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幕末から明治維新の頃ならば、小説や映画やテレビの時代劇などから、一般によく知られています。話題にもよくなります。
がしかし、大正時代のことは知られていないだけでなく、話題にもならないことが多いのではないでしょうか。
中勘助の「銀の匙さじ」の後編の一部を以下に転載しています。これは大正2年(1913)に書かれ、大正4年の4月から朝日新聞に連載されたものです。
戦争(日露戦争)が始まって以来、仲間の話は朝から晩まで大和魂でもちきっている。私はそれを心から苦々しく不愉快なことに思った。先生はのべつ幕なしに元寇と朝鮮征伐の話しばかりする。…中略…私は彼らの攻撃をひとりでひきうけながら、きっと負ける、きっと負ける、と言い切った。
先生はれいのしたり顔で、“日本人には大和魂がある”といって、いつものとおり支那人(中国人)のことをなんのかのと口ぎたなく罵った。
私は自分が言われたように腹にすえかねて、“先生、日本人には大和魂があれば、支那人には支那魂があるでしょう。日本に加藤清正や北条時宗がいれば、支那にだって関羽や張飛がいるじゃありませんか!”
“それに先生はいつかも謙信が信玄に塩を贈った話をして敵を憐れむのが武士道だなんて教えておきながら、なんだって、そんな支那人の悪口ばかし言うんです!”
ここからわかることは、中勘助は大正2年頃に、反戦らしきことを小説で説いているとも考えられます。そして、朝日新聞もそれを連載していたのですから…、なんというか驚きました。
太平洋戦争がはじまる頃(1941)であれば、朝日新聞だけでなく他の新聞社も、このような小説を載せたりはしなかったでしょう。
この小説を読んで、大正時代のイメージが変わりました。また、こんなに気骨のある人もいたのかと…、少数派だと思いますが。というより、めったにお目にかかれない人かもしれません。
周囲にいる人たちのほとんどが興奮しており、好戦的で愛国的になっている折に、一人だけ異をとなえることは大変な勇気が要ります。少年たちに“勇気を持って!”と説いているように、私からはみえます。
ついでながら、我が家から車で40分くらいのところに、「大正村」があります。人気がないのか、ちょっと寂れています。
受講生たちから家庭内の子どもたちの様子をよく聞かされます。その中でも傑作だったのは、「猫舌」に関することです。
「うちの亭主(タイプ7)は猫舌で、大して熱くないのに、お茶が熱くて飲めない!って言うので水を少し入れると、今度は冷たすぎるって言うんですよ。わがままなんです」
「うちの娘たちもみな猫舌です」と母親(タイプ9)が語る。娘さんが二人いますがタイプ6と4です。
「私の家では猫舌でないのは私(タイプ2)だけなんです。夫(タイプ1)も息子(タイプ3)も娘(タイプ7)もみなアツアツだと食べられません。少し冷めるまで待って食べ始めます。確かめてから食べます。用心深いんです。私と違います」
むろん、これは私が身近な人たちから得た情報ゆえ、不確かなものです。また、大人タイプ(9852)にも猫舌の人がいて、子どもタイプ(17634)でも猫舌ではない人がいました。
それでも、猫舌って、大人たちよりも子どものほうが多そうなイメージはあると思いますが、まさかエニアタイプでも、子どもタイプに多いのかあ! って感じです。
猫舌って、考えてみるとおかしなものですね。ネット上で見つけたものは、朝日大学歯学部の硲哲崇(さこ・のりたか)教授が、猫舌について語っていることです。
「科学的にはなにもわかっていません。そもそも組織学的な検査を行っても、舌の組織の厚さや薄さ、神経の多さや少なさなどに、個体差はほとんどないとされています」
「最近は舌の使い方なのではないかという考え方があります。舌の先は温度に対して敏感なのですが、逆に真ん中から奥にかけては熱さを感じる部分が少ないのです。つまり、猫舌でない方はうまく敏感な部分に触れないようにして食べることができている」
「食べ方のテクニックとしては、熱く感じるところを避ければいいということは言えますね。たとえばお茶を飲むときも、熱に敏感な舌先を下の歯の歯茎のところに当てて隠して、ずずっと吸い込むような感じにする。空気とお茶が触れますから、若干温度も下がります」
「でも、科学的根拠はありません。猫舌に関してはわからないことが多いのです」と言います。
一般的には、自然界の動物たちは火を通したものは食べないので、みな猫舌だが、人間たちは火で調理するようになったので、熱いものが食べられるようになった、などと言われています。
