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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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鶴見俊輔さんは、いわゆるインテリの中のインテリとも言えるような方ですが、漫画をこよなく愛しているみたいです。つげ義春さんの作品を詳しく取り上げています。以下に一部を転載。

「沼」という作品について「この少年の場合は、性の欲望がきっかけとなったのだが、自分の底の自分の知りえないものの自覚という主題は、くりかえし、つげの作品に表れる」

「李さん一家」という作品は「語り手と居候とのどちらが主人公なのかわからなくなっている。いわば、主人公自身の中に、自分よりもはっきりと居候が住みついてしまっている」

「ゲンセンカン主人」という作品は、「自己とは何かということを主題とした物語である。

「やなぎ屋主人」という作品は「自己というものの存在の希薄さを主題としている。自分が交換可能な部品にすぎないことを思い知らされる」

鶴見さんのエニアタイプについては、2w1と判定していますから、つげさんとは違うタイプです。他のタイプのことを理解することは容易なことではないと思うのですが、彼は違っていたようです。

タイプ4は「自分」というものに強いこだわりがあること。自分という存在が風前のともし火みたいなもので、自己同一性障害があるかのようにみえたりします。いつも自分・自分・自分で、自分のことしか関心がないかのように、他人からは見えたりします。

江戸川乱歩の「わが夢と真実」(創元社)の中には、「よく考えてみると、一番怖いのは自分である。だから、私は鏡が怖い。なぜ怖いか。自分というものが得たいが知れないからである」

乱歩のエニアタイプを4w5と判定しています。面白いことに乱歩は、自分に関する文献の蒐集癖を持っています。
「あらゆる方面にわたって、いやしくも自分に関するものなら何でも保存しておく。友人からの手紙は40年来保存している。免状、感謝状、どこかに勤めた時の辞令にいたるまで、もらさない」

芋ヅル式に見つけ出せるものだということがわかって頂けるでしょう。

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「自分がそこにいるんだけどいない感じというのは、ぼくは一番強く望むんですよ」とインタビューに答えているのは、つげ義春です。(ガロ705月、左右田本多 「マンガ批評家=つげ義春」)

「ねじ式」などの漫画がヒットしたつげ義春もタイプ4と判定しています。彼は「自分史」(中央公論)の中で「自分の存在する意味がつかめず、存在の不安に悩まされている」と書いています。

彼は崖っぷちに立っていると考えるならば、存在することそのものが不安になる、とわかるのではないでしょうか。それに、生きている意味がなくとも、存在の不安に悩まされることなどない人は、たくさんいますからね。

また、彼の作品には「無能の人」というタイトルの作品があります。河原で石を売る男の図はよく知られています。つげさん自身も石を売ったことがあるそうです。

彼の作風をみて、シュールだと言っている人がいるようですが、単に、「無能」を一枚の図にしたというだけのことでわかりやすいものです。しかし、他のタイプの人たちからは不可解なものになるのでしょうね。

前のブログで紹介していますが、サリンジャーさんも学校の教師たちから「不可解」に思われていたみたいですからね。不可解であっても意味が深そうにみえるので、タイプ4の作品の中には、芸術的だとか哲学的だなどと見られるものがあります。

ところで、「無能の人」を映画化した竹中直人もタイプ4と判定しています。無能どころか才能豊かな人に見えるのですが、どうしてよりにもよって、それを選んだのでしょうか。たぶん惹かれるものがあったからだと思うのですが…。

さて、「そこにいてもそこにいない」とは、別の言い方をするならば、現実感がなく、目が覚めてもまだ夢をみているような心理状態に陥っている」とも言えます。

映画「マトリックス」の中で主人公のネオも言っています。「目が覚めてもまだ夢をみているような状態」と。現実世界と仮想世界が入り乱れているとも言えます。

この映画のあらすじ→
今まで現実と思っていた世界がコンピュータの反乱によって作られた仮想現実であることを知らされたネオが、人類が養殖されている現実世界で、人口知能との戦いに巻き込まれていく…」

