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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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★若者のセックス離れは「イタさ」回避のあらわれ?
http://www.youtube.com/watch?v=k96hWzha4os

(ニュース・コメンタリー1/14 神保哲生と宮台真司の司会 )



半年くらい前のことですが、講座に参加された4人くらいの若い男性は、どうやら受講したいという気持ちがなく、先輩たちに連れられて参加したみたいでした。

つまらなさそうな顔つきで、聴く気がないみたいなので気にしていました。

そこで気を変えてオモロイ話でもしようと、昔の日本の風習を語ってみることにしました。

農村には遊郭はなく、若者たちは他村の娘に「夜這い」をかけたとか、盆踊りの夜は無礼講で乱交があったなどと、昔の性習俗を紹介していると、皆一斉に眠気を覚ました!

昔からの盆踊りの形態を遺しているところは、女は編み笠をかぶったり、男は手ぬぐいで顔を隠していることが多い。東京の阿波踊りも編み笠を深く被っている


越中、おわら風の盆
http://echigotsumari.blog95.fc2.com/blog-entry-15.html
徳島の阿波踊り
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E6%B3%A2%E8%B8%8A%E3%82%8A

下川 耿史著「盆踊り、乱交の民俗学」
http://www.tokyo-np.co.jp/book/shohyo/shohyo2011091103.html


それは許されない相手、たとえば人妻ともまみえるようにするためで、一年に一度の乱交の夜として暗黙に認められていた、そんな日本が過去にあったのだ…と。

てきめんに目がギラギラ光る。なんというゲンキンな若者たち! 

「昔の人は字が書けないから、恋文も書けず、そこで小石や松葉を相手の袖にそっと差し入れることもあった」と語る。

若者たちは意味がまったくわからないらしい。小石は「恋し」で、松葉は、「あなたを今夜待っているわ」という合図だと解説する。このような性風俗の話は初耳らしい。

20分くらいその手の話をして、その後に、エニアグラムの話をしだしたら、ノッテ来てくれました。


若者はこうでなくっちゃ!と思う。これを話してもまだ眠たそうな顔をしていたら、もうどうしようもない、と思ったものです。

ところが昨日見つけた記事には驚いた。

…若者の性愛離れが進んでいることが、データによっても裏付けられた。国立社会保障・人口問題研究所の調査によると、18~34歳の未婚者のうち、男性の61.4%、女性の49.5%が「交際している異性がいない」と答えたそうだ。また、今年発表された日本家族計画協会による調査では、16~19歳の若者のうち、36%の男性と59%の女性がセックスに「関心がない」もしくは「嫌悪感がある」と答えた…

日本の若者がここまで来ているとしたら、人口はたちまち減少する。予想では、2050年には人口の3割くらい減るという話も聞いている。そうなれば、原発も要らなくなるが…、年金制度はどうなるか…、

上記の録画されたものを知ると、問題は深刻そうである。人類文明の破滅は近いと思わざるを得ない!



恋をすることは「イタイ」ということで、それはフラレて傷つくことを恐れるというのではないらしい。

反戦デモに参加することも「イタイ」ことで、政治を語ることもイタイことらしい。

なにか熱中したり激しいことをすると、「イタイ奴」に思われてしまうので、イタイことはしないんだそうな! こんなの全くわけわからんよぉ…、

イタイことをするから快感にもなる。性の快感も絶頂に到達する前にはイタそうな苦悶の表情になる。

意外や、苦痛と快楽は紙一重なのだ。あるいは、快楽は、苦痛からの解放だとも言える。

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この頃、みんなが片思いしているんだなあ、と、しばしば思います。

私自身も、「あの方ともっと語り合いたい」などと思っていたのですが、相手方のほうはその気が全く無いらしいとわかり、ガックリしました。つくづく片思いばかりしていると、そう思うのです。