でも、犬や猫を飼っている人の中には、犬なのに猫舌?!っていう犬がいること、猫なのに猫舌ではない猫がいて、熱くても平気なのを知っています。
なお、これらのことは、統計調査されたことではないので、どれほどの猫舌人間がいるのか、犬や猫にどれほどの猫舌がいるのか、占める割合がわかっているのではありません。
ついでながら、猫舌にあたる英語は、Sensitive tongue。敏感な舌で、猫舌ではありません。では今夜も安らかな眠りを! (=^・^=) ニャオ
2/3に、中勘助という作家が、夏目漱石のことを「可愛らしい顔だった」と書き残している文をご紹介しています。漱石の教え子だった勘助が著した「銀の匙さじ」という小説を10代の頃に読んでいます。
旧字とか旧仮名が多くて読みづらいもので、あまり記憶に残っていないのですが、何気なく再読してみたら、面白くて仕事も放りだして一気に読了してしまいました。
中勘助のエニアタイプは予想通りのタイプは2w1でした。ところで、勘助さんから見た漱石は、可愛らしく見えたようですが、他の人からはそのように見えなかったかもしれません。
ですが、タイプ2からは、タイプ4は可愛らしい人に見えることがあります。よく友だちになっていたり、親友になることも多いようです。
なぜならば、「お母さん・2」からは、「末っ子・4」は可愛らしく見えるのではないでしょうか。「長女・1」や「長男・7」よりも、そうなってしかるべきです。また、タイプ4の生徒ならば、タイプ4の教師・夏目漱石を可愛らしいと感じることはなかっただろうと…。
ところで、「銀の匙」は1913年(大正2年)に、朝日新聞に連載された小説です。夏目漱石が絶賛していたようです。延々と子どもの世界を描写しているだけなんですが、なんというか凄~い豊饒な世界で、圧倒されてしまいました。
彼は1885年(明治18年)生まれですが、自身の子どもの頃の遊びをそのまんま書き出したと考えられます。比べると、現代の子どもたちの世界は貧弱で薄っぺらで、情けないほど想像力が欠如していると考えざるを得ません。
この百年間で私たちが失ってしまったものが、どれほどのものだったのかと思い知らされます。ぜひともとお薦めしたい本です。以下の箇所は、そういうことなのか、驚きつつも妙に納得してしまい面白くも感じたので、少し転載しました。
なお、作者がタイプ2w1で短気ですから、癇癪もちの子どもたちがよく登場しよくケンカもします。でも、すぐにケロリとして尾を引きません。小学校の担任の先生も癇癪もちで、「カッとすると教鞭でぐらぐらするほど人の頭をぶったりした」とあります。
「それでも私は先生が大好きで…」などと主人公に言わしめています。「みんなの行儀が悪いので、れいの癇癪がおこって先生の顔が火の玉みたいになると、生徒たちは縮みあがって鳴りをしずめてしまう」
ところが「私は平気のへいざで笑いながらみているので、見回りに来た校長さんが面白そうにしている私に“先生が怖くないか”ときいた。“いいえ、ちぃっとも”と私は答えた」
「“なぜ怖くない” “先生だってやっぱり人間だと思うから” 二人(担任と校長)は顔を見合せて苦笑いしたきりなんともいわなかった」
12日の謝罪会見で、橋本聖子団長の言葉で印象に残ったものについて、国母和宏選手は取材に対して、こう話した。
「日本でスノーボードで五輪を目指している子どもたちのために、雪の上で良い滑りを残して欲しいと(橋本さんから)言われたことです」 (以上14日朝日新聞より)
五輪スノーボード男子ハーフパイプ代表の国母和宏選手は、バンクーバー入りの際に、鼻ピアスとトレッドヘアをして、ワイシャツのすそを出して、ネクタイは緩めて、ズボンもずり下げて(腰パンと言うらしい)いたという。
この姿と振舞い方がニュースに取り上げられて話題となり、各方面から批判を受けて、彼は出場資格停止を求められることになりました。しかし、「橋本団長が面談して本人の反省を受け入れた」となり、上記の謝罪会見と相成ったようです。
しかし、実際には、橋本さんが説得役をして、彼に反省を促したのではないでしょうか。面白いことに、この件は多くのブログが取り上げていて、「とんでもない大物登場だ!」などと書かれていたサイトがありました。
そりゃまあそうです。彼はタイプ2w1です。しかも典型的でわかりやすい2w1なのです。タイプ2は「大物意識がある」と思うと、その行動の仕方が理解できる人たちだと、しばしばここでも、講座などでも説明しています。
ところで、上記からは、「スノーボードで五輪を目指している子どもたちのために」という橋本聖子さんの説得が効を奏したように見えます。タイプ2は「お母さん気質」ですから、「子どもたちのために…」が心に響くタイプですからね。