監督と脚本を担当しているのはウォシャウスキー兄弟です。二人をタイプ4なのかはまだ判定していません。でも濃厚に匂ってくるのです。いずれ詳しく調べたいと思っています。

この兄弟は、押井学(タイプ4と判定)の映画「攻殻機動隊」に影響を受けていたと語っています。(押井氏との対談も雑誌に掲載されている) その攻殻機動隊も、タイプ4の作品なのですから…、それに「攻殻」という造語も、なんとなくタイプ4が考えそうな…。

符丁が合いすぎています。同じタイプゆえに価値観が同じになりやすく、物事の捉え方も似てしまうのでしょう。でも、こういうことはよくあります。それで芋ヅル式に、9つのタイプを把握できるようになります。

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エニアグラムのそれぞれのタイプを調べていくと、同じタイプは時々、妙なところで符丁が一致しているようにみえます。それで驚いてしまうのです。たとえば、サリンジャーとサン=テグジュペリ(タイプ4w5)にもありました。

当ブログ2008/04/21サン=テグジュペリが語っていることを載せています。「僕の心の中にはこんな男の子が住んでいるのさ」と、自分のことを「寄生者なのだ」と言うところで、なんとなく無能なんだと言っているようにみえます。

サリンジャーのほうは「ライ麦畑で子どもたちが崖から落ちないようにキャッチするのが自分の唯一の仕事」だと言っているようなものです。どうもよく似ています。符丁を合わせたと思うくらいです。

また、「ライ麦畑~」という小説を知ったのは、「攻殻機動隊を読んでからだ」と受講生から聞いていますが、「攻殻機動隊」は士郎正宗さんが描いた漫画ですが、その中のセリフは以下です。

「世の中に不満があるなら自分を変えろ!! それが嫌なら、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らせ!!」 

「ライ麦~」の中にあるものは→「僕は目も耳も使えない人みたいなふりをしなきゃって思ったんだ(I thought what I'd do was, I'd pretend I was one of those deaf-mutes.)」 

士郎正宗もタイプ4と判定している方ですが、彼は、きっと、このセリフを自分の作品の中で一度は使ってみたいと思っていたんでしょうね。

ちなみに、サリンジャーは、まさに、耳と目を閉じ、口をつぐんで孤独に暮らしていたのかもしれません。

さて、この
目も耳も使えない人みたいな…」によく似てものとしては、HPのどこかに「タイプ4は見ざる、聞かざる、言わざる、という諺にある三猿のように、殻にこもることがある」と書いています。

目も耳も使えない人みたい」とは、透明な存在というべきか、そこにいてもそこにいないような存在でもあり、存在感が薄いとも言えるところです。

タイプ4を、当会では「隠れる」という自己生存防衛戦略を持つタイプ(以下のアドレスにある)と分析しています。 (http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory3.htm) 

「隠れる」という防衛戦略を持つ人間であれば、隠れるのがうまくなります。また、なにか危険を察したら、すばやく身を隠してしまうでしょう。存在感というものも、あまりないほうが安全です。となれば、ひきこもりになりやすいのも頷けます。続く…。

 

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紀元前5世紀の古代ギリシャの思想家・ディオゲネスの文を、湯川秀樹著作集から見つけだして驚いています。以下です。

「万事を総合すると全ての存在するものは同一物質の変化によって創り出され、従って同じものであるように、私には思われる。もしも、この宇宙に存在するも(つまり地・水・火・風その他もろもろのもの)のどれかがその本性において違っており、同じものがいろいろに変形したのでなかったら、いろいろなものがまじりあったりはできないであろう。
 また、一つのものが他のものに利益を与えたり、損害を与えたりもできないだろう。またもしも、万物が同一物質から混合されてできたものでなかったら、どんな動物も生存できないだろう。これら全てのものは同一物質の変化として、違って時に違った形で出現し、やがて、もとの同一物質に戻るのである」

