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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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原節子さんが亡くなられたというニュースが深夜にありました。30代という若い時期に引退したままで、消息不明の女優さんとして伝説的でした。

すでに亡くなられたのではと思っていたので、驚きました。95歳だったそうです。ご冥福をお祈りします。

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高畑勲監督の『火垂るの墓』を観られた方はわかっていると思いますが、あまりにも辛く悲しい物語です。

私にとっては二度と見たくない映画です。夢にまで出てきてうなされる。大げさではありません。それほど辛くなる映画です。で、高畑勲監督も反戦映画としては役に立たないという(青字)。

「攻め込まれてひどい目に遭った経験をいくら伝えても、これからの戦争を止める力にはなりにくいのではないか。なぜか。為政者が次なる戦争を始める時は“”そういう目に遭わないために戦争をするのだ“と言うに決まっているからです」 以下に載っています。

★宮崎駿に続き高畑勲も安倍首相を批判!
「『火垂るの墓』では戦争を止められない」
http://lite-ra.com/2015/02/post-886.html 

★背広組による制服組への文官統制の規定を全廃
http://goo.gl/M2yh7T 

上記のニュースは、昨日知りました。防衛省の設置法のある条項を変えようと、3月の通常国会に提出するという。つまり、文官が武官より優位だと解釈されていた規定を全廃するというのだ。

これって、シビリアンコントロールが効かなくなるってことなのでしょうか? しかし、どのみち文官もアウト・オブ・コントロールというのが実態です。安べ自身もアウト・オブ・コントロールと言えるくらいなので、この国は親分であるアメリカのアンダー・コントロールで物事は進んでいくのだろう。

このニュースを聞いて胸クソ悪くて
安眠できそうもないと、借りてきた映画を観ることにしました。『モンゴル』です。広大な草原で簡素な暮らしで寡黙な人々が登場します。詳しくは以下のサイトでお読みください。

★映画『モンゴル』公式ページhttp://www.mongol-movie.jp/

若き頃のチンギスハーンを描いていますが、図太さや執念深さ、一途さがうまく描かれています。絶体絶命の危機時でも、テムジン(本名)は誰も裏切らず、汚い手を使わず、全力でただただ戦う。己自身が主人だという。
こういう人物こそ、インテグリティがある。しかも強烈だ。

「インテグリティ」とは、誠実、正直、完全性、全体性、整合性、統合性、一貫性などを意味するそうです。その逆は、不誠実、ウソをつく、裏切る、ぶれるになります。

ここまで書けばわかると思いますが、同盟国アメリカで
インテグリティが備わっている人物がいたとしたら、その人物にとっては、自分たちにヘイコラする、自分たちの意のままになる、顔色ばかり窺がう、対等意識がなく、自国への誇りを持たないヘタレがいたとしたら、軽蔑するだろうってことです。

自分のボスの首を持って、敵に投降すると、テムジンは即座にそやつを殺しました。

映画などでよくありますが、武将たちの戦いで、裏切者の投降者を受け入れる大将がいます。その大将を「器が大きい人物」みたいに描いていたりする。それが不満で疑問を感じていましたが、この機になり、ようやくうまく説明できるようになりました。

インテグリティがない人間は、味方を裏切ることがある、そして、たとえ敵でも、敵に利することをすれば敵に評価されて、自分の命は助かり、あるいは用いられると予想する。

敵の大将がインテグリティのない人間ならば、たしかに評価される。で、こちらの人間ばかりだ(とくに日本の政治家)と、私は思うので、インテグリティのない人が出世する社会だとみています。

従って、インテグリティのある人を見つけると、それだけで満ち足りた気分になります。私に欠けている資質だからなのか…。

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ジャマイカ人の男性と、ヒョンなことから親しくなり、時々自宅に招いて食事などをともにしております。その彼が熱心に奨める映画をようやく観ることができました。タイトルは『それでも夜は明ける』です。

北部に住んでいる
自由証明書を持つ自由黒人だった主人公が、騙されて拉致されます。そして、南部ニューオーリンズの農園に売られてしまう。そこで奴隷として差別され暴力に苦しめられて12年‥という事実をもとにした映画です。あまりの理不尽さ、そして虐待の描写がすざましくて、怖かったのですが…。