子育て遺伝子が備わっているかに見える、そんな気質の人たちをタイプ2と判定していますから、橋本聖子さんも同じ2w1と判定できそうです。
また、全タイプで最もオシャレに関心が高いのが、タイプ2です。お母さん気質ゆえか、たとえ男性であっても、本性としては女性性が最も強いという気質です。
それに比べると、837という男性性の強い男性たちはあまりオシャレに凝らない傾向があります。むろん、こちらの男性でも、年頃になればオシャレに興味を示します。しかし、国母さんのいでたちはあまりにも凝っています。
鼻ピアスとトレッドヘアというものが、オシャレだと思うかどうかは、同じタイプ2でも個々人で違いがあります。それでも、あの髪型は時間かかりそうで、彼が、オシャレに無関心な人ではない、ということだけは、はっきりしています。
森恒二さんのインタビュー記事が掲載されているとして、一昨日のブログで、「まんが☆天国」のアドレスを載せました。でも、昨年の12月25日にサービスを終了したと書いてあります。
これでは、あの記事は本当にあったのかと真偽を疑われるかもしれませんね。でも、以下のように、ウィキペディアで取り上げていましたので一部転載します。
「入学した高校で三浦健太郎と友人となり、両親がデザイナーであった三浦の家で共に漫画を描くようになった。森は両親との仲がうまくいかず、この頃から下北沢などを遊び歩き喧嘩に明け暮れるようになる」
ところで、ヒットしていなくともマンガ家はウィキペディアでよく取り上げられているなあと感じました。それに比べて小説家は少ないが、どうしてなのかな…?
私もとりあげてもらえないかなあ、などと考えているうちに、そういえばウィキペディアは誰でも書き込めるものだと気づきました。それで、じゃあ自分を売り込むことはできるのかと調べてみましたが、それも不可でした。
まず「まだ人類の知識となっていない独自研究は載せないでください」とあります。確かに、エニアグラム性格学は、「人類の知識」だと社会的に認知されていません。従って、載せられません。尤も、いずれ認知されるだろうと楽観しています。
「自分自身の記事を作らない」というタイトルで、以下に掲載されています。
http://ja.wikipedia.org/wiki/Wikipedia:%E8%87%AA%E5%88%86%E8%87%AA%E8%BA%AB%E3%81%AE%E8%A8%98%E4%BA%8B%E3%82%92%E3%81%A4%E3%81%8F%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84
「ウィキペディア」については全く無知でしたが、今回調べてみて、その考え方に共感でき、また納得できました。これからもウィキペディアを利用させてもらうので継続と発展を希望します。
そして、創設者ジミー・ウェールズに感謝したいと思っております。なお、寄付も募っているようなので、ついでながら掲載します。
http://wikimediafoundation.org/wiki/%E5%AF%84%E4%BB%98
ジミーさん曰く「地球上のすべての人が、人類すべての知識への、自由かつ完全なアクセスを分かち合えたら、と想像してみてください」
かなり以前のことです。「のりたま」というネームで、かつてあった無料Q&A室で質問されています。もうお忘れかもしれませんね。
ずっと失念したままで、正式に回答していないことに気づきました。申し訳ありません。以下に関連するQ&A室での質問と回答(16-989)が載っています。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/q&a/past/15.htm
回答のほうから先にお知らせします。漫画「ホーリーランド」の作者・森恒二さんのエニアタイプは、2w1と判定できます。かつては「タイプ2w1が濃厚に匂ってきます」と回答しています。
今回は、インタビューに答えている内容から、2w1と判定しています。以下に一部を転載。http://manganohi.com/interview/11/4979.html
森恒二:子どものころからずっと身体を鍛えていましたし、もともと体格も良かったので、けっこう勝てちゃうんですよね。ほかではあんまりほめられないし、成績も良くなかったので、ケンカに勝てるってのがうれしかった。それでだんだんケンカが好きになっていっちゃって(笑)。ただ、その辺のヤンキー君なんかとやる分には勝てても、格闘技をやっている子には負けちゃうんですよ。それで格闘技に興味がわいてきたんです。
インタビュウア-:ユウのモデルは先生なんじゃないんですか?
