裁けるものなのかと、さまざまに脳裏に浮かんでいます。そして、ハンナを理解しなくてはという思いも強いが、ハンナと話すことができなくなり、心は硬直して、ついにはハンナと関わりを持たない方向に落ち着いて行った…ということらしいのです。

さて、他の人たちがブログに載せている文は以下です。(青字は全て)
彼が裁判で、なぜ彼女を救わなかったのか全く分かりませんでした。

男は何を考え、何をしようとしたのかよくわからなかった。男の視点で物語は進むが、彼の意志が強く描かれていない。

裁判を見守るマイケルは、彼女が自分が不利になるのを承知で、ある秘密だけは隠し続けようとしていることに気づく。その秘密を知るただ一人の者として、マイケルは葛藤し、答えを見い出せないまま苦悩を深めていくのだが

そもそもマイケルは誠実であっても所詮ハンナの傍観者止まりで、映画でも文字通り語り部・READERに過ぎなかった。

唯一証言できそうな人間は事実上マイケルしかいなかった。彼はできなかった。彼もまた秘密があり、その葛藤で立ち往生してしまう。ハンナは生涯、自分の弱点に苦しむが、マイケルもまた悔恨から人嫌いになり、妻に離婚され、娘とも疎遠になる。

マイケルは彼女を救おうと思えば救えます。彼の学校の教授も「君は法に従う義務がある」と言いますが、彼は法に従うよりも彼女の意志に従ったのでした。自分で決めたこととはいえ、それによって無期懲役を言い渡されるハンナの姿を泣きながら見つめるマイケル。

ちなみに、監督のスティーブン・ダルドリーさんがインタビューに答えているものがあり、転載します。少しはスッキリできるかもしれませんね。

戦争が次の世代にどんな影響を与えたかというのが本作のテーマだ。ミヒャエルはハンナが戦犯であることに衝撃を受けるが、彼女を切り捨てることができない。かといって声を大にして彼女を救うことにもためらいがあった。そのことで罪悪感に影のように覆われて生きていくんだ。身近な人との間にこういう体験をしたのが、作者のシュリンクの世代なんだ。

ミヒャエルの動機を明確に書き出している文章は原作でも見つかりませんでした。でも、このような設定をした原作者の気質がわかれば、少しはハッキリさせられるかもしれません。が、今回はここまでです。

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 reader3.jpg                            
さて、問①です。ハンナが無期懲役刑を選んだのはどうしてなのか? と受講生たちに尋ねると「わからない」と言う人が多かったんですが、あなたにはわかるでしょうか?

ここは簡単です。ハンナは、文字の読み書きができないことを恥じていたからです。それは誰にも知られたくないもので、むろんミヒャエルにもです。

また、車掌から事務の仕事に栄転されるわかっているのに、すぐに辞めてしまったくらいですから。

そして、彼女は天涯孤独らしく見えます。原作にもハンナに家族がいたのかは全くかかれていません。ハンナの青春期は戦中と戦後で、社会全般が殺伐としており、そんな中では学ぶどころか職を得ることも容易ではなかったと考えられます。

まして、読み書きできないのでは職を選ぶことはできず、就けたとしても過酷な長時間労働で、しかも不安定な職だったのではないかと。生活に余裕は全く無く、生きていくだけで精一杯だった人なのかもしれません。

そんな予想が立ちます。ハンナはいつも不機嫌そうにしており、よくいらだっていましたから。疲れており、不安を抱えており、学ぶようなエネルギーも、時間もお金もなかっただろうと。

たぶん、職場を転々としていたと予想します。
このように舞台背景を知らないと、的外れなことを考えてしまう怖れがあります。

さて、羞恥心が強すぎる気質だと考えられるので、ハンナは「防御タイプ174」と判定できます。またの名を優等生気質といい、一番になりたがり向上心が強くて負けず嫌いです。

そのような気質であれば、文字の読み書きができないなど恥ずかしいというだけでなく、強い劣等感に襲われるもので、決して他の人に知られてはいけないものになるでしょう。また、自分に自信をつけることができず萎縮してしまい、疎外感が強く孤立感みたいなもので一杯だったろうと予想されます。

むろん、同じタイプでも個々人で羞恥心度は違うはずです。ハンナは度外れて強すぎると言えるくらいです。なにしろ選択できるのは、無期懲役と4年の刑期で、無期のほうを選んだ人なのですから。