ギリシャ時代は賢い人物をたくさん輩出していますが、私の感性にピタリと嵌った文章を書く人がいたこと、遠く時を隔ててもそんな人物と出会えるなんて凄いことですね。ちなみに、ディオゲネスってかなり面白い人物みたいですが、話が逸れてしまうのでやめます。

ところで、エニアグラムという不思議な図形に魅入られてから既に16年ほど経っています。人間の気質を9類型できることが事実だと知った時は、本当驚きました。それが事実なら万物も全て9類型できるかもしれない、と、考えだすと胸が高鳴りました。

たとえば、人間の体は水と炭素でできているだけではなく、鉄やコバルトやカドミウム等々、あらゆる物質が含まれています。つまり、この宇宙に存在する物質が、私自身の体を形作っているのです。

また、人間の体は一つの宇宙のようなもので、宇宙の法則と人間の体の中に働く法則も同様なものが働いているだろうと予想されます。また、体の中には脳も入っているわけですから、当然、気質(性格・心)にも同様なものが働いているのではと考えられます。

そして、人間が、本当に自分を知ることができたら、宇宙も知ることもできるのではないかと。「自分を知る」ということが、そんなにも広大なところに繋がっていること、そこに導かれていく自分を発見するようにもなりました。

エニアグラムを西欧に紹介したのはグルジェフという神秘学者だと言われています。彼は、エニアグラム図形を「宇宙と生命のシンボル」だと説いています。

著書には荒唐無稽なことばかり書かれていて、理解不能な文章ばかりなのですが、この一点において、彼は真理を見つけ出していたように思われるのです。

なぜなら、宇宙が生んだ「生命」であれば、自ずと宇宙にあるものと同じ物質が生命にもあり、また同じような法則に支配されているだろうと。そして、一つの図形で万物の法則をシンボル化できるのではないかと。

こんなことを書くと、ちょっと頭どうかしたの? とか、荒唐無稽なことばかり言っているのは“あんたのほうだろう”などと誰かに言われるかもしれませんね。でも、いいんです。

つまらない日常的なことに悩まされたり翻弄されないように、非日常的なこと、深遠広大なことを考えているほうがいいのです。精神にいいのです。

エニアグラム図形が意味するものを、今年こそは真剣に解いていこうと思っています。でも、明日はもう少し頭の中を整理しようとは思っていますが…。


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長門裕之さんと桑田佳祐さんは、顔がよく似ていると言われています。エニアタイプも同じ「タイプ7」なんですから、不思議ですね。

雰囲気もかなり似ているので、桑田さんを7w8と判定していますが、長門さんも7w8かもしれないなあと思うのですが、まだ判りません。

このように顔と雰囲気が似ていると、エニアタイプも同じだということは比較的よくあります。たとえば、スーダラ節で知られている故・植木等さんと歌手の布施明さんも似ているようにみえます。同じく2w1にあたります。 

布施さんのほうが美形に見えますが、二人の顔写真を見比べると、顔の骨格、鼻、唇、眉の濃さなど瓜二つです。肖像権の関係でお二人の写真をここに載せられませんが、一度、並べて見てみませんか?

講座で、ある著名人のタイプを説明している折、受講生の一人が「知り合いで同じ顔している人がいる」と言い出します。それで情報を集めたところ、同じタイプだとわかったこともあります。

このようによく似た顔をしていると、タイプ(気質)まで同じだと判明することがあります。ただし、顔がよく似ていても、雰囲気が全く違うとタイプも違うことがあると、次第にわかってきました。

つまり、「顔形」と「顔相」は違うので、それを見分ける必要があるみたいです。顔相を読むためには、全体の雰囲気だけでなく、話し方、声の出し方、体の動かし方などもよくみます。

逆に、顔形は全く違うのに、全体の雰囲気とか話し方や声の出し方、体の動かし方が似ていたら、そのほうが同じタイプの確率が高くなることも、次第にわかってきました。

長門さんと桑田さんが同じタイプだと初期の頃に判定していたために、これらの現象も早くから見つけ出せたように思います。

なお、こんな不思議な現象があると知った時から、さらにエニアグラムに深く惹かれて行くことになりました‥。みなさんの中にも、そのように感じ始めている方がいるのではないでしょうか。