森常二:いや、僕はあんないい子じゃなかった(笑)。ケンカも巻き込まれたっていうより、自分から首をつっこんでいたところがありましたしね。ユウのあのナイーブな感じは学校の友達をモデルにしたんですよ。僕の経験を参考にしたところもありますが、雰囲気的なところについては、全く僕ではありません。
自分から首を突っ込んでいくのですから、血の気の多い気質だとわかるところです。ちなみに、2w1の佐藤愛子さんが、自分のことを「ケンカ好き」と言っており、それをこのブログで取り上げています。1月10日付です。
森常二:三浦君のアシスタントをしたことはないですね。頼まれたこともないです。高校生の時に合作で描いたことがある程度ですね。
森常二:同級生でした。ただ、当時の彼(三浦健太郎)はまんがを描いていなかったですし、学級委員をやるようなものすごくまじめで物静かな優等生だったんですよ。自分はどっちかっていうと不良でしたし(笑) …中略…それまで「ケンカがコミュニケーションでもいいじゃないか」みたいなことを思っていたんですよ。
このように、主人公のユウが実在の人物だったので、それでうまく描けていて、作者がタイプ2だとは予想できたなかったのではと思うのですが。
それにしても、「ケンカがコミュニケーションでもいいじゃないか」とは唖然としてしまいます。そこから見ると、「ホーリーランド」は、明らかにケンカでコミュニケーションしている漫画です。
ちなみに、1/10、三浦健太郎さんも取り上げています。マンガ「ベルセルク」から、タイプ4w5ではないかと観ていましたが、「すごくまじめで物静かな優等生だった」とあり、やはりそうであったか、という感じですね。
なお、インタビュー記事には、丸々とタイプ2w1らしさが出ていました。納得していただけるものと思います。また、回答を取り上げるのが、かなりかなり遅くて…、これを見つけてくれるでしょうか? よかったらご連絡ください。
時の人・小沢一郎幹事長は、毎年のように故・元首相の田中角栄の墓参りをしています。角栄は、小沢が死んだ息子と同じ年齢だったためか、あるいは優秀だと認められたのか、息子のように小沢をかわいがったと言います。
ちなみに、角栄はタイプ2w1で、息子と同い年の若者が優秀であれば、かなりかわいがる気質です。2のお母さん気質の人たちは男好きで、年下で、自分を慕ってくる、自分に教えを求める若者に肩入れしやすい傾向があります。
ところで、親の墓参りをしない人たちが少なくない昨今ですから、恩を忘れず墓参りとは、タイプ8らしくないというイメージを持っているならば、それは訂正したほうがよいのではないでしょうか。
一昨日のニュースにもありました。
「小沢一郎が葬儀委員長を務めていた八尋護(やひろ・まもる)の葬儀では、滝のように双眸(そうぼう)から涙があふれたとあります。小沢に魅せられた八尋は、小沢をそばで支え続けて、忠臣とか金庫番とささやかれたという」
837の3つのタイプは、人を信用しにくく警戒心も強く、疑り深くて利己的なところがあります。彼らにとって世界は否定的で戦場みたいなところであり、みな自分のことしか考えていないエゴの塊だ、と思いやすいタイプです。利他的になりにくいのです。
しかしながら、自分に信頼を寄せてくれる人物がいると、初めは信じられなくとも、それが本物だとわかれば、驚きつつも感動して、恩に感じやすい傾向があります。しかし、状態によっては、他人を支えることはなく、利用するか追い落とす存在でしかありません。でも、惚れた女はよく庇護するほうです。
逆に、人の世話をしたがり助けることも多い、また、他人を信用しやすいタイプ2のほうが、他人から信頼を寄せられても慕われても、さほど感動するほうではありません。自分も簡単に他人を信用しているからで、それはさして難しいことではないからです。しかし、惚れた男ならば支えたがる気質です。故・八尋護は、タイプ2の可能性があります。
タイプ2は熱血で、タイプ8は冷血な人間だと思われることがあり、それも間違ってはいないのですが、タイプ2が恩を忘れやすく、タイプ8が恩を忘れにくいという傾向はあります。