結構気が合っていると思っていると、ある時すれ違いを感じたり、価値観の違いが大きいことを知って驚くこともよくあります。ああ、この人と人生を語り合うことはできないのかと…。

エニアグラム理論からみても、多くの人たちが片思いをする運命にあることがわかります。

一昨年にあったことですが、尊敬するあるタイプ1w2の男性に、当会の講座に招待して講演してもらいたいと依頼したことがあります。

見事に断られてしまいました。「私が男だったら、承諾してくれたのでは…」と勇気ふるって尋ねたら、なんと「そうかもしれない」という返事。エニアグラムのことは全く知らない男性です。驚きました。

あまりにも図星で、理論通りでしたから。こんな質問はエニア理論を確かめたいばっかりにしたことで、普通は考えられない行為です。また、彼はほとんど男ばっかりの職場で働いています。

ある知り合いのタイプ4w4の女性が煩雑に電話してくるので、よく相談に乗っていたことがあります。数年が経ち、私のほうが次第に友情を感じるようになりました。

でも、この人は心配事が無くなったら、とたんに電話をかけてきません。友情が築かれたと思ったのは、勝手な自分の思い込みに過ぎなかったのです。

また、以前にもご紹介していますが、家族間の片思いがトライアングルになっていたり、思いが一方向で永遠に双方向にはなりにくいケースがあることをよく見聞きします。

2つの事例をご紹介します。

ある夫婦と男児の3人家族です。父親がタイプ7で、女性ばかり意識しているタイプです。

母親は男児のことばかり気にするタイプ2で、子どもが幼いと夫のことは二の次になりやすいタイプです。

ところが、男児はタイプ2で、父親のことばかり意識するタイプです。父親が自分のことなどまるで考えておらず、母親のほうばかり見ているのが気に食わないのです。

でも、タイプ7の父親にとっては、息子など要らないと思うくらいで、妻が息子のことばかりかまけて、自分へのサービスが少ないことが気に入らないのです。

タイプ2の妻にとっては、息子の学業成績が心配で、それを夫がさほど心配してくれないことに不満を持っているのです。3人ともに片思いをしいているのです。

タイプ7の父親(夫)→タイプ2妻(母親)→タイプ2の男児→父親

次も3人家族です。あるタイプ4の男性は、実母のことばかり気にしています。妻と娘がいますが、実母が老いて病気がちなので、妻はともかく娘のことなどすっかりと忘れています。

娘はタイプ6で父親のことばかり意識するタイプです。また、実際にも父親を尊敬していたのですが、受験時なのに父親は全く相談に乗ってくれないと嘆いていました。

この男性の妻はタイプ7です。娘を大切にするタイプです。娘の受験で心配していますが、夫は姑の世話にかかりっきりで相談にのってくれません。

また、娘は夫のほうばかり見ていて、自分(母親)のことは忘れられがちなのが不満です。自分のことを心配してくれる家族が一人もいないことが気に入りません。

タイプ7の母親(妻)→タイプ6の娘→タイプ4の父親(夫)→実母
 

片思いは、恋愛関係として語られますが、家族関係や友人関係でもよくあります。

自分が兄弟姉妹のなかで、一番に親から可愛がられていると思っていたとすると、そうではなかったとあるとき知るかもしれません。

相手にとって自分は、一番の親友だと思っていたら、自分は3番目くらいだったとか。
自分のほうではそれほど友情を感じていないのに、相手のほうは友情を求めている…。

多くの人たちが片思いをしているのに、それを知らずにいたりします。

でも、人の心はどうにもならないものです。振り向かせようと強引になると、よけいに関係がこじれて相手は去っていくかもしれません。

最後にアドバイスです。

人に対して熱中するのはほどほどにして、何か別の生産的なことに熱中できるようにしたほうがよいと思います。そういう対象を探しだしてください。

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好きな曲を聞いていると、気持ちも落ち着きます。

私の好きなアニメは、宮崎さんの作品の中ではトロロとラピュタです。



あっ間違えた。トロロじゃないぞ、トトロだ! 頭がトロロになってきた(笑)

