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そこに、いつごろ創建されたのかわからない古い塔が、一面に生い茂った葦原に囲まれて立ち尽くしている。風が吹くと葦原がざわざわに唸りだす。なぜか、懐かしさに一杯になる、あの塔…。ずっと探し続けている。塔の秘密を解き明かすのは誰? 
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岩上安身による『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』

著者・矢部宏治氏インタビューhttp://iwj.co.jp/wj/open/archives/302909

会員以外でも見られます。
動画2時間 1年間限定フルオープン!

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20年余も前に読んだ『ゲト戦記』から、作者であるアーシュラ・K・ル=グウィンの作品を「全部読むぞ!」だなんて親しい人に宣言したことがあります。

それなのに、どういう訳かずっと忘れていたのですから、どうかしてます。というよりも、私はどうも浮気性で気が多くあれこれ手を広げ過ぎてしまうきらいがあるみたいです。それで大切なことも失念してしまう、失敗するというソコツ者です。

久しぶりに読み直したのは『西の果ての年代記』です。


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明けましておめでとうございます。
なんだか嫌なことばかり続いていますね。とくに昨年はアベ政権に翻弄され、これから日本の社会はどうなって行くのかと不安になることばかりでした。

でも、時の権力者はいつの時代でもずっとやりたい放題だったのだと、ふと気づくようになって気持ちが落ち着いてきました。

私は中学生の頃から歴史が好きで、歴史教科書は手に入れたらすぐに最後ページまで読むほどでした。とくに古代史に惹かれていましたが、現代史は通り一遍で、世界史も同様で近代史にはあまり惹かれませんでした。

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どうしてだか気づいた時には、私は“丸腰派”でした。20代前半の頃からですが、その頃から右も左も、つまり自民党も共産党も軍隊や軍備は必要だという考え方をしていました。

憲法九条は堅持すべきだと、とくに深く考えることもなく‥、ただ理想を追っていただけなのだと思います。しかし、よくよく考えてみたら戦後70年間ずっと戦争に巻き込まれなかったのですから、「丸腰憲法」でよかったんだ、充分に機能したのだ!と今では思っております。第一、そのほうがカッコいい!”って思ってしまう。

また、誰かと群れてともに何か起こすとか、組織に入るよりも、一人で行動する人間のほうが、ダントツにカッコいい! という美意識があるような。

一か月前に参院で「
テロ非難決議」で、ただ一人で棄権した山本太郎さんは私にとってはまさしく英雄です。ついでながら、AKB48とかEXILEとか嵐というようなグループ活動している人たちにに惹かれることも、これまでゼロです。スポーツも、野球やサッカーよりは、スキーやテニスのほうに惹かれます。

さて、読了したばかりの本のタイトルは、『グランド・ゼロからの出発』で、鶴見俊輔とダグラス・ラミスの共著です。
そこに、
1930年代にフランスの作家らによる反戦の呼びかけに応えて、東京に「クラルテ」というグループができたこと。30人ほどが集まったが日中戦争が始まった時、ハッキリと反戦の立場に立ったのは一人宮本百合子だけと、鶴見さんは述べています。

宮本百合子の著書は少し読んでいましたが、このようなエピソードははじめて聴きました。超カツコいいです。読み逃している『伸子』、早速に読まなくっちゃです。

絶対絶命の時にこそ、カッコよくなりたい!というのが私の理想というか願望です。ただの願望にはしたくないですが、そんな日が来たらどうしょう…、

ところで、軍隊を持たない国はどこなのか調べたことがあります。
軍隊放棄と憲法で明文化しているのは、世界で日本を含めた3ヵ国だけで、日本、コスタリカ、パナマでした。