さらに、罪を押し付ける4人の女性たちと対決しないままです。つまり、事実を明らかにしようとする気持ちよりも、羞恥心のほうが強かったのですから…。

でも、裁判ではそれ以外のことでは、ハンナは率直にありのままに、かつ自分に不利になるようなことにも正直に答えていました。
ところで、映画の感想をブログにまとめる人たちはよくいます。青字の文です。

ヒロインが、自分が罪を背負ってまで、なぜ文盲を隠したがるのかも理解できなかった。文盲なのは彼女の責任ではないし、努力すれば克服できるはずなのに。

「文盲」って、自分の人生をかけてまで隠さなければならないことなんだろうかってこと。時代が違うからか、土壌が違うからか? どうも、腑に落ちないところなんですけど・・・。

彼女は実はそれを恥じていたのでは無いのです。彼女が本当に恥じていたのは“沢山の人を殺めた”という事実だったのです。しかし彼女はその重圧に耐えられず現実を直視出来ないが故に、「読み書きが出来ない」という事を自分の最も恥じている事に「仕立て上げ」、自分が本当に恥じている事の上に置く事によって、本当の恥を隠そうとしたのです。

裁判って刑を軽くしてもらうためにはどんなウソでも付かないといけないのに、その逆をわざわざやるんだから、ハンナは相当なプライドの持ち主だなぁ、馬鹿だなあという感じになってしまった。

ハンナは裁判で記名せず、自分が犯罪のリーダーだと認めてしまう結果となったのは、重大な罪状を一身に背負わされる事よりも非識字者という事実を公けにするほうが愚かだという意識があったからなのだろうか?

タイプが違うのでわからなかったのだろうと思われる感想文もありますが、なにを言っているのかわからない文もあるように思います。そして、あなたに近いものはあったのでしょうか?

追加です。とても興味深いブログ記事があったので、転載しています。この方の感想文が一番面白く読めました。http://blog.goo.ne.jp/masakichi917/e/982e854203c4356ff1a195dd491fcc4d

日本の識字運動で功績のあった天理大学の故内山一雄教授の報告によると、非識字者のそれを隠そうとする心情は、一般人の想像を絶するものがあるといいます。絶えず自分自身みじめな思いで暮らさざるを得ず、役所へ行けば自分の住所、氏名を書けと言われるのではないかなと怯えて、「いや、手を怪我してますんで」と言い訳するために、始めから右手に包帯巻いていくとか、公の場へ出た途端にもう心臓がどきどきして、体が震え、識字学級で練習したときはちゃんと書けたのに、そこに行ったら途端に鉛筆が震えて書けなくなったということがあるそうです。

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reader2.jpg 前回6/21の続きです。
ナチスのユダヤ人虐殺に関わった事件があり、ユダヤ人を看視していた者はハンナを含めて5人です。4人は自分たちの罪を逃れようとして、ハンナが責任者として報告書にサインをしたと主張します。


ハンナは文字の読み書きができないのでサインはできません。裁判官はそのサインがハンナと同じ筆跡なのか確かめようとします。

しかし、ハンナは、「確かめなくともよい、自分はサインした」と主張してしまいます。その結果、ハンナは無期懲役(原作では)で、他の4人は短い懲役刑を言い渡されます。

さて、あなたならば、自分が読み書きできない(文盲は差別的な言葉だとして現在はあまり使われない)ことを知られたくないので無期懲役の刑を受けるか、それよりも事実を訴え、4年くらいの刑になるか、どちらを選ぶのでしょうか。

ハンナがそちらを選んだのはどうしてなのか? と受講生たちに尋ねると「わからない」と言う人が多かった。あなたにはわかるでしょうか? →①

さらに、ミヒャエルはハンナが文字の読み書きができないことを知っていたので、彼女を助けることが出来たはずですが、そうしませんでした。なぜなんでしょうか?→②

とはいえ、ミヒャエルはハンナのために、テープレコーダーで朗読したものを吹き込んで、刑務所に送り続けます。そのお陰と言うべきか、たっぷりと時間があるハンナは文字の読み書きを学びはじめ、いつしか習得してしまいます。