天空の城ラピュタ「君をのせて&シータの決意」オリジナルトランスVer2

犬のことを書いているブログに貼り付けました。

以下から飛べます


http://dogstype.exblog.jp/i0

 

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「友人とは、夜中の12時に、自動車のトランクに死体を入れて持ってきて、どうしょうかと言ったとき、黙って話に乗ってくれる人」

これは、故・河合隼雄さん(タイプ2w1と判定済み)が『大人の友情』の中で述べていることです。なお、河合さんはユング派の臨床心理学者で文化庁長官も務めた人です。

上記のような絶対的な信頼感で結ばれる「友人」を持っている人が、本当にいるんでしょうか? 有り得ないと思うんですが、どう思われますか?  第一、絶対的な信頼感で結ばれているというよりは、依存的な関係にみえてしまいます。

私ならば、友人に何も尋ねないままに、まずは警察に連絡を入れるべきだ、と説得するかもしれません。それが真の友情だと思うのですが、あなたはどのように行動されますか? 

正当防衛で起したのであろうとなんであろうと、事情にかかわりなく、「人の死」なんですから、隠し通せるものではありません。また、自分のしたことには自分で責任を負うべきだと考えます。

また、私ならば、どうにも避けられない事故で自分に過失はなかったとしても、友人宅に行くなど考えられません。友人に迷惑をかけることを怖れます。

また、親友であっても、事件に巻き込むようなことは絶対に避けるべきだと考えます。依存的な関係ではなく、互いに自立的であってこそ真の友情が築かれるものだと思うからです。

ところで、ちょっと話がそれるかもしれませんが、タイプ2の人たちは、ちょっとした知り合いでも、「友だち」に入れている場合がよくあります。ところが、防御タイプ(7・1・4)にとっては、「友だち」とは、タイプ2にとっての「親友」に近いものです。

この3つのタイプにとっては、周りにいる人たちから、“いつも友だちに囲まれていて羨ましい” などと思われているかもしれませんが、当の本人は、“友だちとは思っていない” ということがあります。尤も、この3つのタイプに限ったことではないのですが。

仕方なくつきあっている、イヤだけどつきあっているだけ、という話ならば、幾らでも聞いていることですから。もっと凄いことは、キライだけれどつきあっている、怖いのでつきあっている、という人さえいます。

たとえば、「あなたは私の親友よ」などと、タイプ2から言われていたタイプ4がいますが、本人は怖くて何も言えないままつきあっているのです。

そのタイプ2は嫌われていることも知らない、怖がられていることも知らないまま、という事例はさほどに珍しいものではありません。むろん、他のタイプにもあることなんですが。


片思いというのは、男女間だでけでなく、友人関係にもありますが、自分が片思いしていることさえ気づかない人も、実は意外に多いんです。あなたも、もしかしたらそうかもしれませんよ!(…ただの脅しですから気になさらないで! 笑い)

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ウィキペディアに「ランチメイト症候群」として載っている記事をご紹介します。

「ネットを対象としたアンケート調査では、1~2割の男女がひとりでの食事に抵抗を感じていることが明らかになった」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%83%88%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4

ただ、ネットを対象にした場合と高校生などを対象とした場合とでは、数値は変わるのかもしれませんね。

なお、高校時代が、友だちの目を一番気にする頃なのではと思います。二十代の頃に、同年齢集団ということが諸悪の根源なんだから、そういう集団教育はやめるべきだ! などとよくそんなふうに考えていました…。

さて、「友だちもできない劣った奴」に見られることを怖れる人がいるそうです。でも、優れた人は、一人でいるもの、という印象が私にはあります。

(ちなみに、高校生の頃に、いつも一人で過ごしていた静かで落ち着きのある優秀な人がいました。憧れの人だったことを急に思い出しました。声も掛けられませんでしたが、もしかしたら声をかけたほうがよかったんでしょうか?)

