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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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「自分がそこにいるんだけどいない感じというのは、ぼくは一番強く望むんですよ」とインタビューに答えているのは、つげ義春です。(ガロ705月、左右田本多 「マンガ批評家=つげ義春」)

「ねじ式」などの漫画がヒットしたつげ義春もタイプ4と判定しています。彼は「自分史」(中央公論)の中で「自分の存在する意味がつかめず、存在の不安に悩まされている」と書いています。

彼は崖っぷちに立っていると考えるならば、存在することそのものが不安になる、とわかるのではないでしょうか。それに、生きている意味がなくとも、存在の不安に悩まされることなどない人は、たくさんいますからね。

また、彼の作品には「無能の人」というタイトルの作品があります。河原で石を売る男の図はよく知られています。つげさん自身も石を売ったことがあるそうです。

彼の作風をみて、シュールだと言っている人がいるようですが、単に、「無能」を一枚の図にしたというだけのことでわかりやすいものです。しかし、他のタイプの人たちからは不可解なものになるのでしょうね。

前のブログで紹介していますが、サリンジャーさんも学校の教師たちから「不可解」に思われていたみたいですからね。不可解であっても意味が深そうにみえるので、タイプ4の作品の中には、芸術的だとか哲学的だなどと見られるものがあります。

ところで、「無能の人」を映画化した竹中直人もタイプ4と判定しています。無能どころか才能豊かな人に見えるのですが、どうしてよりにもよって、それを選んだのでしょうか。たぶん惹かれるものがあったからだと思うのですが…。

さて、「そこにいてもそこにいない」とは、別の言い方をするならば、現実感がなく、目が覚めてもまだ夢をみているような心理状態に陥っている」とも言えます。

映画「マトリックス」の中で主人公のネオも言っています。「目が覚めてもまだ夢をみているような状態」と。現実世界と仮想世界が入り乱れているとも言えます。

この映画のあらすじ→
今まで現実と思っていた世界がコンピュータの反乱によって作られた仮想現実であることを知らされたネオが、人類が養殖されている現実世界で、人口知能との戦いに巻き込まれていく…」

監督と脚本を担当しているのはウォシャウスキー兄弟です。二人をタイプ4なのかはまだ判定していません。でも濃厚に匂ってくるのです。いずれ詳しく調べたいと思っています。

この兄弟は、押井学(タイプ4と判定)の映画「攻殻機動隊」に影響を受けていたと語っています。(押井氏との対談も雑誌に掲載されている) その攻殻機動隊も、タイプ4の作品なのですから…、それに「攻殻」という造語も、なんとなくタイプ4が考えそうな…。

符丁が合いすぎています。同じタイプゆえに価値観が同じになりやすく、物事の捉え方も似てしまうのでしょう。でも、こういうことはよくあります。それで芋ヅル式に、9つのタイプを把握できるようになります。

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エニアグラムのそれぞれのタイプを調べていくと、同じタイプは時々、妙なところで符丁が一致しているようにみえます。それで驚いてしまうのです。たとえば、サリンジャーとサン=テグジュペリ(タイプ4w5)にもありました。

当ブログ2008/04/21サン=テグジュペリが語っていることを載せています。「僕の心の中にはこんな男の子が住んでいるのさ」と、自分のことを「寄生者なのだ」と言うところで、なんとなく無能なんだと言っているようにみえます。

サリンジャーのほうは「ライ麦畑で子どもたちが崖から落ちないようにキャッチするのが自分の唯一の仕事」だと言っているようなものです。どうもよく似ています。符丁を合わせたと思うくらいです。

また、「ライ麦畑~」という小説を知ったのは、「攻殻機動隊を読んでからだ」と受講生から聞いていますが、「攻殻機動隊」は士郎正宗さんが描いた漫画ですが、その中のセリフは以下です。

「世の中に不満があるなら自分を変えろ!! それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!!」 

「ライ麦~」の中にあるものは→「僕は目も耳も使えない人みたいなふりをしなきゃって思ったんだ(I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes.)」 

士郎正宗もタイプ4と判定している方ですが、彼は、きっと、このセリフを自分の作品の中で一度は使ってみたいと思っていたんでしょうね。

ちなみに、サリンジャーは、まさに、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らしていたのかもしれません。

さて、この
目も耳も使えない人みたいな…」によく似てものとしては、HPのどこかに「タイプ4は見ざる、聞かざる、言わざる、という諺にある三猿のように、殻にこもることがある」と書いています。