このコスタリカが、「ともに平和憲法を保持してきた日本と中米コスタリカの両国民に共同で2015年度のノーベル平和賞を」と、ノーベル委員会に提出したというニュースがありました。以下です。

http://webronza.asahi.com/politics/articles/2015021700001.html

なお、上記著書の中でダグラス・ラミスさんが語っていることですが。

1920世紀にかけて、中南米の国は軍を持つとすぐに軍事クーデターが起きました。すると軍事政権となり戒厳令となるわけです。軍を持てば民主主義が潰される。中南米の国はそれの繰り返しです。だから、コスタリカは軍を持たない。軍部を持つと怖いと。軍部を持つと我々をいじめる。そういう意識で憲法が作られたわけです。かなり賢い。つまり、安全保障を犠牲にして軍部を廃止するのではなくて、軍があったほうが危ないから、つまり、自分たちを守るために軍隊を作らないという憲法を設けたわけなんです」

それで日本の自衛隊法はどうなっているのかと調べてみたら…。以下にあるように、治安出動を命じられた場合の武器使用について取り上げられています。丸腰の市民でも、危険だとみたら武器を使用するってことなのか?

そして、子ども向けのサイトには、治安出動に関しては何も書いてありません。キレイごとにしている。幼い時期から洗脳している。「ウソはつかないが本当のことは言わない(書かない)」という、いつもの手です。


★自衛官に認められた武器使用規定
http://www.asagumo-news.com/techou-pc2014/bukishiyou/bukishiyou2013.html

自衛隊法第89条第1項 治安出動について
自衛隊法第90条第1項治
安出動を命ぜられた自衛官について、準用する警察官職務執行法第7条の規定により武器を使用する場合のほか、職務上警護する人などが暴行・侵害を受け又は受けようとする明白な危険がある場合などにおいて、武器を使用するほか、他にこれを排除する適当な手段がない場合などの武器の使用を規定。

★防衛省・自衛隊の任務・子ども向けサイト
http://www.mod.go.jp/j/kids/understand/duty.html

防衛省・自衛隊の任務として3つ上げている。
災害(さいがい) などが起きたとき、人々の命と財産(ざいさん) (家などの大切な物)を守ります。
②日本を侵略(しんりゃく)(他国が() め入ってくること)から守ります。
国際(こくさい)平和協力活動、防衛交流などで、国際社会の平和と安定をめざします。


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金子光晴の詩『反対』はよく知られていますが、『奴隷根性の唄』 は知りませんでした。生まれは1895年ですが古さを感じさせません。ちなみに彼は愛知県の津島出身です。

この詩を理解したかったら、大杉栄の『
奴隷根性論』と併せて読めばわかる、と、つぶやく方がいて、早速に読んでみました。ともにアナーキーな考え方をしている人です。

なんだかアベさんとそのお友だちのことを言っているような気がしませんか。奴隷の酋長って感じですかね。
えっ、私ですか?少なくとも私は自分が奴隷に過ぎず、民主主義国家の一市民に生まれたなどとは思っていません。


★青空文庫 大杉栄の
奴隷根性論』 文でhttp://www.aozora.gr.jp/cards/000169/files/1006_13470.html


…奴隷根性の唄…
                               
金子光晴


 奴隷といふものには、ちょいと気のしれない心理がある。
じぶんはたえず空腹でゐて、主人の豪華な献立のじまんをする。
奴隷たちの子孫は代々背骨がまがってうまれてくる。
やつらはいふ。『四足で生まれてもしかたがなかった』と。

といふのも、やつらの祖先と神さまとの約束ごとと信じこんでるからだ。
主人は、神さまの後裔で、奴隷は、狩犬の子や孫なのだ。
だから鎖でつながれても、靴で蹴られても当然なのだ。
口笛をきけば、ころころし、鞭の風には、目をつむって待つ。

どんな性悪でも、飲んべでも、陰口たたくわるものでも
はらの底では、主人がこはい。土下座した根性は立ちあがれぬ。
くさった根につく、白い蛆。倒れるばかりの、大木のしたで。

いまや森のなかを雷鳴が走り、いなづまが沼地をあかるくするとき
『鎖を切るんだ。自由になるんだ』と叫んでも、
やつらは、浮かない顔でためらって、『御主人のそばをはなれて
あすからどうして生きてゆくべ。第一、申訳のねえこんだ』といふ。