たとえば、歌手も、幾人ものグループで歌っているよりも、たった一人で歌っている歌手のほうが優れているのではないでしょうか。そうでない人もむろんいますが、一般的にはそういうイメージがあるように思われます。

また、劣っている人が劣っている人と2人でランチしていたら、劣っていない人たちに見られるのでしょうか? そんなこと有り得ませんよね。「劣っている」ってことが、どういうことを指しているのかわかってないままに書いてますが…、 

それでも、他の生徒たちが仲間とともに楽しく食べている近くで、たった一人で黙々と食事するのは、やっぱり嫌なことではあるでしょう。

ただし、「一人でランチすると友だちもできない“劣っている奴だ”と思われる」と、怖れているのならば、そういうふうには見ない人間も、結構いるんだと知ってほしいものです。

そして、学校などの食事室を、テーブルや備品や観葉植物の配置などで工夫して、一人でも気楽に食べられるような空間に改善して欲しい、と、教育委員会などに要求したいですね。あなたも、生徒会などに問題提起してみませんか?

たとえば、本を読みながら食べられる部屋とか、ネットしながら食べられる部屋とか(ダメだろうな)、窓に向かって一列に座席があって、仕切りも多くて大勢では食べられないとか。

テレビ見ながらランチできるとか、ランチタイムは3交代制にするとか。家が近い子は自宅でランチしていいとか。ランチタイムは地域の人たちにも場を開放するetc 

とにかく、独りぼっちの子が、少しでも居心地よくいられる場を作ってほしいものです。
確実に、他の子どもから排除される子、疎外される子、独りになってしまう子どもがいるのですから、それを前提にしたソフトとハード作りをするべきだと考えます。

先月、桐生市の小6の少女が自殺していますが、給食時にグループに加われず独りぼっちで食べていたことがあったと報道されています。それが原因なのかわかりませんが、一因にはなっているように思うのです…。

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和田秀樹著の「なぜ若者はトイレでひとりランチをするのか?」という本が売れているみたいです。大学などで一緒にランチを食べるような友だちがいないと、友だちもできない劣った人間だと思われるのが怖くて、トイレに隠れてランチをとるというのです。

この本は読んでいませんから、これ自体にはコメントできません。しかし、なにか気になるので、ちょっと取り上げてみました。

ランチをともに食べるのが、「友だち」なんでしょうか? まず、それがよくわかりません。また、ランチを一人で食べている人間は劣った人間と見られているのでしょうか? それは事実なのか確かめているんでしょうか?

学内では友だちがいなくとも、他のところで友だちがいるかもしれないのですから。また、劣った人間とは、どういう人間のことを指すのか、それを考えてみて欲しいのですが…。

「便所飯」というインターネットスラングがあります。でも、事実なのかは確かめられたのかわかりません。もしも、そのような動機から、便所飯をとっている人間が実在するならば、その人こそ劣った人間に、私からは見えてしまいます。

でも、「便所飯」は、都市伝説だと言われているようでもあります。実在するとしたらば、それも不思議に思うことです。友だちができなくて辛い思いをしているのであれば、ランチを食べたいという気持ちになるのかという点です。

食欲が失せないのが不思議です。不可解です。また、もしも、誰かにトイレで食べていることを知られたら、もっと恥ずかしいことになるでしょう。そういう怖れは考え出せないのでしょうか。そこが理解できません。

もしかしたら羞恥心の少ないタイプ、つまり、攻撃タイプ(825)なのだろうか、と、いろいろと考えてしまいます。

(なお、友だちがいないことを最もよく口にして、苦にするのはタイプ2に多いものです。著書「子どもの心エニアグラム」でも、そのように書いています。辛くても、食欲がなかなか減らないのも、このタイプに多いんですが…。
ただし、情報がこれだけなのですから、当然のことながら、タイプ判定はできません。しているつもりもありません。誤解しないでくださいね)