目も耳も使えない人みたい」とは、透明な存在というべきか、そこにいてもそこにいないような存在でもあり、存在感が薄いとも言えるところです。

タイプ4を、当会では「隠れる」という自己生存防衛戦略を持つタイプ(以下のアドレスにある)と分析しています。 (http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory3.htm) 

「隠れる」という防衛戦略を持つ人間であれば、隠れるのがうまくなります。また、なにか危険を察したら、すばやく身を隠してしまうでしょう。存在感というものも、あまりないほうが安全です。となれば、ひきこもりになりやすいのも頷けます。続く…。

 

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JDサリンジャーは熱狂的なファンに囲まれたスター作家ですが、アメリカの片田舎で隠遁生活を始めて、それ以降は公の場に姿を現さない「謎の著名人」でした。

住まいのある広い敷地を囲む塀はなんと2mもあるという。その地域に住む人たちも彼の姿を見たことがなく、ファンからの手紙や電話にも応答しなかった、と報道されています。

イアン・ハミルトン著の「サリンジャーをつかまえて」という伝記(文芸春秋)によると、ハイスクールの頃は、「しばしば神経衰弱にかかる・神経過敏・無口でもの思いに耽りがち・人と違ったことをしたがった・遊びに加わろうとしない・仲間からソニー(坊や)と呼ばれていた」等々。

この「人と違った事をしたがった」とあるところはタイプ4らしいものですが、それだけでは絞りません。でも、坊やと呼ばれていたところは、「末っ子気質」のタイプ4らしいところではあります。

軍学校の報告書などには「(彼の性格は)不可解」。同窓生からは「機知とユーモアに富む・冷笑的・物まねを楽しんだ・皮肉や・嘲笑的・警句を飛ばす・破壊分子的な存在・芝居好き」

タイプ4は内省的でオープンに自分のことを何でもしゃべるほうではありませんから、「不可解」と受け取られるのはよくあります。

そして、同窓生
から見た彼の様子は、自信を持っている元気なタイプ4によく見かけるものです。たとえば、クラスのムードメーカー的な存在になっているタイプ4はよく見かけます。

また、「ジェリー(と呼ばれていた)は、学内の軍隊で昇進させられることのないようにあらゆる手を尽くしたと思う」ともある。ここら辺りはとくにタイプ4っぽいところです。末っ子気質であれば、上の立場に立つことは困惑することでもあり、苦手となり、避けたいものになるでしょう。

教師からは「もの静かで思いやりがあり、常に人の気をそらさない生徒」。ある下級生からは「横柄な奴で、万事にシニカル」と見られていた。

タイプ4は謙虚で控えめな人たちだと思いこんでいたとしたら、それは間違いです。他の人たちから横柄に見られるような振る舞い方をする人間もいます。

目下とか自分より劣る人間には横柄になることはあります。それは他のタイプと同じで、例外はありません。特別によくできた人物だけが、他人に対して横柄にならないというだけのことです。

さて、サリンジャーの気質がわかるところをもっと紹介したいのですが、紙面の関係でここで止めておきたいと思います。わかりやすいほうのタイプ4と言えるんですが。

ところで、長期のひきこもりをしていたわけですが、晩年の彼が不幸だったのかわからず、結構充実した生活をしていた可能性もあるように思います。

どうも、熱心に何か執筆していたようですからね…。いつかそれが本になって世に出るかもしれないと思っています。


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 今年の1月、J・D・サリンジャー(Jerome David Salinger)死去というニュースが流れました。彼の代表作が「ライ麦畑でつかまえて(The Catcher in the Rye)」です。

 若者たちから熱狂的に迎え入れられて、主人公は青春文学を代表するアンチヒーローと言われていました。売り上げは、世界全体で6000万部という驚異的な数です。

 30年くらい前に、たぶん私は野崎孝訳を読んだのだと思います。評判になったことなど露知らず、単にタイトル名に惹かれて手にしただけなのですが。

 その10年後くらいに、エニアグラム研究者ドン・リチャード・リソの著書と出会いましたが、そこに、サリンジャーは「タイプ4w5」だと紹介されていました。

 その頃はまだエニアグラムの本を読み始めたばかりでしたが、主人公のホールデンのような人を、タイプ4だというのか、と、驚きつつ何故かスッと頭に入ってきました。

 現在では、リソの考え方やタイプ判定にかなり疑問を抱いていますが、このサリンジャーのタイプに関しては、今でも私と一致しています。ただし、私のほうはウイングは小説からだけではわからず、判定していません。