奴隷は、奴隷の境遇に慣れ過ぎると、
驚いた事に自分の足を繋いでいる鎖の自慢をお互いに始める。
どっちの鎖が光ってて重そうで高価か、などと。

そして鎖に繋がれていない自由人を嘲笑さえする。
だが奴隷達を繋いでいるのは実は同じたった1本の鎖に過ぎない。
そして奴隷はどこまでも奴隷に過ぎない。

過去の奴隷は、自由人が力によって征服され、やむなく奴隷に身を落とした。
彼らは、一部の甘やかされた特権者を除けば、
奴隷になっても決して、その精神の自由までをも譲り渡すことはなかった。

その血族の誇り、父祖の文明の偉大さを忘れず、隙あらば逃亡し、
あるいは反乱を起こして、労働に鍛え抜かれた肉体によって、
肥え太った主人を血祭りにあげた。

現代の奴隷は、自ら進んで奴隷の衣服を着、首に屈辱のヒモを巻き付ける。
そして、何より驚くべきことに、
現代の奴隷は、自らが奴隷であることに気付いてすらいない。
それどころか彼らは、奴隷であることの中に自らの
唯一の誇りを見い出しさえしている。

(「人間の悲劇」から)

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友人から坂口安吾が著した文を紹介されて、すぐに読んだのが坂口安吾著の『島原の乱雑記』です。坂口安吾は好きな作家ですが、読んでいないものがたくさん残っています。

青空文庫にあるものゆえ、あなたもすぐに確認できると思います。少し転載(
青字)しています。短文です。以下にあるように、3000人の「切支丹キリシタン」である女と子どもたちが、「みんな喜んで死んだ」と、あるところに違和を感じます。

斬首される恐怖で思考停止するなどであれば理解できますが、あるいは、強い信仰心があれば喜んで死ぬことができるのかと…。で、思い出したのは少し前に聴いていたIWJの岩上安身さんによる
上村静氏インタビューです。

島原の乱で三万七千の農民が死んだ。三万四千は戦死し、生き残つた三千名の女と子供が、落城の翌日から三日間にわたつて斬首された。みんな喜んで死んだ。喜んで死ぬとは異様であるが、討伐の上使、松平伊豆守の息子で、甲斐守輝綱(当時18)の日記に、そう書いてある。

★坂口安吾著の『島原の乱雑記』 【青空文庫】http://www.aozora.gr.jp/cards/001095/files/45863_33229.html

屍体をとりかたづける人足もなく、まして、あとを耕す一人の村民の姿もなかつた。白骨の隙間に雑草が繁り、なまぐさい風に頭をふり、島原半島は無人のまゝ、十年すぎた。十年目に骨を集め、九州諸国の僧をよびよせ、数夜にわたつて懇に供養し、他国から農民を移住せしめた。

★上村静氏インタビュー(前半)http://iwj.co.jp/wj/open/archives/215322
 
上村…罪の問題はとても複雑です。キリスト教徒にとって、死んだあと救われないことは、とてつもない恐怖だった。そのために金で解決できる免罪符が利用され、それにルターが反発した。(一部のみ聞けますが、現在、会員でなければ全編を聞くことができません。

★原罪とは
http://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-original-sin.html


キリスト教では、「人はみな罪人である」と教えられており、それを「原罪」というようですが、当時、新興宗教であったキリスト教は、信仰すれば救われ、信仰を捨てたら救われなくなると説教していたようです。

つまり、世界の終わりまでずっと罪人のままってこと? ゆえに終末まで地獄に居ることになるのか…(?)