友だちのいない孤独な学生はたくさんいると思うのですが、そういう人たちのことは、視野に入っていないのではないかと思います。楽しそうに語らっているように見える人たちしか、目に入っていないのではと。

また、楽しそうに語らっていても、他の人には、その人の悪口を言っていたりするかもしれないのですからね。人間同士の付き合い方は、見かけじゃわかりません。

いつも誰かとつるんでいる人間をみたら、「かなりつまらない人間に見える」と言っていた女学生がいました。ある男性などは、「そいつら、雑魚だ」と、強烈なことを言っていましたが…。

「事実を知る」・「視野を広める」 これほど大事なものはないと思いませんか。噂に翻弄される人、視野の狭い人ほど、自分を追い詰めてしまうだろうと予想します。

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「人を避けたり拒んだり、隠したり、偽ったり、傷つけたりする態度の原因に羞恥心があることは、ぼく自身にもよくわかった(P153)」  これは、映画「愛を読むひと」の原作本(朗読者)に載っている文です。

3ヶ月前の7月2日にも取り上げていますが、この映画の主人公が無期懲役刑に服したのは、強い羞恥心が原因の一つでした。このようなストーリーを考えつくのですから、作者のシュリンクさんは羞恥心の強い気質だと考えられます。

原作には、
他の学生たちが、恥じることの苦しみを克服できることをうらやましく思った(P196)」という文もあります。なお、シュリンプさんはタイプ4ですが、このタイプだけでなく、優等生気質(=防御タイプ1・7・4)の3つのタイプはともに羞恥心が強い人たちです。

ところで、羞恥心がさほどに強くない攻撃タイプ(=世界の中心にいると自己認識するタイプ8・2・5)の「恥」に関しての捉え方が面白いんです。結論から言うならば、「恥をかけ」と力説しています。

たとえば、アントニオ猪木さん(2w1)は、
「馬鹿になれ とことん馬鹿になれ 恥をかけ とことん恥をかけ、かいてかいて恥かいて 裸になったら見えてくる 本当の自分が見えてくる」と自作の詩集の中で説いています。

作家の山田詠美さん(2w1)も、「恥をかけない大人にはなりたくない 恥ずかしいもの」と、著書「学問」の中で書いています。

次ぎは或るブログにあったものです。「恥を知り、恥を恐れ、しかしそれでも恥をかける者は勇敢な者である」 他の文章からも明らかにタイプ2と判定できた人の文です。

しかし、優等生気質の人たちの行動の取り方、心情、反応などを知ると、その多くが強い羞恥心が原因だと考えられるほどです。極端には殆どのことが、「恐怖心と羞恥心」から生じているものだと言っても過言ではありません。

このようなタイプに「恥をかけ」と説いても、果たして受け入れられるでしょうか。一方、攻撃タイプ(825)は、恥をかくことが人間的な成長とか、社会的成功につながるという考え方らしいのです。しかも、「勇敢な者である」とさえ説いている方もいます。

ところで、恥じないように努めても、失敗はどのタイプでもします。しかし、「恥をかけ」と激を飛ばすタイプ2は、全タイプ中で最も粗忽な気質です。

このタイプはミスや失敗も多くなりがちですが、懲りない一面もあり、過ちも忘れやすいほうです。
それで気楽に再挑戦もできるのでしょう。このような気質であれば、恥をかけ! とか、挑戦することに意義がある!などと言えます。行動的にもなれるでしょう。

しかし、攻撃タイプ以外であれば、恥をかいたら苦しみが強すぎて、立ち上がりは容易ではありません。でも、慎重な気質も兼ね備えています。そのお陰でミスや失敗も少ない人たちです。