 さて、「ライ麦~」は、主人公の青年が成績不振で学校を退学させられたことがきっかけで寮を飛び出して実家に帰るまでの3日間のお話です。これは実体験でもあり、彼は13歳の時に有名校から退学処分を受けています。

「とにかく僕は小さな子どもたちがゲームをして遊んでいるのを想像するんだ。その広いライ麦畑やなんかでね。何千という数の子どもたちで、まわりには誰もいない。つまり、大人はひとりもいないってことさ。僕以外にね。その僕はすごい崖の淵に立っている。
 僕の仕事っていうのは、子どもたちが崖から落ちそうになったら、彼らをつかまえることなんだ。つまり、子どもっていうのは、自分がどこにいるのかも気にせずに走り回るからね。そういうとき、僕がどこからか飛び出していって、つかまえるんだ。一日中僕がするのはそれだけさ。僕はライ麦畑の捕手になりたいんだよ」


ウィキペディアでは上記のところを取り上げて、落ちこぼれ意識や疎外感に苛まれる主人公が、妹に問い詰められて語った夢が、作品のタイトルとなっている」とある。

さて、「僕はすごい崖っ淵に立っている」とあるところですが、当会のエニア理論には「世界の淵にいると自己認識するタイプ(7・1・4)」というものがあります。また「末っ子気質」という名称もつけています。(以下のところ、クリックすれば飛べます)

http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory1.htm
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory7.htm

タイプ4は、たとえ長男に生まれたとしても本質的には末っ子的なところを色濃く持つタイプです。「末っ子のみそっかす」であるためか、疎外感を抱きやすく、自分を小さくて無力な存在に思いやすい傾向があると分析しています。


「一日中僕がするのはそれだけさ」とありますが、それは、それ以外には何もできない無力な存在っていうことではないでしょうか。

また、子どもの世界から離れていない、というよりも本質的には、「子ども」あるいは「少年」であるがゆえに、
あのようなことを書いたのだろうと推察します。続く……

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 「冬水田んぼ」という農法にて、友人と一緒に米作りをすることになりましたが、借りた田んぼは、小学校の教室4個分くらいの広さです。
 
 写真にある隣の田んぼ(教室2個分くらい)には水が入ってません。こちらは普通の農法でするつもりです。2つの農法の違う田んぼを耕作して、その違いを比較して観察しようというものです。
88619b66.JPG
 
 友人宅の近くにある田んぼですから、目が行き届くので安心です。

早くも田んぼにカエルの卵がお出ましです。写真にはおたまじゃくしも写っています。
約1週間で孵るようです。

 このカエルは「ニホンアカガエルらしい」というメールが届きましたが、その辺りでは、「シュレーゲルアオガエルが多いので珍しい」と言うのです。でも、カエルには興味が湧かないので、どちらでもいいんですが…。

86e212a9.jpg
 でも、そんなメールが届いたせいなのか、ふと目に付いたのは、「世界中で激減するカエル、原因は除草剤アトラジンか」というニュースです。

 ついでに、除草剤でカエルがメス化」とか、「除草剤はカエルの免疫機能にも悪影響」という記事も拾ってしまいました。

 また、「両生類は皮膚が薄く浸透性で、雨や地下水、水蒸気などに含まれる化学物質を吸収しやすい。それが世界的にカエルが減少している原因ではないか」とある。

 ところで、このアカガエルは準絶滅危惧種に指定されています。それはこのカエルの繁殖に適した早春に、水のある水田や湿地が著しく減少しているからのようです。


 
冬期に田んぼに水を入れなかったら、このカエルはどこで卵を産んだのだろうか? ここは、農薬を使わないから、よかったね、って思う。カエルには全く興味がなかったはずなのに…、なんとしたことか! 人間って変るもんですね。

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「自虐の歌」の主人公・幸江は、幸せの見つけ方がうまいと前回紹介しています。たとえば、幸江は、イサオと出会った楽しかった頃のことをよく思い出します。

隣家のおばちゃんに、その頃のイサオの話をしています。のろけているだけなのですが…。また、「いい匂い」とイサオの服や体の匂いにうっとりします。そのシーンを数えるとなんと7回もあります。