他の宗教の多くは、善い行いをすれば救われて天国に行けるが、悪い行いをすれば地獄に行くという教えが一般的みたいです。ただし、宗教に無関心でしたから知らないことばかりで、ここは間違っているかもしれませんので、そこはご容赦願います。

島原の乱は1637年のことです。徳川幕府はキリスト教を禁じて、踏み絵によって信徒をあぶりだして徹底的に弾圧しました。

なぜ過酷な拷問に耐える信者が多かったのか私は理解できずにいました。私ならば死の恐怖には打ち勝てないはずだと。しかるに「喜んで死ぬ」ことができるなど想定外です。3000人の女と子どもたちがそれを信じることができた…。

しかしながら、死んだあとがある(らしい。私は無いと思っているが)。で、死んだあとになって救われないとわかったら、それほどの恐怖に耐えられる人はおりましょうか。

信仰を捨てないほうを選ぶしかありません。というより、信仰を捨てずにいたら天国に行けると約束されていたならば、喜んで拷問を受け、喜んで死ぬはずです。

恐怖で煽っていたのか(?) 強い信仰心とは恐怖心由来のものだったのか‥

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テロリストの誓いはおよそこのようなものではないかと想像しているところです。

「アブレクの誓い」  真夜中にアブレクは モスクに忍びこんで誓う。

「わが崇拝する聖なる場所にかけて誓う。今日からは世の中のはみだし者になることを。人間の血を流し、誰にも情をかけないことを。これからは人々を迫害するだろう。人々から、彼らの心と良心と名誉という大切なもの全てを奪うことをこに誓う。

母親の乳房を含んだ赤ん坊を刺し殺すことを。乞食に残されたたった一つの小屋を焼くことを。喜びに満ちているところ、どこにでも苦悩を運ぶことを。

この誓いを破るならば、愛や人情が心を曇らせるならば、父の墓を二度と目にすることがないように。渇きを水が、飢えをパンが、決して鎮めないように。わが死体が路上に放置されるように。汚い犬がそこに汚物を注ぐように」

なお、アブレクとは、はみだし者のことで泥棒や人殺しのこと。人々のために殺す者も多いが、自分のために殺す者も大勢いる。いやってほどに不公平な目にあった者たちのことです。

「アブレクの誓い」は、タイトル『アリとニノ』という小説に載っていた(青字)ものです。著者は「クルバン・サイード」になっています。

1937年に、ウイーンにある出版社からドイツ語で出版されたものですが、どうやら著者は二人らしいのです。一人はオーストリアの男爵夫人(1894年生まれ)で、もう一人は1905年アゼルバイジャン生まれで、イスラム教に改宗したユダヤ人と言われています。

小説の舞台はカスピ海と黒海に囲まれた小国、アゼルバイジャン共和国とグルジア国です。歴史的にも多民族が入り乱れ支配した地域で、宗教も文化も違う人たちが混在している。

日本とは異質で遠い遠い国ですが、普遍的な物語とも言えます。しかし、いろいろなことを考えさせられました。

つまらない若い男女の愛と結婚の物語に過ぎませんが、男性はイスラム教徒で、女性はギリシャ正教徒で、日本人にはおよそ考えられないくらいに複雑な環境です。

キルギスもそうでしたが、この地方も略奪婚がある地域のようで、そこに悲劇が起きます。なお、主人公は上流階級に属しており、はぐれ者ではありません。
でも、このような小説を読んだのは初めてで、少しでも理解が進みそうな気がします。

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ずっと以前から読んでみたいと思っていた高見順の『敗戦日記』、漸く読み終えたところです。読んでみたらビックリ!

私にとっては作家という人種は終日机に向かい執筆に勤しみ、創作の悩み多くそれに苦しみ、人づきあいをあまりしない! というイメージでした。

が、高見さんの日記によると、毎日のように誰かと会っておしゃべりしています。毎日どこかに出かけ、誰かと会う約束をしていたり、知り合いともよく遭遇して飲み屋に行って酒を飲みかわしています。高見宅に泊まっていく客人も普通によくあるみたいです。

それに、日記も毎日のように書き綴っていて、さらに仕事としての執筆もしているようです。なんというまめな人なのかと驚いてしまいます。書くことが苦ならないようです。

作家たちも互いに会って交友を深めているのにも驚きます。発表の場が無くなっていた作家たちの生計を助けるために、それぞれ私蔵している本を持ち寄って貸本屋を開いていますが、それ進めたのが高見順さんです。川端康成などとともに店番もしていたようで、意外に活動的な人たちだったんですね。