ただし、タイプ8は、自分に歯向かう人間、敵対する人間、裏切る人間には冷血度が増し、けっして忘れることはないでしょう。でも、タイプ2も裏切られたらショックを受けますが、時とともに忘れやすい気質です。
タイプ8は部下などに期待したり頼ることはないが、タイプ2は部下に期待して頼るので、期待に応えない人間に立腹して追い出すことがあるかもしれません。
タイプ8にとって、部下は自分の命じたことだけをやればいいだけですが、命じた以上のことをすると立腹して追い出すかもしれません。でもタイプ2は、自分が命じなくとも、部下が気を利かせてやるものだ苛立ち、立腹して干渉的になる傾向があります。
しかし、タイプ8の部下になったら自分が裁量できるものは何一つなく、イエスマンにならなければ務まりません。タイプ2の部下になり信頼されれば、何かを一任されることがあります。
こんなふうに両タイプを見比べていくと、本当に、性格というものはうまくできているなあと思うのですが、皆さんはどう思われたのでしょうか。
ヒョンなことから米作りをすることになり、昨年暮れから、田んぼの土作りに出掛けています。
農法は、字で書くと「冬水田」で、呼び方は「ふゆ・みず・田んぼ」と言います。秋から冬にかけて田んぼに水を入れておくという農法で、一部の人たちには知られていますが、あまり見かけません。
この農法は、水の張ってある田んぼは水鳥の餌場になり、カエルの産卵場所にもなり、微生物が増加するために、土地が肥えるという効果があると言われています。
また、土壌が軟化しているので田植えがしやすいらしい。稲とか藁をそのままに捨て置くので腐食が進んで土地を肥やすとか、土壌の表面にトロトロ層ができて雑草が生えにくいという効果もあるみたいです。
うまく行くのか予想できないが、ネットなどで調べると結構手抜きしてもよいみたいである。それで、これならば素人でもなんとかやれるかもしれないと思い立ったという訳です。
借りられた田んぼは、水が漏れて隣田に迷惑をかける怖れが少ないと考えられる場所にあります。ほんのネズミ(猫より小さい)の額くらいの広さです。(写真にあるように水と枯葉で埋まっている田んぼ)
でも、農法が隣田と違うと、何かと周囲に迷惑をかけるかもしれないので、田んぼ選びは大切なところです。(写真・下にあるように、他の田んぼは水を落としている)
現在は、山から枯葉を一杯拾い集めて、水の張ってある田んぼに入れるという作業をしています。枯葉を取る場所は、春になるとカタクリの赤桃色の花が一面に咲く山の急斜面です。
誰もが知っているように村は高齢化が進み、山の手入れはほとんどされていません。枯葉が厚く積もってかたくりが芽を出すことができないのです。何十年も何百年も、いつ芽が出せるとも知れずかたくりたちは眠りについている。
つまり、一石三鳥という訳です。まずは、完全無農薬の米が食べられるかもしれないところです。田んぼの土壌を肥沃にさせて、可憐なかたくりの花も観られるようになります。
もう一つは、本物の片栗の饅頭が食べられるかもしれないことです。ここは、友人の自宅近くの裏山です。そして、長年冬眠したままだったカタクリの花を復活させました。
そして、この春にはもっと広げて、「眠りの森のかたくり姫」たちをたくさん目覚めさせるつもりのようです。でも、私は花の観賞よりは、馬鈴薯などから作られた片栗粉ではなく、ほんとうの本物のかたくり粉で作った饅頭が食べたいので、根っこをとらせて欲しいと頼み込んでいます。
でも、なんとしても首を縦に振ってくれません。さて、早朝に出掛けるので、もう寝ます…。
あるタイプ2w1の女性が、「友だちというのは、なんでも話し合えて、気を使わない相手」のことだと言います。そこで、他の2w1女性に尋ねると、「私と親友の間では、そうです」と返されてしまいました。
それを聞いて、とても不思議な思いにとらわれました。「友だちと何でも話し合える」とありますが、本当に何んでも話し合えるものでしょうか?