4日前の18日、パリの地下鉄で、サッカーのファンが「我らは人種差別主義者、それが我らの望むこと」などと歌いながら、黒人男性が乗車しようとするのを突き落した、というニュースがありました。白人優越主義がまだノサバッテいる…。

ジャマイカの友人の写真を見せたら、知り合いが「黒人なんだね」などと、わざわざ言う。なんだか差別意識がありそうに感じられて、嫌な気分でした。

日本人も有色人種として、白人から差別されることがあるのに、どうしてだか欧米にしか旅行しない日本人がいます。名誉白人だと思っているのでしょうか。それって、チャンチャラおかしいと私は思ってしまう。また、中東に旅したと話すと、不審そうな顔立ちをする人もいる…。


ところで、昨日はなんとマルコムXが暗殺されてから50年が経っていて命日のようでした。デモクラシィ・ナウで取り上げられていました。

動画で和訳してあるものはないかと探しましたが見つかりません。でも、有名な演説『投票か闘争か』の和訳された文章が見つかったので、よかったら読んでみてください。


また、YOUTUBEで映画『マルコムX』を全編みられるみたいです。私は語学が苦手なのでレンタルで借りますが…。

サッカー=チェルシーファンがパリで人種差別行為か、検察が捜査http://jp.reuters.com/article/sportsNews/idJPKBN0LN04820150219

★デモクラシィ・ナウ マルコムX追悼1965年の暗殺から50年
http://democracynow.jp/


★マルコムX『投票か闘争か』その1 
日本語訳で、その4まであります。http://teoreamachine.hatenablog.com/entry/2013/10/19/105232
http://teoreamachine.hatenablog.com/entry/2013/10/19/105232
★MalcolmX Full Movie
https://www.youtube.com/watch?v=jtqOXwVVVWM 



 

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メル・ギブソンが13世紀のスコットランドの実在の英雄ウィリアム・ウォレス(1305)を描いて、アカデミー5部門を受賞している作品です。

家族を皆殺しにされ、故郷を離れ成長したウォレスは、イングランドへの怨念と復讐に燃える…というストーリーです。1995年の米映画。


なお、ウォレスは反逆罪と見做されて処刑されますが、残虐な刑です。ウィキに載っています。

「首つり・内臓抉り・四つ裂きの刑で、遺体の首はロンドン橋に串刺しとなり、4つに引き裂かれた胴体はイングランドとスコットランドの4つの城で晒し物とされた」

最近になって読んだ本で知ったのですが、処刑のやり方は、首つりの苦しさを味あわせて、いったんは降ろして、生きているうちに心臓辺りから腸までナイフでえぐり、地の塊のような内蔵が飛び散るところを衆目に晒すというものです。中世ではどこの国でも残酷な処刑が普通にあったようです

しかし、ウォレスはスコットランド人です。イングランドの「エドワード1世への反逆罪を問われて裁判にかけられて有罪になりました。

ウォレスは、
「自分はイングランド王に忠誠を誓ったことはなく、彼の臣民ではないので大逆罪など犯していない」と主張。

映画をしばしば見ていますが、できるだけいろいろな国の映画を観ようと心掛けています。映画を観た後は、その国の歴史なども知りたくなってきますが、たいていどこの国も虐殺史を、おぞましい歴史を抱えているのだと知ったのも、映画を通じて得たものと言えます。

ころで、自国の領土と民や資源が減る恐れがあれば、全力を挙げて阻止しようとするものではないかと思いませんか? 何もせず座して見ているだけなどあり得ません。

不正なこともするに違いない、悪質なこともやるだろうと予想できませんか?  身近にもよくあります。

親の遺産をめぐって骨肉の争いになっていたり、離婚に際して財産争いや子どもの親権を巡っての激しい争いなどはよく見かけます。裁判沙汰に発展するだけでなく、一生涯、相手を憎み許さないんですから。 

エリザベス女王も関与してはならない政治に口出しをしました。独立を阻止するために総動員しています。そんなことは誰しも予想できることなのに…。

マスメディアはそれにはまったく言及しません。探そうともしない。これがジャーナリストと言えるのでしょうか。

メディアのていたらくは日本だけでなくスコットランドでも同じなはずでは? そうして、選挙という民主主義的な方法、正しいやり方で決定したことになっている。が、ほんとうにそうなのか?  