次に出会うのは、ハンナが恩赦で18年の服役生活に終止符を打って出所するという知らせを受けて、ミヒャエルが刑務所に出かけたときです。

ハンナの身元引受人になったミヒャエルは、彼女のために住む家や仕事先を用意します。壁にかける絵を選ぶなど熱心で万端に準備を進めました。

しかし、当日の朝、迎えに行くと、彼女はその早朝に首を吊っていたというストーリーです。ここで質問です。彼女はなぜ死を選んだのでしょうか。ミヒャエルの好意を受け入れてもよさそうなのに、どうしてそうしなかったんでしょうか? →③

なお、他の人の感想を知りたくて探すと、次のようなブログ記事を見つけました。
カメラはハンナをしっかり捉えているが、物語はその内面にまであまり深入りしていない。原作もそうだが、ハンナの心は、ボクらが想像することによってのみ表れる」

その通りだと思います。では、ハンナとミヒャエルは愛し合っていたのでしょうか。朗読のテープを送り続けたのは、ミヒャエルがハンナを愛していたからでしょうか? →④
 
映画を観て、どのような想像をするか、解釈をするのかで、あなた自身のタイプがわかります。でも、その想像や解釈は、作者たちが考えていたものと違うものかもしれません。同じ可能性もあります。

もしも、違っていたら、作者たちの思いとか狙いなどを理解することはできません。
では、この作品の作者のエニアタイプは何タイプなのでしょうか? →⑤  

なお、5
つ全てが正解ならば、作者と同じタイプの可能性があると思います。映画のほうをぜひとも観て頂いて、よかったら①~⑤について、あなたなりに書き留めてみては如何でしょう?

 

 

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p>動画・バラクのスーパープレー集(背番号13の人物)

サッカーのワールドカップ(W杯)南ア大会も終盤になりますが、今日は2002 FIFAワールドカップで話題となった選手を取り上げようと思います。

その日、たまたまテレビのチャンネルをつけたら、ドイツと韓国の準決勝戦でした。その折に印象に残った選手が、ドイツ代表のミヒャエル・バラックでした。

バラックは「味方のミスをカバーするためにイエローカードをもらうと累積警告で決勝に出場できなくなることを知りながら、戦術的ファウルを犯してイエローカードをもらった」とあります。(その場を見ていたのですが、うまく説明できないので、ウィキペディアより転載)

つまり、チームのために自己犠牲したという訳です。悲壮な顔つきの顔写真が新聞にも大きく取り上げられたので覚えている方もいらっしゃるでしょう。そんなにまでしてチームを勝たせようとしましたが、決勝で敗けました。

イギリスの新聞「タイムズ」の中で、バラックが以下のように語っています。
「ジェラードとランパードは、機能させるために賢くやらなければならない。チームのために己を抑える必要がある…中略…ビッグチームでプレーするということは、良い選手に囲まれるということだ。自分のことだけ考えるわけにはいかない。犠牲にならなければいけないよ。彼らがそれを引き出すためにプレーできなければ、とても残念だ」

上の記事が載っているサイト
http://www.goal.com/jp/news/74/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89/2010/06/11/1971130/%E3%83%90%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%AF%E3%81%8C%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%89%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C

「チームのために犠牲」という考え方を持っている選手みたいです。エニアタイプはタイプ2と判定できるところです。これに関しては以下のところを読んでみてください。

①「究極のエニアグラム」p240
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory3.htm
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-219.htm

15bdbd62.jpg同じタイプ2でも、チームよりも自分の利しか考えない人間はいます。こういう人はタイプ2だとすぐには判定できません。

が、バラックさんのほうは典型的でわかりやすいタイプ2ということになります。


彼に関しての批評には、「スター選手でありながらもワンマンプレーに走る事がない。チームプレーを信条としている。そのため、ボールに絡まず黒子に徹することも多い」というものもあります。

バラックは、言っている通りの行動をしている選手だったようです。口ばっかりのタイプ2もいますからね。

363ec523.jpg
彼は現代サッカー最高峰の選手の一人なのだそうですが、今開催れている最中のFIFAには、ケガをして辞退したようで出場していません。

ちなみに、顔つきも顔相も、俳優マット・デイモンに似ています。同じタイプ2だと判定しています。どちらもウイングは1なのではと思うのですが判定に至りません。
 

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