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 3つのタイプ(8・3・7)は目立ちたがるタイプです。でも、目立つことは目立たないことで、目立たないことは目立つことなんです。以下を見てください。

5ff44a1d.JPG Aは、白地では目立っていますが、黒地の所では目立ちません。  
 Bは、白地内では目立ちませんが、黒地の所では目立ちます。

 それを例えるらば、市井の中では目立っていた人が、芸能界では全く目立たなくなる、というようなものです。

 もう少し説明を加えるならば、タイプ7はみんなからアッと注目されるような何かをしたいと探しています。しかし、何かをヤバイと感じると、目立たないように行動します。

 これに関して当会の理論にあります(以下にあり)。生物界に普遍的にあるように、擬態(ぎたい)、または、カムフラージュとも言われるものです。

http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-218.htm

 下の写真は、オオカマキリで緑色をしていますが、周囲も緑なので、うまく身を隠すことができます。でも、道路に出てくると目立つので、すぐに人間の子どもたちに見つかってしまいます。
           fa3eef75.jpg
 生物は、色や形や行動などによって、周囲の環境と見分けがつかないようにして、危険を回避したり、隠れて捕食などして生存率を高めています。それがヒトにもあり、そのような行動の取り方によって生存率を高めています。

他の会派でも、タイプ3とタイプ7を、目立ちたがるタイプなどと紹介されていますが、ではなぜ目立ちたがる人がいるのか、という点では何も書かれていません。疑問にも感じていないようなのです。むろん、どの心理学本でも取上げられていません。

 目立ちたいとか、仲間が欲しいとか、美しくなりたいなどという欲求と同じで、あまりにも根源的なことゆえ、疑問を抱くことがなかったのではないでしょうか。

 生物学は単に興味があったので読みふけっていただけのものですが、読書好きであったことが役立つ時が来ました‥。ある時、目立ちたい人がいたり、目立ちたがらない人がいることに、ハッ!と急に目の前が拓けて来たのです。

 チョウにもいるではないかと。目立つチョウと目立たないチョウがいる。人間の場合は、肌の色や形ではないが、行動の中にその2つの傾向があることに気づきました。

 そして、それが真実だと気づいた時に、エニアグラムという類型論は、まさしく「真実を現している」と確信しました。15年以上も前の或る夜更けです。

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 私にとってのエニアグラムは、当初はずっと受け身なものでした。友人の一人がリソ氏の本に夢中になっていて、電話のたびにエニアグラムの話を持ち出します。こちらはまるで興味を感じなくて、一方的な話を聞いているだけでした。

 ある日、「性格のタイプ」というリソ著の本の「あるタイプ」のところだけを、友人はコピーして郵送してくれました。「あなたはこのタイプよ」と勝手に判定されているのです。
 しかし、自分の性格らしきものが書いてある箇所を読んでも全く理解できません。文章自体も少しおかしいものだったというせいもあるかと思います。

 毎回のように友人は深夜に電話してきますが、いつも話しはエニアグラムのことです。ちょっと食傷気味でした。そんな日々が一年くらい続いたある日、友人は、リソ本を持って我が家を訪れ「本を貸す」つもりでいたようです。

 ページ数は511。本を見るとつい手を出してしまう性分で、つい読み始めてしまったのが運のつき! (否、開運だった!) 明け方まで一気に読み終えて、「私はこのタイプに間違いない!」 

  全タイプの項目を読んで、友人が判定したタイプは正しいと納得しました。それ以降はエニアグラムの話題ばかりです。あれこれ語り合い、楽しみつつ興奮して互いの考えを述べ合いました。密度の濃い時間を共有して刺激を受けました。