イサオの他人を威嚇する強さにうっとりして、その男っぽいところに惚れています。また、イサオに金をだまし取られたり、ヘソクリも盗られますが、その金で花や服などをイサオに買ってもらうと、「あらうれし! 」です。元々は「私のお金なのに…」

この漫画、ちゃぶ台返しの場面はなんと52回もあります。が、幸江は否定的に受け取っていません。「(私を)ケガさせないように工夫してくれる、気遣ってくれる」と言うのです。究極のポジチィブシンキングです。

イサオは他家の庭から花を手折り、幸江に何気なく手渡します。しかし、幸江はそれをとがめるのではなく、自分の誕生日を忘れないでいることに感激し涙します。よくあるような「盗んだ物をもらっても、うれしくない!」と責めたりはしないのです。

このマンガに感動している読者は、幸江のそんな愛らしさ、いじらしさに涙しているのでしょうか? そんな気がします。しかし、男の手前勝手なところに着目する人からは、不評になるようです。

ところで、「幸運な人が常によい機会に恵まれ、不運な人が機会に恵まれないのは、彼らの行動や考え方に原因がないか」を確認する実験をした人がいます。

ハートフォードシャー大学のワイズマン博士です。何百人ものボランティアに面接して話を聞いたり、彼らの経験を尋ねました。そして、2つのグループの違いが、チャンスを見つける能力の違いからくるのか、テストをしました。

幸運グループと不運グループの両方に新聞紙を与え、「新聞の中に何枚写真があるか?」と質問しました。実は新聞の半分くらいのところに大きなメッセージで、「この文字を見つけたことを伝えると50ドルもらえます」と言う文が書かれていたのです。

この文は5センチ以上の活字で印刷され半ページほど占めており、まさに目の前に来るようになっていましたが、不運グループはそれを見逃す確率が高く、幸運グループは見つける確率が高かったそうです。

不運な人は何かを探すことに集中しすぎて、別の良い機会を見逃すことになり、結果として不運になってしまう、というものです。

2月末に知人(タイプ4)からメールが届きました。「幸せは 獲得するものでもなく 訪れるものでもなく 気づくものだと思う」

しかし、努力しないと獲得できない幸せ、というものもあるだろうと思われます。突然に思いがけなく訪れる幸せもあるのではないでしょうか。

でも、幸せは「気づくものだ」という捉え方は、一番、幸せの近くにいるものではないかと、そんなふうに思います。幸せというものは、外から来るものではなく、自分の中にあるもの、自分の意識の向け方にあるからではないでしょうか。

 

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かつて、純心な人がいると思っていました。たとえば文学作品の登場人物の中に、そのような人間をチラッと見たような…。でも残念なことですが、現実の人間には、純心な人もいなければ、純粋な人もいないと考えられます。

むろん純情な人もいないと、現在では確信しています。また、それは事実です。事実って聞いて信じる必要はないけど、事実なので、そうに決まっています(笑い)。

エニアグラムの9つのタイプも、その気質をよくよく知ると、「純」と付けられるタイプはいません。でも、以前にどこかでそんなこと書いているかもしれませんが、訂正しておいてくださいね。

どのタイプも、怒り、ねたみ、ひがみ、そして、他の人たちを非難したり、悪口を言い、そしり、見下したりしています。

どの人だとて負けたくないのであり、見下されたら腹を立てます。誰かと比較して、うらやんだり、そねみ心で一杯になり、いつしか悔し涙を流して、腹立ちまぎれに、八つ当たりします。単に程度の違いがあるだけに過ぎないと思っております。

なお、優等生気質(714)の人たちの中に、純粋で純情で、純心そうに見える人がいるかもしれません。しかし、それは誤解です。よい誤解なので、悪い誤解よりはいいのかもしれませんが、正解ではありません。

内実はみな同じだと知れば、誰かを羨むことはなかったんです。誰もが悩んでいるのです。どのようなことで悩むのか、その種類が違うというに過ぎません。

また、それらの軽重の違いがあるだけです。ある意味、みんな仲間なのです。そう考えれば、貴女も、貴男も、孤独ではありません。

動画をはじめて掲載しています。冬好きでもあり、気に入っている曲でもあり載せてみました。なお、英訳は他サイトから転載させてもらいました。
 A Salvation Army band played And the children drank lemonade And the morning lasted all day, all day And through an open window came Like Sinatra in a younger day, Pushing the town away Ah hey ma ma ma Life in a northern town. They sat on the stoney ground And he took a cigarette out And everyone else came down to listen. He said "In winter 1963 It felt like the world would freeze With John F. Kennedy and the Beatles." Ah hey ma ma ma Life in a northern town. Ah hey ma ma ma All the work shut down. Ah hey ma ma ma Life in a northern town. 
冬はながく、ながい冬ほど春がまちどおしい。重たい灰色の空や長い夜もわるくないもの。寒さにかじかむ手をこすって温めるのはたのしい。冬の澄んだ空気を鼻から大きく吸い込むと気分がいいし、外で笛をふくといい音がする。春までまだまだ時間がたっぷりあるので、仕事を少なめにして、冬の暮らしを、ゆっくりたのしもう。