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(映画では、ナチの
戦犯アイヒマン本人がそのまま登場している)

映画『ハンナ・アーレント』をシンタルショップで借りて観ました。封切を観たいというほどではなかったのですが、実際、さほど面白いとは感じませんでした。

ただ、ドイツは敗戦後もずっとナチス問題と対峙しているが、日本ではそうなっていません。逆に、自虐史観だという言われ方がされています。

ですから、この映画によって、ドイツの戦犯追及が話題として取り上げられるので、とりあえず観ようかといった感じでした。

ところで、昨年の8月にドイツのメルケル首相は、ユダヤ人収容所だったところを訪れています。歴史を繰り返さないために訪問した、というような発言もしています。

それに比べると、日本の歴代首相たちの態度はどうだったんでしょうか。靖国神社より先に侵略した他国の地を訪れて、謝罪したり慰霊を弔うべきではないでしょうか。

第二次世界大戦では何千万人もの犠牲者を出したのですから、永遠に反省をして、賠償をして謝罪し続けるべきだと思う。そして、悲劇を繰り返さないため教訓を学び取ることを課すべきだと。

が、そうはなっていない…。おぞましい戦争を繰り返す恐れがあります。

というより、早くも集団的自衛権の行使容認を決めるというような無反省な態度が、あからさま過ぎてあ然とするばかりです。

★ドイツのメルケル首相が、ダッハウの元強制収容所を訪ねる
http://no-border.co.jp/archives/13810/
★アドルフ・アイヒマン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%89%E3%83%AB%E3%83%95%E3%83%BB
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00万人ものユダヤ人を殺戮した
責任者であるアイヒマンが、狂人や怪物ではなく、凡庸な一官吏であったと知り、ハンナは驚いたようです。それを「悪の凡庸」と名付けていてます。

でも、私からは自明なことで、凡庸な人間だからこそ命じられた任務を遂行したのだと思っております。ゆえに、驚く彼女に共感できませんでした。

実際、最も凡庸な人間が原発を推進しており、政権をとっています。マスメディアのトップに立っており、グローバル企業を率いています。

しかし、共感できたところもあります。ハンナが「私は一民族を愛したことはない。愛したのは友人だ」と述べているところです。

どの民族であろうとも、残酷になり悪魔的にもなるが、博愛的にもなれると思っています。なお、これに共感できない人もいるかもしれませんね。

しかし、多くの人に共感されなくとも、それでも言いたい。人々を、他の人たちを、一括りにしてあれこれ批判することが、私にとってはたいへんに嫌なことだということを。

たとえば、「最近の若い者は…」という言い方なども不快に思います。どれほどの若者を見たのか。日本国中の若者たちをしっかりと観たのかと、言いたい。

日本人はどうだとか、韓国人はどうだとか、大阪人はどうだとか、名古屋人は、女は、年寄りはどうだとか等々、どれも同じです。

他の女と一括りにして、私をみないでほしいと思ったりする。同じ民族であってもいろいろに違う。大阪人もいろいろで、女もいろいろですから。

で、ドイツ人の戦争責任を追及する姿勢は高く評価できます。反核運動も素晴らしいと思う。

でも、ドイツは米、ロシアに次ぐ武器輸出大国です。また、紛争国(イスラエル)に武器供与しています。矛盾しています。それでいいのかと腹立しくなるようなことです。

一方、日本は戦争責任を早くから放棄している。日本国民として恥ずかしく思うところです。ですが、武器輸出三原則があり、これまでのところ兵器はどの国にも輸出していません。

誇りに感じるところです。しかし、その三原則は捨て去られようとしている。原発も輸出しようとしている。

つまり、国でも民族でも、個人であっても評価できるところがあるが、非難したくなるところもある。光もあれば闇もある。長所もあるが短所もある。

友人に対して「愛する」という言葉は日本人として違和を感じるところですが、友人も尊敬できる部分もあれば、ちょっと嫌だなあと感じるところがある。

私もそう思われている…、尊敬されるなどあまり想像できないが、仕方がないよ変えられないのだから、と開き直っている。そのように心を整理しないと苦しくなるので致し方がありません。 

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アイルランド人監督のアニメで、すごくいいものがあります。でも、知るのが遅かった!