このように両タイプの特長を掘り下げると、「気質」というものがうまくできていることがわかって頂けるのではないでしょうか。

ですから、他の人たちへのアドバイスは、タイプを知ってからにしたほうがよいのではと考えられます。

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 タイプ2の受講生に尋ねたことがあります。「やさしさ」についてです。何をもってやさしいと思うのか、それがわからなかったためです。

「うちの娘(7w6)はやさしいんですよ」とある受講生が言うので、どういうところが優しかったんですかと尋ねると、「私が腹を立てて叱っても、黙ったままで言い返さなかったところです」。

ある受講生は父親(1w2)はやさしい、と言うので、どこが?と尋ねると、「夏、夕方の暑いときにワラビもちを買ってきて!と頼んだら、買ってきてくれたからです」

なんと、お使い賃を父親に手渡してパシリさせている! 弟や妹に頼むのであればわかるのですが…、大ビックリです。

ある受講生は、自分の母親(9w1)はとてもやさしい人だと言うのです。「一度も叱られたことがないからです」とのこと。これにも驚きました。

ある受講生は、「母親(6w7)が、手作りのおやつを作ってくれたことがあります」 これにも、「ええっ!」です。おやつを作ってくれたくらいで、「やさしい」に該当するのでしょうか。

ある受講生は、「うちの息子たち(兄4w5弟9w8)はみなやさしいんですよ。ケンカしたことが一度もありません」  う~ん…、私は考え込んでしまいました。

ある新婚の受講生は、「夫は、歩道を歩くときに私が車道側にならないように気遣ってくれます」  これは、なんとなく該当するような気がしますが、それでも腑に落ちません。みなさんはどう思われるのでしょうか。

家族のタイプを知りたいというので、いろいろなお話をしてもらうのですが、その折に、「やさしい」という言葉を使う人たちが結構います。そこで、どういうところを指して言っているのか尋ねてみたのです。

このように、大変に面白いことというか、思いがけないことを言う人たちが、タイプ2に多かったということがあります。むろん他のタイプにもあります。

他のタイプでも、「そりゃあ、やさしい人だね!」と同意できることは少なかったんです。一体、「やさしさ」って何なんでしょうか? 

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初対面とか、よく知らない人を目の前にすると、怖がりで緊張しやすい人は、相手を警戒したような目で見つめている(A)か、視線を合わせていません(B)。

Aであれば、無表情か、または怖い顔つきになってしまうのです。上目線だと見られることもあるほどです。それで生意気だとか、気取っている、えらそう、などと陰口を叩かれる怖れもあります。

Bであれば、相手のほうは「自分は嫌われている」、「自分のことを無視した」などと考えている可能性があります。

このように思われたら、その後のコミュニケーションがうまく行くとは考えられません。従って、最初が肝心です。

アドバイスとしては、
「ちょっと微笑んで会釈」を心がけるようにしましょう、になります。その後は、「ときどきうなづく」 ときに、「ハイ! ええ! そうですね! とハキハキと返事する」というものです。

それだけで、たいてい表面的なコミュニケーションであればうまく行きます。疑っておられるならば、一度トライしてみてください。非難の的にならないとわかるのではないでしょうか。

さて、コミュニケーションが大切だと考える人は、たいてい本人がおしゃべりです。そして、おしゃべりな人は、自分がしゃべりたいばっかりで、相手の話を聞こうとしていない場合が多いんです。

「ああだこうだ、あなたはどう思う?」などと尋ねられるので、答えようとしているのに、「私はこうこうで…」と、素早くまくし立られます。それで、「なんだ、尋ねてなんかいないのか」と、思うことはよくあります。

このような人たちは、相手のことをあまり観察していないのです。微笑んだ顔とハキハキとした返事だけで、十分にコミュニケーションを取れたと、当人は思っています。たぶん!?

