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ハンナの自殺の原因を探ってみます。前回のその5で書いたように、7年もの間ハンナはミヒャエルから送られてきた朗読テープを聴いて文字の読み書きを学び、習得していました。
原作から→「ミヒャエルがハンナの独房に入ると、そこには本棚があり、ナチの犠牲者たちの本と、ルドルフ・ヘスの伝記、アイヒマン裁判、強制収容所などの研究書がありました」
所長が語ります。「もう何年も前に、強制収容所についての一般的な図書リストを手に入れて欲しいと頼まれました。1、2年前には、強制収容所にいた女性たち、囚人や看守たちについての本を教えてほしいと言われました」
なお、非識字者であったハンナには、働ける場はそれほどなかったと考えられます。収容所の看守を募集していると誰かから聞いて、すぐに応募したと考えられます。
原書では、「ジーメンスで職長になれるという話があったにもかかわらず、親衛隊に入ったのは本当か?」と裁判で質問されています。
職長になると文字の読み書きが必要になり、非識字者だと知られてしまうので、辞めて他の職を探す必要があったのですから。そして、その職を得るためには、親衛隊に入るのが条件だったのではないかと。
さて、新聞を読めず、友人もひとりもいない、孤独に生きていたとしたら、その収容所がどういうところなのか、ナチの親衛隊のことも事前に知ることはできるのでしょうか。答えはノーです。
しかし、文字が読めるようになり、ハンナはナチ政権のしたことの意味をしだいに理解できるようになった可能性があります。
当人の読書歴をみれば、何に関心があったのか、どの程度まで物事を深めて観られるようになったのか、およそ測れます。ハンナは、自分がそれに加担していたことまで悟ってしまったのではないでしょうか。そんな自分を知りますが、それを知って、はたして生きていけるのでしょうか。
ここまで辿って、急に思い出した児童文学書があります。上野瞭著の「ちょんまげ手まり歌」です。30年前くらいに読んだのですが、ずっと忘れないままでいたようです。
ちょっと書き出してみます。
「おみよ(主人公の少女)、みんな、なにも知らんからこそ、それで幸せじゃったとも言えるんじょぞ。おまえは自分の国の恐ろしさを知ってしもうた。知ってしまうことは、おみよ、人間を大きく育てるが、それだけ苦しみが増えることじゃぞーーと、山んば老人はそう言うと、ふいに姿をけした」
上野瞭さんは、無知ではいけない、知ることで不幸になったとしても、辛いことになったとしても、それでも知ろうとする人間になってほしい、という願いをこめて、この物語を書かれたのではないかと思います。
それまで、「知る」ということは私にとっては、「面白いこと」だったのですが、それだけではないと教えてくれたのがこの本です。なお、上野瞭さんは8年前に亡くなられています。
ちなみに、私の予想した自殺原因は当たっていたのでしょうか? それとも間違っていたのでしょうか? あなたの予想はどんなでしたか?
以下の青字は、他のブログにある感想文です。
ハンナはやっと面会に来てくれたマイケルを見て、それが愛からではなく義務感からということに気づいてしまったため、誇り高い彼女は死を選ぶしかなかったのだろう。
知性を磨いた彼女に、ナチスの元親衛隊という十字架を背負って、一般社会に戻ることはかなりの重荷であろう。頼れる「坊や」は、もう坊やではなく、時代の力関係は完全に崩れている。残された道は、これ、だったのだろう。
朗読のテープを送り続けたのも、愛に基づくものではなく、かつて愛した女性に対する責任感・義務感の表れではなかったのか。こうしたことが、遠因となってハンナを自害に追いこんだのかもしれない…。
多分、本を読むことによって、彼女の中の何かが初めて完全に「目覚めた」のでしょう。そして自分が300人を殺したということの意味を、初めて深く考え始めて…考えて、考えて…そして、収監されて24年後、ようやく釈放されるというその前夜、彼女は自ら命を絶つのです。
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