映画館で再上映してほしいのですが…。

★ブレンダンとケルズの秘密
T
he Secret Of Kells - Promotional Trailer
http://shop.cartoonsaloon.ie


アイルランド・ケルズが舞台の、少年ブレンダンの冒険物語。ヴァイキングの襲来にそなえ 集落を取り囲む塀を作る大規模な工事が続く中、ヴァイキングに襲われたスコットランドのアイオナ島から、高名な装飾画家の修道士エイダンが、『ケルズの書』を携えて逃れて来ます。『ケルズの書』に魅せられたブレンダンは、エイダンにこの写本を完成させるのを手伝ってほしいと頼まれるのですが・・


アイルランドの国宝「ケルズの書」がテーマとなっている映画だそうです。首都のダブリンにある国立大学「トリニティカレッジ」の中にあります。大学内の図書館の写真は撮っているのですが、以下の「ケルズの書」は撮れませんので、転載させてもらいました。

  



監督トム・ムーアさんの経歴その他
http://ppgcom.blog12.fc2.com/blog-entry-3903.html

★トム・ムーア監督の舞台挨拶とインタビュー
http://oeffpress.seesaa.net/article/170202859.html


 


トリニティカレッジにある図書館 

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この映画は、タイプ2の作品だと判定しています。なお、根拠を説明することは今回は省かさせて頂きます。

さて、サウジアラビアに「宗教警察」があることは、この映画を観るまで全く知りませんでした。なんと「勧善懲悪委員会」と呼ばれています。
正式名称は、「徳の奨励と悪徳の禁止の省」です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%A7%E5%96%84%E6%87%B2%E6%82%AA%E5%A7%94%E5%93%A1%E4%BC%9A

考えられないほど驚くべき省です。戒律を守らない人間を取り締まっている省で、とくに男女関係での取り締まりは厳しそうです。

日常生活全般を取り締まっているのですから、日本ならプライバシー侵害ですが、これほどだとは知りませんでした。

映画の中で見かけたのは、女学校の宗教クラブでコーランを持つ場合も汚してはいけないらしいことです。それで使い捨ての手ぶくろをします。

女は不浄扱いですが、百年くらい前の日本もそうでした。また、コーランを開いたままにすると、「悪魔がツバを吐く」と、母親は娘に注意している。(日本国憲法をそんな扱いにするといいのになあ…)

西洋音楽は、悪魔の音楽だと思われているらしい。いや、そう思わされている。でも、音楽ほど国境を素早く超えるものは他に無いので…、

娘が自転車の練習をしている折に、ころんでケガをすると、「血が! どこから(出たの)?処女なのに!」と、言って母親は慌てて娘に駆け寄ります。

出血から連想するものが信じられません。処女性など今や日本ではどうでもいい類のことなのに、このセリフには驚愕しました。(尤も、江戸期は武家社会のみのことで、庶民はダアダア)

夫が客人を招いたようですが、客間は男専用になり、妻は作った料理をドアまで運ぶだけで、客とは顔を合わせません。その後、その残飯を食べている。これじゃあ女中さん扱いです。

家系図は男のみ記す。ワジダは壁に張っている家系図に自分の名を書きつけた紙を張り付けます。のちに母親から剥がされてしまいますが。

母娘が屋上から隣家の男たちの集まりを観ていると、男たちが気づいて顔をあげるので、それと気づき驚いて頭を伏せる…。

ワジダの
同級生(女学校のみしかない)が結婚したらしく、学校に写真を持ってきます。ワジダの母親も退学になりそうな問題児の娘ワジダに対して、「(よい子にしていないと)結婚させるわよ」と脅しています。

少女との結婚を認めている悪しき風習は、イスラム圏だけでなく、インドやアフリカなどでもはよく見かけます。

なお、結婚相手は父親が選び、娘には選択権はありません。なんともはや国をあげての子ども扱い!