他人には知られたくないことが一つや二つはあるものではないでしょうか。秘密を一つも持たない人などいないと思うのですが。また、秘密を持たない人など、今一つ魅力的には見えません。
また、家族に関することで、恥ずかしくて話せないようなこともあるかもしれません。たとえば、自分は醜い顔だというコンプレックスを持っている女性が、親友にもそれは言えなかった、ということがあります。
万引きなどの軽犯罪とか、もう少し大きな刑事罰を受けるようなことをしていたら、打ち明けるなどあまり考えられません。
思うに、「なんでも」という辺りのことを、厳密に思い返していないので、何でも話し合えると思い込んでいるだけなのではないでしょうか。
また、「友だちというのは、気を使わない相手」という見方に関してですが、相手がどんな人でも、気を使うべきだと私は思うのですが、みなさんはどう思われますか?
もう少し正確に言うならば、お互いがよい関係を築いて不快になることが少なくなれば、神経質に気遣う必要はないが、それでも、気を使うべき時は必ず起きます。その時はよく気配りできるよう細心になることが大切! だと考えます。
また、普段から気を使っていないと、相手に失礼になるような何かを起す可能性は高くなると思うのです。
失礼にならないようにと注意していても、相手を不快にさせたり、傷つけてしまっている、というのが一般的な現状だと思われます。私にもよくあります。そんなつもりではなかったのに…と、よく後悔しています。
気を使い過ぎて神経質になるのも困りますが、その存在に慣れて気を使わないのが習慣になると、相手をぞんざいに扱ってしまう怖れもあります。
家族に対してぞんざいな口の利き方をする人がたくさんいるからです。とても気になるところです。一番大切なのが家族なんですから、もっと家族に気を使うべきではないでしょうか。
ですから、タイプ2の人たちへのアドバイスとしては、「家族にぞんざいにならないように気遣いを細やかにして、他人には気を緩めないで、緊張感を持ってつきあうようにしてください」となります。
夏目漱石と言えば、千円札に顔写真が載っているので、日本人なら知らない人はいないでしょう。
この漱石に師事した中勘助という小説家が、ある随筆の中で漱石の素顔を語っています。写真のイメージと少し違っていて興味深く感じたので、ご紹介したいと思います。(中勘助随筆集より抜粋)
「先生が最初の言葉を読みはじめた時の、その特色ある発音を忘れはしない。それはいわゆる恐ろしく気取ったーそれだけ正確なー発音のしかたで、少し鼻にぬける金色がかった金属性の声だった」
「先生は独創が無くてはいけないということ度々言った…中略…講義中、奇癖を数々見せた。むしゃくしゃに顔をしかめて頭をかいた後、指を鼻の先へもってって犬が臭いものをかいだ時のように鼻の上にしわをよせてみたり、よく皆をくすくす笑わせることがあった。そんな時、先生は気づいて一緒に笑い出すこともあった」
「その笑顔は不機嫌なときの無愛想にひきかえて、可愛らしい顔だった。先生は随分身の回りに気をつけるらしかったけれど、その割に風采はあがらなかった。背が低くて体が貧弱な割に顔が大きくひねていた。額の広い割合にアゴが短かった。そして、顔だけとってみれば、それは真面目な智的な、そういう意味での立派な顔だった」
漱石のエニアタイプをタイプ4と判定していますが、ウイングまではわかりません。日記がありますが、まだ読んでいないのでいずれは確認したいと思っています。
まず、「金属性の声」とありますが、これまで判定しているタイプ4の人たちにもあります。英語の「正確な発音」も、正確さを重視する傾向がタイプ4にあるので、合点がいきます。
タイプ4が「独創」を重視するのはごく普通のことで、目立ちたがるとか、自分らしさを追及する気質が関係していると考えられます。なお、奇癖がタイプ4に多いのかわかりませんが、子どもっぽい好奇心の強い気質であれば、面白いことにはノルほうではないでしょうか。
千円札にある画像のイメージからは、「可愛らしい顔」はなかなか想像できません。しかし、タイプ4は「末っ子気質」ですから、最も可愛らしい笑顔とか所作をするほうです。ただ、漱石のことを、そのように見ている人がいたのだなあ、と、驚きつつも納得できます。
さらに、「顔が大きくて額が広いわりにアゴが短い」とあるところからは、ネオテニー(幼形成熟)に該当しそうです。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-209.htm
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