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タイプ8にとって女性という存在は大きく、女性に対する思い入れが強くなりがちな気質です。思い入れが強いのであれば、女性に裏切られたならば、より残酷になると考えられます。
そこで探してみましたが、信長が妹のお市を嫁がせたのは越前の浅井です。浅井久政と長政という父子に裏切られたので、戦いに勝った後で父子を京の都を引き回して獄門首に晒しています。
でも、浅井長政の母(小野殿)に対しては、指を1本1本切り落とし、苦しめながら時間をかけて殺したと伝えられています。
どちらが残酷な刑なのかよくわかりませんが、私からは時間をかけて殺すほうが残酷に見えます。信長を裏切ると決めたのは城主である浅井父子であり、妻たちにはそんな権力はなかったと考えられるので、この妻は信長から恨みをかう何か特別のことをしたのでしょうか。
なんとなく、女への憎しみがあるような気がするところです。ちなみに、刑を執行したのは秀吉だが、処刑方法が信長本人の意向か秀吉の意向なのか不明とあります。(以下、青字は全てウィキペディアから転載したもの)
なお、信長がタイプ8であれば、些細なことも全て自分一人で指図したがる気質ですから、秀吉が指図した刑とは思えません。
次に、信長を裏切った叔母(岩村城主)がいます。逆さ磔にされています。逆さ磔というのは大変に苦しむものだと聞いたことがあります。タイプ8は裏切りを許さない気質ですから、その場合は性別に関わりなく残酷な刑にするでしょう。
最も惨い刑を受けた男性は、信長を暗殺しようとした男です。首まで土に生き埋めにされ、切れ味の悪い竹製の鋸(のこぎり)で首をひかせ長期間激痛を与え続けて殺すという刑です。
自分の暗殺を図った人間に対して最も残酷な刑を与えるのはよく理解できるものです。ですが、それと比べると、浅井の小野殿への刑は重過ぎるのではないかと思うのです。
なお、このような刑罰を知ると悪魔のような冷酷な男に見えますが、上記のような残酷な殺し方は、秀吉も信玄もその他の武将たちもやっていたことで、その時代には珍しいことではありません。
また、信長が城を出て、その日に主人が帰ってこないとみた侍女たちが、城下町でのんびりと買い物などして羽根を伸ばしたようです。
(ちなみに、かつてタイプ8の社長の会社でバイトしたことがあると、以前このブログでも書いています。その社長が留守のときでも、みな緊張して働いていました。羽根を伸ばしたり、くだらないおしゃべりをすると、社長に筒抜けになるからです。気の緩みを許さない人で、席に座る場合も常に背筋をのばし、膝もピッチリとくっつけていないと注意されました)
それを知った信長は激怒して、侍女を数珠つなぎにした上で、老若問わず全て惨殺した。侍女の助命嘆願を行った桑実寺の長老も、同じ方法で信長に殺された。
…と伝えられていますが、桑実寺ではこのとき殺害されたはずの長老の記録が本能寺の変以降も残っているため、実際には殺されていないとしている。
また、文献に「成敗された」とあるが、侍女たちも殺害されたとは記録に無い。当時、縄目を受けるという成敗(処罰)の方法もあったことから、殺害にまでは至らなかったとの説もある。
タイプ8は警戒心が強く常に緊張している人ですから、緊張を解いて気を緩めることを嫌う傾向はクッキリと見受けられます。従って、留守をいいことに気の緩んだ侍女たちを、信長が罰することは多いに有りえます。
でも、死に値するようなこととは思えません。懲らしめるために罰を与えたのではないかと予想します。従って、侍女たちは縄で縛られるという刑だけに終わったのではと。
それでも、信長は決して甘えさせない人で、怖がられたい人でもあり、侍女たちが成敗されたと噂されたら、それを否定しないまま放置したということも考えられます。
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