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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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さて! 「彼を知り、己を知れば百戦殆からず」です。自分をよく知るようになれば、他人のことにも注意を払うことができる。

あいつは何物なのかと知ろうとするのではないかと私は思う。最近読んだ本にありました。

中村彰彦著「幕末維新・改メ」の中にある「河井継之助」という人物に起きた出来事です。

河井継之助は、相手(敵)がどのような人物なのか知ろうとはしなかった。しかし、彼は越後の長岡藩の家老になった超秀才です


の名代をするほど、その能力を買われており藩の実権者になる。39歳の時に、藩政改革を断行して富裕な藩に変えたというかなり優秀な人物です。

当時は「尊皇派」と「佐幕派」は対立していたが、河井はどちらにもつかず、武装中立派で、自分に自信があるためか相手を説得できるとみていたようです。

しかし、相手(長州藩・岩村精一郎で敵の代表)は、河井が説得できるような相手ではなかった。それどころか、河井を「馬鹿家老」と見ていた。

河井継之助は、「あなた方が真の官軍ならば恭順してもよいが、討幕と会津討伐の正当な理由は何か。

旧幕府や会津を討伐すると言いながら、本当は私的な制裁や権力奪取が目的なんだろう。長岡領内への侵入と戦闘は断る」と言った。

この秀才は、相手は代表(正式名・北陸道鎮撫使)ゆえ、議論できる相手と思いこんでいたと考えられる。で、岩村のほうは、話にならんと思った。

岩村精一郎は血の気の多い、高慢不遜で、喧嘩っ早くて粗暴な人間であったと言われている。

河井継之助の問い掛けと正論に、岩村精一郎は反論できずに、わずか30分で談判が決裂した。なお、これを「小千谷談判の決裂」と言う。

その数か月後、河井継之助は自ら銃を撃ちまくって戦ったが、銃弾を受けて41歳で亡くなった。

後日、長州藩の品川弥二郎という人物が、「岩村のような小僧」に談判させたこと自体が誤りだったと述べています。
つづく 

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