高見順さんをタイプ2w1と判定していますが、日記からは前向きで人なつっこい感じがします。なんとなく成長の方向に一歩を踏み出した人に見えて信頼がおけそうに見えます。

マスメディア批判をキチンとしています。物の考え方にも共感でき、視点もよくて、もっと早く読んでおくべきだったと思う。日記の一部だけを少し転載しています。


昭和20年2月17日
三壺堂の客の噂話を聞いていると、二十五日の猛爆で罹災者が十万人出たという。(はじめ一万人の間違いではないかと思った)日比谷から大塚行きの電車に乗った。神田橋へ出て驚いた。あたり一体、惨憺たる焼け野原でまだ煙のあがっているところもある。

焼跡で何かしている罹災民たちは、恐らくそれしかないのであろう、汚れた着物を着て、いずれも青い顔をしていた。だが、男も女も、老いも若きも、何かけなげに立ち働いている。打ちのめされた感じではない。そうした日本庶民の姿は、手を合わせたいほどのけなげさ、立派さだった。しかし私は大急ぎで逃げるように焼跡をはなれた。
家に帰ると新聞が来ている。東京の悲劇に関して沈黙を守っている新聞に対して、言いようのない憤りを覚えた。何のための新聞か、そして、その沈黙は、そのことに関してのみではない。防諜関係や何かで、発表できないのであろうことはわかるが、―国民を欺かなくてもよろしい。

3月8日
朝、警報。朝日新聞に「本土決戦に成算あり」という見出しの記事あり。「我に数倍の兵力、鉄量、敵上陸すれば撃砕 一挙に戦勢を転換せん」-比島()の時も同じようなことを新聞は書いたいた。しかるに実際は…。だから、こま記事も国民は果たして信用するだろうか。中略。一体、どうなるのかねと香西君は言った。誰も返事ができなかった。誰もわからない。何も知らされていないからだ。しかし、みんな不安で、新聞記事ではないが、大号令を待っている。けれど、それも出ない。だからなんとなく、一日一日を送っている。中略 茨城あたりの百姓は、敵が入ってくるのでは植えつけしてもしょうがないと迷っているという。デマがたんだん飛び出す。夜、読書。

3月19
国民学校初等科を除き学校の授業が全部停止となった。

7月22
日本が勝つために我々は永い間困苦に耐へてきた。これから先もどこまでも耐へていく決意をきめてゐる。それにつけても情けないのは日本の政治家が日本人らしくないことだ。食糧事情において兵器事情において誰一人として出来なかったことの責任に日本人らしく腹を切った政治家がゐないではないか。国民を信用しないで、いいのだろうか。あの、焼け跡で涙ひつつ見せず雄々しくけなげに立ち働いている国民を。

8月19日 (注・終戦記念日とされたのは8月15)
新聞は、今までの新聞の態度に対して、国民にいささかも謝罪するところがない。詫びる一片の記事も掲げない。手の裏を返すような記事をのせながら、態度は依然として訓戒的である。等しく布告的である。政府の御用をつとめている。敗戦について新聞は責任なしとしているのだろうか。度し難き厚顔無恥


 


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MBCテレビ「MBCニューズナウ」のシリーズ「この人に聞く」
2013
26日放送



ジェフリー・アイリッシュさんという名のアメリカ人が、「金持ちより、時間持ちになりたい」という。

たぶん豊かな時間とは何なのか、それを知っている人ではないかと、著書を読んでみました。

『幸せに位集落 …鹿児島県、土喰集落の人々とともに』です。

鹿児島にある開聞岳が見られる小さな20軒くらいの住民が住む部落に住みついたようです。

古き良き日本人たちの暮らしぶりに感銘を受けたみたいです。

このジェフリーさんの経歴が凄いのです。エール大卒で、その後、日本の清水建設に入社して、その後、鹿児島の漁村で漁船で働きます。

ハーバート大と京都大の大学院で学び、そうして、土喰集落に落ち着いて、日本女性と結婚して子どもが2児生まれています。

文章からは、率直で飾らない気質を感じさせます。故郷にいる両親だけでなく、友人たちはエリートばかりで華やかな世界で活躍しているみたいです。

グーグル社の副社長をしている友人が自家用ジェット機に乗って同窓会に出たようで、「彼らの話を聞くと、鹿児島での自分の生活がどうしても小さく感じてしまう……今の生活で本当に大丈夫だろうか。これでいいのだろうか」と正直に告白しています。

