そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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長年、行こう行こうと思っていたが、なぜだか行きそびれていた所があります。長崎です。長崎に出掛けたのは始めてのことで、少し風が強くて桜吹雪にうっとりしました。

長崎の街の中心地に位置するところが爆心地で、そこに建てられた原爆資料館と平和公園などを見学しました。でも、70年前に長崎で起きた出来事をもっとよく知らねばと、私を駆り立てられて、帰宅後に何かないかと資料を探してみました。



「平和公園」と言えば、名古屋市内にも「平和公園」と名付けられた広大な公園があります。軍事施設や軍需工場が多かった名古屋周辺地はかなりの大空襲に遭っており、一面焼け野原になりました。

(注*なんと名古屋は63回の空襲。あなたは知っていましたか? B29の来襲は2,579機。投下弾は14,500tを超え、死者7,858名、負傷者10,378名、被害戸数135,416http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/daijinkanbou/sensai/situation/state/tokai_06.html)

戦後の名古屋市の戦災復興計画の一つとして、100m道路が造られたことはよく知られていますが、市内のほとんどの墓(18.7万余基)を東部丘陵地に移動して大規模な墓地にしました。

さて、長崎の平和公園も同様に戦災復興計画の一つで、爆心地とその周辺地に資料館と平和祈念像というよく知られた像(写真)があります。

おそらく、「平和公園」と名付けられた所はみな戦後の復興計画でできたもので、各地にあるのではと考えられます。もう戦争は絶対しないと願ってのことだったはず…。

ころで、今回の長崎の旅で初めて、平和公園となる戦前は刑務所が建っていたことを知りました。しかも1992年に地下駐車場を作るために地面を掘り返して分かったことなのだそうです。

刑務所の基盤と処刑場の地下部分の一部が展示されています。当時、「刑務所内にいた職員19名、官舎居住者35名、受刑者及び刑事被告人81名(そのうち中国人32名、朝鮮人13名)計135名全員が即死した」と案内板にあります。

原爆資料館では、外国人のほうが日本人より多かったようで少し残念です。とはいえ、私も短時間だったのでじっくりと観られませんでした。

後に調べてみたら、故
渡辺武男東京大学名誉教授が残した資料がネットで見つかりました。原爆投下から2か月しか経っていない時期に現地調査したもので、写真などもあり貴重な資料(以下)です。

一本柱鳥居も車窓から見ましたが、以下の資料にある写真は、周囲一帯がガレキが積み重なっているなか、一本足になってしまった鳥居がポツリと立っています。

★『石の記憶ヒロシマ・ナガサキ』
被爆試料に注がれた科学者の目
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2004Ishi-no-kioku/index.html

★一本柱鳥居
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2004Ishi-no-kioku/01/010309.html

定期観光バスに乗ると、バスガイドさんが『原爆を許すまじ』を歌ってくれて、思いがけず私も口ずさんでいて、つい涙ぐんで仕舞いました。7年前なら泣かなかったのにと思う。

10代に覚えた歌詞は忘れないみたいです。もしも聞いたことがない方がいるとしたら、ぜひ一度、曲を聞いてみてくださいね。以下のところで聞けます。(続く‥)

★『原爆を許すまじ』
http://duarbo.air-nifty.com/songs/2007/08/post_6629.html

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