なお、私自身、30年前くらいですがトライしています。職場の怖い先輩に対して、一年間ずっと聞き役をして、ずっと上記の3点セットをやっていたのです。それで、気に入られて困ってしまったほどです。

女性が二人だけの職場で、男性たちはいつも外に出払っていました。ですから、どうしても気遣わねばならない相手でした。自分の本音を出したことがありません。

私のほうでは、まるで私の話を聞いてくれない先輩に過ぎなかったのです。でも、嫌ってはいませんでした。その職場を辞めた後も、自宅まで遊びに寄っていらしたことがあります。

ここも大きな誤解に基づくものです。私にとってはコミュニケーションしたとは到底思えないもので、いつも一方通行です。話している相手方のことなど、本当には関心を持っていないのです。そういう
人はたくさんいます。と、思います。

ところで、世の中のほとんどのところで誤解が渦巻いています。互いに誤解だと、その都度疑問に感じたり、逐一確認し合ったことがほとんどないので、人間関係が険悪にならずに済んでいるだけ、だと思っております。

良い誤解をされるためには交通ルールを守りましょう。あ、ちがった! 上記の三点セットを活用して、コミュニケーション上手に見えるように装いましょう。

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「人と人がコミュニケーションするなんて、できるわけがありません。お互い違う脳ミソで、違うことを考えているんですから」と、インタビューに答えている男性がいます。

マンガ家のさいとうたかおさんです。エニアタイプはタイプ8w7と判定しています。また、
「相手の話こそ聞きますが、それでコミュニケーションが深まるとは思いません」と言う。

このインタビュアをした桐山秀樹さんは書いてます。
「人と人とのコミュニケーションと称して、理由もなく群れたがる日本人の心をさいとうは、マンガ「ゴルゴ13」によって絶えず狙撃し続けてきた」 (以上青字は、『マンガ道、波乱万丈』より転載している)

さて、この考え方を知り驚く人もいるかと思いますが、さいとうさんのようなタイプは千から万人に一人くらいしかいないとみています。彼は共感したり理解できるような人たちとは、一度も出会ったことがない可能性があります。

つまり、ずっと孤独のままで、表面的なつきあいしかしていないと考えられます。それは当たっているのかわかりませんが、その可能性があります。そうであれば、上記のようなことを語るのはよく理解できるところです。

また、タイプ8だけでなく、他の少数派であまりお目にかかれない「1・3・5・6・9」なども他者の言うことが理解できない共感できないことがたくさんあるはずです。その他、エニアとは関連性のない「社会的少数派」にとっても同様です。

つまり、コミュニケーションが上手であっても、相手の言うことが理解できず共感もできないならば、人とうまくつきあっているとは言えません。聞いているだけか、表面的に合わせているだけのことです。

自分のことを理解してくれない人たちを前にして、自分の考えや本当の気持ちを話すことはめったにないものです。深い話をするなど有り得ないでしょう。こういう人たちは予想以上にいます。孤独な人は多いのです。家族に囲まれていてさえも、です。

それゆえ、「自分は孤独だ」とか、「自分だけ特別にコミュニケーション能力が足りない」というものではありません。実態は、あなたの予想と大きく違うかもしれません。

さらに言えるのは、深いコミュニケーションができている友人たちが理解しあっているとは限らないことです。それどころか、その友人のことを他所でボヤいたり悪口さえ言っていたりします。

しかも、かなりあります。となれば、一体、なんのためのコミュニケーションなのでしょうか。会話がうまくなっても意味も価値もありません。

また、芸能人の話やレストランの話をしたところで、コミュニケーションが取れているというものではありません。ひとりが怖いので、むやみに、また、意味もなく、ただ、口を開いているだけです。

ですから、表面的に見ているだけでは、真実というものに気付くことはできないとわかるのではないでしょうか。

コミュニケーションが上手い人たちをを羨んでいたならば、それは大きな誤解に基づいたものだ、という可能性があります。
済みません。疲れてしまいましたので、続きは次回にします。

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