そして、経歴からは、「学びたい」という意識が強いことがわかります。そうして旅を好み、人との出会いを大切にしている。宮本常一の『忘れられた日本人』を翻訳されています。

なんだか私とおんなじで、常一さんに憧れているみたいです。田んぼ作りにも挑戦している。私も一年だけでしたが稲作を体験していて、価値観も似ているような…。

でも、彼はリッチになりたいなどとは思っていないが、リッチな環境にいた人のようです。で、自分が本当にやりたいと思っていることにトライしています。

私も残り時間を考える年代になりました。「時間持ち」に近づきつつありますが、時間の使い方が下手なままです。

野山や森などを散策している時は、リッチな時間を持っているなと思うのですが、その他はどうなのかと…。



★ジェフリー・S・アイリッシュJeffrey S. Irish
http://www.sotokoto.net/jp/interview/?id=27


http://washimo-web.jp/Report/Mag-Koshikijimanikki.htm

★日本の田舎に惹かれて人々の暮らしを書き続けている、ジェフリー・アイリッシュさん。
http://www.mbc.co.jp/tv/news_now/


 


  


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最近は、目がかすむようになり、頭の回転も悪くなったような気がします。そのせいか難しい本には手が出ません。

できるだけスカッとした気分になりたくて、評論家の斎藤美奈子さんの本を読んでみましたが、期待通りでした。

『趣味は読書』とか『本の本』などですが、私も、趣味は読書なのですが、とても彼女のような面白いスカッとするような文章が書けるようになりません。羨ましいかぎりです。

ところで、福島原発から漏れ出る汚染水問題、もうどうにもならないほど末期的な症状です。そのうえ、大きな地震も世界各地で起きています。

それなのに、再稼働しようとしている。他国に売りつけようとする。厚かましい恥知らずの人たちがいる…。

こんな現実から逃げたいと思ってしまう。でも、斎藤美奈子さんの以下の文を読んで、少し気持ちを取り直したところです。


【本音のコラム】 「壊れたトイレ」 斎藤美奈子 (東京新聞2013.8.13)

先日,水洗トイレにトイレットペーパーの芯を流すという失態をやらかした。あっと思ったときは後の祭り。二十分ほど格闘するも,異物がつかえて水が流れない。次の手を思案しつつ思い出したのが「原発はトイレのないマンション」という言葉である。使用済み核燃料の最終処分場も決まらないまま稼働する原発を皮肉った表現だけれど「トイレがない」は実感に欠ける。怖いのは壊れたトイレだ。レベル3(重大な異常事象)の認定が検討中の今の福島第一原発は壊れたトイレに近い。汚水が便器からあふれ出し,バケツを集めて次々ためるもバケツも破損。汚水は床にたまり,トイレの外に侵出し,このままだと家中の床はおろか玄関から外に出て隣家にも影響しかねぬ状況だ。それなのに,この家の主は「うちで五輪を開こうぜ」などとはしゃいでいる。私には壊れたトイレを放置して,友人をパーティに招こうとしているように見える。まともな友人なら「順番が違う」と思うだろう。汚染水漏れは「五輪に直接関係しない」と語った猪瀬直樹東京都知事。同じく「影響はない」と述べた菅義偉官房長官。このセンスが事態を悪化させる。私は五輪を歓迎しない。「お手上げなんだ。助けてほしい」と首相は他国に頭を下げるべきなのだ。官邸のトイレにトイペの芯を流しに行きたい。

 


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