 そんな中でリソさんの説く「3×3」について、他にもまだ何かあるかもしれないと模索しつつも、モヤのようなものが立ちはだかっていました。

 あれは春頃のことです。暖かいお湯に浸ってうっとりとしている時に突然に頭の中にひらめいて、風呂場から飛び出して一目散にワープロ機に向かいました。とんでもないものを発見したという興奮で、キーを打つ指が少し震えていると気づいていました。

 「世界認識」と「自己認識」の仕方を各3つにわけて「3×3」となせば、9つのタイプがうまく説明できる! と、突然に「降りてきた」ようにひらめいたのです。「エニアグラム性格学」という道程への最初の門だったと考えられますが、その後の理論はほとんど何の苦もなく、芋づる式に発見したものです。

 一気に何かが開けていくという感じでしょうか。思い出すたびに、運命の悪戯というか奇跡のような体験をしたように思われます。この友人には感謝しています。エニアグラムに興味を持たずにいた私に、約1年くらい粘り強く働きかけてくれたので、現地点があるのですから‥。
 

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 エニアグラムを、「宇宙と生命のシンボル」と説いたのは、ゲオルギィ・イワノヴィッチ・グルジェフという神秘主義者だと言われています。グルジェフに関して紹介している本は結構ありますが、なかでも前田樹子さんが紹介している「エニアグラム進化論」〔春秋社〕は興味深いものです。

 そのなかで彼は、エニアグラム図のなかに《3の法則》と《7の法則》が秘められていると説いています。ところが、これの意味が何回読んでみても理解できません。彼の「説き方」だけでなく「解き方」も間違っているのではないかと、いろいろに考え込んでしまうものでした。

 彼の説くことは全般に理解不能なことばかりで、それゆえに彼は、自分でも説明のつかない何かを人々に明かしたいのではないかという気がしてきます。奇怪なことばかり述べているので、よけいにそそられて、なんとか解いてやろうという気持ちになってしまうのです。

 さて、そうこうするうちに私のなかに「新たな解き方が見つかった」ようです。今回は、その中の一つである「二つの法則にある数の配列を、9個の惑星にそのまんま当てはめた結果として、9タイプのシンボル・スターが発見された」ことを、ご紹介したいと思います。

 
①エニアグラム図内の三角形 3の法則 → 3・6・9                          
②エニアグラム図内の星形  7の法則 → 8・2・4・1・7・5 

 (ちなみに、私は、7ではなく《6の法則》の間違いかもと見ているが、まだ判断できていません。なお、どんな数字でも、7で割ると出てくる延々と続く数があり、「循環数字」と呼れていますが、8・2・4・1・7・5も循環数字の一つです。ホームページに掲載済み。以下をクリック。 
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-237.htm  )

 この①の次に②を続けていくと、「3・6・9・8・2・4・1・7・5」になり、それを太陽系の惑星の並び順にあてはめます。

    太陽→水星→金星→地球→火星→木星→土星→天王星→海王星→惑星X
       T3 T6 T9 T8 T2  T4 T1  T7 T5 

http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/active/page15/15-201~/15-213.htm 

 すなわち、上記の二つの法則にある数字の配列を、9つの惑星に機械的に当てはめたものです。ただは循環数字ゆえ、どの数からをはじめるのかという点で迷いが少し起きましたが、直感的に「8」からはじめてみました。
 後になって、それぞれの惑星とそれぞれの気質がなんとなく照応しているように感じました。そこで、より詳しく紹介されているものを読むことになりましたが、相似性はあると考えています。

 たとえば、その一つが、「地球は太陽系の中ではオアシスのような星だ」と書かれているもので、それを知る前にタイプ9を「オアシスの人」と、すでに講座などで紹介していたのですから、もうビックリという感じです。また、火星と木星、土星に関しての記述は、まさに、それぞれのタイプにピッタリと当てはまるようにみえ、驚くようなことに幾つも出会うことになりました。

 その頃は、不思議の国のアリスになったようなそんな感覚の日々が続きました。それは今でも感じていることですが…。エニアグラムと出会ったことで、さまざまなことで「見通しがよくなった」のではないかと思っています。

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