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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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親たちの会話の中によく使われる言葉があります。「子どもを甘やかすとズにノル」と。ゆえに、甘やかしてはいけないのだ、と、なります。

本当にそうなのでしょうか? 通常の親子関係であれば、子どもを甘やかしても、さほどズにノルようには思えないのです。少なくとも私にはあまり考えられないのですが、皆さんはどう思われますか?

ところで、ズは、「頭」と書くものだと思い込んでいました。正しくは「図」なのでした。でも、「図」の意味も疑問に感じたので調べてみる。「図」は企てのこととある。また、「図に当たる」は、思いどおりにことが運ぶ意、とある。

語源を調べました。以下です。
「図とは、仏教の法会などで、僧が唱える声楽“声明”の転調のことである。つまり、声楽の楽譜のことで、この楽譜には声の高低が図示されていた。その図の通りに唱えることができると「図に乗ることができた」と、本来は良い意味で使われていた。いつの間にか「調子に乗ってつけあがる」という意味に変ってしまった。「頭に乗る」と表記されることもあるが、意味が変化した後の当て字と考えられる」

恥ずかしながら生まれて初めて、この言葉の意味がわかったのでした。なんでも疑問に感じるということは良いことですね。

さて、図に乗りやすい子どももいるかもしれません。が、さほどにはいないだろう、というのが私の見解です。ただし、「見解」に過ぎません。絶対にそうだと断言しているのではありません。

人間って、環境や状況によってクルクルと変るものであり、よく言えば学べる動物なのです。計算高くもなり、楽して得を取るような行為もするだろうと思うのです。

従って、「通常の親子関係であれば」と入れています。親を憎んでいて苦しめたいとか復讐したいと思っている子どもならば、甘やかしてよいはずがありませんからね。

尤も、子どもから憎まれていることを察知していない親がいるなど、これもあまり考えられないことですから。

ある親は「甘やかすとドンドンつけあがる」と言うのです。で、どれほど甘やかしたのかと、その親に尋ねると、大して甘やかしていないのです。少し甘やかしたので、少し調子にのったに過ぎないのです。私から見たら、そうなのです。

ずっとずっとずっとずっとずっと甘やかして、ドンドンドンドンドンと図に乗れば、「甘やかしてはいけない」と思います。繰り返しが5つもあります。わたしから見たら、親が「ず」だけしか甘やかしていないのに、子どもがドンドンドンと繰り返しが3つくらい図に乗った、ということになっています。

でも、「甘やかす」とは、どのような行為を指しているのか、そこもまた問題なのです。仕方なくまたも親たちに尋ねてみました。「どのようなことをしたら、甘やかしたと思うのか?」と。
 
でも、夜もふけましたので、続きは次回にしようと思います。

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