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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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あなたは、「子どもの頃、自分は何故ここにいるのかと考えた」ことありますか?
私はあります。「私が生まれた家はここではない…本当は他のところで…、何か事情があったのだろう‥」というようなことです。
でも、私は両親から虐待を受けたことはなく、どちらかというと放任主義的な傾向がありますが、まあまあ普通の親だったと思うのです。


ある人は言います。「自分は試されているのではないかと思った。実は自分はどこか別の星の皇子さまか何かで、ちゃんと生きられるか、とりあえずこの場所で生活を試されている、のではないかと疑っていた


これは赤瀬川源平さんの著書『自分の謎』(青字)に載っています。「母親が縁側で編み物している。この人は本当に人間なのだろうかと疑った。実は僕に見せるために、表側だけ精巧に造られた物ではないのか」

それで「人間に見えているだけなのではないか。もし僕に物凄いスピードがあって、さっと(表面の)向こうに回ると、母の何もない裏側が見えるかもしれない。でも、僕にはそんなスピードがないので、表面の向こう側が見えずにいる。そう疑っていた」 (;一部、省略しています)

「僕の両親は普通で、ごく普通の関係の優しい両親だった。それでもこういう疑問が湧いてくるのが不思議なのだ。大人になってから兄弟で打ち明け話をしていたら、やはり兄の場合も世の中のものは自分に見せるためにあると感じていたという」

赤瀬川さんはさらに語る。「新聞記事は、自分に見せるためだけ印刷されている。記事はいろんな事件が書かれているが、その事件は内に配達する新聞記事のために、わざとあちこちで起こされている。そう思っていた」そうだ。

実は、小学23年生くらいのときに私はよく妄想していました。「私の体は周囲のみんなと同じに見えるが、実は皮膚の下には薄い鋼鉄があって、私はそれで守られているのだ」と思っていたのです。

それをずっと覚えていて、高校1年の時に虫垂炎にかかり手術することになりました。で、皮膚の下に薄い鋼鉄は無かったと‥。本当は分かっていたのに、やっぱりそうか! と、チョッピリ落胆したことを覚えています。

「自分は本当は天皇家の子供ではないか」とか、「本当の自分は天才なんだ」とか、これらは幼児期によくある「貴種願望」だと言われているようです。たぶん、それは親に叱られていたのではないかと想像するのですが、「貴種願望という自己防衛」だと私は思うのですが…。

人は誰しも、自分だけは特別の存在だと思いたいようです。それが長じて誇大妄想になり、「自分がどれほどの人間なのか、みなに思い知らせてやる」とか、「いつか大きな事件を起こしてやる」というような方向に行く人もいます。

ですが、大抵は自分を取り巻く現状を客観視できるようになり、自分の小ささ、自分の無能さを思い知ることにもなります。しかし、人は誰とも違う「唯一無二」の存在であることは確かです。

たとえ、エニアの基本タイプが同じで、ウイングも同じで、かつ価値観も同じで趣味も同じだったとしても、違いは歴然としています。

私たち「みなが特別の存在なのだ」ということは本当のことです。ですから、自らを見捨ててはいけないと思うのです。

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