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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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前回・その3では、大失敗しています。書くべきところを書かなかったので、読者の方には意味が伝わらなかったはずで、申し訳ありません。以下の説明で納得して頂けるものと思います。

その1では「領地の地名を苗字として使う例がある」ことを載せています。また、ウィキペディアの記事には「久野氏は遠江国(静岡)発祥といわれる氏族」と載っていたと


その3では、「漢字は当て字です。呼び方や読み方が同じであるほうが関連性が高いと考えられるからです。加木屋や名古屋に住む人たちは、“くのう”と呼び合っていました」

遠江国にある久野城跡は、地名が「袋井市久能」です。久能から久野と変わっても、読み方が同じ「くのう」と名乗る人たちは関連性が高いだろうと予想しました。

たとえば、「ひさの」や「くの」などであれば呼び方が大きく変わっているので、時を経ていると考えられるので関係性は薄くなると考えられるのです。

ちなみに、遠江国(とうとうみ)とは、都(大和国)からみて遠くにある淡水湖という意味です。遠州(えんしゅう)とも言いますが、現在の浜松市に当たります。

浜松市は愛知県の三河に隣接しており、室町時代は今川氏の地盤でした。三河は徳川家のルーツの地でもあり、現在の豊田市で、ここにも久野さんたちが居ます。

三河の東隣に尾張があり、加木屋村はその南方にあります。そして、久野姓の武士は、今川から徳川家に乗り換えて従うようになったみたいです。

なお、袋井市から加木屋町までは海岸沿いでも行けますが、船で移動すれば案外と早く辿り着くことができると考えられます。現在ならば、東名高速を車で走れば、1時間半で着くところです。

桶狭間の合戦に参加した久野姓の武士が、落ち延びて加木屋に住み着くようになるなど充分に考えられます。それに、桶狭間から近いのは加木屋ですからね。

それでも、我が父の実家である久野家の人たちが、その子孫に当たるとは限りません。つづく

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