まあ、今でも「おんな子ども」と一括りされることが日本でもたまにあります。

そして、学校が禁止するものを持ち込んでいた女子は、朝礼みたいな場で公表されます。死刑も見せしめする国なのです。まるで中世です。

この少女は周囲の子どもたちから避けられ、けがらわしいもの扱いされています。勧善懲悪委員会って力量がありそうですね。

なお、サウジの国情を知ると「まるで中世」ですが、日本も、欧米からは中世のような社会に見られています。

死刑制度や代用監獄や取り調べ方(可視化していない)など、また、女性の社会的な地位が低いなどから、後期中世くらいに見られているかもと…。また、それを日本人の多くは知らないみたいです。

ところで、近頃のテレビ番組では日本賛美が多いみたいですね。自画自賛も過ぎればみっともないのに…。

そして、近頃、あの番組の「にっぽんていいなあ」のセリフがどうも気になります。なんだかいやあな感じがしてきたのですが…、あなたはどう思われますか?

★サウジ宗教警察「赤いバラ」摘発 バレンタインデー前にhttp://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021201000108.html

★イスラム報道
http://web.thu.edu.tw/mike/www/News2/temporary/muslim.html



 


 

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少女ワジダの母親は、国が女性の運転を禁じているため、通勤時に運転手を頼まなければなりません。当日、運転手が来なければ仕事にも行かれない。

家族ではない男とふたりっきりはダメで、そのため車内でも複数の女性と乗り合せねばならないみたいです。

そして、バスなど公共交通も発達していない。働く婦人たちにとってかなり不便な社会と言えそうです。

ワジダの母親は、「留守に男の子を家に入れるなんて、パパに殺されるわ」、「男の人がいる職場で働きたくない。パパが嫉妬するから」などと言う。

そこで母親は、別の勤務先を探さねばならないのに、友人の勧めた職場を断ってしまう。サウジでは女性の働く場は少ないのに、夫の意向を無視できないみたいです。

女性は一人では買い物にも行けない国らしく、あるシーンでは孫のような男児を伴に買い物する年配女性が映っています。

「自爆テロで死ぬと天国で妻を70人娶れる」などという、看過できない会話もありました。

映画館は無くとも、DVDなどのソフトであれば家庭内では見られるのですから、矛盾しています。それなら男女別の映画館があってもいいのに…。大勢の人間を一同に会することを恐れているのか?

この映画の女性監督・
ハイファ・アル・マンスールさんがインタビューに答えています。

「屋内や学校の敷地内のシーンを除いて、私はバンに乗り込み、モニターを見ながら無線で指示をとばすというやり方」で撮影した。

男女隔離の厳しい社会では、撮影するにも大変な苦労があったみたいです。

なお、女性は家庭以外では素顔が出せないなら、映画の中でも素顔を出したり肌を見せてはいけないのではないか、矛盾していないかとふと疑問に感じていたら、なんと以下に少し言及されていました。

★「もう一つのサウジアラビア」の声を届けたい
http://www.swissinfo.ch/jpn/-%E3%82%82%E3%81%86%E4%B8%80%E3%81%A4%E
3%81%AE%E3%82%B5%E3%82%A6%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%8
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・インタビュア:サウジ女性はベールなしでスクリーンに、つまり世界中へ姿を現す権利がありますが、街頭ではその権利はありません。

・監督アルマンスール:サウジは「美しい」矛盾に満ちています。保守的な国であることは事実です。しかし、女性が身につけているベールの下には、人生、笑い、喜びを愛する、感情を持った人間がいるのです。

なにが美しいのかよくわかりません。また、あからさまな矛盾がこの映画から見つけています。

戒律や伝統には従ってはいるが、近代化によって社会は大きく変化して、戒律の解釈が難しくなり、それでさまざまな矛盾した決まりを作り出さねばならず、社会ルールがさらに複雑になったと考えられるところです。

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サウジアラビヤは、映画館が娯楽規制によって設置できません。

