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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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私の旧姓は「久野」ですが、最近になって兄から「久野家のルーツを探したぞ」と聞かされました。ご先祖様は「武家」の可能性があるみたいなことを言います。

実は、私は子どもの頃から、「久野家の先祖は“雲助”だ!」と父親から聞かされていたので、特にルーツを知りたいと思ったことがありません。

でも、
ちょっと驚いたのは、たまたまネットで「久野氏」と検索したら、ウィキペディアに載っていた(以下の青字)ことです。

先祖は雲助なんですから、まさか!とビックリ!! でも、ホントは雲助では無く、たぶん百姓だと思うのですが…。

★久野氏 https://ja.wikipedia.org/wiki/久野氏


野氏(くのし、くのうじ)は、日本の氏族のひとつ。遠江国の国人衆が著名。「久努」「久奴」「久能氏」とも表記されることがあった。久野氏は、遠江国発祥といわれる氏族。

室町、戦国時代には遠江国の国人領主であり、代々今川氏に仕えていた。宗隆は、久野城(現・静岡県袋井市鷲巣字上末本)を明応年間に築城し居城とし、子の元宗、宗経が桶狭間の戦いで討死する。

その弟宗能は、今川氏真を見限り、徳川家康に臣従し、高天神城の戦い、小牧・長久手の戦いなどに戦功を挙げた。関ヶ原の戦いの戦功で8,500石が与えられ、旧領久野に復した…。

静岡県の袋井市に久野城跡が残っているみたいです。久野城の城主が、私のルーツだとは思えないのですが…。しかし、いつかは出かけて城跡を散策でもしようかなという気分になっています。

で、南北朝期から室町、戦国時代にかけての「地方別武将家の一覧・中部/東海」にあるのですが、静岡県の武将として「久野氏」が載っていました。

http://www2.harimaya.com/sengoku/html/kuno_k.html

でも、私が思うに、街道筋で旅人を襲う雲助では名字など無いと思われるし、百姓であっても同様です。明治の新政府が戸籍編成の必要性から、全ての国民に名字(=苗字・姓)を持たせました。

で、私のご先祖さまは、どういう名字にすべきかわからず、それで知人の名字である「久野」を失敬して付けた…だけなのではと思うのです。

江戸時代に武士だった人は、領地の地名を名字として使ったりしていましたが、庶民は庄屋や名主、寺の住職などに名字をつけてもらっていたみたいです。

江戸時代に把握されていた名字は1万種類だったそうで、明治になってからは10万種類以上になっていたといわれています。

現在では約29万種類で、日本は世界で最も名字の種類が多い国の1つと言われています。つづく。


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