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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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前回、「天武天皇は即位して後、一人も大臣を置かず、重臣に政務を委ねることもない独裁権力者になった」ので、そこにタイプ8らしさを感じられたと言えます。ちなみに、当会のホームページには、「タイプ8の標準的な特長」を以下のように示しています。

タイプ8の標準的な特長
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/cgi-bin/page05/05-8.htm

つまり、タイプ8の標準的特長として、権力指向がある・もっとも指導力がある・何事も独断で決める、としています。ですから、天皇などに即位すれば、独裁権力者になるのは必然的です。また、臣下や部下たちを率いるとしたら、「白黒や賞罰をはっきりとつける」という傾向があります。そして、ウィキペディアに載っている中(青字)に、それらしきものを見つけました。

武天皇
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%AD%A6%E5%A4%A9%E7%9A%87

天武天皇の即位は6733月で…、
威嚇的な詔(みことのり・天皇が公務で行った意思表示)が複数回だされています。6752月に群臣、百寮、天下の人民に、諸悪をするなと詔を下した。6776月、東漢が政治謀議に加わった過去を、数十年前まで遡って責め、大恩を下して赦すが、今後は赦さないと詔した。

その頃の世相は乱れに乱れて、諸悪のるつぼだったと考えられるところです。その極みが「壬申の乱」で、その折に天武天皇に味方した東漢氏に対して、天皇は「汝らは謀るを以て事をなす」と言って罰しますが、「大いなる恩(めぐみ)を降してゆるしたまふ」という詔を出しています。

一氏族に対して詔勅(しょうちょく)するなど、異例な出来事なのだそうです。しかし、5年後には、東漢氏に「連(むらじ)」という姓を同じ渡来系の氏族より早く与えています。となれば、罰した後で褒賞を与えたと考えられます。つまり、天武天皇は白黒をはっきりさせて、賞罰を公平にすれば、人は従うのだという考え方をしていると考えられます。

次に、天武天皇は、「政の要は軍事である」と述べています。その名の通り、武力で勝るべきだという考え方であり、タイプ8らしさもよく出ているところです。なお、即位後すぐに近衛部隊を作っていますが、天武以前には無かったことです。さらに…、

天武天皇は、官人と畿内の武装強化を特別な政策とした。官人武装政策は、天武・持統朝に特徴的で、前後には見られない。

尤も天武天皇は「壬申の乱」の折、秘かに武器などを製造し、挙兵の時の「軍資」を着々と蓄えていたのですから、タイプ8の標準的な特長である「大胆に行動するが、慎重さもある」が、そのまま当てはまります。(ここは大和岩雄著『天武天皇出生の謎』より転載) さらに…、

天武天皇6749月に大安殿で博戯(ばくち)の大会を開くといった遊侠的なものさえあった。芸能者への厚遇も、天皇の好みと無関係ではないだろう。

837という男性性の強い気質(837)の男性であると、博打を好む傾向がありますが、とくに、タイプ8に著しく、宵越しの金を持たず、明日という日は無いという気質で、堅実なコツコツ型ではありません。博打に熱中しやすいタイプと言えそうです。さらにさらに…、

天武天皇は古来の伝統的な文芸・伝承を掘り起こすことに力を入れた。以前と以後の諸天皇の事業と比べると、土着文化の掘り起こしと整頓に向けた努力が著しい。6752月には畿内とその周辺から歌が上手な男女、侏儒、伎人を宮廷に集めるよう命じ、4月に彼ら才芸者に禄を与えた。6859月には優れた歌と笛を子孫に伝えるよう命じ、6861月には俳優と歌人に褒賞を与えた。

これを読んで、よくブログに登場させているタイプ8のバイト先の社長を思い出しました。しばしば芸能情報を語り、しかも詳しく知っていたことよく記憶しております。目立ちたがりな気質ですから、芸能人への関心が高かったのかもしれません。そして、仕事終了後、毎夜のように宴会を催して、歌い手とか踊りを指名していたことも思い出されます。

トップに立つ者は厳しいだけではいけない。日頃の労苦をねぎらい、ひと時ともに楽しむのも必要っていう感じでしょうか。なお、同じくタイプ8と判定している織田信長に関しても、派手好みらしく民を楽しませる相撲大会やアトラクションなどを主宰しています。ウッキに載っているものです。

天正9年(1581年)715日のお盆では、信長は安土城の敷地全体に明かりを灯し、城下町の住民たちの目を楽しませるといった行動をとっている。また、大の相撲好きで、安土城などで大規模な相撲大会をたびたび開催しており主催するのが好みだった。
正月に安土城の内部を一般公開し、武士・庶民を問わず大勢の人々を城内に招き入れて存分に楽しませた後、信長自らの手で客1人につき銭100文ずつ見物料を取り立てたという記録が伝わっている。

タイプ8の標準的な特長のなかには、「遊び上手で、趣味人」がありますが、武力で統治するだけでなく、民を楽しませ自分も楽しむという、独裁的ではあるが人心を惹きつける必要性をよく知っていたと言えそうです。

それにしても、エニアの性格分析は、時代を超えていると考えられます。というより、人間性はほとんど変化(進化?)していないってことなのでしょうか…つづく。


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