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 テレビドラマ「おしん」は、1983年4月にはじまり1984年3月で終了しています。「自虐の歌」のほうは1984年末に始まり、1990年7月に終了しました。
 時期的にみれば、業田さんに影響を与えた可能性はあると考えることもできます。


 おしんは逆境にもめげずに、決してあきらめず勤勉に生きた女性で、それなりの社会的な地位を得ており、成功者と言えるでしょう。そして、おしんの勤勉な姿に共感する人たちが多かったので、大ヒットしたのではと考えられます。

 でも、おしん自身は、他の人にいじわるしたりしません。嘘をつかず、いつも自分が正しいと思ったことをして、いわば良い子をしていて、優等生的な振舞い方をしていると考えられます。

 しかし、いじわるされた場面を細かく描写して、嫁姑との確執なども丁寧に描いていますから、ドラマを全体的に眺めるとドロドロとして、どこかベッタリと重い感じがします。

 一方、幸江のほうも、辛いことひどい事がテンコ盛りです。幸江さんもそれなりに健気に勤勉に生きていますが、ちょっと要領よいところがあり、嘘もつきます。

 しかしながら、全体を見ると淡々としてカラリと乾いているという印象が残ります。ギャグ漫画なので、当然にドロドロというものになり得ないのですが。
 
 こちらのクライマックスは、父親が銀行強盗をして捕まるところです。当然、幸江はそこに居られなくなって、高校卒業後すぐに故郷を離れて上京します。その後も、幸江は運が悪いらしく、落ちるところまで落ちてしまったのですから、優等生的とは言えません。

 イサオと出会って、ようやく幸せをつかむのですが、それでもイサオは遊び人で、生活は楽にはなりません。健気でも勤勉でも、成功者になれないようです。

 そこが、二つの物語の大きな違いです。そして、おしんを見ると、努力することが大切なんだと、そうすれば悔いない人生がおくれると言っているようにみえます。

 一方、幸江さんの苦労はずっと続きそうな感じがします。努力しても得られないものがあるんだよと教えてくれているように見えます。

 でも、幸江は、幸せの見つけ方を知っているようで、幸せは獲得するものではないのだよと教えてくれているように、私からは見えます。

 このように比較すると、「自虐の歌」は、「おしん」があるからこそ生まれ出た作品で、「反おしん」のような作品なのではないかと思われるのです。

 なお、世界は否定的で戦場のようなところだと思い込んでいるタイプ7にとっては、タイプ2の作品はどこか眉唾な感じがするのではないかと予想します。

 現実はそんなんじゃないだろうとか、いい子ぶるなと言いたくなるのではと予想するのです。
また、偽善的で欺瞞的にも見えているのかもしれません。 

 それで、おしんのパロディみたいなキャラクターを思いついたのではないかと…、密かに…、そうに違いない…、たぶん…、などと思っているのでございます。(連ドラのナレーターになっているつもり)

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マンガ作品から、人の心理を面白おかしく誰にでもよくわかるように説明したいと、日夜、孤軍奮闘?しているところです。

「自虐の歌」は泣けるマンガだと大評判になり映画化もされています。なお、描き上げた漫画家の業田良家さんのエニアタイプは、この作品から判定しています。

彼をタイプ7と判定していますが、ウイングはまだわかりません。が、「7w6で6のウイングが軽い・7w7・7w8で8のウイングが軽い」という3つまで絞っています。ウイングがわかりにくい場合は、どちらのウイングであっても、重いほうではないと絞ります。

ところで、業田良家さんがインタビューに答えています。(以下をクリックすれば飛べます)

http://www.jigyaku.com/interview/gouda1.html

「最初は毎回違う主人公で書いていたんですね。そのうちに不幸な女性もギャグになるかなと思いついて、まあ不幸な女性には乱暴な男性が似合うかなと思って、この二人で書いていたんですけれど、テーブルをひっくり返すというのがすごいウケたんです。それで何回か続けて登場させているうちに、だんだん2人の物語になってきたという感じです」