そんな国に生まれた女性がサウジ初の映画監督になって、サウジ国内だけで撮影した映画ですから、すごく観たいと引きつけられていました。

サウジは、他のイスラム圏と比較すると戒律が厳しい国と知られています。家族以外の男性には素顔を見せず肌も隠さねばならず、全身黒ずくめです。

男女が厳しく隔離された社会ですが、私たち日本人には実態がわかりません。人々の暮らしぶりが想像できにくくて、なじめない国っていうイメージがあると思います。

このような国に住む女性たちは、女性差別と言えるような戒律をどのように捉えているのか、抵抗していないのかと…。日本では報道されることはほとんどないので分からないことばかりです。

なお、鑑賞後の感想としての一言ならば、“とても素晴らしい!”と言えるものでしたので、多くの人にお奨めしたいと思っております。

公式サイト
http://shoujo-jitensha.com/

主人公のワジダは10歳くらいで、お転婆とも言える活発な少女です。学校では他の少女たちは黒の皮靴()ですが、ワジダはスニーカー。家の外でも幼馴染らしい男子とおしゃべりします。

その男子と自転車競走をしたがっています。髪も黒いスカーフで隠すことを校長から注意されますが、ちょっとかぶっているだけ。大人の女性とは違い、少女にはそれほど厳しくないようです。

それでも日本人からみたら驚くような戒律があり、自由度の少ない社会です。

映画に出ていたものとしては、女性は外出するときは全身を覆う。女性の声は肌と同じだと捉えています。

つまり、黒ずくめの服から目だけ出すように、外では会話も必要最小限にということらしい。


宗教クラブという部活があるみたいで、担当教師が、「生理の間はコーランに触れてはならない」と指導します。まるで、女は不浄だと言っているようで、昔の日本にあったような考え方です。

至るところに戒律が支配しているように見えますが、映画のシーンからは、その不自由さをどこかで凌いでいる、うまくかわしているような感じがみえます。

また、女性は自転車に乗ることは禁止されているが、少女ならば厳しく批難されるほどではなさそう。ただし、キチンとした女子には見られないみたいです。

そして、少女と母親との会話から、父親とは同居していないとか、父親は扶養の義務がないかに見えるところがあります。

母親は通勤に3時間もかけており、無理しているようです。なぜ夫がいるのに無理しても働かねばならないのか、説明がないのでわかりません。

4人の妻まで持てる社会ですが、この映画では父親が第2夫人と結婚して、母親の嫉妬と嘆きが少しとりあげられています。第2夫人が持てるならば、夫は高収入なはずではと思うのに…、よくわかりません。

少女の母親は、なにかにつけパパ!パパ!で、夫中心の生活ぶりで、夫に依存的に見えます。自分より身分が高い旦那様扱いって感じです。

80~100年前の日本、祖母の時代にあったような暮らしぶりに近いような気がします。でも、そんなに遠い昔のことではないのに、そのようには見えません。

どうしてなんでしょうね。宗教戒律と因習の違いなのでしょうか? (つづく)

 

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映画『空中ランチ』の予告編 原題:MEN AT LUNCH


20世紀初頭にアイリッシュ移民が経験した、努力・苦労・困難そして喜びの物語。

<ストーリー>
この映画は、20世紀の初頭、ニューヨークの高層ビル建設に携わっていた移民労働者達のドキュメンタリーだ。

69
階、地上250メートルの作業場で、命綱もなしにランチ休憩を取る労働者の様子を捉えた一枚の衝撃的な写真。

この写真については、すべてが長い間謎に包まれていた。

「この人たちは誰だ?」「合成写真ではないか?」「誰が撮影したんだ?」...

ニューヨークを象徴するこの写真の真実を明らかにするため、2000年代に入ってから本格的な調査が進められた。

しかし、なかなか手がかりは見つからず、調査は難航。

しかしある日、突然意外なところから新たな情報がもたらされる。

それは、アイルランド西部にある、シャナグリッシュという小さな村だった...

監督ショーン・オ・クーローン
音楽:マイケル・マクゴールドリック
アイルランド/2012年/55分/英語(日本語字幕)


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HN:
竜頭 万里子 (りゅうとう まりこ)
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講師・カウンセラー・ライター
趣味:
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