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織田信長のエニアタイプを、「タイプ8」と判定しています。ですが、当会の理論にある「女性を強く意識するタイプ(837)」に関しては調べていませんでした。
楠戸義昭著の「信長と女たち」(毎日新聞社)の中に、信長が最も愛したと言われている「吉乃きつの」という女性が出てきます。信長が23歳で吉乃は19歳の頃に知り合ったとあります。ちなみに、吉乃は5歳年上だという説もあります。
信長の幼名は吉法師(きっぽうし)ゆえ、吉乃は「吉法師の女」と言う意味があると書かれています。すごいですよね。信長の女、だという名前が付けられているんですから…。
吉乃は29歳で病死していますが、信長の悲しみの様子を記録している「久昌寺縁起」によれば、「信長公哀慕聯々として同穴の思いあり」とあります。
現代訳すれば次のようになるでしょう。「あまりにも吉乃を愛していたので悲しみ大きく、涙がとめどなく流れて、彼女と同じ墓に入りたがっていた」
何十万人もの人間の殺戮を指示した男が、そんなこと言っているなどちょっと驚きです。しかし、これが本当ならば、「女性を強く意識するタイプ」であることは間違いではなかったことになります。
また、タイプ8は、「性のパートナーに向くタイプ」という分析をしています。「同じ墓に入りたい」というほどの苦しみは、女の存在が大きいと考えられます。
http://www.mirai.ne.jp/~ryutou-m/eneagram/static/theory5.htm
一方、タイプ2は、「男性を強く意識するタイプ」です。また、「子に向くタイプ」です。豊臣秀吉の子煩悩ぶりは有名でよく知られています。タイプ2w1と判定していますが、「お母さん気質」ゆえ、子の存在が大きい傾向あります。
たとえば、秀吉の朝鮮出兵は、わが子鶴松の死の悲しみからうつ病になり自暴自棄になったとか、その死を忘れんがためのものだと伝えられています。
まさに、天正19年8/5に鶴松が死亡し、翌月の9/28に早くも朝鮮出兵を命じています。また、鶴松のために寺を建て、剃髪し、木像を彫り、亡き愛児を偲ぶ歌を幾つも作っています。
秀吉は何人もの側室を持ったので女好きだ思われているのですが、実際には、「子の存在が大」きかったようなのです。信長のほうは23人もの子を持っていますが、子煩悩だとは伝わっていません。
信長は正室の濃姫のほかに11人くらいの女性と関係があったようです。それ以上かもしれないのですが、いい女だと見れば、信長はたちまちくどいたと、この本には書かれています。
そして、惚れた女の死を前にして、「ともに同じ墓に入りたい」と悲嘆にくれるほどならば、タイプ8と判定できると考えます。尤も、「久昌寺縁起」に書かれていることが事実であるならば!ですが。
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