この不幸な女性が「幸江」で、乱暴な男性が「イサオ」ですが、幸江は中華料理店の店員をしています。イサオは元組員らしく、無職で怠け者で、無口な男っぽい男性です。

ところで、ふと「おしん」という連続ドラマを思いだしました。なぜなら、「自虐の歌」は、「おしん」と対極にあるような作品ではないかと気づいたからです。

なんとなく、「おしん」のパロディみたいな感じもします。「おしん」はタイプ2w1(橋田寿賀子)の作品で、清く正しく美しく生きようとする娘さんです。いじわるされても、辛い目にあっても、人への愛を失わない人間になろうと思っているみたいです。

(ちなみにYouTubeでおしんの動画がみられます。世界各国で評判になったドラマです)


一方、こちらの主人公・幸江は、たちんぼ(と作品に書かれている=街娼)で、しかもシャブ中(覚醒剤中毒)だったという過去を持つ女です。顔も美形とはほど遠く、生きていくためとはいえ、小学生の頃から万引きや泥棒などもしています。

おしんの家族は、娘思いの母親がいて、父親もまじめな働き者です。亭主もそれなりによく働く男です。一方、幸江の母親は娘を残して家を出てしまい、父親は遊び暮らしているのか、サラ金業者から取り立てられてばかりです。

また、娘を働かせて、娘ににたかるようなカイショなしのゴクツブシの父親です。イサオも父親とよく似ています。清く正しく美しく生きられそうにない家庭環境です。でも、健気で可愛らしいところもある娘さんです。

貧乏な家庭に生まれ育ったという点では似ています。でも、こんなにも違いがあるのに、「おしん」と同様に、幸江も多くの人々を泣かせているのですから、ちょっと不思議です。 
                                ……to be continued                                             


 


 

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タイプ6の人たちのことをもっと具体的に知りたいというメールが届きました。でも、具体的にっていうのがなかなかに難しいのです。

それで急に気づいて、またも木下博勝さんのブログを覗いてみたら、なんと「世渡りについて」というタイトルがありました。岡野雅行著の「人生は勉強より、世渡り力だ!」という本の紹介をしているのです。

10年以上も前に受講生された方の娘さんが、タイプ6と判定できる人でした。家族からは「世渡り上手な〇ちゃん」と言われていました。

ちなみに、私の親戚には、タイプ6の人は比較的多いのですが、周囲の人たちと適当にうまくつきあうことができ、まさに世渡り上手に見える人ではあります。

さて、2/10付ブログは→一年くらい前に読んだ本ですが、なるほどと思わせて頂きました。世の中は世渡りだ!と明言されています。とは言っても、悪どく生きるという内容ではなくて、お礼の言い方、仕方など、本来は出来ているべき事も、盛り込まれています。世渡り上手になるには、ある程度の遊びも必要なのかも知れませんね。

ここで注目したいのは、「お礼の言い方、仕方など、本来は出来ているべき事も、盛り込まれています」のところです。

お礼の言い方も、考え出すと難しいものではないでしょうか。口の中でモジャモジャと濁し、で、どうも、どうも…、で終わってしまっている人も多いように感じます。えっ! いえいえ私のことではありませんよ(´Д`;)

しかし、彼は「本来できている事」と言う。しかも「世渡り上手になるには、ある程度の遊びも必要なのかも」です。まあ、それもそうかもしれませんね。お硬いことばかり考えていたら、世渡り上手になれないのでしょうね。

そして、1/25付大学の近くでお茶をしながら、韓国語の宿題(基本の復習)をしています。個人的には、かなり嬉しい時間です。僕の母は、家事一般が超苦手な人でした。仕事と勉強が好きで、夜はいつも勉強していました。勉強がストレスの解消!と断言していたのを覚えています。子供の頃はそんな母が嫌いでしたが、今は母の気持ちが分かります。親子だなと、実感します。僕も、今は、勉強する事がストレス解消になっているからです。

木下さんは医師ですから学業成績は優秀だったのでしょう。そういう人たちは勉強することがストレス解消になるようですね。

知り合いのタイプ1の女性も50歳になりますが、同じようなことを言っていました。私には全くわからないことなんですが…。タク! うらやましい人たちがいるもんですね。(o´_`o)ハァ・・・

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